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アルナルド・フォルラーニ

アルナルド・フォルラーニイタリア語: Arnaldo Forlani1925年12月8日 -)は、イタリア政治家。1958年にイタリア下院議員として初当選し、以後1994年まで務める。1980年から81年にかけて首相を務めたほか、国防相外相無任所相などを歴任した。キリスト教民主主義(キリスト教民主党、DC)所属。ほかに1969年から73年までDCの党首幹事長とも書記長とも訳される)となっている。党内では右派に属した。

アルナルド・フォルラーニ
Arnaldo Forlani
アルナルド・フォルラーニ
生年月日 (1925-12-08) 1925年12月8日(97歳)
出生地 マルケ州ペーザロ・エ・ウルビーノ県
ペーザロ
所属政党 キリスト教民主主義

内閣 フォルラーニ内閣
在任期間 1980年10月18日 - 1981年6月28日
大統領 アレッサンドロ・ペルティーニ

内閣 ジュリオ・アンドレオッティ内閣
在任期間 1976年7月29日 - 1979年8月4日

内閣 アルド・モーロ内閣
在任期間 1974年11月23日 - 1976年7月29日
(テンプレートを表示)

首相としてはDC党内の汚職スキャンダル、イタリア南部を襲った地震被害、極左テロリズムへの対処などに追われた。また反共産主義的で違法な武器密輸活動などをし、後にフリーメイソンから破門される秘密結社ロッジP2に所属していた者のリストを公開したが、これは遅きに失したとイタリア共産党などの野党から非難され、結局は首相辞任に追い込まれた。後任の首相となったジョヴァンニ・スパドリーニイタリア共和党からの選出となったため、戦後のアルチーデ・デ・ガスペリ以来、36年間続いてきたDC出身の首相は、フォルラーニでいったん途切れることとなった。

その後、1980年代にはイタリア社会党ベッティーノ・クラクシ首相の下で副首相無任所相として)を務め、1989年から1992年までは再度DCの党首となった。この間、1992年にフランチェスコ・コッシガ大統領を辞任すると後任の大統領に推されたが、連立与党内から造反者が出て当選することができなかった(代わりにオスカル・ルイージ・スカルファロ下院議長が与党から当選)[1]。その後、タンジェントポリの嵐がイタリア政界に吹き荒れると、彼もまた不正蓄財で非難されて政界から引退した。現在はピエル・フェルディナンド・カジーニが彼の政治的な後継者とみなされている。

出典

  1. ^ 大統領選で味方の裏切りにあった候補者たち

関連項目

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