» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

ゴラン・イワニセビッチ

ゴラン・シムン・イワニセビッチGoran Šimun Ivanišević, クロアチア語発音: [ɡǒran iʋanǐːʃɛʋitɕ], 1971年9月13日 - )は、クロアチアスプリト出身の男子プロテニス選手、テニス指導者。自己最高ランキングはシングルス2位、ダブルス20位。ATPツアーシングルス22勝、ダブルス9勝。姓の原音により近い表記はイヴァニシェヴィッチであるが、報道等ではイワニセビッチが一般的である。

ゴラン・イワニセビッチ
Goran Ivanišević
2004年ウィンブルドンでプレーする
ゴラン・イワニセビッチ
基本情報
フルネーム Goran Šimun Ivanišević
国籍 クロアチア
出身地 同・スプリト
生年月日 (1971-09-13) 1971年9月13日(51歳)
身長 193cm
体重 81kg
利き手
バックハンド 両手打ち
殿堂入り 2020年
ツアー経歴
デビュー年 1988年
引退年 2004年
ツアー通算 31勝
シングルス 22勝
ダブルス 9勝
生涯通算成績 862勝558敗
シングルス 599勝333敗
ダブルス 263勝226敗
生涯獲得賞金 $19,878,007
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(1989・94・97)
全仏 ベスト8(1990・92・94)
全英 優勝(2001)
全米 ベスト4(1996)
優勝回数 1(英1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 2回戦(1990・94)
全仏 準優勝(1990・99)
全英 3回戦(1989・93)
全米 ベスト8(1997)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 2位(1994年7月4日)
ダブルス 20位(1992年1月6日)
獲得メダル
男子 テニス
オリンピック
1992 バルセロナ シングルス
1992 バルセロナ ダブルス
テンプレート  プロジェクト テニス

2001年ウィンブルドン選手権男子シングルス優勝者。また3度の準優勝がある。ATPマスターズシリーズ優勝3回。

プレースタイル

身長193cmの長身から繰り出される左利きの高速サーブを最大の武器とした1990年代を代表するビックサーバー。イワニセビッチのサーブは“サンダー・サーブ”という愛称で呼ばれ、左利きのクイックモーションから打ち出される高速サーブは、通算サービスエース数10,183本の歴代1位記録を長年保持した等、サービスエースを連発していた。(現在は、同国の後輩にあたるイボ・カロビッチが10,247本のサービスエースを記録し、更新している。)

選手経歴

プロ入り、ウィンブルドン無冠の帝王

1988年にプロ入り。4大大会初出場は同年のウィンブルドン選手権で、1回戦でアモス・マンスドルフに敗れた。1989年全豪オープンでイワニセビッチはミロスラフ・メチージュとの準々決勝まで勝ち進み、同年の全仏オープンではステファン・エドベリとの4回戦まで進出している。イワニセビッチが世界的な知名度を高めたのは、1990年全仏オープン1回戦で第2シードのボリス・ベッカーを5-7, 6-4, 7-5, 6-2で破り、トーマス・ムスターとの準々決勝に進出した時だった(この全仏オープンは、第1シードのエドベリと第2シードのベッカーが同時に1回戦で敗退する珍事で幕を開けた大会であった)。続くウィンブルドン選手権で、イワニセビッチはノーシードから初めての準決勝に進出し、再びベッカーと連戦する。この時は6-4, 6-7, 0-6, 6-7で敗れたが、この一連の活躍で18歳のイワニセビッチは将来有望株として評判を高めた。

しかし、イワニセビッチのキャリアは苦難の連続だった。1992年ウィンブルドン選手権で初めての決勝進出を果たしたが、アンドレ・アガシに7-6, 4-6, 4-6, 6-1, 4-6のフルセットで敗れて準優勝。同年にはバルセロナ五輪において単複銅メダルを獲得している。1994年1998年にもウィンブルドン選手権の決勝まで進出するが、ともにピート・サンプラスに敗れ、3度の準優勝で“無冠の帝王”と呼ばれた。

イワニセビッチはウィンブルドン選手権での印象が強いためか、(最初期を除いて)他の4大大会での活躍はあまり目立たない。しかし1996年全米オープンではベスト4に進出している。ダブルスの分野でも、1990年1999年全仏オープン男子ダブルスでの2度準優勝があった。1990年の全仏男子ダブルスではペトル・コルダと組み、1999年ジェフ・タランゴと組んだ。

2001年ウィンブルドン初優勝

その後肩の故障から世界ランキングを大きく落とし、2001年ウィンブルドン選手権主催者推薦での出場となった。この年は第2週から連日雨に悩まされ、試合日程の消化が大幅に遅れたが、その過酷さを勝ち抜いて3年ぶり4度目の決勝進出を果たす。この道のりは、決して平坦ではなく、2回戦以降、カルロス・モヤアンディ・ロディックマラト・サフィンなどの強敵を次々と下し、準決勝では地元のティム・ヘンマンを7-5, 6-7, 0-6, 7-6, 6-3の死闘の末に退けた。決勝戦ではパトリック・ラフターと激闘を繰り広げ、6-3, 3-6, 6-3, 2-6, 9-7のフルセットの末に悲願のウィンブルドン初優勝を果たした。クロアチア人テニス選手の4大大会優勝は、1997年全仏オープン女子シングルス優勝者イバ・マヨリである。イワニセビッチは男子の初優勝者となった。

