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バハイ教

バハイ教(バハイきょう、: The Baháʼí Faith[bəˈhɑːʔ, bəˈh]; ペルシア語: بهائی‎, Bahāʼi‎〕)は、19世紀のイラン(当時のペルシア)において、バハオラによって創設された、独自の聖典、暦を持つ最も新しい世界宗教である。19世紀にペルシアと中東の一部で発展し、その時から現在まで信徒に対する迫害がその地で続いている。その信じる主要な原則は、神の一体性、宗教の一体性、人類の一体性である。

バハイ教には、3人の主要な人物がいる。一人目がバブ(1819年 - 1850年)で、神が近々、キリストムハンマドのような預言者を人類に送られると人々に教えた使者として考えられ、彼はペルシアの権力者によって処刑された。2人目がバハオラ(1817年 - 1892年)で、1863年にバブが予言した預言者は自分であると宣言し、その人生の大半を追放と投獄のうちに過ごした。3人目が、バハオラの息子のアブドル・バハ(1844年 - 1921年)で、彼は1908年に幽閉生活から解放され、ヨーロッパと米国へ布教するために旅行をした。1921年にアブドル・バハが亡くなった後、バハイ教の指導者の地位はアブドル・バハの孫ショーギ・エフェンディ(1897年 - 1957年)に引き継がれた。バハイ教徒は、その行政的な事柄を取り仕切る、地方、全国の精神行政会を毎年、選挙で選出する。世界中の全国精神行政会は、5年ごとに万国正義院を選出する。万国正義院とは、世界中のバハイ共同体にとって最高位の行政機構である。イスラエルハイファ、バブの廟の近くに位置する。

1995年時点で、2112の民族や部族を背景に持った人々がその信徒となり、全ての国と属領に浸透した[1]と言われる。また、国連NGOとしても登録されている。

語源と呼称

語源

バハイ(Bahá'i)はバハオラの教え、あるいはバハーに従う者の意味がある。それはアラビア語バハー(بهاء Bahá')に由来し、「栄光、光輝」を意味し、この語にペルシャ語の接尾辞イー(یِ i)がついた形である。

日本語における呼称

「バハイ教」は、ペルシア語の発音に即して「バハーイー教」と日本語表記され、主に学術論文などで使用されてきたが、日本のバハイ共同体[2]がその表記を「バハイ」に統一し、海外で出版された書物が近年になりバハイ出版局[3]より多く翻訳されるにつれ信教の呼称も初期の「バハーイー」より「バハイ」が広く普及し始めている。バハイ教の創始者 Baha'u'llah の名前も同様に、古いものには発音表記を「バハー・ウッラー」とする文献もあったが、バハイ共同体が現在使用する「バハオラ」の使用が一般的になっている。

英語における呼称

英語での Baha'ism は軽蔑的な意味合いを含んで使われるとされ[4]、この宗教を示す語としては Baháʼi Faith が標準的である[5]

教義

バハイ教の教義はいくつかの点で他の一神教信仰と似ている。神は唯一であり、全てに権能を持つものと見なされている。ただ、バハオラ自身の家系、また、神学上、重要視される聖約(神との契約)もアブラハムへ遡るところから、バハイ教は基本的にはアブラハムの宗教の系列に含まれるものだが、モーセイエスムハンマドらに加えて、アブラハムの宗教に含まれていないゾロアスター釈迦などの世界の全ての大宗教の創始者も神の(顕示)者であり、バハオラ教の創始者バハオラはそれらの最も新しい時代に生まれたひとりであるとされる。そのため、バハイ教では、主要宗教を社会慣習や解釈によって分かれてはいるが、目的においては原則的に一体であると見なしていて、このような他宗教を排除しない寛容な思想の影響もあり、相手を改宗させる目的での布教活動は禁止されている。また公然と人種差別とナショナリズムを拒絶し、諸民族の一体性についても同様に強調している。バハオラ教の教えの中心には、すべての国々、民族、信条、階級の繁栄が保証される統一された世界の秩序を打ち立てるという目的がある[6]人類平和と統一を究極の目標とし、真理の自己探求、男女平等一夫一婦制科学宗教との調和、偏見の除去、教育の普及、国際補助語の採用、極端な貧富の差の排除、各国政府法律の尊重(暴力革命の否定)、アルコール麻薬の禁止などの教義戒律を持つ。発祥地のイランや中東にとどまらない世界的な普遍宗教としての性格を有する。

バハオラの長男で、1892年にバハイ共同体の指導者となったアブドル・バハはサルから人間が進化したという安易な進化論を否定し、人間が時とともに進化をしたきたことを認めながらも、初めから人間としての特徴と可能性(神を知り、神を崇める能力、正義や愛、慈悲、想像力や英知など様々な精神的な能力)を持った独自の実体であるという創造論を主張[7]した。

累進的な啓示というバハイ教の概念は、世界の諸宗教の有効性の受容に帰着し、それらの宗教の創設者たちは「神の顕示者」と見なされる。宗教の歴史は、その時代、その場所に相応しいものとして聖典として与えられ、より広範な、より進歩的な啓示を「顕示」である者たちがもたらす一連の配分であると解釈される。特定の宗教の社会的な教え(例えば祈祷時に向く方向や、食事の禁令)は後の「顕示」によって、時代や場所によって適切とされるように無効とされるかもしれない。反対にある一般的な原理(例えば隣人同士の協力や慈善)は普遍的で一貫しているように見なされる。バハイの信仰では、この累進的啓示の過程は終わることがないが、それは周期的だと信じられている。

しばしばバハイの信仰は先行宗教の信条を混淆したものと見なされるが、バハイ教徒は彼らの宗教は自分の聖典、教義、歴史を持つ独自の伝統だと主張する。スンナ派シーア派ともにイスラームの機関や聖職者はバハイ教をイスラームからの棄教者または背教者と見なし、バハイ教徒への迫害に繋げている。相対年代およびバハオラの教えの現代の状況への妥当性において他の伝統と異なるものとし、バハイ教徒は自らの信仰を独立した世界宗教としている。バハオラは先行宗教のメシア再臨の希望を満たしたものと考えられている。

