リジェ・JS11は、ジェラール・ドゥカルージュらにより設計されたF1マシンで、1979年から1980年にかけてリジェチームが使用した。
JS11/15 | |
カテゴリー | F1 |
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コンストラクター | リジェ |
デザイナー | ジェラール・ドゥカルージュ |
先代 | リジェ・JS9 |
後継 | リジェ・JS17 |
主要諸元 | |
エンジン | コスワース DFV |
主要成績 | |
チーム | リジェ・ジタン |
ドライバー | ジャック・ラフィット パトリック・デパイユ ディディエ・ピローニ |
出走時期 | 1979 - 1980 |
通算獲得ポイント | 127 |
初戦 | (1979年アルゼンチンGP) |
最終戦 | 1980年アメリカGP |
JS11は2シーズンの間に5勝を挙げた。これはリジェのF1GPでの通算勝利数(9勝)の半分以上にあたる。
JS11
JS11は、前年のチャンピオンマシンロータス・79と同様、グラウンド・エフェクト構造のマシンだった。ベンチュリの後端をリアタイヤの前で跳ね上げた「スパッツ」と呼ばれる空力処理が特徴だった。
エンジンはF1参戦以来のパートナーだったマトラ (V12) がF1から一時撤退したため、量販型のコスワースDFV (V8) へスイッチした。
JS11は初戦となった1979年の開幕戦(アルゼンチンGP)と次戦(ブラジルGP)を、ジャック・ラフィットのドライブで連勝した。
その後、パトリック・デパイユが第5戦(スペインGP)でJS11の3勝目を記録したが、それ以後勝利を挙げることができなかった。
第7戦のモナコGP後にデパイユがハンググライダーの事故でチームを離脱すると、ジャッキー・イクスが後任としてチームに加わった。イクスは最終戦までの8レースに参戦したが、3ポイントを獲得するに留まった。3勝を挙げる速さを見せたリジェだが、コンストラクターズランキングは3位に終わった。
JS11は、シャシー番号01から04までの4台が作成された[1]。
JS11/15
JS11/15は、JS11の改良モデルである。4台のJS11は全てJS11/15に改造された。この4台だけで1980年の全レースに参戦した[2]。
この年もリジェは速さを維持して2勝を挙げ、チーム最高成績となるコンストラクターズランキング2位となった。
F1における全成績
((key)) (太字はポールポジション)
年 | シャシー | エンジン | タイヤ | No. | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | ポイント | 順位 |
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1979年 | リジェ・JS11 | フォード コスワース DFV V8 | G | (ARG) | (BRA) | RSA | USW | (ESP) | (BEL) | MON | FRA | (GBR) | (GER) | (AUT) | (NED) | (ITA) | (CAN) | USE | 61 | 3 | ||
25 | デパイユ | 4 | 2 | Ret | 5 | 1 | Ret | 5 | ||||||||||||||
25 | イクス | Ret | 6 | Ret | Ret | 5 | Ret | Ret | Ret | |||||||||||||
26 | ラフィット | 1 | 1 | Ret | Ret | Ret | 2 | Ret | 8 | Ret | 3 | 3 | 3 | Ret | Ret | Ret | ||||||
1980年 | リジェ・JS11/15 | フォード コスワース DFV V8 | G | ARG | BRA | RSA | USW | BEL | MON | FRA | GBR | GER | AUT | NED | ITA | USE | CAN | 66 | 2 | |||
25 | ピローニ | Ret | 4 | 3 | 6 | 1 | Ret | 2 | Ret | Ret | Ret | Ret | 6 | 3 | 3 | |||||||
26 | ラフィット | Ret | Ret | 2 | Ret | 11 | 2 | 3 | Ret | 1 | 4 | 3 | 9 | 8 | 5 |
脚注
外部リンク
- Ligier JS11 Cosworth - Ultimatecarpage,com (英語)