ルイジ・コメンチーニ(Luigi Comencini, 1916年6月8日 – 2007年4月6日)は、イタリアの映画監督、脚本家である。ディーノ・リージ、エットーレ・スコラ、マリオ・モニチェリとともに「イタリア式コメディ Commedia all'italiana」の重要人物とされる[1]。イタリアのフィルムアーカイヴ(チネテカ・イタリアーナ)の創立者のひとり。
来歴・人物
1916年(大正5年)6月8日、イタリア・ロンバルディア州サロで生まれる。ミラノで建築を学ぶ。映画批評家として活躍した後、映画監督となった。
1937年(昭和12年)、21歳のときにドキュメンタリー映画 La Novelletta (『ラ・ノヴェレッタ』)を撮る。1949年(昭和24年)12月16日、カルロ・ポンティプロデュースのもと長編劇映画 L'Imperatore di Capri (『カプリの皇帝』、日本未公開)がローマで公開され、最初の成功を得る。
2007年(平成19年)4月6日、ローマで死去した。満90歳没。
4人の娘がおり、そのうちのクリスチナ(1956年 ローマ - )とフランチェスカ(1961年8月19日 ローマ - )は映画監督・脚本家に、パオラはプロダクション・デザイナー(美術デザイナー、衣裳デザイナー)となり、エレノアはプロダクション・マネージャーを経験した。
おもなフィルモグラフィ
特筆以外は監督作である。
- La Novelletta(『ラ・ノヴェレッタ』) : 1937年 - 初監督作
- 『カプリの皇帝』L'Imperatore di Capri : 1949年
- 『(街は自衞する)』 La Città si difende : 監督ピエトロ・ジェルミ、1951年 - 原案
- 『(アルプスの少女ハイジ)』 Heidi : 1952年
- 『パンと恋と夢』 Pane, amore e fantasia : 1953年 - ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞
- 『パンと恋と嫉妬』 Pane, amore e gelosia : 1954年
- 『(みんな帰ろう)』 Tutti a casa : 1960年
- 『ブーベの恋人』 La Ragazza di Bube : 1963年
- 『(愛してご免なさい)』 Tre notti d'amore : 1964年
- 『バンボーレ』 Le Bambole : 1965年
- 『(天使の詩)』 Incompreso : 1966年
- 『ミラノの恋人』 Delitto d'amore : 1974年
- 『レディドール/青い欲望』 Mio Dio Come Sono Caduta In Basso? : 1974年
- 『(マルセリーノ・パーネ ヴィーノ)』 Marcellino : 1991年 - 遺作
註
- ^ 英語版WikipediaLuigi Comenciniの記述による。