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フェリックス・パパラルディ

フェリックス・パパラルディ[注釈 1]Felix Pappalardi1939年12月30日 - 1983年4月17日[1])は、アメリカ合衆国出身のベーシストキーボーディストヴォーカリスト音楽プロデューサークリームのアルバム・プロデュースや、アメリカン・ハードロック創生期を代表するバンドの一つとみなされているバンド、マウンテンのメンバーでも知られる[1]

来歴

ニューヨークブロンクス区で生まれ、ミシガン大学クラシック音楽を学んだ後、ニューヨークに戻ってアレンジャー音楽プロデューサーとして仕事を行うようになった[1]グリニッジ・ヴィレッジのフォーク・ミュージシャン達と旧交を温め、1960年代前半は(トム・パクストン)(英語版)やヴィンス・マーティン&フレッド・ニールなどの作品でベースを弾き[2]ストリングス編曲を引き受け実績を重ねた。

1967年よりクリームのアルバムをプロデュースするようになり[2]、また、アルバム『カラフル・クリーム』(1967年)収録曲「ストレンジ・ブルー」をエリック・クラプトン、それに妻のゲイル・コリンズと共作した[1]。続く『クリームの素晴らしき世界』(1968年)、『グッバイ・クリーム』(1969年)ではプロデュースだけでなく様々な楽器の演奏でも貢献しており[2]、『グッバイ・クリーム』の最後に収録された「ホワット・ア・ブリングダウン」ではジャック・ブルースの代わりにベースを弾いた[3]

クリームとの仕事と並行して、パパラルディはヴァグランツというバンドの作品もプロデュースするがヒットには結びつかず[1]、ヴァグランツのギタリストだったレスリー・ウェストのソロ・デビュー作『マウンテン』にプロデュース、ソングライティング、演奏で参加した[4]。また、クリーム解散後にはジャック・ブルースのソロ・アルバム『ソングス・フォー・ア・テイラー』もプロデュースしている[2]。そして、1969年にはウェストと共にマウンテンを結成し、7月にフィルモア・ウェストでライブ・デビューした後、ウッドストック・フェスティバルにも出演した[5]。マウンテンではベースの演奏、プロデュース、ソングライティングに加えて、一部の曲ではリード・ボーカルも担当した。

マウンテンは1972年に一度解散し[1]、その後、パパラルディはベドラム(コージー・パウエルが在籍していたバンド)のアルバム『狂人どもの舞踏会』をプロデュースした[6]。また、1973年にはマウンテンの再結成に参加するが、ライブ・アルバムとスタジオ・アルバムを1作ずつリリースした後に再解散した。

1975年8月、日本の5都市で開催された「第1回ワールド・ロック・フェスティヴァル」で、ジョー山中(元フラワー・トラベリン・バンド)と共演[7]。その後、同フェスティヴァルに対バンとして出演したクリエイションをアメリカに招き、コラボレーション・アルバムの制作に入る[7]。1976年4月5日にアルバム『クリエイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ』が発売され、同月には日本武道館天王寺野外音楽堂でクリエイションとの共演ライブも行っており[7]、武道館公演のライブ録音は2007年になってCD化された[8]。また、『クリエイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ』のアメリカ盤は『Felix Pappalardi & Creation』というタイトルでから発売され[9]、6月にはクリエイションと共にアメリカ・ツアーを開始した[7]。なお、クリエイションの次作『ピュア・エレクトリック・ソウル』(1977年)に収録された「See You in the Night and Leave You at Dawn」は、パパラルディに捧げられた曲である[10]

1978年、パパラルディはコーキー・レイング(元マウンテン)、イアン・ハンターミック・ロンソンと共に新バンドを結成するが、正式なデビューには至らず[11]、このバンドにより残された録音は、1999年にペット・ロック・レコードから発売された発掘音源集『The Secret Sessions』に収録された[12]。1979年にはエリック・ゲイルリチャード・ティーチャック・レイニーバーナード・パーディ等のセッション・ミュージシャンと共に制作したソロ・アルバム『ドント・ウォリー・マ』を発表し、このアルバムにはクリームの曲「サンシャイン・ラヴ」をファンクにアレンジしたカヴァーも収録された[11]

 
ウッドローン墓地にあるパパラルディの墓。

1983年4月17日、パパラルディはマンハッタンにあるアパートの自宅にて妻ゲイル・コリンズ[13]に首を撃たれ死亡した。[1]。ゲイルは第二級殺人で訴追されるが、パパラルディに愛人がいたことを知っていた一方、殺意を否認して銃の練習中の事故だったと主張し、最終的には過失致死罪として懲役4年の実刑判決となった[1][14]。なお、ゲイルは刑期の半分で仮釈放となり、その後は表舞台から姿を消し、2013年12月6日にメキシコで死去した[14]

パパラルディの墓は、故郷ブロンクスのウッドローン墓地にある[15]

