ザ・ミッドナイト・エクスプレス(The Midnight Express)は、1981年から1990年にかけて活躍したプロレスラーのタッグチーム・ユニットである。歴代のメンバーによって、アラバマ、テネシー、ルイジアナ、テキサス、ノース&サウスカロライナなどアメリカ合衆国南部で活動。ロックンロール・エクスプレスやロード・ウォリアーズなどの人気チームと敵対するヒールのユニットとして、1980年代におけるアメリカン・プロレスのタッグマッチ戦線で活躍した[1]。
歴代メンバー
- "ラヴァーボーイ" デニス・コンドリー("Loverboy" Dennis Condrey)(1981年 - 1987年、1987年 - 1989年)
- "ラヴィシング" ランディ・ローズ("Ravishing" Randy Rose)(1981年 - 1983年、1987年 - 1989年)
- "PYT" ノーベル・オースチン("P.Y.T." Norvell Austin)(1981年 - 1983年)
- "ビューティフル" ボビー・イートン("Beautiful" Bobby Eaton)(1984年 - 1990年)
- "スウィート" スタン・レーン("Sweet" Stan Lane)(1987年 - 1990年)
( )内は在籍期間。5選手ともサイズ的には決して大型ではなかったものの、いずれも職人肌の試合巧者であり、各々別のタッグチームにおいても実績を残している。
来歴
第1期 : コンドリー、ローズ&オースチン
1980年11月、アラバマのNWA加盟団体サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング(SECW)にて活動していたデニス・コンドリーが、パートナーのドン・カーソンの引退に伴いランディ・ローズと新しいタッグチームを結成。翌1981年、抗争相手だったベビーフェイスの黒人選手ノーベル・オースチンが(ヒールターン)して彼らと結託、トリオのタッグチーム・ユニットであるミッドナイト・エクスプレスが編成された。
以降、SECWではコンドリーとローズのコンビでボブ・アームストロング&ブラッド・アームストロング、ルーク・ウィリアムス&ジョナサン・ボイド、ロバート・フラー&ジミー・ゴールデンなどのチームを破り、NWAサウスイースタン・タッグ王座を再三獲得[2]。テネシー州メンフィスのCWAにも登場し、1982年にはコンドリーとオースチンのコンビでビル・ダンディー&スティーブ・カーンを相手にAWA南部タッグ王座を争っている[3]。
また、獲得したチャンピオンシップは3者共有のものとし、タイトルマッチにはメンバー間のどの組み合わせで出場しても許されるという、後に「フリーバード・ルール」と呼ばれる非公式ルールをヒール・ユニットのギミックとして早くから取り入れていた(同時期に活動していたファビュラス・フリーバーズの確立したルールとして知られる)[4]。
1983年10月、スコット&ブラッドのアームストロング兄弟に敗れサウスイースタン・タッグ王座から陥落したことを機にトリオを解消。ローズはSECWにとどまり、オースチンとコンドリーはCWAで活動することとなった。
第2期 : コンドリー&イートン
1984年、コンドリーはミッドサウス地区の団体間における交換トレードにより、ボビー・イートンやジム・コルネットと共にCWAからビル・ワットのMSWAに移籍[5]。コルネットをマネージャーに、イートンと第2期ミッドナイト・エクスプレスを結成する。同年3月13日にはミスター・レスリング2号&マグナムTAからミッドサウス・タッグ王座を奪取[6]。以降、同じくCWAから移籍してきたリッキー・モートン&ロバート・ギブソンのロックンロール・エクスプレスを相手に同王座を巡るシーソー・ゲームを展開、両チームの抗争劇はMSWAのドル箱カードとなった[5]。
その後、テキサス州ダラスのWCCWを経て、1985年よりNWAのジム・クロケット・プロモーションズに登場。因縁のロックンロール・エクスプレスとNWA世界タッグ王座を争い、ロード・ウォリアーズとも抗争を繰り広げるなど、当時の米マット界のタッグ戦線を代表するチームとして足跡を残した[5]。活動時期およびメジャーテリトリーでの実績において、この第2期をミッドナイト・エクスプレスの全盛期とする声は多く、2008年にはコンドリーとイートンの両者がNWA殿堂に迎えられている[7]。
1986年からはビッグ・ババ・ロジャースがコルネットのボディガードとなり、彼らの試合にも同行。11月27日の『スターケード'86』ではコルネットとロジャースがセコンドに付き、ウォリアーズとの歴史的な(スキャフォールド・マッチ)が行われた(同大会の名称 "The Night of the Skywalkers" は、この試合からネーミングされている)[8]。
第3期 : イートン&レーン、コンドリー&ローズ
1987年4月、コンドリーがNWAを離脱。コルネットはコンドリーを解雇したと(アングル上で)発表[1]、イートンの新パートナーにはスティーブ・カーンとのファビュラス・ワンズで活躍していたスタン・レーンが選ばれた。メンフィスCWA時代からの盟友である両者のチームワークに問題はなく、5月16日に行われたUSタッグ王座の争奪トーナメントでバリー・ウインダム&ロニー・ガービンを下し優勝、第4代のチャンピオン・チームとなっている[9]。1988年9月10日には、フォー・ホースメンのタリー・ブランチャード&アーン・アンダーソンを破り、NWA世界タッグ王座にも戴冠した[10]。
一方のコンドリーはNWA離脱後、末期のAWAにて旧メンバーのローズと再合体。自分達こそがオリジナルだと主張してオリジナル・ミッドナイト・エクスプレスを名乗り、ポール・E・デンジャラスリーを新しいマネージャーに迎え、1987年10月30日にジェリー・ローラー&ビル・ダンディーからAWA世界タッグ王座を奪取、マーティ・ジャネッティ&ショーン・マイケルズのミッドナイト・ロッカーズともタイトルを争った[11]。翌1998年にAWAを離れ、オリジナル・ミッドナイト・エクスプレスとしてNWAに復帰。イートン&レーンはコルネット共々ベビーフェイスに転じ、ユニット名も入場テーマ曲も共通のチーム同士による骨肉の争いを展開[1]。コルネットとデンジャラスリーのマネージャー抗争も行われ、12月26日の『スターケード'88』においても両チームの遺恨試合が組まれた[12]。
翌1989年、テッド・ターナーのNWA(クロケット・プロ)買収によるWCWへの体制以降に伴いコンドリーが再び離脱。ローズはジャック・ビクトリーとの新コンビで継続参戦していたが、イートン&レーンとの(ルーザー・リーブス・タウン・マッチ)に敗れて彼もWCWを離れた[1]。