 
ヤー バハーウ・ル・アブハー

ユダヤ教、キリスト教(三位一体説は否定されるが、アブドル・バハによる独自の解釈もある[8])、イスラームに共通する唯一神を信仰する。聖典の原語ではアッラー(Alláhアラビア語)やホダー(Khodáペルシャ語)などが一般に使われるが、いくつかの例外を除いて各国語に翻訳されて使用されている。

アッラーフ アブハー(Alláhu abhá 神はいとも光輝なり、あるいは、いとも栄光なり)

バハイ教において最も基本的な祈りであり、翻訳されずに原語のまま唱える。バハオラがアドリアノープルに追放されていた頃から使用されだした[9]

ヤー バハーウ・ル・アブハー(ya Bahá'u l-abhá いとも光輝(栄光)なるものの光輝(栄光)よ)

「バハー」(Bahá')は、バハイ教において「最大の名」(al-ism l-a'zam)とされる。バハイ教では、イスラームの伝承では神の多くの名称があるが、そのいずれが最大の名であることは隠されていた、バハオラはそれはバハであると啓示された、とする。

他に「不可知の本質」「絶対一性それ自体」「全ての名称の主」などとされ、ダニエル書の「日の老いたる者」や、「慈悲深い者」「自存する者」などクルアーン由来の名称も多く使われている。

神の顕示者と累進的啓示

バハイ教における重要な概念に神の顕示者(Manifestations of God)がある。これはセム系一神教の預言者にあたり、バハイ教でも預言者という言葉は使われるが神の顕示者という言葉がより好んで使われる。神の顕示者とは同じ神から遣わされて、同じ目的のためにこの世に現れるとされる一連の人間のことであり、その本性は神と世界の仲介者である。古くはアブラハムやモーセ、イエス、ムハンマドなどであり、バハオラに続くとされる。同じ神から遣わされた彼らは、その教えに本質的に違いはなく、差異があるように見えるのは、ただ時代・地域の制限と能力による。神の顕示者には優劣はなく、同等であり、本質においては彼らは一つである。これらのバハイ教独自の預言者観はバハオラの確信の書やアブドル・バハの質疑応答集に最もよく表されている[10][11]

この神の顕示者という考えは累進的啓示という概念と直接にリンクしている。神の顕示者は各時代に現れて新たに神の啓示を伝える。それは各啓示の根底に共通する不変的な教えを時代に合わせて適応させるためであり、その目的は人類を教え、進歩に導くためである。そのために啓示は累進的に行われ、それに終わりはない。ムハンマドからバーブまで千年以上の時の経過があり、バハオラから少なくとも千年間は新たな顕示者が現れることはない。

大預言者と小預言者

神の顕示者と呼ばれる大預言者と小預言者と呼ばれる区別する。前者は太陽であり、後者はその熱と光を受ける月に例えられている。モーセに対するアロンや、ダビデ、エリヤ、エリシャ、イザヤなどの旧約聖書の預言者が小預言者とされ、彼らは大預言者であったモーセの影響の下にあるとされる[11]

神の顕示者・大預言者とされるものは、アダム、ノア、アブラハム、モーセ、イエス、ムハンマド、バーブ、バハオラの他、ゾロアスターがバハオラ自身によって言及されている。更にアブドル・バハによって、クリシュナブッダが神の顕示者として言及された[9]。孔子については偉大な教育者で改革者と言及しているが、バハイ教では神の顕示者と認定されなかった[12]

アダム(ここでは人類の祖としてではなく、啓示の周期の初めの人物)からバーブまでが一つの周期であり、バーブによって新たな啓示の周期が始まったとする。

聖典

バハオラの書簡が「神の言葉」として最重要視され、その先駆者であるバーブの著作も重要視される。アブドル・バハは前二者のように「神の顕示者」とはされないが、バハオラから聖典の解釈者に任命され、彼による質疑応答集、講話、書簡等も聖典に入れられている[13]

各人相当量の書簡が存在するが、主要な著述を年代順に下記に列挙する。

バーブ

  • 名称の維持者(Qayyúmu'l-Asmá') アラビア語。クルアーンのユースフ章の解釈とも知られる。111章42節からなり、バーブによって書かれた最初の書。1844年5月に、最初の弟子となったモッラー・ホセインの前で第一章が書き上げられた。
  • ペルシャ語のバヤーン(Bayán) バヤーンは「声明、宣言」を意味する。より短いアラビア語のバヤーンもあるがペルシャ語のものが重視される。1847年の末、あるいは1848年の初めに書かれた。バービー教徒の法典であり、神の顕示者と呼ばれる預言者の到来を約束する。
  • 名称の書(Kitabu'l-Asmá') バーブの著作のなかでも最も重要なものの一つである。1847-1850年の間に書かれた。3000ページに及ぶ大作であるが、いくつかの原稿が紛失している。

