初代アンソン男爵、ジョージ・アンソン(英: George Anson, 1st Baron Anson, PC, FRS 1697年4月23日 - 1762年6月6日)は、イギリスの海軍軍人・政治家。最終階級は海軍元帥。
初代アンソン男爵 ジョージ・アンソン George Anson, 1st Baron Anson | |
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アンソン卿 | |
生誕 | 1697年4月23日[1] イングランド王国 スタッフォードシャー (シューボロウ・ホール) |
死没 | 1762年6月6日 (65歳) グレートブリテン王国 ハートフォードシャー (ムーア・パーク) |
所属組織 | イギリス海軍 |
軍歴 | 1711年 - 1762年 |
最終階級 | 海軍元帥 |
生涯と業績
グレートヘイウッド村の(シューボロウ・ホール)で裕福な貴族の家に生まれる。1712年に海軍に入り、1724年にキャプテンになる。1740年から1744年に世界周航を達成し、国民的英雄となった。オーストリア継承戦争・ジェンキンスの耳の戦争の際にはフェニステレ岬の海戦でフランス王国に勝利。1747年にグレートブリテン貴族の爵位「アンソン男爵」を授けられ貴族院議員となる[1][2]。
七年戦争が勃発して、ニューカッスル公と大ピットの連立内閣が発足すると(海軍大臣)に再度就任。海軍増強計画をやりぬき、海戦の指揮をして対フランスの植民地での勝利に大きく貢献した。
1748年に『(世界周航航海記)』を執筆。同年に初代ハードウィック伯爵フィリップ・ヨークの娘エリザベスと結婚したが生涯子女に恵まれず、彼の死によりアンソン男爵の爵位は断絶した[1]。
彼の死後、イギリス海軍では彼の名を冠した軍艦が8隻建造された。特に、キング・ジョージ5世級戦艦の一つアンソンが有名。2022年、アスチュート級原子力潜水艦の一つアンソンが就役した。
出典
- ^ a b c この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Anson, George Anson, Baron". Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press.
- ^ "No. 8648". The London Gazette (英語). 9 June 1747. p. 2. 2015年9月6日閲覧。
参考文献
は列挙するだけでなく、(脚注)などを用いてしてください。 |
外部リンク
- Anson's Voyage Round the World - プロジェクト・グーテンベルク (英語)
- "ジョージ・アンソンの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
- George Anson, 1st Baron Anson (1697-1762) - ナショナル・ポートレート・ギャラリー (英語)
- George Anson - Find a Grave(英語)
- Adm George Anson - Find a Grave(英語)
(グレートブリテン議会) | ||
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先代 (第6代モントレイス伯爵) (ジョージ・バークリー) | (ヘドン選挙区)選出庶民院議員 1744年–1747年 | 次代 (サー・ジョン・サヴィル) (ルーク・ロビンソン) |
公職 | ||
先代 第4代サンドウィッチ伯爵 | 海軍大臣 1751年–1756年 | 次代 第2代テンプル伯爵 |
先代 第8代ウィンチルシー伯爵 | 海軍大臣 1757年–1762年 | 次代 第2代ハリファックス伯爵 |
軍職 | ||
先代 (ヴィア・ビュークラーク卿) | 上級海軍卿 1749年–1751年 | 次代 (サー・ウィリアム・ロウリー) |
先代 (サー・ジョージ・クリントン) | 海軍元帥 1761年–1762年 | 次代 (サー・ウィリアム・ロウリー) |
名誉職 | ||
先代 (サー・ジョン・ノリス) | (イギリス海軍中将) 1749年–1762年 | 次代 (ヘンリー・オズボーン) |
グレートブリテンの爵位 | ||
爵位創設 | アンソン男爵 1747年–1762年 | 廃絶 |