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ダニエル・カブレラ (投手)

ダニエル・アルベルト・カブレラ・クルーズDaniel Alberto Cabrera Cruz , 1981年5月28日 - )は、ドミニカ共和国サンペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス出身の元プロ野球選手

ダニエル・カブレラ
Daniel Cabrera
中日ドラゴンズ時代
(2013年4月21日、横浜スタジアムにて)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国
出身地 サンペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス
生年月日 (1981-05-28) 1981年5月28日(41歳)
身長
体重
204 cm
118 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1999年 アマチュア・フリーエージェント
初出場 MLB / 2004年5月13日
NPB / 2013年4月4日
最終出場 NPB / 2014年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ドミニカ共和国代表
WBC 2006年
プレミア12 2015年

経歴

オリオールズ時代

 
ボルチモア・オリオールズ時代
(2008年5月14日)

1999年、アマチュア・フリーエージェントでボルチモア・オリオールズと契約し入団。

2004年5月13日、対シカゴ・ホワイトソックス戦(ダブルヘッダー第1試合)においてメジャーデビューを果たす。(エリック・デュボーズ)ら先発ローテーションの若手4投手が不調に陥っていた当時のオリオールズにおいて、デビュー戦から2連勝を記録したカブレラは「救世主的な存在になる」と期待された[1]。結局この年はチーム2位の12勝を挙げたが、防御率は5.00、与四球89はリーグワースト3位だった。

2005年は、2年連続となる2桁勝利を挙げ防御率を4点台に向上させるなどの活躍を見せたが、1年目と同じように四球の多さが目立った。

2006年開幕前の3月に第1回WBCドミニカ共和国代表に選出された[2]ベネズエラ戦に登板した。

シーズンでは、オリオールズは名投手コーチとして知られるレオ・マゾーニーを招聘。マゾーニーの下でカブレラは投球フォームを変え「凄く投げやすくなった」という[3]。今年はブレイクするとオリオールズから期待されてシーズンに臨んだ[4]。しかし制球難を克服することはできず、3年目で初めて2桁勝利を逃したうえ、規定投球回に満たないにもかかわらず与四球・暴投の2部門でリーグ最多の数字を残した。ただ、この年の9月12日からは「眼鏡をかける」という、まるで映画メジャーリーグ』のような解決法を試み[5]、実際に数字が向上している。オフには視力矯正手術を受ける。

2007年のシーズン中も、前年に引き続きマゾーニーコーチとともに投球フォームを改善し、さらに精神面の強化にも取り組んだ[6]。こうしたトレーニングの結果、この年も与四球はリーグワーストだったが、与四球率は前年の6.32から4.76に向上した。しかし、制球を重視したことで今度は球威がなくなってしまい[7]被本塁打が前年の倍以上に増加、防御率も自己最低の5.55となり、リーグ最多敗の18敗を記録してしまった。

ナショナルズ時代

2008年12月29日、ワシントン・ナショナルズと1年契約を結ぶ。

2009年は8試合に先発登板したが、勝ち星を挙げられなかった。5月26日に、(DFA)となった。その後、解雇された。[8]

ダイヤモンドバックス時代

2009年8月3日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ。オフの11月4日に、FAとなった。

エンゼルス傘下時代

2010年1月14日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結ぶが、スプリングトレーニング中の3月17日に解雇。6月10日にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムとマイナー契約を結ぶが8月にトミー・ジョン手術を受けた。

2011年は、前年の手術の影響で登板がなかった。

パイレーツ傘下時代

2012年1月にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結んだ[9]

ダイヤモンドバックス復帰

2012年8月16日にトレードでアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した[10]。マイナーでは24試合の先発で7勝8敗、防御率4.23、WHIP1.33の成績を残す。

中日時代

2012年12月14日に1年総額65万ドルで中日ドラゴンズとの契約合意が発表された[11]

