ザクセン=ゴータ(ドイツ語: Sachsen-Gotha)は1640年から1680年まで存在した、ヴェッティン家エルネスティン系が統治した公国。領土は現ドイツのテューリンゲン州の一部にあたる。
ザクセン=ゴータ公国 | ||||||
Herzogtum Sachsen-Gotha | ||||||
神聖ローマ帝国の領邦 | ||||||
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ザクセン=ゴータの領土、1672年 - 1680年 | ||||||
首都 | ゴータ | |||||
政府 | 公国 | |||||
歴史・時代 | 前近代ヨーロッパ | |||||
• | ザクセン=ヴァイマルから分割 | 1640年 | ||||
• | ザクセン=アイゼナハの半分を獲得 | 1644年 | ||||
• | ザクセン=アルテンブルクの大半を獲得 | 1672年 | ||||
• | 7公国に分割 | 1680年 | ||||
歴史
1640年、(ザクセン=ヴァイマル公)ヴィルヘルムは弟のエルンスト1世のためにザクセン=ゴータの分領を創設した。エルンスト1世はゴータに居を構え、1643年から1654年まで自らの居城である(フリーデンシュタイン城)を築き上げた。また同時に(ザクセン=アイゼナハ公国)も創設され、三男坊の(アルブレヒト4世)が公位についた。
アルブレヒト4世は1644年に子のないまま死去、ヴィルヘルムが首都のアイゼナハとヴァルトブルクを獲得した一方、エルンスト1世は残りの大部分を相続した。1660年、エルネスティン家とアルベルティン家の間で数十年間争われた(ヘンネベルク家)領の相続[1]がようやく決着、ザクセン=ゴータもその一部を併合した。1672年にザクセン=アルテンブルク公フリードリヒ・ヴィルヘルム3世が後継者のないまま死去すると、エルンスト1世は妻(エリザベート・ゾフィー・フォン・ザクセン=アルテンブルク)を通してザクセン=アルテンブルクの大半を併合した。このとき、エルンスト1世はザクセン=ゴータ=アルテンブルク公の称号を得た。
1675年にエルンスト1世が死去するときには公国の所領が創設時より大きく拡大した。長男の(フリードリヒ1世)はまず弟たちと共同で統治し、続いて1680年に公国を分割した。フリードリヒ1世はゴータとアルテンブルク、およびザクセン=ゴータ=アルテンブルク公の称号を維持した。これ以降の歴史はザクセン=ゴータ=アルテンブルクを参照のこと。
ザクセン=ゴータ公の一覧
- エルンスト1世(1601年 - 1675年)
- (フリードリヒ1世)(1646年 - 1691年) - 1680年まで、6人の弟と共同統治。1680年に弟に領土を分け与えた。
- (アルブレヒト5世)(1648年 - 1699年) - (ザクセン=コーブルク公)
- (ベルンハルト1世)(1649年 - 1706年) - (ザクセン=マイニンゲン公)
- ハインリヒ(1650年 - 1710年) - ザクセン=レムヒルト公
- クリスティアン(1653年 - 1707年) - ザクセン=アイゼンベルク公
- (エルンスト)(1655年 - 1715年) - ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公
- (ヨハン・エルンスト4世)(1658年 - 1729年) - (ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公)
脚注
参考文献
- Saxe-Gotha, Columbia Encyclopedia, Sixth Edition, Columbia University Press (2001–05), accessed January 27, 2007.