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マニラ連続保険金殺人事件

マニラ連続保険金殺人事件(マニラれんぞくほけんきんさつじんじけん)は、2014年平成26年)から2015年平成27年)にフィリピンマニラで発生した保険金殺人事件[1]。被害者の男性2人はいずれも山梨県在住で、それぞれ主犯とされる男I(山梨県笛吹市在住)の知人でもあった[1]

マニラ連続保険金殺人事件
日付 2014年-2015年
攻撃側人数 A事件では3人(他に1人が犯行を幇助)
B事件では2人
死亡者 男性A・男性B
犯人 A事件:I・X・Y・Z
B事件:I・X
動機 保険金目的
対処 犯人を逮捕起訴
刑事訴訟 Iは一審二審死刑判決を受け上告
Xは無期懲役(控訴せず確定)
Yは懲役15年(控訴棄却・上告せず確定)
Zは懲役6年(控訴せず確定)
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2014年、整骨院経営の男性A(当時32歳:韮崎市在住)がマニラで射殺され、翌2015年には会社役員の男性B(当時42歳:笛吹市在住)も同様に射殺された[1]。被害者2人にはいずれも、Iが大株主だった会社を受取人とする死亡保険金が掛けられており、2人はIらが現地で雇ったヒットマンによって拳銃で射殺されたと刑事裁判で認定されている[1]

事件の経過

Aに対する詐欺・殺人

2014年(平成26年)7月4日、 入院していた山梨県甲府市の男Xは笛吹市の飲食店経営者でXの高校の同級生でもある男I [2]の見舞いを受ける。Iは会社役員の男性B(事件当時42歳)を殺害して保険金を得る計画をXに持ちかけ、フィリピンヒットマンを雇えるかを相談した。Xは、Bの保険金が手に入ればフィリピンでうなぎの稚魚の事業を行うことができるとIに説得されてこの話に乗ることにし、妻のフィリピン人Zとかつてフィリピンで知り合ったYにヒットマンの手配を頼んだ。8月、Iは、殺害対象をBから整骨院経営の男性A(事件当時32歳)に変更したこと、Bが経営する建材卸会社を保険加入に利用するためにBを仲間に加えたことをXに伝えた。I・X・Bは、XがAを殺害するヒットマンの手配、IとBがAを被保険者とする保険の加入手続きやそれに必要な登記手続きをするという役割分担を決めた。IとBはBの会社を受取人とする1億円の保険にAを加入させる手続きを行い、I、Xもこの会社の役員にした[3]

9月16日、Iは、XとBを含めた4人で300万円ずつ拠出してフィリピンで新会社を設立することをAに持ちかけた。実際はI・X・Bに金を拠出する意思はなく、Aだけに金を拠出させた上、その金をA自身を殺害するヒットマンの報酬金に充てる算段だった。翌17日から18日にかけて、 I・X・BはAを含めた4人が参加するLINEのトークルームにおいてXの口座に300万円を振り込んだという虚偽を送信してAをだまし、AはXの口座に300万円を振り込んだ[3]

10月ごろ、IはX・BとともにLINEのトークルーム上でフィリピンの多数の信徒を抱える神父がI達の事業に興味を示しているという架空の話をAに伝え、Aはフィリピンに渡航することに乗り気になった[3]

10月8日から10日にかけて、IはX・Bと共謀してフィリピンでの追加費用として必要な70万円をAからだまし取ることを計画した。Iは、後見人であるCに前述の300万円の拠出を反対されてIの旅券を取り上げられたという架空の話をAに語り、「このままではフィリピンに渡航できない」として、I・X・A・Bの4人で70万円ずつ 拠出して集めた現金をCに「Xらから取り戻した300万円」として見せて旅券を取り戻すことを持ちかけた。Iは、金はフィリピンから帰国した後に返還するとしてAをだまし、AはBの口座に70万円を振り込んだ[3]