バハオラ

  • 四つの谷(Chahár Vádí) ペルシャ語。1857年、クルディスタンのスレイマニエ山中より帰還して後に、バグダードで書かれたスーフィズム的な神秘思想の短編。
  • 隠された言葉(Kalimát-i-Maknúnih) アラビア語篇71節とペルシャ語篇82節に分かれる。1857年頃に書かれた。呼び掛けから始まる短い文章のコレクションであり、表現力において全ての書簡の中でも優れている。アブドル・バハはこれを日夜毎に読むことを勧め、「神秘の宝庫」であり、「深秘の扉を開くであろう」と言う[14]
  • 聖なる神秘の宝石(Javáhiru’l-Asrár) アラビア語。バグダード時代にイスファハーンのセイイド・ユースフェ・スィディヒーの質問に対する回答として書かれた。117節に分かれる。
  • 七つの谷(Haft-Vádí) ペルシャ語。1860年に書かれた。スーフィズム的な神秘思想の短編。四つの谷の内容とは関係がない。アッタールやハーフェズなどのペルシャの神秘詩人の引用を含む。
  • 確信の書(Kitáb-i-Íqán) 1861年にバーブの叔父であるハッジ・ミルザー・セイエド・ムハンマドの求めに応じてペルシャ語で書かれた。二部構成であり、バーブの正当性が福音書、クルアーンの解釈によって示されている。神の顕示者という概念についての神学を含み、ケターベ・アクダスについで重要とされる。
  • アフマドへの書簡(Lawh-i-Ahmad ) 1865年アラビア語とペルシャ語で、アドリアノープルの流刑地から迫害の止まないイランのヤズドの信者であったアフマドに宛てられた書簡。この書簡自体が特別な祈りの文として扱われている。
  • 驚異の書(Kitáb-i-Badí’) ペルシャ語「驚異の書」を意味する。1867-1868年に書かれた。確信の書の二倍の分量があり、バーブによるアラビア語の著作の引用を含み、バーブの予言した神の顕示者について説明する。英語にも未翻訳。
  • 万軍の主の召喚(英題Summoins of the Lord of Hosts) アドリアノープル時代(1863-1868)からアッカ時代初期の五つの書簡をコレクトしている編纂書。諸国の為政者への書簡を含む。
  • 和合の幕屋(英題Tabernacle of Unity) 1870-1877年、著名なゾロアスター教徒の学者であったマーニクチー・サーヘブへの書簡と質問への回答である「ローヘ・マーニクチー・サーヘブ」と「ローへ・ハフト・プルスィーシュ」を含む編纂書。
  • ケターベ・アクダス(Kitáb-i-Aqdas) アラビア語「最聖の書」を意味する。原題はアル・キターブ・ル・アクダス(الكتاب الأقدس)、ペルシャ語読みでケターベ・アクダスで通用されている。1873年に書かれ、いくつかの手書き写本がイランのバハイ教徒の下へと送られた。1891年に整えられてムンバイで公刊された。バハイ教における最高の法典であり訓戒である。「啓典の母」とされ、ショーギ・エフェンディはこの書を「黙示録での新しいエルサレム」と表現した。1992年にテキストは190(189)節に割り振られ、注釈が付けられた英訳が完成した[15]
  • アクダス啓示後の書簡(英題Tablets of Bahá’u’lláh Revealed After the Kitáb-i-Aqdas) ケターベ・アクダス啓示後のバハオラの主要な書簡を集めた編纂書。「タジャッリーヤト」「ローへ・アクダス」、カルメル山の優位を暗示する「ローへ・カルメル」などを含む。
  • 狼の子への手紙(Lawh-i-Ibn-i-Dhib) 1891年にバージの住宅で書かれた最晩年の手紙。イスファハーンのイスラーム聖職者であるシェイク・ムハンマド・ターキーへ送られた。彼の父シャイフ・ムハンマド・バーキルは狼と呼ばれ、父子ともにバハイ教徒への激しい迫害者であった。
  • 落穂集(Gleanings) バハオラの著作からショーギ・エフェンディが重要としたところを抜粋し、166章に編集し英訳したもの。バハイ教徒必読の書となっている。
  • 祈りと瞑想(Prayers and Meditations) バハオラの祈祷文をショーギ・エフェンディが189章に収集してし英訳したもの。

アブドル・バハ

  • 聖なる文明の秘訣(Risali-yi-madaniyyih The Secret of Divine Civilization) 1875年にイランの支配者と人々に宛てて書かれた書。
  • 質疑応答集 1908年に公刊された。1904-1906年ハイファを訪れたローラ・クリフォード・バーニーとの質疑応答をまとめたもの。
  • パリ講話集 1912年パリで行われた講話を集めたもの。

聖約

バハイ教で重視されるものの一つに「聖約」と呼ばれるものがある。聖約は、人間が神の顕示者を通じて神と結ぶ約束で、神は人間を援助し指導するとされる[16]。これは「大聖約」と呼ばれ、仏陀、イエス、ムハンマドなどの顕示者は、すべてこの大聖約を果たすために下されたと考えられている。また、顕示者の後継者に関して、顕示者と信者が交わす契約を「小聖約」と呼ぶ。まず、バハ・ウッラーの死後、後継者として息子のアブドル・バハを受け入れるよう信者と契約を交わし、アブドル・バハの死後はさらに、孫のショーギ・エフェンディ、そして万国正義院へと継承されていった。この聖約のおかげで、バハイ教は分裂とは無縁で、和合を保ってきた。

社会的原則

次の原則はバハイの教えの理解しやすい要約として頻繁に列挙される。それらはアブドル・バハの1912年のヨーロッパ及び北米での旅行での講演の記録に由来する。

  • 一つの神
  • 一つの宗教
  • 人類の統一
  • 多様性の中の統一
  • 男女の同等性
  • あらゆる偏見の形の除去
  • 世界平和と新しい秩序
  • 科学と宗教の調和
  • 真理の探究の独立
  • 常に進歩する文明の原理
  • 普遍的な義務教育
  • 普遍的な補助言語
  • 政府に従うこと
  • 富と貧困の格差の解消
  • 経済問題に対する霊的な解決策

形而上の宇宙論

バハオラは五つの存在領域を区別していた[17]。使用される用語は部分的にはイスラーム・新プラトン主義にまで遡ることができるが、これはバハオラが新プラトン主義の世界観を立証することを意味するものではない[18]。彼はすべての形而上学的見解を絶対的真理ではなく、精神、心理的、文化的な反映として相対的なものと見なしている。バハイ教は、主に社会倫理や個人倫理に焦点を当てながら形而上学の重要性を強調する。

神は五つの領域すべてに顕現し、人間は物質世界から天使的世界の間に存在する。

名称 形容・描写 シンボルカラー
ナースート(物質界) この物質世界は人間、動物、植物、鉱物の各界に分けられる。 真紅
マラクート(心霊界) 栄光の楽園。
天使の領域、諸霊魂の世界。
ジャバルート(中間界) 至高の天国、最上の集合。
神の顕示者はここで個別な存在を得て、神の意志の径路となる。
運命の書、神の筆。
黄色又は金色
ラーフート(神性の領域) 栄光の地平線、天上の宮廷、神の玉座。
神の諸名称と諸属性はここにおいて現れる。
聖霊、神のロゴス、神のヌース。
神の普遍的顕示、シナイにて語る者、燃える柴、古えの美、アルファにしてオーメガ、最初にして最後、至高の筆。
神の鳩、ガブリエル、神秘のナイチンゲール。
純白
ハーフート(”かの”領域) 神の顕れざる本質。「隠された宝」。絶対一性。

