ジャック・ハインツ(Jack Heinz)ことヘンリー・ジョン・ハインツ2世(Henry John Heinz II、1908年7月10日 - 1987年2月23日)は、アメリカ合衆国の実業家であり、19世紀に祖父のヘンリー・J・ハインツが創業した食品メーカー・ハインツの3代目社長である。
若年期と初期のキャリア
ハインツは1908年7月10日にペンシルベニア州ピッツバーグで生まれた。父はハインツの2代目社長ハワード・コヴォード・ハインツ(Howard Covode Heinz)、母はエリザベス・グレンジャー・ラスト(Elizabeth Granger Rust)である。弟にラスト・ハインツがいる。
チョート・ローズマリー・ホールを卒業してイェール大学に入学した。大学在学中に、スカル・アンド・ボーンズに入会した。その後、オックスフォード大学で学位を得た。在学中も夏休みの間は、父が経営するハインツ社の工場で簿記や手伝いをしていた。大学卒業後、イギリスでハインツ社の営業の仕事をした[1]。
ハインツ社社長
ハインツは大学を卒業してすぐにハインツ社に入社し、様々な部門を経験した。1941年に父が亡くなり、ハインツが3代目社長に就任した。
第二次世界大戦中の一時期、ピッツバーグにあるハインツ社の工場で陸軍省のグライダーの製造を行った[2]。爆撃を受けたロンドン郊外の工場の視察や、イギリス政府からの要請で食糧不足を解決するために、第二次世界大戦中にイギリスを5回訪問した。また、統一戦争基金(United War Fund)の会長に就任し、ピッツバーグやその周辺で、食料の配給や節約に関する演説を毎日のように行っていた。この活動は戦後に(コミュニティ・チェスト)(共同募金)となり、全米に支部を持つ組織(ユナイテッド・ウェイ)になった。
ハインツの下で、ハインツ社はオランダ、ポルトガル、ベネズエラ、日本、イタリアに子会社を設立し、国際的な企業に成長した[3]。ハインツの在任中、スターキスト(Star-Kist)とオレアイダ(Ore-Ida)を買収して傘下に収めた。また、中国本土におけるベビーフード工場の開設の指揮をとった。
1966年、ハインツは社長兼CEOを辞任して会長に就任し、後任のCEOに初の創業家以外の人物である(ロバート・バート・グーキン)を指名した。ハインツは亡くなるまで会長の地位にあった。
慈善活動
ハインツは、金融家の(リチャード・キング・メロン)やピッツバーグ市長の(デイヴィッド・L・ローレンス)と共に、ピッツバーグの向上と近代化のための計画「ルネサンスI」を立ち上げた。この計画に基づいて、製鉄所からの煙を規制する条例や、河川の水質改善、環境保護のための条例が制定された。
ハインツは、ピッツバーグ・ダウンタウンへの(文教地区)の建設を推進した。1941年に(ハインツ基金)を創設し、亡くなるまでその理事長を務めた。1964年、閉鎖され壊される予定だった劇場を購入し、修復して(ハインツ・ホール)として開場させ、ピッツバーグ交響楽団の本拠地とした[4]。
ハインツは、ピッツバーグ市当局によるNHLチームの誘致に資金を提供し、1967年に創設されたピッツバーグ・ペンギンズの共同オーナーを1970年代初頭まで務めた[5]。
政治活動
ハインツは、生涯を通じて共和党支持者だった。
1935年から1936年までピッツバーグの消防署長、1938年から1942年までアレゲニー郡の(保安官)を務めた[6]。
1948年から1951年まで国際商業会議所のアメリカ支部長を務めた。ドワイト・D・アイゼンハワー大統領からの指名により、パキスタンへの緊急経済支援団の団長を務めた。1958年と1959年には、国際連合欧州経済委員会のアメリカ代表団長を務めた。また、ビルダーバーグ会議の運営委員も務めた[7]。
栄誉
1979年、大英帝国勲章名誉コマンダーを授与された。また、イタリア、フランス、ギリシャからも勲章を授与されている。
私生活
1935年、女性飛行士のパイオニアであるジョーン・ディール(Joan Diehl)と結婚し、ピッツバーグ郊外の(フォックス・チャペル)に家を構えた。2人の間にはヘンリー・ジョン・ハインツ3世(ジョン・ハインツ)が生まれた。ジョーンとは1942年に離婚した。一人息子のジョンはジョーンに引き取られたが、夏の間は実父のジャックの元で過ごした。ジョン・ハインツは、ハインツ社の社員として5年間在籍した後、下院議員を経て上院議員となったが、1991年に飛行機事故で死亡した。
1953年にドゥルー・マー(Drue Maher)と再婚した。ドゥルーとの間に子供はいなかった。
死去
脚注
- ^ “John Heinz: A Western Pennsylvania Legacy”. 2013年7月8日閲覧。
- ^ “Collection of H.J. Heinz Co.”. Historical Society of Western Pennsylvania. 2013年7月8日閲覧。
- ^ “Henry J. Heinz; Ex-Chairman of Food Empire”. Los Angeles Times. 2013年7月8日閲覧。
- ^ “Loew's Penn Theatre | Historic Pittsburgh”. 2022年2月14日閲覧。
- ^ “”. Pittsburghhockey.net. 2012年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月26日閲覧。
- ^ “Richard Smith, Ex-Fire Chief, Dies in South”. (Pittsburgh Post-Gazette): p. 8. (1949年8月27日)2012年8月17日閲覧。
- ^ “”. bilderbergmeetings.org. (Bilderberg Group). 2014年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月8日閲覧。
- ^ “HENRY JOHN HEINZ 2D DIES AT 78; LED INTERNATIONAL FOOD COMPANY”. (1987年2月24日)2015年5月6日閲覧。
- Alberts, Robert C. (1973). The Good Provider: H. J. Heinz and His 57 Varieties. Boston: (Houghton Mifflin Company). ISBN (0-395-17126-1)