マリアーノ・ルモール(イタリア語: Mariano Rumór、1915年6月16日 - 1990年1月22日)はイタリアの政治家。キリスト教民主主義所属。同国閣僚評議会議長(首相)、内務大臣をそれぞれ2期、また外務大臣を歴任した。
マリアーノ・ルモール Mariano Rumór | |
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マリアーノ・ルモール(1978年) | |
生年月日 | 1915年6月16日 |
出生地 | イタリア王国、ヴィチェンツァ |
没年月日 | 1990年1月22日(74歳没) |
死没地 | イタリア、ローマ |
所属政党 | キリスト教民主主義 |
第57代イタリア共和国 閣僚評議会議長 | |
在任期間 | 1968年12月12日 - 1970年8月6日 |
大統領 | ジュゼッペ・サーラガト |
第60代イタリア共和国 閣僚評議会議長 | |
在任期間 | 1973年7月26日 - 1974年11月23日 |
大統領 | ジョヴァンニ・レオーネ |
第24代イタリア共和国外務大臣 | |
在任期間 | 1974年11月23日 - 1976年7月29日 |
首相 | アルド・モーロ |
第13代イタリア共和国内務大臣 | |
在任期間 | 1963年6月21日 - 12月4日 |
首相 | ジョヴァンニ・レオーネ |
第15代イタリア共和国内務大臣 | |
在任期間 | 1972年2月17日 - 1973年7月7日 |
首相 | ジュリオ・アンドレオッティ |
経歴
ヴィチェンツァのヴェネト出身。学校を卒業後、1946年に憲法制定会議の一員に選ばれた。当時、そこでは共和制に移行したばかりのイタリアにおけるイタリア議会の新たな道を模索していた。
1963年に内務大臣、1968年に首相に就任した。2期目の内務大臣を務めていた1973年、自称無政府主義者の(ジャンフランコ・ベルトーリ)に襲撃された。爆発により4人が死亡し、45人が負傷。ルモールは生きてその場を離れた。その後2期目の首相、また外務大臣を務めた。ベルトーリは1975年に終身刑を宣告されている。
1990年1月22日にローマで死去。74歳没。
公職 | ||
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先代 ジョヴァンニ・レオーネ ジュリオ・アンドレオッティ | イタリア共和国 閣僚評議会議長 第57代:1968年 - 1970年 第60代:1973年 - 1974年 | 次代 エミリオ・コロンボ アルド・モーロ |
先代 アルド・モーロ | イタリア共和国外務大臣 第24代:1974年 - 1976年 | 次代 アルナルド・フォルラーニ |
先代 (パオロ・エミリオ・タヴィアーニ) (フランコ・レスティヴォ) | イタリア共和国内務大臣 第13代:1963年 第15代:1972年 - 1973年 | 次代 (パオロ・エミリオ・タヴィアーニ) (パオロ・エミリオ・タヴィアーニ) |
党職 | ||
先代 アルド・モーロ | キリスト教民主主義書記長 第9代:1964年 - 1969年 | 次代 (フラミーニオ・ピッコリ) |