閔升鎬(びん しょうこう、ミン・スンホ、1830年 - 1874年11月)は、李氏朝鮮の第26代王・高宗李㷩の妃閔妃の義兄。興宣大院君の府大夫人閔氏の弟。父は府大夫人閔氏の父、閔致久であるが、閔致禄に養子となり閔妃の義兄となった。
閔升鎬 |
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各種表記 |
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ハングル: | 민승호 |
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漢字: | 閔升鎬 |
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発音: | ミン・スンホ |
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日本語読み: | びんしょうこう |
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ローマ字: | Min Sung-Ho |
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本貫は驪興閔氏、字は復卿、諡は忠正。
閔妃が王妃となってからは高官にのぼりつめ、閔氏一族による勢道政治の中心となったが、大院君派からと噂される爆弾で死亡した。
略歴 - 1830年 閔致久の子として出生
- 閔致禄の養子となり、閔妃の義兄となる
- 1864年 増広武科に合格
- 1866年 閔妃 王妃となる。 (吏曹)参議を経て(戸曹)参判につく
- 1872年 (刑曹)判書につく
- 1873年 (兵曹)判書につく
- 1874年 爆弾にて死亡 犯人として大院君の元兵使、申哲均が逮捕され拷問の末、自白→処刑
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