神的な世界はこの世界の回りを廻り、すべてが相互依存している。神的世界は隠喩によってのみ記述することができる[19]。ナースートとマラクートは「創造の世界」であり、同じ霊的な法によって支配されている。この世界の人生の目的は、次の世界に必要な霊的な資質を育てることである[19]

バハオラはまた神の多くの世界について書いている。「スーレ・ヴァファ」では「神の世界はあなたたちの数法では数え切れず、あなたたちの尺度において無限であるという真実を知りなさい。全知、全賢なる神以外には誰もそれを思慮し理解することはできない」[20]。アブドル・バハは「ローヘ・アファーキーエ」において、無限の世界に無限の神の顕示者たちがいる、と述べている[21]

信仰の実践

祈り

バハイ教では祈りを、義務とされる必須の祈り(Obligatory prayer)と、献身的あるいは一般的祈り(devotional or general prayer)の二種類とする。どの祈祷文もバーブ、バハオラ、アブドゥル・バハに由来し、多くの祈祷文が残されている。

一般的祈りは様々な場合に唱えるものとして分類されており、バハイ教徒は、任意にこれらの祈りを行うことができる。

義務となる祈り

バハイ教徒は毎日、必須の祈りと呼ばれる祈祷を行うことと、断食とが最も大きな義務になっており、それを怠ることは霊的な罰則を持つものと見なされている[22]

バハイ教の特徴として、必須の祈りは各個人で行うことが規定されており、キリスト教の典礼やイスラームの集団礼拝ように義務としての集団礼拝は存在しない。例外として「故人のための祈り」のみ会衆の祈りとして設定されている[23]

ケターベ・アクダスにおいて、この必須の祈りについて規定された。バハオラは別の書簡にこの祈祷文を書いておいたが、周囲のイスラーム教徒を刺激しないために当時それを公開しなかった。この時書かれたテキストは9つのラーカー(Rak'ah、動作を含む祈祷の単位)からなるものとされていたが、バハオラの死後、長男であったミルザー・ムハンマド・アリーによって金庫から盗まれ、失われてしまった[22]

その後、上記のテキストの代わりに、バハオラの三つの祈りのテキスト(短いもの、中位のもの、長いもの)が日々の必須の祈りとして使われている。原文はいずれもアラビア語であるが、各国語に翻訳されたものが使用される。

バハイ教徒はこの三つの中から一つを任意に決めて使用するが、それぞれの祈祷文の規定に従わなければならない。

規定

3つある必須の祈りのうち、1つを自由に選び、その規定に従い祈ること。

それぞれの必須の祈りの前には、手と顔の洗浄を行わなければならない。清浄な水が得られず洗浄が行えない場合は、「いとも純粋なる御方、いとも純粋なる神の御名において」と5回繰り返したのちに祈祷を行う。また、怪我などによって水の使用が害になる場合もこれに準じる。

必須の祈りには、ケブレー(Qiblih 崇拝点。イスラームのキブラ(Qibla)にあたる)が定められており、アッカ(イスラエル)のバハオラの廟(バージ)の方面を向くことが定められている[24]

短い必須の祈り

この祈りを選んだ場合は昼(正午から日没までの間)にのみ使用することができる。

この祈りは神の前に謙遜の姿勢で立って行わなければならない。

最も短く、アラビア語原文では25ワードに過ぎないが、人間として生きる目的、つまり人間は神を知り、崇拝するために創造されたことを簡潔に示している。

中位と長い必須の祈りは立礼や跪拝などの動作を含み、それが物理的に行えない場合以外は義務である。

中位の必須の祈りは一日に、朝(日の出から正午の間)、昼(正午から日没の間)、夜(日没後からその2時間後の間)の三回行うことが規定されている。(一日に三度祈らなければならないという義務はこの中位の必須の祈りを選んで唱えた場合にのみ当てはまる。その他の必須の祈りは一日に一度で良い。)

長い必須の祈りは24時間に一度唱えることになっている。

15歳未満、70歳以上、病気中の人、月経中の女性は義務的ということから免除される。

ローマナイズド

Ashhadu yá ilahi bi-annaka khalaqtaní li-'rfánika wa ibádatika.

Ashhadu fí-hadha'l híni bi'ajzí wa quwwatika wa dha'fi wa'qtidárika wa faqrí wa ghanáika.

Lá iláha illa anta'l muhayminu'l qayyúm.

訳の一例

わが神よ、あなたがわたしを造り給うたは、わたしがあなたを知り、あなたを崇拝するためだと証言いたします。

まさにこの時、わたしの無力とあなたの力、わたしの弱さとあなたの強さ、わたしの貧しさとあなたの豊かさを証言いたします。

苦難より救う方、自存する方であるあなたの他に神はない!

中位の必須の祈り

この祈りを選んだ場合は、朝、昼、夕に3回使用する。

手と顔の洗浄に関わる祈りを含む。

バハオラの「祈りと瞑想」にテキストを見出すことができる。

長い必須の祈り

一日に一度使用することができる。

バハオラはこの祈りについて語っている。

「この祈りは、自身が祈りに満ちた気持ちを感じた時に行うものである。実に、これはこのようなものとして啓示された。もし、それが岩に向かって唱えられれば岩は動き出し、叫び出すであろう。山に向かって唱えられれば、山は動き出し、流れ去るであろう。これを唱え、神の掟を満たす者は善き哉!」[25]

これもバハオラの「祈りと瞑想」にテキストを見出すことができる。

この長い必須の祈りは、サラート(アラビア語「礼拝」)またはナマーズ(ペルシャ語「礼拝」)として知られている。

95回の称名

一日の中に、「アッラーフ・アブハー」という最大の名を含む称名(ズィクル)を95回唱えることも義務とされる。この祈りを行う場合も洗浄を行うことを義務付けられるが、必須の祈りに伴って行う場合は、合わせて一度の洗浄でよいことになっている。

