第3代ロンズデール子爵ヘンリー・ラウザー(英語: Henry Lowther, 3rd Viscount Lonsdale, PC, FRS 1694年 – 1751年3月7日)は、イギリスの廷臣、地主。
生涯
(初代ロンズデール子爵ジョン・ラウザー)とキャサリン・シン(Katherine Thynne)の次男として生まれ、1713年12月1日に兄リチャードが死去するとロンズデール子爵の爵位を継承した[1]。
1715年ジャコバイト蜂起では(カンバーランド統監)のカーライル伯爵とともにカンバーランドとウェストモーランドで民兵隊を編成したが、ダーウェントウォーター伯爵率いるジャコバイト軍が接近すると民兵隊は四散、20人しか残らなかったためロンズデール子爵は(アップルビー城)に撤退せざるを得なかった[2]。
1717年にジョージ1世の(寝室侍従)に任命され、あまり熱心ではなかったが10年間務めた。ほかにも1726年から1731年まで(ロンドン塔管理長官)を、1733年から1735年まで王璽尚書を務め、1738年にカーライル伯爵が死去すると後任の(カンバーランド統監)と(ウェストモーランド統監)になり、1745年ジャコバイト蜂起ではこれら2カウンティの守備を担当した[3]。
1720年の南海泡沫事件で大きな損失を出したものの、いわゆる(自治邑土地保有態様)(Burgage)の購入に励んで(アップルビー選挙区)を懐中選挙区にすることに成功した[3]。
1751年3月12日に死去、生涯未婚だったためロンズデール子爵は継承者がなくなり断絶、(準男爵)の爵位と遺産は親族の(ジェームズ・ラウザー)(後の初代ロンズデール伯爵)が継承した[1]。
脚注
- ^ a b Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1254.
- ^ North Westmorland: The insurrection of 1715', The Later Records relating to North Westmorland: or the Barony of Appleby. The Institute of Historical Research. 1932. pp. 31–35. 2006年12月21日閲覧。
- ^ a b Beckett, J. V. "Lowther, John, first Viscount Lonsdale". (Oxford Dictionary of National Biography) (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/17111。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ "Lowther; Henry (1694 - 1751); 3rd Viscount Lonsdale and Baron Lowther". Record (英語). The Royal Society. 2019年6月2日閲覧。
公職 | ||
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先代 デヴォンシャー公爵 | 王璽尚書 1733年 – 1735年 | 次代 ゴドルフィン伯爵 |
名誉職 | ||
先代 ボルトン公爵 | (ロンドン塔管理長官) (タワー・ハムレッツ統監) 1726年 – 1731年 | 次代 レスター伯爵 |
先代 ウォートン侯爵 | (ウェストモーランド首席治安判事) 1715年 – 1751年 | 空位 次代の在位者 サー・ウィリアム・ラウザー準男爵 |
先代 カーライル伯爵 | (カンバーランド統監) (カンバーランド首席治安判事) 1738年 – 1751年 | 次代 イグリモント伯爵 |
(ウェストモーランド統監) 1738年 – 1751年 | 空位 次代の在位者 サー・ウィリアム・ラウザー準男爵 | |
イングランドの爵位 | ||
先代 リチャード・ラウザー | ロンズデール子爵 1713年 – 1751年 | 断絶 |
スコットランドの準男爵 | ||
先代 リチャード・ラウザー | (ラウザーの)(準男爵) 1713年 – 1751年 | 次代 (ジェームズ・ラウザー) |