バリー・ウインダム(Barry Clinton Windham、1960年7月4日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テキサス州スウィートウォーター出身。父親はブラックジャック・マリガン、弟はケンドール・ウインダム。ディック・マードックは義理の叔父、マイク・ロトンドは義兄弟にあたる。
バリー・ウインダム | |
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1986年 | |
プロフィール | |
リングネーム | バリー・ウインダム ブラックジャック・マリガン・ジュニア ダーティー・イエロー・ドッグ ザ・ウィドウメイカー ザ・ストーカー ブラックジャック・ウインダム |
本名 | バリー・クリントン・ウインダム |
ニックネーム | 蒼き狼[1] |
身長 | 198cm |
体重 | 125kg(全盛時) |
誕生日 | 1960年7月4日(62歳) |
出身地 | アメリカ合衆国 テキサス州 ノーラン郡スウィートウォーター |
トレーナー | ブラックジャック・マリガン ハーリー・レイス |
デビュー | 1980年1月7日 |
父親譲りの長身の持ち主だが、大型ラフファイターだったマリガンとは対照的に、インサイドワークを駆使する技巧派として活躍した[1]。1980年代から1990年代を全盛期に、NWA、WCW、WWFなど各メジャー団体で実績を残している[2]。
来歴
父ブラックジャック・マリガンのトレーニングのもと、1980年1月にエディ・グラハムが主宰するNWAフロリダ地区のCWFでデビュー。金髪と長身、そして甘いマスクを持ったベビーフェイスの新鋭として売り出され、同年には早くもバグジー・マグロー、ミスター・サイトー、スーパー・デストロイヤーらを破り、同地区認定のTV王座を通算3回獲得した[2]。
以降もCWFを主戦場に、ダスティ・ローデスやマリガンとのタッグで活躍。シングルでは1981年1月12日にドリー・ファンク・ジュニアからフロリダ・ヘビー級王座を奪取し[3]、1982年12月18日にはグレッグ・バレンタインを下し南部ヘビー級王座を獲得[4]。1980年代前半はリッキー・スティムボート、ポール・オーンドーフ、ケリー・フォン・エリック、ブッチ・リードらと共に、次期NWA世界ヘビー級王者候補の一人として期待を集めた。
1983年11月、全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦にロン・フラーとの2メートル・コンビで初来日[5]。キャリア不足もあって勝ち星には恵まれなかったものの、リッキー・スティムボート以来の初来日選手に対するコールが起こった。なお、来日第1戦となる開幕戦(大阪府立体育館)で対戦し、リーグ戦の優勝チームとなったスタン・ハンセンとブルーザー・ブロディの両者は、ジョージアやテキサスなどアメリカ南部におけるブラックジャック・マリガンのライバルでもあった。
1984年10月、フロリダでのタッグパートナーだったマイク・ロトンドと共にWWFと契約。ロトンドとのタッグチームはUSエクスプレス(The U.S. Express)と名付けられ、1985年1月21日にはノース・サウス・コネクション(ディック・マードック&アドリアン・アドニス)を破り、WWF世界タッグ王座を獲得した[6]。同年3月31日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたレッスルマニア第1回大会にてアイアン・シーク&ニコライ・ボルコフに敗れ王座から陥落するも、6月17日に奪還に成功[6]。しかし、8月24日にドリーム・チーム(グレッグ・バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキ)にタイトルを奪われ、同年10月にWWFを離脱した[7]。
1986年1月、ロトンドとのコンビで全日本プロレスに再来日[8]。その後は古巣のフロリダを経て、同年末よりジム・クロケット・ジュニア主宰のNWAミッドアトランティック地区(ジム・クロケット・プロモーションズ)に定着、リック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に再三挑戦した[9]。1988年3月にはフォー・ホースメンを脱退したレックス・ルガーと組んでアーン・アンダーソン&タリー・ブランチャードからNWA世界タッグ王座を奪取するが[10]、数週間後にルガーを裏切ってヒールに転向、ルガーと入れ替わる形でフォー・ホースメンの新メンバーとなった[2]。
