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ダグ・ウィリアムス (アメリカンフットボール)

ダグ・ウィリアムスDoug Williams1955年8月9日 - )はアメリカ合衆国ルイジアナ州(ザカリー)出身の元アメリカンフットボール選手。黒人QBとして初めてスーパーボウルMVPに輝いたことで知られる[1]

 ダグ・ウィリアムス
Doug Williams
2008年のウィリアムス
基本情報
ポジション クォーターバック
生年月日 (1955-08-09) 1955年8月9日(67歳)
出身地 アメリカ合衆国
ルイジアナ州(ザカリー)
身長: 6' 4" =約193cm
体重: 220 lb =約99.8kg
経歴
大学 (グランブリング州立大学)
NFLドラフト 1978年 / 1巡目全体17位
初出場年 1978年
初出場チーム タンパベイ・バッカニアーズ
所属歴
タンパベイ・バッカニアーズ(1978年-1982年)
(オクラホマ・アウトローズ)(1983年-1985年) (USFL)
ワシントン・レッドスキンズ(1986年-1989年)
受賞歴・記録
スーパーボウル制覇(1回)
第22回
スーパーボウルMVP(1回)
第22回
NFL 通算成績
通算TD/(INT) 100回/93回
通算パス獲得ヤード 16,998ヤード
QBレイティング 69.4
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR
カレッジフットボール殿堂入り

経歴

アフリカ系米国人を主な対象とするルイジアナ州(グランブリング州立大学)出身。4年時の1977には、QBとして、3,286パス・ヤード、38タッチダウン(共に全米一)を記録して、AP通信選出のオール・アメリカンに選ばれる。大学通算8,411パス・ヤード、8,354トータル攻撃ヤード、93タッチダウンはNCAA記録(当時)。1976年9月4日、日本の後楽園球場で行われた初のアメリカ以外でのNCAA公式戦であった(パイオニア・ボウル)(パイオニア後援)出場のためで来日、翌1977年12月11日にも、第1回ミラージュボウル三菱自動車後援)に出場するために来日した[2][3]

1978年NFLドラフト前に当時、タンパベイ・バッカニアーズの攻撃コーディネーターであった(ジョー・ギブス)に注目され、タンパベイ・バッカニアーズからドラフト1巡目(全体17番目)で指名されて契約を結んだ[1]。NFLの先発QBとしては、最低年俸の12万ドルであった1979年NFCチャンピオンシップゲームに進出するが[1]ロサンゼルス・ラムズに敗れている。1982年まで5シーズンをバッカニアーズで過ごしチームは3度プレーオフに進出したが[1]、1982年シーズン終了後、当時オーナーだった(ヒュー・カルバーハウス)(Hugh Culverhouse)との契約でもめてチームを退団[4]、1983年から1985年まで、新興リーグUSFL(United States Football League)の(オクラホマ・アウトローズ)(英語版)でプレーした。

1986年にUSFL消滅に伴いNFLに戻り、バッカニアーズ時代にQBコーチだった(ジョー・ギブス)がヘッドコーチをしているワシントン・レッドスキンズに加入した[4][1]。当初は先発QBジェイ・シュローダーの控えだったが、1987年のシーズン開幕前は出場機会の少なさからトレードをギブスに訴えたが[1]、途中に肩を故障したシュローダーに代わり先発するようになった[4]。プレーオフでシカゴ・ベアーズミネソタ・バイキングスを破りチームを第22回スーパーボウルへ導いた彼は黒人QBとして初めてスーパーボウルに出場、第1Q途中にQBサックされた際に左膝を痛めて退場し、シュローダーが2プレー彼の代わりを務めた後フィールドに復帰し、第2Qになりフィールドに復帰すると4つのタッチダウンパスを決める活躍を見せ[3]、レッドスキンズは1Qに35得点をあげる猛攻を見せて(ザ・クォーターデンバー・ブロンコスに42-10で圧勝し[1]、パス29回中18回成功、340ヤード(当時の(スーパーボウル記録))を投げた彼がMVPに選ばれた。翌1988年もエースQBとしてプレーしたが怪我で(マーク・リッピン)に先発の座を奪われ[3][4]1989年シーズン終了後、プランBリストに掲載され、フリーエージェント市場に出たが[5]、そのまま引退した。

引退後はジョージア州アトランタモアハウス大学や、母校であるグランブリング州立大学などでコーチを歴任した後、2004年から、タンパベイ・バッカニアーズの役員を務めている。

1998年に行われた第32回スーパーボウルではコイントスを行っている。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g Greg Garber (2013年1月29日). “Doug Williams embraces history”. ESPN. 2013年12月7日閲覧。
  2. ^ 力と力 男のスポーツ アメリカン・フットボール 読売新聞 1977年12月9日夕刊3ページ
  3. ^ a b c ダグ・ウィリアムス
  4. ^ a b c d (渡辺史敏)「ついにリーグの頂点に立った英雄ダグ・ウィリアムズ」『2005年版NFLアメリカンフットボールを知り尽くす!』、ベースボールマガジン社、2005年、pp.30-31、ISBN (4-583-03862-3)。 
  5. ^ “Plan B List Has Some Big Names”. ロサンゼルス・タイムズ (1990年2月3日). 2012年12月16日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • 通算成績と情報 NFL.com, or Pro-Football-Reference (英語)
  • ダグ・ウィリアムス - IMDb(英語)
先代
(リッキー・ベル)
タンパベイ・バッカニアーズ
ドラフト1巡指名
1978年
次代
(レイ・スネル)
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