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フェイセズ

フェイセズ (Faces) は、1970年代のイギリスのロックバンド。

ロン・ウッド(左)とロッド・スチュワート、1975年のステージ

彼らのヒット曲としては「ステイ・ウィズ・ミー」「デブリ」「いとしのシンディ」「ウー・ラ・ラ」「ボースタル・ボーイズ」「フライング」「3つのボタン」「アラウンド・ザ・プリンス」「リアル・グッド・タイム」等が挙げられる。

2012年、前身バンドのスモール・フェイセスと共にロックの殿堂入りを果たした[1]

来歴

スティーヴ・マリオットハンブル・パイを結成するためスモール・フェイセスから脱退し、残されたロニー・レーンイアン・マクレガンケニー・ジョーンズの3人にジェフ・ベック・グループからロッド・スチュワートロン・ウッドが加わり、フェイセズが結成された。

ロッド・スチュワートのソロとしての活動(ロッドのソロアルバムの多数の曲にもフェイシズはレコーディングに参加している)がグループよりも成功するようになると、マネージャーは商業的にロッド・スチュワート・アンド・フェイセスと看板を出さざるを得なくなる。ライブの看板にはロッド・スチュアート・フェイセズとかかげ、フェイセズがその場に到着する前に看板のロッド・スチュアートの部分をスタッフが外す、という工作を行ったりもしたが、その裏工作もいずれメンバーに気付かれるのは時間の問題であった。そのことに幻滅を感じたバンドの創設者でもあり精神的主柱であり多くの楽曲を手掛けた、ロニー・レーンは1973年にバンドを脱退したが、リーダーを失ったバンドはバンドの継続を選ぶ。彼の後任にはフリーのベーシスト、山内テツが加入した。フェイセズの最終スタジオ・アルバムは『ウー・ラ・ラ』であったが、ロッドはレコーディング前半は顔を出すことが少なく、ロニー・レーン主導でアルバムは制作されていった。後にイアン・マクレガンはこのアルバムはロニーのアルバムと語っている。ロッドは音楽誌に同作を非難したコメントを発表し、他のメンバーはそれに憤慨した。ロニ・レーン脱退後のライブアルバム『』はロニー・レーンの醸し出すグルーブ感はバンドにはなく、アルバムタイトル通り、ロッド・スチュアート&バックバンド感が強く、またその録音の悪さから評論家たちに酷評された。1975年にはロンがストーンズと活動を始め、スチュワートと他のメンバーの相違が明確になった。結果としてバンドは解散した。

後にロッド・スチュアートはこう語っている。「ロニーはストーンズにおいてのキースみたいな存在だった。ロニーの脱退と共にフェイシズの魂は無くなってしまった。」

フェイセズ解散後メンバーは様々な経歴を積む。ウッドはローリング・ストーンズにサポートメンバーとして参加した。レーンはスリム・チャンスを結成した後ソロとして活動し、その後多発性硬化症に罹り1997年に肺炎により死去する。ジョーンズはキース・ムーン死去後のザ・フーに加入する。マクレガンも同様にフーへの加入がピート・タウンゼントによって考えられていたが、当時ローリング・ストーンズのツアーに参加していた。彼はキース・ムーンの前妻と結婚し、アメリカに移りバンプ・バンドを結成した。そしてセッション・ミュージシャンとして成功する。スチュワートはソロ・シンガーとして大きく成功することとなった。

ザ・フーやローリング・ストーンズのような同時代のバンドと比較すると、フェイセズの成功は若干地味目であるが、彼らはパンク・ロックの誕生に重大な役割を果たしたと言える。彼らの精力的で、そしてしばしばアルコールの多く入ったライブ・パフォーマンスおよびスタジオ・アルバムはザ・ダムドニューヨーク・ドールズ、そしてセックス・ピストルズといったバンドの結成に大きな影響を与えた。パンク・ムーブメントの終了に続いて、フェイセズの影響はレプレイスメンツからブラック・クロウズ、最近ではパール・ジャムシャーラタンズホワイトアウトステレオフォニックスといったロック・リバイバリストたちに影響を与えている。

