人物・来歴
イタリアのフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州ポルデノーネ県プラータ・ディ・ポルデノーネで生まれる。
1955年、17歳のときに(ジュゼッペ・ベナーティ)監督の『女に冗談を言うな』、カルロ・リッツァーニ監督の『くぎぬき』に出演して、映画界にデビューした。1958年には、ジョセフ・L・マンキウィッツ監督のアメリカ映画『静かなアメリカ人』に出演した。1963年には、イタリアでロケーション撮影を行ったジャン=リュック・ゴダール監督の『軽蔑』、ジョゼ・ベナゼラフ監督の『(湖のもだえ)』にも出演した。
1960年代には歌手としても活動し、EP盤も出している[1]。この中ではピエロ・チャンピ (Piero Ciampi) が作詞した1963年の Ballata per un amore perduto (Ballade a Sylvie)/Nato in settembre がよく知られている。
1970年以降は映画から遠ざかっていたが、46歳になる1984年にアルベルト・ソルディの監督作で1作のみ復帰した。現在は写真家である。
おもなフィルモグラフィ
- 女に冗談を言うな (Non scherzare con le donne) : 監督(ジュゼッペ・ベナーティ)、1955年
- くぎぬき (Lo svitato) : 監督カルロ・リッツァーニ、1955年
- (我は我が恋をつらぬく) : 監督(ジュリオ・マッキ)、1956年
- (わが息子暴君ネロ) (Mio figlio Nerone) : 監督ステーノ、1956年
- (乙女の館) : 監督(ラルフ・アビブ)、1957年
- 都会の結婚 (Mariti in città) : 監督ルイジ・コメンチーニ、1958年
- 静かなアメリカ人 (The Quiet American) : 監督ジョセフ・L・マンキウィッツ、1958年
- (青い海岸) : 監督(ヴィットリオ・サラ)、1959年
- コザック (Agi murad il diavolo bianco) : 監督(ジョルジオ・リヴァルタ)、1959年
- (快傑白魔) : 監督リカルド・フレーダ、1959年
- (サビーヌの掠奪) (Il Ratto delle sabine) : 監督(リシャール・ポティエ)、1960年
- (くち紅) : 監督ダミアーノ・ダミアーニ、1960年
- バグダッドの盗賊 (Il ladro di Bagdad) : 監督(アーサー・ルービン)、1961年
- 軽蔑 : 監督ジャン=リュック・ゴダール、1963年
- (孤島の男と女) : 監督(モートン・ダコスタ)、1963年
- (湖のもだえ) : 監督ジョゼ・ベナゼラフ、1963年
- (必殺の歓び) : 監督セルジオ・ソリーマ、1965年 - エディス役
- (天使の詩) (Incompreso) : 監督ルイジ・コメンチーニ、1966年
- (南から来たスパイ) : 監督ルイジ・コメンチーニ、1968年
- (ブロンドの罠) (La Blonde de Pékin) : 監督(ニコラ・ジェスネル)、1967年
- (ギャング・ザ・ヒーロー/銃撃の逃避行) : 監督(ヘルムート・フォンバッハ)、1968年
- Tutti dentro : 監督アルベルト・ソルディ、1984年
おもなディスコグラフィ
- シングル
- Ballata per un amore perduto (Ballade a Sylvie) / Nato in settembre : Ariel, NF 506、1964年
- Sentila...quante bugie / L'amore viene passa e va : Vis Radio, VLMQN 056432、1968年
註
- ^ Simone Coacci. “Piero Ciampi :: Onda Rock” (イタリア語). Onda Rock. 2009年7月28日閲覧。
外部リンク
画像外部リンク | |
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ジョルジア・モルとオーディ・マーフィ - Audiemurphy.com 公式サイト、『静かなアメリカ人』、1957年 |
- Giorgia Moll - IMDb(英語)