ミッレト制(ミッレトせい、アラビア語: مِلة、トルコ語: millet)は、主にオスマン帝国内で設けられていた非トルコ系、非イスラム系住民を保護、支配する特殊な宗教自治体のことである。
概要
オスマン帝国では、とくに自領内のルーメリア(ヨーロッパ領)やアルメニアなどに居住する非トルコ系非ムスリム系諸族住民の構成する共同体に対して保護と支配とを兼ねる特殊な宗教自治体が設けた[1]。この制度のもとでギリシア正教・アルメニア教会派・ユダヤ教の各教徒は納税を条件に習慣と自治を認められ、多民族・多文化・多宗教の調和社会が一定程度築かれた[1][2]。
サーサーン朝ペルシアでネストリウス派キリスト教徒に対し適用したのが原型とされるが[1]、元来イスラームでは異教徒の中でもユダヤ教徒やキリスト教徒などの「啓典の民」には貢納の義務と引き換えに自治を認めて庇護を与える制度(ズィンミー)があることなどから、「イスラームの寛容性」の一形態と言える[3]。しかし、「ミッレト制」の概念が普及したのは近代に入ってからであり、史料的な裏付けがないとの指摘もある[2]。