2013年、キャンプでは首痛や脹脛痛などを訴え、たびたび練習を休んでいた。そのためオープン戦には中継ぎで1試合にしか登板しなかったものの、開幕ローテーション入りを果たした[12]。4月4日の阪神タイガース戦で来日初登板・初先発し、7回無失点の好投を見せた[13]。しかし、6月5日のオリックス・バファローズ戦において、5回途中に「脇腹への激しい痛み」を訴え、病院での検査の結果、肋骨を骨折していたと診断された[注釈 1]。これにより、骨がくっつくまでに4~6週間かかるとされ、前半戦の残りは絶望的となった[14]オールスターゲーム明けとなる7月27日の読売ジャイアンツ戦で復帰[15]。9月7日の東京ヤクルトスワローズ戦で7回4安打1失点7奪三振の好投で実に11試合ぶりとなる、復帰後初勝利を挙げた[16]。9月14日の横浜DeNAベイスターズ戦では8回2失点とし、自己最多の12奪三振を奪ったが、味方の援護がなく敗戦投手となった[17]。好投しても味方の援護が少なく勝ち星は伸びなかったが、来日1年目は20試合に先発し、6勝5敗、防御率3.09という成績を残した。

2014年は、14試合に登板するも、防御率が4.09と前年より1点悪化した。11月28日、自由契約公示された[18]

中日退団後

2015年2月21日にシンシナティ・レッズとマイナー契約を結ぶ。5月6日に解雇された。5月27日にメキシカンリーグキンタナロー・タイガースと契約。11月には第1回WBSCプレミア12ドミニカ共和国代表で出場。先発登板したオープニングラウンドの日本戦では元チームメイトの平田良介らと対戦し、5回2失点の投球内容だった。

2016年3月28日に解雇となる。

選手としての特徴

 
ワシントン・ナショナルズ時代
(2009年4月13日)

203cmの長身と真上から振り下ろすオーバースローから平均球速93mph(約150km/h)、最速100mph(約161km/h)の速球と、アーサー・ローズが比較対象に挙げられた[19]落差の大きい(パワーカーブ)(スラーブとも呼ばれる[20])を中心とし[21]チェンジアップも混ぜる[22]

速球は100mph(約161km/h)以上をシーズン40個近く計測し[23]、2005年にはベースボールアメリカ誌が集めたアメリカンリーグの全監督へのアンケートの「ベスト・ファストボール」部門で1位にランクインした[19]。しかし、メジャーのスカウトから「制球さえ安定すればサイ・ヤング賞級の素材」と評されたように[6]メジャー通算与四球率5.24と制球力に非常に難があり、本人も「俺の人生はずっと四球さ」と自虐するほど[24]。球種ごとに投球フォームが違い[6]、フォームが定まらないため登板ごとに制球力にばらつきがあり[21]、特に変化球の制球に苦しんでいた[20]

トミー・ジョン手術から復帰した2012年からは球速が90mph(約145km/h)前後に落ち、2012年にはマイナーでの与四球率2.86を記録するなど制球がやや安定している。

大柄な体格ゆえ、クイックを苦手とし2013年には23回走られ22回の盗塁を許した。中日移籍当初はこれを相手に突かれた為に成績が安定しなかったが[25]、骨折による二軍落ちを経て投手コーチの指導によりある程度改善し、安定した投球を披露するようになった[26]

メジャーリーグ3A共に安打を記録しておらず、打撃は非常に苦手な投手である。なお、2013年に日米通じてプロ入り初安打を記録した[注釈 2][27]

人物

逆上しやすい性格と投球頭脳に欠けていることで有名で[28]、2007年9月7日のボストン・レッドソックス戦の4回二死三塁の場面で、投手コーチのレオ・マゾーニーからセットポジションでの投球を指示されていたがワインドアップモーションで投球を始める。また、三塁走者のココ・クリスプのフェイントモーションに引っ掛かりボークを喫し、それに逆上して打席のダスティン・ペドロイアの頭付近へ危険球を投げ退場処分を受ける。さらにその処分に抗議して暴れたため両チームが入り乱れるもみ合いに発展し、6試合の出場停止処分を受けた。この事件から、ファンの間で『100万ドルの速球と10セントのおつむ』と揶揄されるようになった[29]

