フェリーたちばな | |
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小松島港のフェリーたちばな | |
基本情報 | |
船種 | フェリー |
船籍 | 日本(1986-2000) パナマ(2000-2003) ギリシャ(2003-) |
所有者 | 南海フェリー →船舶整備公団 →DODEKANISOS TOURISTIC MARITIME |
運用者 | 南海フェリー(1986-1997) |
建造所 | (新浜造船所) |
IMO番号 | 8520288 |
経歴 | |
起工 | 1985年 |
進水 | 1986年 |
竣工 | 1986年7月24日[1] |
就航 | 1986年7月30日[1] |
運航終了 | 1997年7月 |
現況 | ギリシャで就航中 |
要目 | |
総トン数 | 1,412 トン[1] |
(載貨重量) | 679 DWT[1] |
全長 | 80.1 m[1] |
垂線間長 | 75.0 m[1] |
幅 | 13.5 m[1] |
深さ | 5.3 m[1] |
喫水 | 4.1 m[1] |
機関方式 | ディーゼル |
主機関 | ダイハツ 8DLM32 2基[1] |
推進器 | 2軸 |
出力 | 6,000 PS[1] |
最大速力 | 18.9ノット[1] |
航海速力 | 16.7ノット[1] |
旅客定員 | 520名[1] |
車両搭載数 | 8トントラック8台、乗用車24台[1] |
概要
日本初のカーフェリーである(きい丸)の代船として(新浜造船所)で建造され、1986年7月30日に就航した。本船の就航により、「きい丸」は引退、スクラップとして解体された[1]。
共有建造制度を利用して建造された船舶整備公団との共有船である。
1997年7月、フェリーつるぎの就航により、和歌山 - 小松島航路の運用から外れ、大阪湾フェリーの明石海峡大橋開通対策として、1998年1月19日の(泉佐野港)への発着地変更に合わせて転配された。その後、2000年の南海淡路ラインへの航路譲渡の際に、継承されずに引退した。
2000年に韓国の東洋高速フェリー(Dongyang Express Ferry)に売却され、ORIENT STARとなり、釜山 - 済州航路に就航した。
2003年6月、ギリシャのHellenic Ferries Shippingに売却され、STAR Aとなり、(ペラマ)で改造工事を受けた。 2005年5月、MARREINA ARMADORA S.A. に売却され、ARTEMISIAとなり、(ラフィーナ) と対岸のエヴィア島のマルマリを結ぶ航路に就航した。 2011年、Dodekanisos Seawaysに売却され、PANAGIA SKIADENIとなり、ロドス - マルマリス航路およびロドス - パノルミティス(Panormitis) - シミ(Symi)航路に就航した。
就航航路
南海フェリー
- (きい丸)の代船として投入され、当初は(なると丸)、(わか丸)、後にフェリーくまの、(フェリーよしの)と運航された。
大阪湾フェリー
- (泉佐野港) - 津名港
- (フェリーすもと)、(フェリーしんあわじ)の代船として新造船の(フェリーせんしゅう)とともに投入され、先に就航していた(フェリーさざん)とともに運航された。
設計
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省エネ化、省力化が図られており、フェリーとして初めて機関室無人化船となった[1]。
船内
船室
- 一等室(40名)
- 二等室(480名)
事故・インシデント
プレジャーボートとの衝突
1987年11月23日、2時50分ごろ、上り第1便で小松島港から和歌山港へ向かっていた本船は、紀伊水道沼島の沼島灯台の東南東約5.3海里の地点で、機関故障により漂流していたプレジャーボート幸栄II世と衝突した。全速力で航行していた本船の右舷船首部が幸栄II世の右舷船尾部に後方から約10度の角度で衝突、本船は右舷船首部の塗装が剥離したのみであったが、幸栄II世は右舷船尾部が破損、正船尾下部に破口を生じて後部が水没状態となり、巡視艇に曳航された。また、幸栄II世には3名が乗り組んでおり、衝突直前に海中に飛び込んだ後、付近で捜索にあたっていた巡視艇りんどう(CL-152)に救助されたが、1名が頭部外傷などにより死亡、1名が全身打撲などの重傷を負った。事故原因は、夜間の航行を禁止されていた幸栄Ⅱ世が、機関故障のため錨泊した際に錨索長が不十分で走錨し、無灯火で漂流したため、とされた[2]。
脚注
外部リンク
- 南海フェリー - 鉄道連絡船としての南海フェリー
- 船のウェブサイト - ギリシャの旧日本船
- MarineTraffic.com - PANAGIA SKIADENI - 自動船舶識別装置(AIS)による現在位置表示