ブレスト(Brest)は、フランス西部、ブルターニュ半島西端に位置する港湾都市。フランス最大の軍港である。ブルターニュ地域圏フィニステール県所在。ヨーロッパ最大規模のブレスト停泊地に面しており、ブレスト鎮守府・戦略海洋部隊司令部・海事博物館であるブレスト城を有する。
ブレスト | |
---|---|
| |
行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ブルターニュ地域圏 |
県 (département) | フィニステール県 |
郡 (arrondissement) | ブレスト郡 |
小郡 (canton) | 10(小郡庁所在地) |
INSEEコード | 29019 |
郵便番号 | 29200 |
市長(任期) | フランソワ・キヤンドル (2008年 - 2014年) |
自治体間連合 (fr) | ブレスト・メトロポール(fr) |
人口動態 | |
人口 | 市: 139,163人 (2015年) |
人口密度 | 2,811人/km2 |
住民の呼称 | Brestois |
地理 | |
座標 | 北緯48度23分27秒 西経4度29分08秒 / 北緯48.390834度 西経4.485556度座標: 北緯48度23分27秒 西経4度29分08秒 / 北緯48.390834度 西経4.485556度 |
標高 | 平均:34 最低:0 m 最高:103m |
面積 | 市: 49,51km2 (4 951ha) |
ブレスト | |
公式サイト | [1] |
歴史
3世紀から4世紀にかけてローマ人が城塞を築き、中世にはブルターニュ公国領となって、百年戦争ではイングランド軍が上陸してきたこともあった。1532年にフランス王国領に編入され、カナダやインドへの植民の基地ともなった。16世紀後半、古い城塞が要塞化された。
昔からフランス海軍最大の軍港であり、第二次世界大戦中はフランスを占領したドイツの潜水艦基地となった。このため連合軍の空襲を受けて町は破壊され、戦後は1960年頃まで町の復興が続いた。また、ドイツ占領下では旧日本海軍が実施した遣独潜水艦作戦のうち、第二次遣独艦伊号第八潜水艦が目的地であるブレストに入港している。
18世紀のブレスト
ブレストのサンピエール・キルビニョン村の洗濯場。1912年
1943年のブレスト
人口統計
教育・研究機関
- ブレストには総合大学として(ブルターニュ・オキシダンタル大学)が置かれており、海洋科学、人文学・社会科学、理学・科学技術学・健康科学、法学・経済学・経営学、スポーツ科学の学位コースがある。
- ブレストには高等教育機関(グランゼコール)が数校ある。(国立ブルターニュ先端技術学校)(軍管轄)、(ISEN電気工科学院)や(ESC・ブルターニュ=ブレスト)がブレストに設置されている。ブレスト郊外プルザネには国立ブレスト高等技術学校や、(国立ブルターニュ高等電気通信学校)が置かれ、同じくブレスト郊外ランヴェオックには海軍士官学校がある。
- 研究機関としては、(フランス海洋開発研究所)、(フランス極地研究所)、(海洋汚染防止センター)、(フランス海軍水路海洋情報部)が設置されている。
観光
気候および文化
- フランス北西部のアルモリカン気候区は四季ともに多雨で、とりわけ軍港のあるブレスト港を含むブルターニュ地方は雨がきわめて多い。パリの降雨量は年間580ミリ前後だが、秋冬にとくに雨の降るブレストは、年間1200ミリ前後の降雨量を有する。年間220日も降るブレストは、第二次大戦中は、一時ドイツ潜水艦の基地となっていた。[4]
- ジャック・プレヴェールの詩「バルバラ」≪Barbara≫はブレスト港をめぐる悲痛な愛の詩で、その詩の中でも雨は小止みなく降っている。
- 1947年のジャン・ジュネの小説『ブレストの乱暴者』≪Querelle de Brest≫でもすぐに雨と霧になる。
スポーツ
- スタッド・ブレスト29 - サッカークラブ
ブレストは、最古のサイクリングイベントとしても知られるブルベの最高峰、パリ・ブレスト・パリランドヌールの折り返し都市でもある。
2008年には、ツール・ド・フランスの出発地になった。
ブレスト出身の人物
- アラン・ロブ=グリエ - 小説家・映画監督
- (ピエール・ブリス) - 俳優
- ベアトリス・ダル - 女優
- ヤン・ティルセン - ミュージシャン
- ヴィクトル・セガレン (1879-1919) - 詩人・作家
- ゴンサロ・イグアイン - アルゼンチン代表サッカー選手
- ジャン・クラ (1879-1932) - 作曲家、海軍士官
- コレット・クラ (1908-1953) - ピアニスト、ジャン・クラの次女
交通
市内には、(リベルテ広場)と(ルクヴランス橋)とを結ぶ(シャム通り)がある。1686年6月18日、シャム アユタヤ王朝の王ナーラーイへのルイ14世からの訪問使節(ショーモン侯爵アレクサンドル2世)がフランスへの帰国の際に、ルイ14世への返礼使節シャム高官コーサーパン一行が同乗し、ブレストに最初に着いたことから通り名に付けられた。当通りの当初の名称は、ルイ14世時代の卓抜した軍事技術者ヴォーバンが起工した(サン=ピエール通り)だったが、第二次世界大戦後の瓦礫の山と化したブレスト復興の際に現在の名前に改称した。
ブレストとレンヌとを結ぶ国道12号線、ナントとを結ぶ国道165号線の2本の高速道路、西部方面とを結ぶ国道265号線が街につながっている。また、欧州自動車道路の幹線の1つである(E50号線)の西側の起点が存在する。
フランス国鉄のブレスト駅には、TERの電車やモンパルナス駅とを結ぶTGVが発着する。ブレスト・パリ間の所要時間は、早くて4時間20分である。駅に隣接するバスターミナルからは、フィニステール県会による長距離バスが発着している。
ブレスト都市圏では、Bibusと呼ばれるバスとトラムを合わせた交通網が敷かれている。トラムは2012年に運行を開始した。
(ブレスト・ブルターニュ空港)は、ブレストの東隣のコミューンである(ギパヴァ)にあり、ブルターニュ地域圏で最も大きな空港である。
姉妹都市
脚注
- ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=5761
- ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
- ^ http://www.insee.fr
- ^ 飯島耕一 (1991). “バルザックの豪雨”. 海燕.
関連項目
- パリ・ブレスト - パリ・ブレスト・パリにちなんだ菓子。
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、ブレスト (フランス)に関するメディアがあります。