登板前は、超マイペースで独自の調整法を貫いている[30]。 好きな投手はペドロ・マルティネス[6]

日本に来てから気に入った食べ物はチャーハン[31]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2004 BAL 28 27 1 1 0 12 8 1 0 .600 662 147.2 145 14 89 2 2 76 12 0 85 82 5.00 1.58
2005 29 29 0 0 0 10 13 0 0 .435 716 161.1 144 14 87 2 11 157 9 1 92 81 4.52 1.43
2006 26 26 2 1 0 9 10 0 0 .474 662 148.0 130 11 104 1 5 157 17 1 82 78 4.74 1.58
2007 34 34 1 0 0 9 18 0 0 .333 922 204.1 207 25 108 6 15 166 7 2 133 126 5.55 1.54
2008 30 30 2 0 1 8 10 0 0 .444 821 180.0 199 24 90 5 18 95 15 2 109 105 5.25 1.61
2009 WSH 9 8 0 0 0 0 5 0 0 .000 207 40.0 48 4 35 1 2 16 10 0 39 26 5.85 2.08
ARI 6 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 51 11.0 11 0 7 0 2 7 1 0 8 8 6.55 1.64
'09計 15 9 0 0 0 0 6 0 0 .000 258 51.0 59 4 42 1 4 23 11 0 47 34 6.00 1.98
2013 中日 20 20 0 0 0 6 5 0 0 .545 492 116.2 109 6 36 1 6 98 4 0 48 40 3.09 1.24
2014 14 14 0 0 0 5 7 0 0 .417 342 77 77 4 39 0 4 59 3 1 41 35 4.09 1.51
MLB:6年 162 155 6 2 1 48 65 1 0 .425 4041 892.1 884 92 520 17 55 674 71 6 548 506 5.10 1.57
NPB:2年 34 34 0 0 0 11 12 0 0 .478 834 193.2 186 10 75 1 10 157 7 1 89 75 3.49 1.35
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



投手(P)












2004 BAL 28 9 6 1 0 .938
2005 29 11 12 1 0 .958
2006 26 4 13 0 2 1.000
2007 34 5 12 1 0 .944
2008 30 8 11 1 0 .950
2009 WSH 9 1 1 0 0 1.000
ARI 6 0 1 0 0 1.000
'09計 15 1 2 0 0 1.000
2013 中日 20 2 18 2 0 .909
2014 9 3 6 0 1 1.000
MLB 162 38 56 4 2 .959
NPB 34 5 24 2 1 .935

記録

NPB投手記録
NPB打撃記録

背番号

  • 35 (2004年 - 2007年)
  • 40 (2008年)
  • 45 (2009年)
  • 56 (2009年)
  • 70 (2013年)
  • 99 (2014年)

登場曲

代表歴

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 実は2回に自らの打席で空振りした所で既に違和感を覚えていたという。
  2. ^ 安打とはいってもバント安打であり、バットで打った安打は日米を通じて2014年まで未だ1本もない。

