フィリップ・ミナリク(Filip Minarik、1975年3月10日 - )はドイツの元騎手である。チェコ・プラハ出身[2]。
来歴
1975年に旧チェコスロバキア社会主義共和国の首都プラハで生まれる。チェコのリーディングジョッキーだった父の影響で幼少期より騎手を志し、1991年9月に16歳で騎手としてデビューする[2]。1997年にドイツの騎手免許を取得。2004年に伊GIグランクリテリウムを制し、GI初制覇。2005年にはドイツの名伯楽ペーター・シールゲン調教師の主戦として110勝を挙げて初のドイツリーディングを獲得した。以降もドイツの大レースを次々と制覇し[3]、2018年までに4度リーディングの座についている[4]。
2014年のジャパンカップで(アイヴァンホウ)に騎乗するため初来日。パドックから地下馬道を通って本馬場に出た瞬間、本人曰く「サッカーのワールドカップのような雰囲気」に感動し、日本での短期免許取得を熱望するようになる。アンドレアシュ・シュタルケを通して関係者へのコネクションを作り、2017年にドイツでリーディングを獲得したことで申請が認められ、2018年2月7日から4月2日の期間で短期免許を取得して日本で騎乗した(身元引受調教師は加藤征弘、契約馬主は吉澤克己)[5]。同年2月11日の東京1Rをウインメディウムで制してJRA初勝利を挙げた[6]。
2019年も1月5日から4月4日にかけて短期免許を取得して来日(契約馬主は吉田和美に変更)[1]。
以前にはシンガポールとマカオで短期免許での騎乗経験がある[2]。
2020年7月3日、ドイツの(マンハイム競馬場)でのレースで落馬。命に別状はないと診断されたものの、一時意識不明の重体に陥った[7]。4ヶ月間の治療の末に退院したものの騎手復帰は不可能となり、引退することになった[8]。
人物
騎乗成績
日本
日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初騎乗 | 2014年11月30日 | 5回東京9日目11R | ジャパンカップ | アイヴァンホウ | 18頭 | 12 | 6着 |
初勝利 | 2018年2月11日 | 1回東京5日目1R | 3歳未勝利 | ウインメディウム | 16頭 | 6 | 1着 |
重賞初騎乗 | 2018年2月11日 | 1回東京5日目11R | 共同通信杯 | エイムアンドエンド | 12頭 | 10 | 3着 |
GI初騎乗 | 2018年2月18日 | 1回東京8日目11R | フェブラリーステークス | サウンドトゥルー | 16頭 | 11 | 8着 |
年度別成績
- F.ミナリクの年度別成績 - netkeiba.com
主な勝ち鞍
脚注
- ^ a b c d フィリップ・ミナリク騎手、フランク・ブロンデル騎手に短期騎手免許交付. JRA(2019年1月3日付). 2019年1月21日閲覧
- ^ a b c 【フィリップ・ミナリク騎手(前編)】日本大好き!急須で緑茶、デパ地下で買い物 驚異の対応力持つドイツの名手 F.ミナリク騎手. 競馬ラボ(2018年3月21日付). 2019年1月21日閲覧
- ^ 平松さとし. 【世界の騎手列伝 vol.113】フィリップ・ミナリク. UMA-JiN(2017年12月7日付). 2019年1月21日付
- ^ a b 日本競馬&ファンを愛するドイツのF.ミナリク騎手インタビュー(後編). 競馬ラボ(2018年3月28日付). 2019年1月21日閲覧
- ^ フィリップ・ミナリク騎手、ライアン・ムーア騎手、ダリオ・バルジュー騎手に短期免許. netkeiba.com(2018年2月7日付). 2019年1月21日閲覧
- ^ フィリップ・ミナリク騎手がJRA初勝利. サンケイスポーツ(2018年2月11日付). 2019年1月21日閲覧
- ^ ミナリク騎手が落馬負傷、命に別状なしと現地紙報道. 日刊スポーツ(2020年7月4日付). 2021年4月15日閲覧
- ^ ミナリク騎手、記憶が戻るも騎手復帰はほぼ不可能. ジャパン・スタッドブック・インターナショナル(2020年11月19日付). 2021年4月15日閲覧
- ^ “ドイツの名手ミナリク いつでも日本に夢中?趣味も渋い”. スポーツニッポン. (2019年1月4日)2019年3月9日閲覧。
関連項目
外部リンク
- Filip Minarik (GER) - Jockey Profile - RACING.COM