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プレイメイト

プレイメイト: Playmate)はアメリカ合衆国の雑誌『プレイボーイ』各号に呼び物として掲載される女性ヌードモデル

2007年のプレイメイト・オブ・ザ・イヤー、サラ・ジーン・アンダーウッド

概要

『プレイボーイ』誌に載ったモデルであっても、表紙のモデルや一般のヌードモデル等はプレイメイトに含まれない。センターフォールドなどに、ヌード・モデルとして掲載された女性が「プレイメイト」とされている。

見開きページ・折込ページ(センターフォールド)に「ミス○○月」として掲載されるモデルはプレイメイト・オブ・ザ・マンスPlaymate of the Month、略称PMOM)と呼ばれる。プレイメイト・オブ・ザ・マンスのグラビアはその人物のヌード写真・見開きポスター・略歴に加え、生年月日・身体サイズ・興奮する状況・白ける状況等を記述した「プレイメイト・データシート」から構成されている。一年間に掲載された総勢12人のプレイメイト・オブ・ザ・マンスの中から1名が、翌年のプレイメイト・オブ・ザ・イヤーPlaymate of the Year、略称PMOY)に選出される。プレイメイト・オブ・ザ・マンスの報酬は2万5000米ドルで、プレイメイト・オブ・ザ・イヤーに選ばれると10万米ドルの追加報酬と自動車が贈られる。このほか、創刊5周年以後5年周期でアニバーサリー・プレイメイトAnniversary Playmates)が選出されている。2006年9月時点で、プレイメイト・オブ・ザ・マンスを歴任した女性の数は635人。

『プレイボーイ』は将来のプレイメイトとなりうる候補者の発掘に対して対価を出しており、本人以外が推薦した候補者がプレイメイトに選ばれた場合、推薦者は仲介手数料として2500米ドルを手に入れることができる。ヒュー・ヘフナーと写真家たちはそれら候補者の中からプレイメイトを選出する。プレイメイト・オブ・ザ・イヤーはヒュー・ヘフナーが年間の読者投票を参考に独断で選出する。ジェームズ・ボンドが大活躍するボンド映画のヒロインがグラビア・モデルとして登場することも多く、マリアム・ダボらがヌードになっている。

2000年代前半からは『プレイボーイ』はプレイメイトの他にサイバーガール((Cyber Girls))というインターネットのヌードモデルを新設し、その初代(Cyber Girl of the Year)(サイバー・ガール・オブ・ザ・イヤー)のエリカ・ミッシェル・バレ(Erika Michelle Barré)は日本版のプレイボーイの2002年8月号の表紙と特集グラビアを飾った。後述するように(サイバーガール)からプレイメイトになった者もいる。

注記: 『プレイボーイ』は「一度プレイメイトになれば、”永遠にプレイメイト”であり続ける」(Once a Playmate, always a Playmate[1])との考えから、「元プレイメイト」等の表現は使っていない。

歴史

『プレイボーイ』第1号に主役として掲載されたのはマリリン・モンローだが、その肩書きは「今月の恋人」(Sweetheart of the Month)であり「プレイメイト」の呼称はまだ存在しなかった。プレイメイト・オブ・ザ・マンスと銘打たれた最初のモデルは『プレイボーイ』第2号に掲載されたミス1954年1月、マージー・ハリソンである。基本的に、プレイメイトとして掲載される回数はモデル1名につき1回であるが、創刊初期には2回または3回プレイメイトを経験したモデルも存在する。2回経験者はマージー・ハリソン(1954年1月・1954年6月)と(マルグリット・エンペイ)(1955年5月・1956年2月)の2名で、3回経験者はマーガレット・スコット(1954年2月・1954年4月・1955年4月、後の2回はマリリン・ウォルツ名義)とジャネット・ピルグリム(1955年7月・1955年12月・1956年10月)の2名である。