十九日間の断食

十九日間の断食は、バハイ暦の一年の最後の月に当たる十九日間の日の出から日没まで行われる期間である。必須の祈りに加えて、バハイ教徒にとって最も大きな義務となっている。バハイの断食はいくつかの他宗教の断食の実践に似ている。断食はバーブによって設定され、バーブはペルシャ語のバヤーンにおいて、バービ暦の最後の月の19日間が断食の当たると記した。バハオラによっても受容された。これについての規則はケターベ・アクダスによって記された。春分前の十九日間がこれにあたる。(3月1、2日~19、20日)。この時期以外に断食することも許されているが、それは奨められず、ほとんど行われない。必須の祈りと同じく、バハイ教徒にとって最も大きな義務であり、人を神に近づけることを意図している。ショーギ・エフェンディは次のように説明している。

「断食は、本質的に瞑想と祈りの期間である。その間に、信者は自身の内なる生命を再調整する手配し、魂に潜在している精神的力を活気づけ、生き返らす努力しなければならない」[26]

このようにその重要性と目的は基本的に精神的な特性を持っている。断食は象徴的であり、肉体的な欲望と利己心を節制することを思い起こさせる。

断食の規定と免除

断食の期間はバハイ暦の閏日(2月26日~3月1日)の終了から始まる。

日の出から日没の間、飲食および喫煙は断たれる。15歳以上に達すれば男女ともに義務とされる。

もし無意識間に摂食してしまっても、事故として断食を破ったことにはならない[27]

昼夜の時間が大幅に変わる高緯度の地方では、時計によってその時間を固定する。

断食の義務の免除について、ケターベ・アクダスは提示している。免除に当たる人は質素に、また私的に摂食するように求められる。

  • 病気の人
  • 15歳未満、70歳以上
  • 重労働に従事している人
  • 妊娠している女性
  • 赤子に乳を飲ませている女性
  • 月経時の女性

他に旅行中においても断食の免除が与えられる。家に帰った場合は直ちに断食をし始めなければならない。

ホゴゴラ(フクークッラー)

ホゴゴラ(アラビア語 ﺣﻘﻮﻕ ﺍﻟﻠﻪ Huqúqu'lláh フクークッラーとも表記される)は「神の権利」と訳される、ケターベ・アクダスによって規定された社会経済的かつ霊的な法である。その最も基礎的な形式は、本人の負債の支払いの後に残った、十分に生活できる財産よりも多い余剰部分の19パーセントを提供することであり、その提供資金は社会的、経済的な開発計画や人道目的に使用される。

1873年にケターベ・アクダスによってホゴゴラの法は書かれたが、最初の段階では支払いの受理は行われなかった。1878年にバハオラは最初の受託者を任命し、イランでの信者からフクークを受け取る責任を持っていた。この後、中東のバハイ教徒に広がっていった。1985年、フクークに関する情報は世界的に拡散された。1991年には、フクークッラーの中央事務所がバハイ・世界センターに設立された。

バハオラ在世時はフクークは彼に直接管理され、その没後にはアブドル・バハがそれを行った。アブドル・バハの遺訓において、ホゴゴラはthe Guardian of the Cause of Godによって提供を受けると規定された。万国正義院の選挙以来は、この機関へと提供される。

計算

フクークッラーの支払いは個人所有物の価値の計算に基づく。必要経費がすべて支払われた後、当人の財産、収入を対象とする。

所有物のカテゴリーは、住宅、必要な家庭用品、ビジネスあるいは専門の設備および家具のようなものは、フクークッラーや他の支払いから免除される。どの用品が必要で考えられるかの決定は、バハオラは当人にそれを任せた。

巡礼

バハイ教徒の巡礼は、ハイファ、アッコの聖地と、バハイ世界センターのバージを訪れることから成っている[28]

バハオラはケターベ・アクダスによって、バグダードのバハオラの家とシーラーズのバーブの家へ、この二つの場所への巡礼を命じた。「スーレ・ハッジ」として知られる二つに分かれた書簡では、これらの場所への巡礼のために特定の儀式を規定した。

「余裕があり、そうすることができる場合、且つ、それを誰かが妨害しない場合は義務である」

信者はどちら片方を自由に選ぶことができた。その後、アブドル・バハは巡礼の目的地としてバージのバハオラの廟を指定したが、その為の特別な儀式は規定しなかった。

バグダートのバハオラの家

バグダードの「最も偉大な家(バイト・ル・アァザム)」バハオラの家は、1853年から1863年まで、バグダートの北東、スレイマニエ市の近郊のクルディスタンの山に2年間を除いて、バハオラの住んでいた場所であった。それはチグリス川の西部土手のカディミーヤ地区にある。それがケターベ・アクダスによって巡礼地として指定され、聖地と見なされた。1922年、シーア派の権威者がこの家を没収した。国際連盟の委員会はバハイ教徒の返還請求を認めたが、コミュニティに返還されなかった[29]

2013年6月に不明瞭な状況の中破壊された[30]。6月27日、万国正義院はすべての全国精神行政会に、かの家が破壊されたことを書簡で通知した。

  • シーラーズのバーブの家
 
電灯の位置にバーブの家があった。(2008年)

1844年5月23日に、バーブはこの家でモッラー・ホセインに自らの使命を表明した。1942年3月にそれはバハイ教の敵によって攻撃され破損した。1955年には破壊されたが、後に再建された。1979年のイラン革命によって再び破壊された。1981年には通りと公共広場にされた[31]

九日間の巡礼地

巡礼地としてバハイ世界センターの下記の場所が定められている。

  • バージ
    • バハオラの廟
    • バージの住宅
  • ハイファ
    • バーブ廟
    • アーク
      • 万国正義院
      • 国際教育センター
      • 聖典学習センター
      • 国際文書館
    • 記念碑公園
    • 未来の礼拝の場
    • アブドル・バハの家
    • アマトゥル・バハ・ルヒーイェ・ハヌムの墓所
    • 巡礼の家
  • アッコ
    • レズワンの園
    • アッブードの家
    • アブドゥッラー・パーシャーの家
    • マズライの住居