10月19日午前0時30分ごろ(日本時間)、Aはフィリピンのマニラ首都圏ラスピニャス市内において近づいてきたバイクの男に胸を拳銃で撃たれ、同市内の病院で胸部臓器損傷により死亡した。YはIの指示でAをマニラの繁華街からタクシーに乗って殺害現場に連れ出し、Yは殺害現場に到着するとタクシーを降り、直後Aは撃たれた[3]

A殺害後、IらはAの生命保険金を得る上で必要な家族の押印を得るためにAの遺族と何度も連絡をとるが会うことができず、生命保険金を取得することができなかった。このためIらは、2015年(平成27年)1月から3月にかけて、Aの遺族から貸付金等回収名目で金銭をだましとろうと企てたが、Aの遺族の弁護士がIの嘘を信じなかったため、Iらは金銭を得ることが出来なかった[3]

Yに対する殺人計画

2014年12月ごろ、IはYに保険金をかけて殺害することをXに持ちかけた。だが2015年3月、Yが行方不明になったためこの計画は断念された[3]

Bに対する殺人

4月12日、IはXに、Bに保険を掛けてフィリピンで殺害する計画を持ちかけた。Xは了承し、A殺害時同様Xがヒットマンの手配、IがBを加入者とする保険の加入手続きを担うことになった[3]

Bをフィリピンに連れ出すためにIは音信不通となっていたYの居場所がわかったとBに虚偽を告げた。5月9日から24日にかけて、 I・X・Bでフィリピンに渡航。ヒットマンと保険の準備が整っていればBを殺害する予定での渡航だったが、保険の準備が間に合わず殺害は実行されなかった。6月20日から7月2日にかけてもフィリピンに渡航するが、この時はヒットマンの手配が出来ず殺害を断念。7月11日から14にかけて3度目のフィリピン渡航。この時はBがパスポートを忘れたと言って渡航せず、殺害は実行されなかった[3]

8月22日から、4度目のフィリピン渡航。8月31日から翌9月1日にかけて、Xが殺害現場にBを誘導し、ヒットマンがマニラ首都圏ラスピニャス市内でBの胸を拳銃で撃ち、Bはマニラ南部の住宅街の路上に倒れて胸部射創による左血気胸及び胸部臓器損傷により死亡した。だが、Iらは今回も保険金を得ることができなかった[3]

逮捕・起訴

2016年(平成28年)5月12日、山梨県警はI・X・Y・ZをAに対する保険金殺人の容疑で逮捕した。甲府地検はIとXをA・Bに対する殺人罪で、YをAに対する殺人罪で、ZをAに対する殺人幇助罪で起訴した。

裁判

X・Y・Zに対する判決

Aの殺害を幇助したフィリピン国籍の女Zに、甲府地裁(丸山哲巳裁判長)は殺人幇助罪などの罪で懲役6年(求刑懲役7年)を言い渡した。Zは控訴せず刑が確定した。

Yが殺人の実行役を手配した上、Aを殺害現場におびき出していたことから甲府地方裁判所の丸山哲巳裁判長はAに対する殺人罪などの罪でYに求刑通り懲役15年を言い渡した[4]。Yは控訴したが、2017年5月に東京高裁に控訴を棄却され上告せず刑が確定した[5]

AとBに対する殺人罪などの罪に問われた男Xに甲府地方裁判所は求刑通り無期懲役を言い渡した。丸山哲巳裁判長は「計画的な上に巧妙で冷酷。終生の間、罪の償いにあたらせることが相当だ」と述べた一方で、真相解明に貢献したと結論づけ死刑は回避した[6]。Xは控訴せず刑が確定した。

Iに対する裁判

地裁判決

第一審の公判甲府地方裁判所((丸山哲巳)裁判長)における裁判員裁判で開かれ、2017年(平成29年)8月25日に同地裁はIに対し、検察側の求刑通り死刑を言い渡した。裁判はIが「首謀的役割」を果たしたかが焦点となり、検察はLINEのやりとりやIのパソコンに残っていたデータなどを提示した。これに対し、弁護側は「なりすましで送られた」と反論して無罪を主張したが、判決で丸山裁判長は「不合理で信用できない」とこれを退けた[7]

