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セルロイド

セルロイド(celluloid)は、ニトロセルロース(硝化綿)と可塑剤となる樟脳を主原料とする合成樹脂[1]。世界初の高分子プラスチックである[1]象牙の代替品として開発され、20世紀前半には生活用品等に多く使われた[1]。 セルロイドは消防法における第5類危険物に属し、20kgを超える貯蔵には消防署への届け出が義務付けられる。

昭和中期まで広く市場に出回っていた、セルロイド製の乳児用おきあがりこぼし

歴史

ニトロセルロース(硝化綿)と樟脳を主原料とする合成樹脂の発明者については諸説あるが、セルロイドという名称はジョン・ウェズリー・ハイアットによって商標登録されたものである[1]

  • 1856年にイギリス人(アレキサンダー・パークス)(Alexander Parkes、1818-1890)によって作られた。パークスはこれを「パークシン」と命名して売り出したがコストの問題から失敗に終わった。
  • 1870年にアメリカのジョン・ウェズリー・ハイアット(1837–1920)がビリヤードボールの原料として実用化に成功し、彼の製造会社の商標としてセルロイドという名前が登録された。

最初は象牙の代替品としてビリヤードの球が開発されたが、コルセットや義手義足などにも利用されるようになった[1]。その後、20世紀の半ばまで、食器の取っ手や万年筆の筒や眼鏡のフレーム、洋服の襟(カラー)やおもちゃ筆箱、飾り物などに広く利用された。

1880年代後半からセルロイドは乾板に代わって写真フィルムとして使われるようになった。それらの製造技術を開発したハンニバル・グッドウィン(Hannibal Goodwin)の会社が現在のイーストマン・コダック社の前身である。

日本では1877年頃に輸入が開始され、1908年には国産化されるようになった[1]

1889年、昇光舎が、セルロイドの生産をはじめた[2]

1910年、堺セルロイド(株)が、アメリカ式で生産をはじめた[2]

1911年7月、日本セルロイド人造絹糸(株)がドイツ方式でセルロイドの量産をはじめた[2]

1919年9月8日、大日本セルロイド(株)設立(堺セルロイド(株)・日本セルロイド人造絹糸(株)など8社の合併による。本社大阪。資本金1250万円。社長森田茂吉)[3]

1955年、セルロイド製品の火災事故が多発していた事を受けアメリカで可燃物質規制法が成立。これにより日本製のセルロイド玩具などは全てアメリカへ輸出できなくなった。またアメリカから広まったセルロイド製品の市場からの排除運動は世界へ広まり、世界的にセルロイドの製造や消費が落ち込むこととなった。

セルロイド最大の欠点は燃えやすいという性質で、業界では他の可塑剤も研究されたが見つからないままポリ塩化ビニルなどの後発の合成樹脂素材に取って代わられた[1]。1996年以降、日本国内では生産されていない[1]

用途

 
セルロイド製のピンポン玉

セルロイドは1930年代には文房具、工芸品、生活用品、玩具、映画フィルム、レコードなど25,000種類以上の製品に使用された[1]。しかし、燃えやすく、新しい樹脂の開発によって次第に用いられることはなくなった[1]

パチンコの装飾板やピンポン玉などセルロイドの使用が規制された製品もある[1]。ピンポン玉はオリンピックでは2012年ロンドンオリンピックで非セルロイド材質のものに切り替えられ[4]、2014年に非セルロイドの材質で製造することがルールで義務化された[5]

現代では、ギターピック、高級眼鏡のフレーム(ロイド眼鏡)、万年筆のペン軸、装身具などに使われているにすぎない[1]。またこのような分野においても、可燃性が無く環境に配慮した素材であるアセチルセルロース(アセチロイド)に代用される傾向がある[6][7]

セル画

セルアニメの製作に使われるセルは、セルロイドのシートを使用していたため、1950年代にトリアセチルセルロース製の製品が使われるようになってからも「セル画」と呼ばれている。

セルロイド人形

日本では東京府本田村(現・葛飾区)で1914年(大正3年)、人形などセルロイド製おもちゃの生産が始まり、多数が輸出された。発火しやすいことを問題視した、アメリカ合衆国連邦政府の輸入禁止により、産業としては衰退。2002年に製造を再開した、葛飾区の平井玩具製作所(外部リンク参照)が、2018年時点で日本唯一の生産会社である[8]

