この記事には複数の問題があります。改善や(ノートページ)での議論にご協力ください。
|
概要
第24代君主のホスロー2世の孫で、父は(シャフリヤール)。当時のサーサーン朝は内乱と洪水などの天災で疲弊していた。
イスラム勢力(正統カリフ)の勃興でメソポタミアを奪われる。宿将の(ロスタム・ファルロフザード)を最高司令官に任命してムスリム軍と対決するが、636年にイラクで起きたカーディシーヤの戦いでサーサーン朝軍は大敗してロスタムは戦死する。帝都クテシフォンはムスリム軍に包囲されて陥落した。ヤズデギルド3世はクテシフォン奪還の軍を起こすが、642年にニハーヴァンドの戦いで大敗すると、国勢は更に傾く。644年にはイスラム勢力に領土を蚕食され、東方のケルマーンなどに逃亡。651年にホラーサーンのメルヴへ逃れるも、同地で総督の裏切りにあって殺害され、サーサーン朝は滅亡した。
ヤズデギルド3世の息子ペーローズ3世をはじめとする皇族たちはパミール高原を越えて唐に亡命して対抗し続けたが、サーサーン朝復興を果たすことはできなかった。
参考文献
|
|