ディスコグラフィ

ソロ、コラボレーション

  • 『クリエイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ』 - Creation with Felix Pappalardi (1976年) ※クリエイションとの連名
  • 『ドント・ウォリー・マ』 - Don't Worry Ma (1979年)
  • The Secret Sessions (1999年) ※コーキー・レイング、イアン・ハンターミック・ロンソンとの連名
  • 『CREATION with FELIX PAPPALARDI Live at 武道館1976』 - Live at BUDOKAN 1976 (2007年) ※クリエイションとの連名、1976年録音のライブ

マウンテン

  • 『マウンテン』 - Mountain (1969年) ※厳密にはレスリー・ウェストのソロ・アルバムで、マウンテン結成前に制作された。
  • 勝利への登攀』 - Climbing! (1970年)
  • ナンタケット・スレイライド』 - Nantucket Sleighride (1971年)
  • 悪の華』 - Flower of Evil (1971年)
  • 『マウンテン・ライヴ 暗黒への挑戦』 - Mountain Live: The Road Goes Ever On (1972年) ※ライブ
  • 『ベスト・オブ・マウンテン』 - The Best of Mountain (1973年) ※ベスト
  • 異邦の薫り』 - Twin Peaks (1974年) ※ライブ
  • 雪崩』 - Avalanche (1974年)

主なプロデュース作品

アーティストの姓またはバンド名の五十音順で記載。

ジョリヴァー・アーカンソー

  • Home (1969年)

(ガソリン)(英語版)

  • Killin' Time (1978年)

クリーム

(ケンジントン・マーケット)(英語版)

  • Avenue Road (1968年)

デッド・ボーイズ

  • 『ウィ・ハヴ・カム・フォー・ユア・チルドレン』 - We Have Come for Your Children (1978年)

(ナチュラル・ガス)(英語版)

  • Natural Gas (1976年)

ジャック・ブルース

ベドラム

  • 『狂人どもの舞踏会』 - Bedlam (1973年)

(ホット・ツナ)(英語版)

  • 『ダブル・ドーズ』 - Double Dose (1978年)

(ジェシ・コリン・ヤング)(英語版)

  • Love on the Wing (1977年)

ヤングブラッズ

  • 『ヤングブラッズ』 - The Youngbloods (1967年)
  • 『アース・ミュージック』 - The Earth Music (1967年)

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 姓の表記はアルバム『ドント・ウォリー・マ』日本盤CD (UICY-3356)、アルバム『クリエイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ』日本盤CD (CT25-5566)、ムック『聴け! 伝説の日本ロック1969-79』(宝島社、2004年)、書籍『地球音楽ライブラリー エリック・クラプトン』(TOKYO FM出版、1995年)p.172等に準拠。マウンテンの日本盤CDライナーノーツ等では「フェリックス・パッパラルディ」と表記される例も多い。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l Huey, Steve. “Felix Pappalardi - Biography & History”. AllMusic. 2016年2月13日閲覧。
  2. ^ a b c d Felix Pappalardi | Credits | AllMusic
  3. ^ Cream (2) Goodbye (Vinyl, LP, Album) at Discogs
  4. ^ Ruhlmann, William. “Mountain - Leslie West”. AllMusic. 2016年2月13日閲覧。
  5. ^ Huey, Steve. “Mountain - Biography & History”. AllMusic. 2016年2月13日閲覧。
  6. ^ Bedlam (9) - Bedlam (Vinyl, LP, Album) at Discogs
  7. ^ a b c d 聴け! 伝説の日本ロック1969-79. 宝島社. (2004-02-29). pp. 91-97. ISBN (4-7966-3862-8) 
  8. ^ “マウンテンのパパラルディが客演したクリエイションの武道館ライヴの未発表音源がCD化”. CDJournal. 音楽出版社 (2007年8月28日). 2016年2月13日閲覧。
  9. ^ Felix Pappalardi, Creation (6) - Felix Pappalardi & Creation (Vinyl, LP, Album) at Discogs
  10. ^ 『ピュア・エレクトリック・ソウル』LP裏ジャケット及び再発CD (CT25-5573)ブックレットのクレジットに準拠。
  11. ^ a b Ruhlmann, William. “Don't Worry Ma - Felix Pappalardi”. AllMusic. 2016年2月13日閲覧。
  12. ^ Corky Laing, Ian Hunter, Mick Ronson, Felix Pappalardi - The Secret Sessions (CD, Album) at Discogs
  13. ^ フェリックス・パパラルディとゲイル・コリンズ共作で多くの詞曲を書き上げマウンテンやヤングブラッズのアルバム『エレファント・マウンテン』[:en]の楽曲「Rain Song (Don't Let the Rain Bring You Down)」はジェリー・コービットと共にクレジットされている。
  14. ^ a b Giles, Jeff (2014年2月25日). “Mountain Bassist Felix Pappalardi’s Ex-Wife and Killer Found Dead in Mexico”. Ultimate Classic Rock. Diffuser Network. 2016年2月13日閲覧。
  15. ^ Stanton, Scott (2003-09-01). The Tombstone Tourist: Musicians. Simon and Schuster. p. 353. ISBN (9780743463300)  – Google Books参照
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