ギャラリー

特徴

加工

加熱(大体90℃)で軟化し、成形が簡単であることからかつて大量に使われた。

欠点

極めて燃え易く、摩擦熱などによって発火し易い。さらに光などで劣化し、耐久性が低いという欠点がある。

 
劣化が進んでいるセルロイド製の9.5mmフィルム

前者の欠点は致命的であり、セルロイド工場では素材の自己反応性による自然発火が、しばしば火災の原因となった。映画の初期作品(1950年代まで)はセルロイドをベースとしたフィルムで記録されており、映画館ではフィルム照明のアーク灯や電球の高温や摩擦によりセルロイドフィルムが発火するなどの事故も起きた。可燃性でフィルム自体が劣化しやすいセルロイドの特性は、フィルム原本の保管を基本とするフィルム保管施設の作品の長期アーカイブ上の課題となっている。また実際に日本では火災事故が起きている(フィルムセンター火災)。上述のとおり日本ではセルロイドは消防法の可燃性の規制対象物に指定され製造、貯蔵、取扱方法が厳しく定められている。

またセルロイド製品は長期にわたる光や酸素などの影響を受けると、元のセルロースと硝酸に分解・劣化して、ベトついたり、亀裂を生じたりしやすい。このため長期保存に向かず、無傷で現存しているアンティーク製品は多くはない。また分解過程で強酸性ガスを発生させ、セルロイド自身や周辺の金属などを、腐食させる可能性がある。

博物館

横浜市港北区にセルロイド産業文化の研究・広報拠点となるセルロイドライブラリ・メモワールハウス(セルロイドハウス横濱館)があり世界有数のセルロイド博物館となっている[1][9]

脚注

[脚注の使い方]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 岩井薫生. “伝えたい、セルロイドのこと”. 塩化ビニル環境対策協議会. 2020年1月15日閲覧。
  2. ^ a b c 明治工業史化学工業篇 日本工学編
  3. ^ 大日本セルロイド株式会社史
  4. ^ “プラスチックの材質分析例~ピンポン球の材質”. プラスチックス・ジャパン・ドットコム. 2020年1月15日閲覧。
  5. ^ “大切なお知らせ⇒危険です!『セルロイド』の卓球ボール”. 日本卓球 (2019年11月15日). 2022年11月2日閲覧。
  6. ^ “鉛筆に万年筆のふりをさせる補助具が長く愛される理由 登場から14年が経過した「ミミック」”. ITmedia NEWS. 2022年2月1日閲覧。
  7. ^ ダイセルグループの事例:セルロースアセテート樹脂「セルブレン EC、アセチ EC」 ~熱可塑性、機械的強度に優れたバイオマスプラスチック~
  8. ^ セルロイド人形の技 守る/「最後の職人」に葛飾のたこ焼店主 弟子入り/71歳の匠・平井さんが伝授『朝日新聞』朝刊2018年4月2日(東京面)
  9. ^ 神奈川新聞社 カナロコ 「セルロイド発明150年 横浜の研究施設、20年に公開へ」神奈川新聞 2018年6月18日(月)  2021年10月9日閲覧

関連項目

  • セル画
  • ロイド眼鏡
  • ダイセル(旧社名:大日本セルロイド)
  • 鉄道営業法鉄道車両内にセルロイドを持ち込ませない規制を定める。明治年間に制定。)
  • (鹿児島線列車火災事故)
  • 青い目の人形(アメリカから親善を目的として贈られた人形で、元々は童謡『青い眼の人形』が流行した時期の日本における呼称。実際はセルロイド製よりは他の材質の人形が大半であった。)
  • (白木屋 (デパート)#白木屋大火) - 1932年12月16日に発生した火災。売り場の可燃性のセルロイド人形も延焼の一因になったことから製造販売の縮小につながった。
  • ドール (太田裕美の曲) - 1978年に発売された太田裕美シングル曲で、サビの部分に「セルロイド」が登場。
  • セキグチ東京都葛飾区にある人形メーカーで、かつてはセルロイド人形を製造していた。)
  • 獣の戯れ - 三島由紀夫の長編小説(1961年)。セルロイドの櫛を削って粉にするなどし、これを発火させて規則違反の煙草を吸う受刑者のことが記されている。

外部リンク

  • セルロイド・ドリーム:平井玩具製作所。日本で唯一セルロイド人形を製作している。
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