経歴
「新興産業」も参照
馬主活動
日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は黒、冠名には自身の経営していた会社名より「シンコウ」を用いた。また、馬選びのアドバイザーとして(鬼塚義臣)を起用していた[1]。
当初は地方競馬の大井競馬場で競走馬を所有[1]。最初の所有馬であるシナノカオリは14戦7勝の戦績を残した[1]。その後、JRAの調教師である藤沢和雄や国枝栄との出会いを経て、1990年頃に中央競馬の馬主資格を取得した[1][注 1]。
1997年には沙流郡門別町に生産牧場・シンコーファーム(こちらには冠名の「シンコウ」ではなく「シンコー」と記す[注 2])を開設し、オーナーブリーダーとしても活動。のち2001年には代表生産馬レディパステルが優駿牝馬に優勝すると、2002年に新興産業から独立して株式会社化。生産専門のマーケットブリーダーとして、その後もフミノイマージン[2]などの活躍馬を送り出していたが、その後解散した。
来歴
主な所有馬
GI級競走優勝馬
- シンコウラブリイ(1992年ニュージーランドトロフィー4歳ステークス、ラジオたんぱ賞、クイーンステークス、1993年マイルチャンピオンシップ、毎日王冠、スワンステークス)
- シンコウキング(1997年高松宮杯)
- シンコウウインディ(1996年ユニコーンステークス、平安ステークス、1997年フェブラリーステークス)
- シンコウフォレスト(1997年阪急杯、1998年高松宮記念、1999年函館スプリントステークス)
重賞競走優勝馬
- シンコウアンクレー(1991年(中山大障害・春))
- シンコウスプレンダ(1998年京成杯オータムハンデキャップ、2000年エルムステークス)
その他の所有馬
- クエストフォベスト(種牡馬)
- シンコウエドワード(1998年NHKマイルカップ2着、2000年ダービー卿チャレンジトロフィー2着、2001年東京新聞杯2着[注 3])
- シンコウカリド(2001年スプリングステークス2着[注 4])
- シンコウシングラー(1998年セントライト記念3着、1999年アルゼンチン共和国杯3着、種牡馬。シンコウシングラー事件で知られる[注 5])
- サラトガデュー(繁殖牝馬)