1988年11月、テッド・ターナーがクロケット・プロを買収してWCWが発足すると、一時WCWを離脱し1989年にザ・ウィドウメイカー(The Widowmaker)を名乗ってWWFに短期間登場[2][11]。1990年には全日本プロレスへの3度目の来日を果たし、3月6日に日本武道館にてジャンボ鶴田の三冠ヘビー級王座に挑戦[12]、その後WCWに復帰する。復帰後は再びホースメンに加わるも、1991年からはベビーフェイスに戻り、ダスティン・ローデスとの南部人タッグを結成した[2]。同年3月、当時WCWと提携していた新日本プロレスに初参戦し、1992年8月のG1 CLIMAXにも出場[13]。1993年2月21日にはノースカロライナ州アッシュビルでグレート・ムタを破り、復活版のNWA世界ヘビー級王座を奪取している[14]。
1994年のWCW退団後はしばらくマット界から離れていたが、1996年末より密猟者ギミックのベビーフェイス、ザ・ストーカー(The Stalker)としてWWFに登場。翌1997年からは父マリガンと同様の黒ずくめのカウボーイ・スタイルとなり、ジャスティン・ブラッドショーを相棒に(ニュー・ブラックジャックス)(The New Blackjacks)を結成[15]。かつて父がブラックジャック・ランザとのコンビで一世を風靡した名タッグチーム、ザ・ブラックジャックスをリメイクした。同年の暮れには全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に、ニュー・ブラックジャックスとして参加[16]。1983年の初来日以来、14年ぶりの最強タッグ出場を果たしている。
1998年にブラッドショーとのコンビを解消してヒールに転向、ジム・コルネットがWWF内で結成した「NWA軍」に加入するがファンの反応は鈍く、同年よりWCWに復帰する。しばらくは前座のポジションに甘んじていたものの、1999年にカート・ヘニング、ボビー・ダンカン・ジュニア、実弟のケンドール・ウインダムらと共に、カウボーイ・ユニットのウエスト・テキサス・レッドネックス(The West Texas Rednecks)を結成[17]。同年2月21日にはヘニングと組みトーナメント決勝でクリス・ベノワ&ディーン・マレンコを、8月23日にはケンドールとの兄弟チームでハーレム・ヒート(スティービー・レイ&ブッカー・T)をそれぞれ破り、WCW世界タッグ王座を2回に渡って獲得した[18]。
1999年にWCWを離れ、プエルトリコのWWCやテッド・デビアスがプロデュースしたWXOなどを転戦。2000年にはケンドールとのウインダム・ブラザーズで全日本の世界最強タッグ決定リーグ戦に来日、通算3回目の出場を果たした[19]。2001年からはダスティ・ローデスが興したTCWに参加、以降はセミリタイア状態となり、各地のインディー団体へのスポット参戦を続けた。2004年5月にはIWAジャパンに来日。マイク・ロトンドの引退試合に三宅綾を加えたトリオで出場した[20]。
2006年、プロデューサーとしてWWEと契約したが、2008年に解雇されている。2012年、リック・フレアー、アーン・アンダーソン、タリー・ブランチャードおよびマネージャーのJ・J・ディロンと共に、フォー・ホースメンとしてWWE殿堂に迎えられた[21]。
得意技
- フライング・ネックブリーカー・ドロップ
- (フライング・ラリアット)
- (スーパープレックス)
- (ブルドッギング・ヘッドロック)
- ドロップキック
- ダイビング・ニー・ドロップ
- ダイビング・エルボー・ドロップ
- スリーパー・ホールド
- ブレーン・クロー
獲得タイトル
- NWAフロリダTV王座:3回
- NWAフロリダ・ヘビー級王座:6回
- NWAフロリダ・タッグ王座:2回(w / マイク・グラハム、スコット・マギー)
- NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版):2回
- NWA USタッグ王座(フロリダ版):3回(w / マイク・ロトンド)
- NWAフロリダ・グローバル・タッグ王座:1回(w / ロン・バス)
- NWA USヘビー級王座(ミッドアトランティック版):1回
- NWA USタッグ王座(ミッドアトランティック版):1回(w / ロニー・ガービン)
- NWAイースタン・ヘリテージ王座:1回
- NWA世界ヘビー級王座(復活版):1回
- NWA世界タッグ王座(ミッドアトランティック版):1回(w / レックス・ルガー)
- WCW世界タッグ王座:3回(w / ダスティン・ローデス、カート・ヘニング、ケンドール・ウインダム)
- WCW世界TV王座:1回
- WWF世界タッグ王座:2回(w / マイク・ロトンド)
- WWE殿堂:2012年度(インダクターはダスティ・ローデス)
- WWC世界タッグ王座:1回(w / ケンドール・ウインダム)
- NWAサザン・チャンピオンシップ・レスリング
- NWA南部ヘビー級王座(テネシー版):1回
- ミュージック・シティ・レスリング
- NWA北米ヘビー級王座:1回
- NWAニューイングランド
- NWAニューイングランド・ヘビー級王座:1回
- ターンバックル・チャンピオンシップ・レスリング