その後もイートン&レーンはベビーフェイスのポジションにとどまり、ドゥーム(ブッチ・リード&ロン・シモンズ)やフリーバーズ(マイケル・ヘイズ&ジミー・ガービン)などのチームと対戦。1989年秋よりヒールに戻り、1990年はトム・ジンク&ブライアン・ピルマンやリックとスコットのスタイナー・ブラザーズを相手に抗争していたが、WCWの新副社長ジム・ハードとの対立により、同年11月にコルネットとレーンがWCWを退団[5]。イートンはシングル・プレイヤーとしてポール・E・デンジャラスリーのデンジャラス・アライアンスに加入することとなり、ミッドナイト・エクスプレスは10年におよぶ活動に終止符を打った。
解散後 : リメイク、リユニオン
1998年、当時WWFで(ブッカー)を担当していたコルネットが「NWA対WWF」というアングルのもと、中堅レスラーだったボブ・ホーリーとバート・ガンを組ませてミッドナイト・エクスプレスをリメイクしている。"ボンバスティック" ボブと "ボディシャス" バートのニュー・ミッドナイト・エクスプレスを名乗り、復活版の(NWA世界タッグ王座)にも戴冠。コルネット自身がマネージャーを務め、6月28日の(キング・オブ・ザ・リング)ではニュー・エイジ・アウトローズのWWF世界タッグ王座に挑戦したが、成功は望めず短期間でフェードアウトしていった。
2000年代に入り、旧メンバーは各地のインディー団体やリユニオン・イベントにてミッドナイト・エクスプレスをワンマッチ限りで再結成している。2004年9月25日にはアラバマのコンチネンタル・レスリングにおいて、ローズ&オースチンの "オリジナル" ミッドナイト・エクスプレスが久々に再編された[1]。2005年8月27日のレッスルリユニオンでは、コンドリー&イートン&レーンのトリオが実現し、ザ・ファンクス&ミック・フォーリーと対戦している[13]。
2007年8月17日のメンフィス・レスリングではコルネットが登場して、コンドリー&イートンの黄金コンビのマネージャーを務めた[1]。2008年6月7日にジョージア州アトランタで行われた "NWA Anniversary Show" ではコンドリー&イートン+コルネット対ロックンロール・エクスプレスという1980年代のドル箱カードが再現されている[14]。2011年にもJCWなどのインディー団体において、両チームのレジェンド対決が行われた[15]。
獲得タイトル
- サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング
- NWAサウスイースタン・タッグ王座:10回[2]
- アメリカン・レスリング・アソシエーション
- コンドリー&オースチン
- コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
- AWA南部タッグ王座:3回[3]
- コンドリー&イートン
- (ミッドサウス・レスリング・アソシエーション)
- ミッドサウス・タッグ王座:2回[6]
- ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング
- NWAアメリカン・タッグ王座:1回[16]
- ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
- NWA世界タッグ王座(ミッドアトランティック版):1回[10]
- ナショナル・レスリング・アライアンス
- インディー
- NWAブルーグラス・タッグ王座:1回
- NWAロッキートップ・タッグ王座:1回
- IWCタッグ王座:1回
- イートン&レーン
マネージャー
脚注
- ^ a b c d e f “The Midnight Express”. Online World of Wrestling. 2010年9月5日閲覧。
- ^ a b “NWA Southeastern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月5日閲覧。
- ^ a b “AWA Southern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月5日閲覧。
- ^ Greg Oliver and Steve Johnson (2005). “the Top 20: 7 The Fabulous Freebirds”. The Pro Wrestling Hall of Fame: The Tag Teams. ECW Press. pp. 46–52. ISBN (978-1-5502-2683-6)
- ^ a b c d “Jim Cornette Biography”. Jim Cornette.com. 2010年9月5日閲覧。
- ^ a b “Mid-South Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年10月20日閲覧。
- ^ a b “NWA Hall of Fame”. Wrestling-Titles.com. 2022年5月4日閲覧。
- ^ “Going Old School: Starrcade '86”. 411mania.com. 2010年9月5日閲覧。
- ^ a b “NWA United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月5日閲覧。
- ^ a b c “NWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月5日閲覧。
- ^ a b “AWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月5日閲覧。
- ^ “Going Old School: Starrcade '88”. 411mania.com. 2010年9月5日閲覧。
- ^ “WrestleReunion: August 27, 2005”. Online World of Wrestling. 2010年9月5日閲覧。
- ^ “NWA 60th Anniversary Show: June 7, 2008”. Cagematch.de. 2010年9月5日閲覧。
- ^ “Matches of Bobby Eaton 1999-2012”. Cagematch.net. 2016年9月14日閲覧。
- ^ “NWA American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年10月20日閲覧。
外部リンク
- Profile at Online World of Wrestling
- Memphis Wrestling History
- Mid-Atlantic Gateway