出典

  1. ^ 「各球団マンスリー・レポート ボルティモア・オリオールズ 高打率モーラパルメイロ534号 不安の投手陣に新星カブレラ登場」 『月刊メジャー・リーグ』2004年7月号、ベースボール・マガジン社、2004年、雑誌08625-7、50頁。
  2. ^ 2006 Tournament Roster[] The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年3月7日閲覧 []
  3. ^ 菊地靖 「今季開幕、気になるやつら」 『NumberWeb』、2006年4月3日。2008年2月27日閲覧。
  4. ^ (田尻賢誉) 「30チーム・レポート&全選手シーズン最終成績 ボルティモア・オリオールズ/BAL ブレイクは来年に持ち越し」 『月刊スラッガー』2006年12月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-12、72頁。
  5. ^ (李啓充) 「ダニエル・カブレラ 映画『メジャーリーグ』式ノーコン矯正」 『NumberWeb』、2007年4月18日。2008年2月27日閲覧。
  6. ^ a b c d 杉浦大介 「目覚めよ、未完の大器 ダニエル・カブレラ改造計画」 『月刊スラッガー』2007年7月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-7、45-47頁。
  7. ^ 田尻賢誉 「2007通信簿 FILE:207~500 ボルティモア・オリオールズ」 『月刊スラッガー』2007年12月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-12、82頁。
  8. ^ Cabrera Designated For Assignment
  9. ^ Feb. 27, 2012 Pirates Notebook: Feb. 27, 2012
  10. ^ Pirates Trade Daniel Cabrera, Sign Dallas McPherson
  11. ^ 新外国人選手獲得のお知らせ中日ドラゴンズ公式ウェブサイト、2012年12月14日。
  12. ^ 福留は「普通の日本人打者」中日新助っ人カブレラ不敵Sponichi Annex 野球 2013年4月2日配信 2014年1月19日閲覧
  13. ^ a b カブレラが来日初勝利!阪神・新井良、痛恨の“決勝失策”Sponichi Annex 野球 2013年4月4日配信 2014年1月19日閲覧
  14. ^ 【中日】カブレラ肋骨骨折!全治6週間日刊スポーツ 2013年6月6日配信 2014年1月19日閲覧
  15. ^ カブレラ、復帰戦は黒星も「調子は悪くなかった」Sponichi Annex 野球 2013年7月27日配信 2014年1月19日閲覧
  16. ^ カブレラ11戦ぶり白星 クイック覚えイメチェンSponichi Annex 野球 2013年9月8日配信 2014年1月19日閲覧
  17. ^ カブレラ8回12K2失点も援護なし バント攻撃対応できずSponichi Annex 野球 2013年9月14日配信 2014年1月19日閲覧
  18. ^ 2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年11月28日閲覧。
  19. ^ a b 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006』廣済堂出版、2006年、74頁頁。(ISBN 4-331-51146-4)。 
  20. ^ a b LINDY'S, Special to FOXSports.com, "Preview 2008: Baltimore Orioles," FOX Sports on MSN, February 26, 2008. 2008年2月27日閲覧。
  21. ^ a b 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』廣済堂出版、2005年、58頁頁。(ISBN 4-331-51093-X)。 
  22. ^ [1]
  23. ^ 月刊スラッガー』2006年4月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-4、23頁。
  24. ^ 月刊スラッガー』2006年12月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-12、72頁。
  25. ^ “カブレラ 課題克服できず逆転負け 高木監督「走られすぎ」”. スポニチ Sponichi Annex (2013年5月28日). 2014年5月13日閲覧。
  26. ^ “カブレラ11戦ぶり白星 クイック覚えイメチェン”. スポニチ Sponichi Annex (2013年9月8日). 2014年5月13日閲覧。
  27. ^ a b 高木監督 イライラ「腹立つなあ、今日もまた寝れんわ…」Sponichi Annex 野球 2013年8月11日配信 2014年1月19日閲覧
  28. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2009』廣済堂出版、2009年、313頁頁。(ISBN 978-4-331-51370-5)。 
  29. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、87頁頁。(ISBN 978-4-331-51300-2)。 
  30. ^ “カブレラ 踊った3連勝! 超マイペース調整の“王様””. スポニチ Sponichi Annex (2013年4月19日). 2014年5月13日閲覧。
  31. ^

関連項目

外部リンク

  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
  • Daniel Cabrera stats MiLB.com (英語)
  • 個人年度別成績 カブレラ - NPB.jp 日本野球機構
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