再結成

2008年6月11日、ロッド・スチュワートはフェイセズの旧メンバーが再結成について話し合ったことを発表した。その内容はレコーディングを行い、少なくとも1、2回のコンサートを行うというものであった[2]。11月11日にロッド・スチュワート、ロン・ウッド、イアン・マクレガン、ケニー・ジョーンズが「まさしく、彼らが歌を思い出すことができるかどうかチェックする」ためのリハーサルを行った[3]。バンドの公式再結成ウェブサイトは同月上旬に始められた[4]。しかしながら、2009年1月23日にロッド・スチュワートのスポークスマンが2009年のフェイセズ再結成ツアーに関する計画を否定した[5]

2009年9月24日、ロッド・スチュワートを除いたフェイセズのメンバーは、ロンドンロイヤル・アルバート・ホールで演奏権協会の慈善基金のためのチャリティ・コンサートを行うことを発表した。ロン・ウッドは「これは俺たちにとって特別になるだろう。そのような素晴らしくて評判の高いイベントで再結成のステージが行えるなんて。」「ロニー・レーンと一緒にできないのは悲しいことだが、彼の精神は共に側にいて、神の加護があるだろう。」と語った。レーンの未亡人、ケイティはチャリティの一部を受け取ることになっている[6]。再結成ステージは10月25日に行われた。ロン・ウッド、ケニー・ジョーンズ、イアン・マクレガンが、シンプリー・レッドの(ミック・ハックネル)を始めとする、ロッドの代わりの様々なヴォーカリスト達と演奏を行った。レーンの代わりのベーシストはビル・ワイマンが務めた[7]

2010年5月25日、フェイセズは公式にミック・ハックネルをヴォーカリスト、元セックス・ピストルズグレン・マトロックをベーシストとして再結成すると発表を行った[8]。バンドは2010年のフェスティバルで演奏を行い、2011年にはフジ・ロック・フェスティバルに出演した[9]

2010年6月23日、日本のみでオリジナルアルバム4タイトルと、ベストアルバム1タイトルがLPレコードを再現した紙ジャケット仕様、日本独自の最新リマスターCDで再発売された。 2020年2月18日英国で開催されたBrit Awards 2020で、ロッド・スチュワートがロニー・ウッド、ケニー・ジョーンズと共演しStay with me をプレイした。

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム

ライブ・アルバム

  • 『』 - Coast to Coast: Overture and Beginners (1974年)

コンピレーション・アルバム

  • Rod Stewart and the Faces (1972年)
  • 『スネイクス&ラダーズ』 - Snakes And Ladders / The Best of Faces (1976年)
  • 『ベスト・オブ・フェイセズ』 - Good Boys... When They're Asleep (1999年)
  • Five Guys Walk into a Bar... (2004年) ※レア音源を含む4枚組ボックス
  • You Can Make Me Dance, Sing or Anything: 1970 - 1975 (2015年) ※全スタジオ・アルバムとボーナス・ディスクの5枚組ボックス

日本公演

出典

[脚注の使い方]
  1. ^ “The Small Faces / Faces”. Rock & Roll Hall of Fame. 2018年10月9日閲覧。
  2. ^ “It's Official: Faces Reunion”. Mix 100.7 WMTX-FM. 2008年6月14日閲覧。[]
  3. ^ “THE FACES, WITH ROD STEWART, TO START REHEARSALS...”. GUARDIAN (UK). 2008年11月13日閲覧。
  4. ^ “THE FACES OFFICIAL REUNION WEBSITE”. 2008年11月14日閲覧。
  5. ^ Rod Stewart denies Faces reunion
  6. ^ Faces to reform without Stewart www.bbc.co.uk
  7. ^ Fortnam, Ian (2009年10月26日). “”. Classic Rock. 2009年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年10月31日閲覧。
  8. ^ “Mick and The Faces”. 2010年5月25日閲覧。
  9. ^ “Hucknall named Faces new singer”. 2010年5月26日閲覧。

外部リンク

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