控訴審判決

Iは控訴したが、東京高等裁判所((青柳勤)裁判長)は2019年12月17日にIの控訴を棄却する判決を宣告した。控訴審で弁護側は事件はXが首謀したものとしてIの無罪を主張したが、高裁は首謀者をIとするXらの証言が具体的で信用できると指摘、「被告だけが計画の全貌を把握していた」として一審の死刑判決を追認した[8]

上告審

2023年(令和5年)4月20日、被告人Iの上告審口頭弁論公判が最高裁判所第一小法廷安浪亮介裁判長)で開かれ、弁護側は一連の事件の主犯は無期懲役が確定した共犯の男であり、彼による「Iが関与した」という証言は信用できず、Iは犯行に関与していないと無罪を主張した[1]。一方で検察側は、一連の事件はいずれもIの関与なしに遂行することは困難であり、Iが犯行を首謀したことは明らかだと指摘した[9]。その上で、わずか1年で知人男性2人に高額な死亡保険を掛け、自らは手を汚さず実行役に殺害させたことは計画性が極めて高く、悪質な犯行態様であると主張し[1]、Iが一貫して犯行を否認して共犯者に罪を押し付けていることから反省は皆無などと訴え、上告棄却を求めた[9]。判決は同年6月5日に言い渡される予定である[10][11]

脚注

  1. ^ a b c d e f 山梨日日新聞』2023年4月21日朝刊第2版第一社会面23頁「マニラ・2県人殺害 I被告 無罪を主張 上告審が結審」(山梨日日新聞社〈宮川祐人〉〈共同〉)
  2. ^ “マニラ保険金殺人事件、「首謀者」二審も死刑 東京高裁” (2019年12月17日). 2022年10月22日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j “平成29年8月25日 平成28(わ)89 詐欺,殺人,電磁的公正証書原本不実記録・同供用,有印私文書偽造・同行使,詐欺未遂事件判決” (PDF). 裁判所. 2022年1月17日閲覧。
  4. ^ “マニラ保険金殺人で懲役15年の判決 ”. 朝日新聞. (2016年11月14日). https://www.asahi.com/articles/ASJCG4TZGJCGUZOB00F.html 2020年9月13日閲覧。 
  5. ^ “マニラ邦人殺害二審も懲役15年 東京高裁” (2017年5月16日). 2022年10月22日閲覧。
  6. ^ “マニラで2邦人射殺 被告に無期懲役の判決 甲府地裁”. 朝日新聞. (2017年2月14日). https://www.asahi.com/articles/ASK2G53MLK2GUZOB017.html 2019年9月13日閲覧。 
  7. ^ “マニラ保険金殺人死刑判決 鳥羽さん父「区切りついた」” (2017年8月26日). 2022年10月22日閲覧。
  8. ^ “マニラ保険金殺人事件、「首謀者」二審も死刑 東京高裁 ”. 朝日新聞. (2019年12月17日). https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASMDK56RPMDKUTIL03D.html%3Fusqp%3Dmq331AQRKAGYAYnCgPOY2JTssgGwASA%253D 2022年10月22日閲覧。 
  9. ^ a b 「」『TBS NEWS DIGテレビ山梨、2023年4月20日。2023年4月25日閲覧。オリジナルの2023年4月25日時点におけるアーカイブ。
  10. ^ 『山梨日日新聞』2023年4月27日朝刊第2版第一社会面19頁「マニラ殺人 6月判決 上告審 笛吹のI被告」(山梨日日新聞社〈共同〉〈報道部〉)
  11. ^ “”. 裁判所ウェブサイト. 最高裁判所 (2023年4月27日). 2023年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月28日閲覧。 - 令和5年6月5日午後3時00分 令和2年(あ)第124号「詐欺、殺人、電磁的公正証書原本不実記録、同供用、有印私文書偽造、同行使、詐欺未遂」
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