勧告と禁止

下記は信者に要求されるか、勧められるバハオラの教えの数例である。

  • 日々の必須の祈りに加えて、献身的な祈りを捧げ、瞑想すること、たった一行でも朝夕聖典を学習するべきである。
  • 火葬およびミイラ化は強く反対する。
  • 陰口と中傷は禁止され、非難される。
  • 飲酒および売酒は禁止される。
  • 性交は夫婦間でのみ許され、婚前、婚外、同性愛交渉は禁止される。
  • 派閥党争は慎むことが求められる。
  • 専門の物乞いは禁止される。
  • ギャンブルの禁止。

労働

バハオラは乞食や苦行をする生活を禁じた。修道院制も禁じられる。バハオラ教徒は有用な仕事に従事する間に精神的なことを実践することを教えられる。霊的な生活の中での自己奮起と人類への奉仕の重要性はバハオラの著作の中でも強調されている。そこでは彼は人類への奉仕の精神において仕事を為すことを神の前で祈り、礼拝することに等しく楽しむと述べている。

シンボル

五芒星

 
バーブ手書きのヘイカル

五芒星またはヘイカル(haykal アラビア語「寺院」)は、ショーギ・エフェンディによって言及されている。

「厳密に言えば、五芒星はバーブによって使用され説明されたように、わたしたちの信仰の象徴である」

五芒星はバーブとバハオラによって書簡や手紙の外欄に使用されている。

ハイカルはヘブライ語hēyḵālの借用語であり、それはエルサレムの神殿を意味した。アラビア語では、この意味の他に人体や何かの形を意味する。バハオラは特に「スーレ・ヘイカル」において、寺院の意味はそのままとし、ヘイカルを神の顕示者としてのバハオラ自身の身体を意味するものとして使用している。

「おお、生ける神殿よ! 実に、我ら(神の自称)は天と地の間に我が原理のしるしとして汝を定めた......」[32]

九芒星

 
バハーイー教の象徴・九芒星

アイソセフィのアブジャド法によれば、baha'という言葉は9の数価に相当するために、9という数字はバハイ教において頻繁に使われている[33]。最も一般的に使用されている形は九芒星である。

リングストーン・シンボル

 
リングストーン

このシンボルはアブドル・バハによってデザインされたものであり、それは二つの星(ヘイカル)によって構成されている。下のラインは人間性と創造の世界を表し、上のラインは神の世界、真ん中の線は神の現れと啓示を表す。二つの星はバハオラとバーブを示している[34]

歴史

バーブ

1844年に、イランのシーラーズの商人セイイェド・アリー・モハンマド(バハイ教では顕示者のひとり)が、諸々の宗教で「約束された人物」(つまりバハオラ)の先駆者であると宣言して、アラビア語で「門」を意味する「バーブ」の称号を名乗った。彼の開いたバーブ教は、実質的にイスラム教から独立した宗教であるとみなされる。シャイヒー派の信徒を中心に多くの十二イマーム派の信徒に支持されたが、イランの十二イマーム派ウラマーたちの強い反発を招き、ガージャール朝政府の弾圧を受けた。結局バーブは1850年タブリーズで処刑されるが、信徒たちは今度はバーブが予言した「神が現し給う者」の到来を探し始めた。

バハオラ ── 神が顕し給う者

 
バハオラ神社

ガージャール朝に仕える高級官僚の家系に生まれたミールザー・ホセイン・アリーは、バーブ教が開かれた直後からバーブの信徒で、1852年に政府により逮捕され拘束された。このテヘランでの獄中生活の最中に、彼は自身がバーブが予言した「神が現し給う者」であると最初に受け取ったとされる。9年後の1863年、ホセイン・アリはイラクのバグダード(オスマン帝国領)に追放されるが、ここで彼は正式に、自身がバーブの予言した、「神が顕し給う者」であると宣言し、アラビア語で「神の栄光」を意味するバハオラの称号を名乗った。これがバハイ教の実質的な始まりである。

バハオラの教えはバーブ教のほとんどの信徒に受け入れられたが、バハオラ自身はイラン政府とオスマン政府の警戒を受けて、バグダードからイスタンブールエディルネに移され、最終的には1868年パレスチナアッカ(アクレ)に流され、後にその近辺にあるバージに移り、1892年にそこで昇天した。アッカ及びバージの地はバハイ教徒にとっての聖地となっている。

アッカやバージ以外でバハイ教の聖地はハイファカルメル山の斜面に位置するバーブの聖廟とその周辺地域である。バーブの遺骸は、イランから聖地へ運ばれ、バハオラによって指定された場所に築かれた聖堂に埋葬された。

アブドル・バハ ── 聖約の中心

 
アブドル・バハ

バハオラによって後継者に使命されたのは、彼の長男、アブドル・バハ(彼の名前はアラビア語で「バハ(=栄光)のしもべ」を意味する)であった。バハオラは長男を「聖約の中心」と呼ぶように定め、全てのバハイ教徒が、バハオラ亡き後、彼の指導に従うよう指示した。バハオラ自身、彼のことを息子でありながら「師」(Master)と呼んだと言う。

アブドル・バハは既に父の長い追放と監禁の生活を共に過ごしていたが、継承後も監禁生活は1908年青年トルコ人革命まで続いた。解放後、アブドル・バハは父の教えをアラビア語で「光を求める者」を意味する「バハイ」と呼んだ。彼はヨーロッパアメリカカナダに旅行して世界的な宣教を開始し、多くのバハイ教文献が様々な言語に翻訳された。1921年11月28日にアブドル・バハはハイファで亡くなった。遺体はバーブの遺骸のある聖廟に埋められている。