アメリカの各州では、18歳未満の出演するヌード、ポルノ画像は違法となっているが、『プレイボーイ』が創刊されて間もない時代には未成年者のヌードに関する法律はまだ整備されていなかったため、(ナンシー・クロフォード)(1959年4月)、(ドナ・ミッチェル)(1963年12月)、リンダ・ムーン(1966年10月)、(テディ・スミス)(1960年7月)らは17歳で、(エリザベス・アン・ロバーツ)(1958年1月)は16歳でプレイメイトとしての撮影に臨んでいた。この結果としてヒュー・ヘフナーとロバーツの母親は逮捕されたが、エリザベスが母親の出演同意書を持っていたため最終的に請求は棄却された[2]表現の自由をとことん追求するヘフナーにとっては、逮捕は名誉なことだったかもしれない。70年代の例としては16歳で『プレイボーイ』ドイツ版の撮影に臨んだ(ウルスラ・フェルネ)がおり、彼女は18歳で米国版(1979年10月)にも掲載されている。ドロレス・ドンロンは年齢が30代後半でプレイメイトに選ばれており、最も年齢の高いプレイメイトとなっている[3]

プレイメイト・オブ・ザ・イヤーは各年5月に(プレイボーイ・マンション)におけるメディア午餐会で発表されるのが慣習である。プレイメイト・オブ・ザ・イヤーとなったモデルは、その年の6月号または7月号で組まれるプレイメイト・オブ・ザ・イヤー特集のグラビアで大々的にフィーチャーされ、表紙も飾る。しかし例外として2003年から2005年にかけての特集号の表紙はプレイメイトではなく、同じ号のセレブリティグラビアに登場しているセレブリティが掲載された。

陰毛を見せた最初のプレイメイトはミス1971年1月のリヴ・リンデランドとして知られているが、創刊初期の1956年2月には自身2度目の登場となる(マルグリット・エンペイ)がラス・メイヤー撮影の水中写真で陰毛を見せている。当時は発行部数が少なかったため、この写真はリンデランドの写真のように一般に知れわたることはなかった。陰毛を見せるプレイメイトは1970年代から1980年代にかけて増加傾向が続いたが、1980年代後半からは陰毛を剃毛して整える傾向が強まり、2001年9月のダレーン・カーティスはプレイメイトの歴史上初めて完全に1本の陰毛もないパイパンで掲載された。1990年代からはへそピアス等のボディピアスや、タトゥーを体に施したプレイメイトの増加傾向も見られるようになった。

著名なプレイメイト

『プレイボーイ』への出演以外の事由でも有名なプレイメイトを下に示す。(括弧内はラテン文字綴りとプレイメイトに選ばれた年・月)

アニバーサリー・プレイメイト

  • 55周年(2009年1月): Dasha Astafieva
  • 50周年(2004年1月): (コリーン・シャノン)(Colleen Shannon)
  • 45周年(1999年1月): ジェイミー・バーグマン(Jaime Bergman)
  • 40周年(1994年1月): (アンナ=マリー・ゴダード)(Anna-Marie Goddard)
  • 35周年(1989年1月): (フォナ・マクラーレン)(Fawna MacLaren)
  • 30周年(1984年1月): ペニー・ベイカー(Penny Baker)
  • 25周年(1979年1月): (キャンディ・ラヴィング)(Candy Loving)
  • 20周年(1974年1月): ナンシー・キャメロン(Nancy Cameron、両面見開きで掲載された唯一のプレイメイト)
  • 15周年(1969年1月): (レスリー・ビアンチーニ)(Leslie Bianchini)
  • 10周年(1963年12月): (ドナ・ミッチェル)(Donna Michelle)
  • 5周年(1958年12月): (ジョイス・ニザーリ)(Joyce Nizzari)