- TCWヘビー級王座:2回
脚注
- ^ a b 『THE WRESTLER BEST 1000』P82(1996年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b c d e “Barry Windham”. Online World of Wrestling. 2009年9月30日閲覧。
- ^ “NWA Florida Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月2日閲覧。
- ^ “NWA Southern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月2日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Barry Windham in 1983”. Wrestlingdata.com. 2015年3月28日閲覧。
- ^ a b “History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年4月29日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1985”. The History of WWE. 2015年3月28日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Barry Windham in 1986”. Wrestlingdata.com. 2015年3月28日閲覧。
- ^ フレアーはウインダムを手の合ったライバルの一人として認めており、その試合巧者ぶりを「自分と技術で渡り合える数少ないレスラー」「60分フルタイム闘っても苦にならない相手」などと高く評価している。また、酒と女にも強く、何度も負かされたとも語っている(DVD『リック・フレアー アルティメット・コレクション』DISC-1 / 2004年、ジェネオン・エンタテインメント)。
- ^ “NWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月29日閲覧。
- ^ “The WWE matches fought by Barry Windham in 1989”. Wrestlingdata.com. 2015年3月28日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Barry Windham in 1990”. Wrestlingdata.com. 2015年3月28日閲覧。
- ^ “The NJPW matches fought by Barry Windham in 1992”. Wrestlingdata.com. 2015年3月28日閲覧。
- ^ “NWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月29日閲覧。
- ^ “The WWE matches fought by Barry Windham in 1997”. Wrestlingdata.com. 2015年3月28日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Barry Windham in 1997”. Wrestlingdata.com. 2015年3月28日閲覧。
- ^ カート・ヘニングの父ラリー・ヘニングとウインダムの父ブラックジャック・マリガンは1970年11月、国際プロレスにチームを組んで来日し、IWA世界タッグ王座を奪取している。また、ボビー・ダンカン・ジュニアの父ボビー・ダンカンとブラックジャック・マリガンは、ウインダムがデビューした1980年にNWAミッドアトランティック地区で抗争を繰り広げた仲だった。
- ^ “WCW World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月29日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Barry Windham in 2000”. Wrestlingdata.com. 2015年3月28日閲覧。
- ^ “IWA Japan Mike Rotundo Retirement Show”. Cagematch.net. 2015年3月28日閲覧。
- ^ “WWE Hall of Fame”. WWE.com. 2012年3月31日閲覧。
関連項目
外部リンク
- Online World of Wrestling
- WWE Hall of Fame
- バリー・ウインダムのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database