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シャープ・ホークス(Sharp Hawks)は、1963年に結成されたグループ・サウンズのバンド(コーラスグループ)。1969年に解散。
メンバー
シャープ・ホークス
- 野沢裕二(ボーカル)1942年6月2日生まれ。愛称:トミー スペイン系
- 安岡力也(ボーカル)1947年7月19日生まれ。愛称:リキヤ イタリア系
- 鈴木忠男(ボーカル)1945年3月19日生まれ。愛称;サミー フィリピン系
- 小山真佐夫(ボーカル)1946年生まれ。愛称:アンディ ロシア系 1967年脱退
- ジミー・レノン(ボーカル)1947年12月12日生まれ。愛称:ジミー、モグラ 父はイギリス系アメリカ人 小山の後任。1967年加入
- (山岡健二)(ボーカル)初期のみ在籍
- 加古幸子(ボーカル)初期のみ在籍...後のサリー・メイ
ザ・シャープ・ホークス
- ジミー・レノン(ボーカル)
- 安岡力也(ボーカル)
- 鈴木忠男(ギター)
- 野沢裕二(ドラムス)
- (美島哲也)(ギター)1947年生まれ。愛称:マウス
- (秋月克衛)(ベース)1948年生まれ。愛称:シャック
安岡力也とシャープ・ホークス
概要
歌って踊れる異色の混血グループとして1963年3月、野沢裕二、安岡力也、鈴木忠男、山岡健二、加古幸子(のちのサリー・メイ)の5人で結成。初舞台は同年5月の日劇ウエスタンカーニバル。そのグループ名の由来は所属事務所である東京第一プロダクション(現:第一プログループ)社長の岸部清より「鷹のように鋭く歌え!」との言葉から。
幾度かのメンバーチェンジの後、5人組のバックバンドが加わり一時期は10人の大所帯となるが、1965年にバックバンドは井上宗孝とシャープ・ファイブとして独立。野沢、安岡、鈴木、小山の4人でキング・レコードより1966年9月にデビュー。1967年春に小山が脱退、代わりに大阪のバンド「チェックメイツ」[1]からアメリカニュージャージー州生まれの兵庫県尼崎市育ちで甲子園への出場経験がある柴治美(ジミー・レノン)が参加。12月のシャープ・ファイブのレコード会社移籍に伴い契約問題からバッキング演奏が不可能となり、1968年にバンド形態のザ・シャープ・ホークスへと再編するも1969年に解散した。
その後、安岡ひとりを残して新生シャープ・ホークスとして再スタートするがシングル一枚のみで解散した。
なお、ジミー・レノンはグループ解散後1969年秋よりファッションモデルへ転向、人気を得て1980年代半ばまで第一線で活動後、モデルクラブ「(フェイセス・ギルド)」を設立。
小山真佐夫はバンド脱退後、ソロ歌手に転向。「アンディ」名義で活動を始めた。アイ・ジョージとともに国内や海外でライブツアーを積極的に行う。1982年、東京音楽祭で新人奨励賞受賞。1983年にはアニメ『機甲創世記モスピーダ』の主題歌を歌い、当時のアニメ雑誌(アニメディア、ジ・アニメなど)で行われた人気主題歌ランキングでも上位に食い込んだ。その後「アンディ小山」と名義を変更し、歌手活動を続ける傍らボーカルスクールで講師を務め後進を指導している。現在は岩手県を拠点に活動をしている[1]。
ディスコグラフィー
シングル
- ついておいで/キュン!キュン!キュン!(1966年9月1日)
- 遠い渚/いつものところで(1966年12月1日)
- 若い夜/愛の土曜日(1967年4月1日)
- 海へかえろう/星のカーニヴァル(1967年8月1日)
- レット・ミー・ゴー!/ロンリー・ラヴ(1967年12月20日)
- オーケイ!/テル・ミー(1968年1月20日)
- ジーザス!/スオミの乙女(1968年8月1日)ザ・シャープ・ホークス
- この胸に十字架を/愛の砂丘(1969年4月1日)安岡力也とシャープ・ホークス
アルバム
- ゴー!ゴー!シャープ・ホークス!(1968年1月20日)
オムニバス
- レッツ・ゴー・ビート・キャラバン!(1967年8月10日)「遠い渚」「若い夜」の別バージョン収録。