ショーギ・エフェンディ ── 守護者

 
ショーギ・エフェンディ

アブドル・バハの孫であり、また、バーブの血を引く。アブドル・バハは父、後継者として最年長の孫、ショーギ・エフェンディを「守護者」に任命した。アブドル・バハの逝去時、ショーギ・エフェンディは、オックスフォード大学の学生であったが、1921年から1957年イギリスで死去するまでの36年間、バハイ共同体を導き、世界的規模の共同体の確立の基盤を敷いた。また、この間、バハオラとアブドル・バハの著作の翻訳も精力的に進めた。ショーギ・エフェンディの時代にハイファのバハイ教本部は世界センターに発展し、バハイ教の世界布教は大いに進展する。

バハイ共同体運営機構の確立

1957年にエフェンディは死去するが、彼は生前に後継者を指名しなかったばかりか子どももいなかった。このため、バハオラの頃からバハイ国際共同体の運営の任にあたり実務を司っていた「(大業の翼成者)(英語版)」による集団指導体制へと移行した後、1963年に世界的バハイ共同体の行政管理を司る最高機関として万国正義院が設置された。

バハイ教と日本人

日本でのバハイ教は、1875年のアブドル・バハによるいくつかの言及の後に始まった。日本人のコンタクトは1902年、山本寛一がハワイホノルルに住んでいた時が最初であり、ついで藤田左弌郎による。

1914年に、ジョージ・ジェイコブ・オーガーとアグネス・アレクサンダーが日本へ開拓した。アレクサンダーは、1967年までの間、約31年日本で暮らした。日本本土で最初のバハイ教への入信者は福田菊太郎だった。

兵庫県芦屋市の芦屋霊園にはバハイ教信者のためのバハイ霊園が存在する。

組織

 
万国正義院

バハイ教には聖職者はおらず、各地のバハイ共同体は「地方精神行政会」(Local Spiritual Assembly) と呼ばれる行政機関により管理されている。同様に、「全国精神行政会」(National Spiritual Assembly) と呼ばれる9人のメンバーから構成される行政機構は、全国バハイ共同体の事務を指示し調整する役目を負う。その上に「万国正義院」 (The Universal House of Justice) という世界的なバハイ共同体の行政管理を行う、9名のメンバーから構成される機構が置かれる。これらのメンバーは、成人のバハイ教徒の中から共同体に役立つことができる信徒を互選することになっているが、自分から立候補したり選挙運動をすることは禁じられている。万国正義院は、次の顕示者が出現するまで、全世界のバハイ教徒を指導するとされる[35]

万国正義院には、バハオラが法律書「ケタベ・アクダス」に記していない詳細な事項について法律を制定し、また時代の変遷に応じてその法律を改廃する権限と機能を、「聖約」として有している。「聖約」は、バハイ教の中での分裂や分派の形成、共同体内での個人の独善的な解釈を阻み、啓示と教えを守る役割を持つ。それ故、バハオラの後継者アブドル・バハとその後継者ショーギ・エフェンデイおよび上述の「万国正義院」の正当性を否定し、無視する信徒、または他の個人や機関を正当性のあるバハイ共同体の機構だと訴える信徒は「聖約を破る人」としてバハイ共同体から除名されることがある。

バハイ世界センター

 
ハイファと西ガリラヤのバハーイー教聖地群として世界遺産でもあるバハーイー世界センター
階段の上に建っているのがバーブの聖廟
 
アーク

世界センターはバハオラ廟、バーブ廟とカルメル山の庭園とアークの建築物を含むエリアから成っている。アークはバハイ教本部の複数の建築物の総称であり、万国正義院所在地、国際教育センター、国際文書館、聖典学習センターからなる。五番目の国際バハイ図書館の計画は土地所有者との売買の問題で建設されていない。

国際的な管理と調整が世界センターで発生し、国際レベルで影響する宗教に関する決定や、聖典の研究や翻訳を含んでいる。世界センターは巡礼のための目的地となっている。2008年7月、「ハイファと西ガリラヤのバハイ教聖地群」として世界遺産に登録された[36]

礼拝の場

バハイ教には聖職者はなく、説教も典礼も決まった祭礼もない。ほとんどのバハイ教の集会は個人の家、地域のバハイ・センター、何らかの設備を借りて行われる[37]

2017年、カンボジア初となる礼拝堂がバッタンバン州において建設された。[38]

バハイ礼拝堂・マシュレゴウルアズカル

 
ウィルメットのハウス・オブ・ワーシップ
 
ロータス寺院、ニューデリー

これはバハイの聖典で「(バハイ礼拝堂)(英語版)(مشرق اﻻذكار 夜明けの場)」と呼ばれる機関を指す。これは病院、大学を含む複合体の中心を形成する。最初のバハイ共同体が設立されたアシガバート(現トルクメニスタン)は当時ロシア領であり、イランでの迫害を逃れたバハイ教徒はアーゼルバイジャーンやトルクメニスタンへと逃れた。アシガバードでもシーア派過激派がバハイ共同体を襲撃したが、行政府は襲撃者を逮捕し裁判に掛けた。これは公式な行政府がバハイ教徒に対する迫害を許さなかった初めての例であり、アシガバードはバハイ教徒の居住地として有名になり共同体は発展した。後に全ての宗教を非合法化とした社会主義政権となり消滅した[39]。現在(2017年)世界では9か所に大陸礼拝堂があり、バハイ教徒以外の宗教信者にも祈りの場として開放されている。

  1. アメリカ合衆国、イリノイ州ウィルメット
  2. ウガンダ、カンパラ
  3. オーストラリア、ニュー・サウス・ウェールズ州シドニー
  4. ドイツ、ホフハイム・ランゲンハイン
  5. パナマ、パナマシティ
  6. サモア、ティアパパタ
  7. インド、ニューデリー(ロータス・テンプルの名で知られ、年間100万人の訪問者がある観光名所でもある。)
  8. チリ、サンティアゴ
  9. カンボジア、バッタンバン

国際連合とバハイ教

バハオラは人類集合のこの時代において世界的政府の必要性について書き記した。この強調されたことに従って、国際的バハイのコミュニティは国連のような組織によって国際関係を改善する努力をすることに決めた。バハイ・インターナショナル・コミュニティはハイファの万国正義院の指導のもとに、これらの組織に顧問の地位を持っている。[40]