プレイメイト初の一覧

  • 2度の登場を果たした最初のプレイメイト: マージー・ハリソン(Margie Harrison、ミス1954年1月・ミス1954年6月)
  • 『プレイボーイ』創刊後プレイメイトのいない最初かつ唯一の月 - ミス1955年3月(発行自体が行われていない)
  • 最初の中央見開き掲載(2ページ): ジャネット・ピルグリム(Janet Pilgrim、ミス1955年7月)
  • 最初の折込見開き掲載(3ページ): (マリアン・スタフォード)(Marian Stafford、ミス1956年3月)
  • 米国外生まれの最初のプレイメイト: (エルザ・ソレンセン)(Elsa Sorensen、ミス1956年9月)デンマーク出身
  • 最初の二人組プレイメイト(同じ月に2名): (パット・シーハン)・(マラ・コーディ)(Pat Sheehan・Mara Corday、ミス1958年10月)
  • 最初のアジア系アメリカ人のプレイメイト: (チャイナ・リー)(China Lee、ミス1964年8月)
  • 最初のアフリカ系アメリカ人のプレイメイト: (ジェニファー・ジャクソン)(Jennifer Jackson、ミス1965年3月)
  • 豊胸手術を行った最初のプレイメイト: スー・ウィリアムズ(Sue Williams、ミス1965年4月)[4].
  • プレイメイトになった最初の双子: (マリー・コリンソン)・(マドレーヌ・コリンソン)(Mary Collinson・Madeleine Collinson、ミス1970年10月)
  • 陰毛を見せた最初のプレイメイト: リヴ・リンデランド(Liv Lindeland、ミス1971年1月)
  • プレイメイトになった最初の日系人: リエコ・イングリッシュ(Lieko English、ミス1971年6月)
  • 『プレイボーイ』創刊以後に生まれた最初のプレイメイト: (モニカ・ティドウェル)(Monica Tidwell、ミス1973年11月、プレイボーイ第2号が販売されていた1954年1月の生まれ)
  • 別々の月にプレイメイトになった最初の姉妹: (ジャニス・ペニントン)(Janice Pennington、ミス1971年5月)・(アン・ペニントン)(Ann Pennington、ミス1976年3月)
  • 最初のプレイメイト・データシート: (ソンドラ・セオドア)(Sondra Theodore、1977年7月)
  • 母娘双方がプレイメイトになった最初の親子: (キャロル・エデン)(Carol Eden、ミス1960年12月)・(シモーヌ・エデン)(Simone Eden、ミス1989年2月、娘)
  • プレイメイトになった最初の三つ子: (エリカ、ニコール、ジャクリン・ダーム)(Erica, Nicole and Jaclyn Dahm、ミス1998年12月)
  • プレイボーイ・ビデオの最初のプレイメイト(1982年): (ルーニー・チン)(Lonny Chin、プレイボーイ本誌では1983年1月号のプレイメイト)
  • (プレイボーイ・サイバーガール)出身の最初のプレイメイト: (ステファニー・ハインリッヒ)(Stephanie Heinrich、2000年9月のサイバーガールでミス2001年10月)
  • 陰毛が全く無い最初のプレイメイト: ダリーン・カーティス(Dalene Kurtis、ミス2001年9月)
  • プレイメイトになった最初の日本人: ヒロミ・オーシマ(Hiromi Oshima、ミス2004年6月)

関連項目

脚注

参考文献

  • The Playmate Book: Five Decades of Centerfolds by Gretchen Edgren. (Santa Monica, California): General Publishing Group, 1996, (ISBN 1-57544-128-4)
  • The Playmate Book: Six Decades of Centerfolds by Gretchen Edgren and Hugh M. Hefner. Taschen Books, 2005, (ISBN 3-8228-4824-7)

出典

  1. ^ http://www.playboy.com/playmates/faq/milestones.html#2
  2. ^ http://www.newyorker.com/critics/content/articles/060320crbo_books
  3. ^ “New information confirms Lake Worth woman as oldest Playboy centerfold”. 2020年6月4日閲覧。
  4. ^ Acocella, Joan (2006年3月20日). “The Girls Next Door”. The New Yorker: p. 144. http://www.newyorker.com/critics/content/articles/060320crbo_books 2006年6月6日閲覧。 

外部リンク

  • 公式ウェブサイト
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