バハイ・インターナショナル・コミュニティは、ニューヨークジュネーブの国際連合に事務所を持ち、地方委員会での代議権を持ち、アジズ・アベバ、バンコク、ナイロビ、ローマ、サンティアゴにも事務所がある[41]

国際補助言語

バハイ教は世界が一つの国際的な補助言語を採用することを主張する。その目的は民族間、国家間でのコミュニケーションと統一性を改善することにある。しかしながら、その補助言語は既存の自然言語を抑圧するものではなく、文化的な区別を保存するために「多様性の中の統一」という概念を適用しなければならない。

バハイ教の教えには人類の単一性に対する強い焦点がある。それは世界の民族間の改善されたコミュニケーションを、有機的な世界の統一性に関わる部分だと見なすからである。非常に多くの言語の存在が情報の自由な流れを阻害し、平均的な人間が世界の出来事の普遍的な展望を得ることを困難とするので、バハイ教は言語の現在の多様性を、人類の統一性にとっての障害と見なす。

国際補助言語の選択と制度化の原則は、バハイ教の重要な教義の中にある。バハオラは「イシュラーカート」と「マクスード」の書簡の中で、共通語の不在は異なる言語の民族間のコミュニケーションの不足であり、世界の統一への主な障害であり、言語による誤解が世界平和への努力を蝕む、と教えた。彼は人々はお互いに理解し得るかもしれないと、人類が母国語に加えて補助言語も学校で教えられるように主張し、補助言語が採用されないままでは、人類の完全な統一は実現されないだろうと述べた。アブドル・バハーは国際補助言語の原則の促進を、「人類の世界にたいする第一の貢献」とし、そお実現を「人類に利益と喜びが与えられる時代のもっとも偉大な達成」と呼んだ。

しかしながら、バハオラは補助言語は既存の自然言語を抑圧するものではないと強調した。バハイ教は文化的に異なる成分が単一性と互換性を持ち、人類が世界の至る所で様々な文化によって豊かになるとする。言語的少数派はは自分の母語に従って文化を維持するので、国際補助言語を持つことが大多数の言語グループからの圧力を退け、少数言語を保持するであろうとする。

言語の選択

バハイ教のいかなる権威者も、国際補助言語にどの言語を採用するかということは明示しなかった。バハオラは次のように述べている。「世界言語は既存の言語から選ばれるか、発明される言語から選ばれるであろう」

アブドル・バハはエスペラントの理念を称賛した。19世紀後半から20世紀前半のエスペランティストとバハイ教徒の間には共通点があった。1913年2月12日にパリ・エスペラント協会で述べている。

「Dr.ザメンホフにエスペラントを造らせ給うた神に称賛あれ。それは国際的な通信手段になる潜在的な特質を持っています。私たちはこの高貴な努力のために彼に感謝するに違いありません。この方法は彼の同胞たちに非常に役立ったからです。エスペラントの熱心な推進者の不屈な努力と自己犠牲によって、エスペラントは世界的なものとなるでしょう。従って、私たちすべての人はこの言語を学ばなければならないし、可能な限りそれがより広く認められて、世界全ての国家及び政府によって受容されるかもしれないし、公立学校のカリキュラムの一部になるよう拡げなければなりません。私は将来の国際会議や協議会でエスペラントが採用されることを望みます。そうすれば人々はたった二つの言語、自分の母語と国際語の二つがあればいいことになるでしょう。世界の人々の間に完全な統一が確立されるでしょう。今日、様々な国家とコミュニケーションすることがどれだけ困難か考えて下さい。五十の言語を学んだとしても、更に他の国に移動すればそこの言語を知らないかもしれない。私はあなた方が極めて努力することを望みます。そうすればこのエスペラントという言語が大いに拡がっていくでしょう」[42]

こうしたエスペラントに対する好意にも関わらず、ショーギ・エフェンディと万国正義院はエスペラントを補助言語とすべきという公式な支持はないということを強調した[43]

現在、バハイ教徒エスペランティストの活動的なサブ・コミュニティが存在している。バハイ・エスペラント連盟は1973年に設立された。また、ルドヴィコ・ザメンホフの末娘であったリディア・ザメンホフはバハイ教徒であった。アブドル・バハの求めで、アグネス・ボールドウィン・アレクサンダーは初期のエスペラントの唱道者となり、日本での会議や会合でバハイ教を拡げるためにそれを使用した。

バハイ暦

バハイは、バーブが宗教を宣言した年である1844年3月21日を基点として定められたを基礎とする。一暦年19か月、一(暦月)19日で、太陽年に合致させるために4日か5日の閏日がある(太陽暦である)。新年はペルシャで伝統的にノウルーズと呼ばれるものに相当し、断食の月の終わり、3月21日の近くの春分の日に生じる。コミュニティはフィーストと呼ばれる会合のために各月の初めに集まる。

脚注

[脚注の使い方]

出典

  1. ^ 『バブとバハオラの物語』Jenabe Caldwell, Motoko Caldwell、西田書店、1995年。ISBN (4-88866-239-8)。OCLC 674543246https://www.worldcat.org/oclc/674543246 
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  4. ^ Hatcher, W.S.; Martin, J.D. (1998). The Bahá'í Faith: The Emerging Global Religion. New York, NY: Harper & Row. (ISBN 0-06-065441-4).
  5. ^ “Bahai Faith”. Library of Congress. 2019年12月5日閲覧。
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  10. ^ バハイ・オンライン図書館 確信の書
  11. ^ a b バハイ・オンライン図書館 質疑応答集 第三部
  12. ^ バハイ・オンライン図書館 明日への扉41
  13. ^ バハイ出版局 聖典
  14. ^ [1]"Hidden Words: References of 'Abdu'l-Bahá and Shoghi
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  38. ^ バッタンバン州にてカンボジア初となるバハイ教の礼拝堂建設[社会]
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  40. ^ P.R.ハーツ 著、奥西峻介 訳『バハイ教』青土社、2003年、151頁。 
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関連項目

外部リンク

  • バハイ教世界公式サイト
  • 日本バハイ共同体
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