現役引退、その後

2004年ウィンブルドン選手権3回戦でレイトン・ヒューイットに2-6, 3-6, 4-6で敗れ、現役を引退した。

現役引退後は一時投資家として建設業などへ投資していたが、投資した事業がほとんど失敗し、一時は破産寸前に追い込まれたと伝えられている[1]

2011年のPBZザグレブ・インドアで後輩のマリン・チリッチと組んでダブルスに出場、1回戦で敗退している。またデビスカップ2012では、一時クロアチアチームの監督代行も務めた[1]

2014年から2016年の間マリン・チリッチのコーチに従事し[2]2014年全米オープン男子シングルスにてクロアチア人では自身以来の4大大会優勝に導いた。2019年6月からはノバク・ジョコビッチのコーチに従事している[3]

イワニセビッチは2020年に国際テニス殿堂入りを果たした。

人物

サッカー好きで、特に地元チームであるハイドゥク・スプリトのサポーターとして知られる[4]2001年ウィンブルドン選手権優勝後には実際に同チームと選手契約を交わしており、本当に試合に出場するのではないかとも噂された[5]。2013年現在、息子たちを4部リーグのNKクストシャでプレーさせているが、ハイドゥクとクストシャが直接対決した際にはハイドゥクの応援に回り、息子の不興を買った[6]

ATPツアー決勝進出結果

シングルス: 49回 (22勝27敗)

サーフェス別タイトル
ハード (3–8)
クレー (3-6)
芝 (2-4)
カーペット (14-9)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 1989年5月22日   (フィレンツェ) クレー   (オラシオ・デ・ラ・ペーニャ) 4-6, 3-6
準優勝 2. 1990年5月14日   ウマグ クレー   (ゴラン・プルピッチ) 3-6, 6-4, 4-6
優勝 1. 1990年7月16日   シュトゥットガルト クレー   (ギリェルモ・ペレス=ロルダン) 6-7(2-7), 6-1, 6-4, 7-6(7-5)
準優勝 3. 1990年8月20日   ロングアイランド ハード   ステファン・エドベリ 6-7(3-7), 3-6
準優勝 4. 1990年9月10日   (ボルドー) クレー   ギー・フォルジェ 4-6, 3-6
準優勝 5. 1990年9月24日   バーゼル カーペット (室内)   ジョン・マッケンロー 7-6(7-4), 6-4, 6-7(3-7), 3-6, 4-6
優勝 2. 1991年6月17日   (マンチェスター)   ピート・サンプラス 6-4, 6-4
準優勝 6. 1991年8月12日   ニューヘイブン ハード   ペトル・コルダ 4-6, 2-6
優勝 3. 1992年1月5日   アデレード ハード   (クリシャン・ベリストロム) 1-6, 7-6(7-5), 6-4
優勝 4. 1992年2月17日   (シュトゥットガルト) カーペット (室内)   ステファン・エドベリ 6-7(5-7), 6-3, 6-4, 6-4
準優勝 7. 1992年3月3日   (ミラノ) カーペット (室内)   (オマール・カンポレーゼ) 6-3, 3-6, 4-6
準優勝 8. 1992年7月5日   ウィンブルドン   アンドレ・アガシ 7-6(10-8), 4-6, 4-6, 6-1, 4-6
優勝 5. 1992年10月5日   (シドニー) ハード (室内)   ステファン・エドベリ 6-4, 6-2, 6-4
優勝 6. 1992年10月26日   ストックホルム カーペット (室内)   ギー・フォルジェ 7-6(7-2), 4-6, 7-6(7-5), 6-2
準優勝 9. 1993年1月11日   ドーハ ハード   ボリス・ベッカー 6-7(4-7), 6-4, 5-7
準優勝 10. 1993年5月10日   ローマ クレー   ジム・クーリエ 1-6, 2-6, 2-6
優勝 7. 1993年9月13日   ブカレスト クレー   アンドレイ・チェルカソフ 6-2, 7-6(7-5)
優勝 8. 1993年10月18日   ウィーン カーペット (室内)   トーマス・ムスター 4-6, 6-4, 6-4, 7-6(7-3)
準優勝 11. 1993年10月25日   ストックホルム カーペット (室内)   ミヒャエル・シュティヒ 6-4, 6-7(6-8), 6-7(3-7), 2-6
優勝 9. 1993年11月7日   パリ カーペット (室内)   アンドレイ・メドベデフ 6-4, 6-2, 7-6(7-2)
準優勝 12. 1994年2月14日   (シュトゥットガルト) カーペット (室内)   ステファン・エドベリ 6-4, 4-6, 2-6, 2-6
準優勝 13. 1994年7月3日   ウィンブルドン   ピート・サンプラス 6-7(2-7), 6-7(5-7), 0-6
優勝 10. 1994年8月7日   キッツビュール クレー   ファブリス・サントロ 6-2, 4-6, 4-6, 6-3, 6-2
準優勝 14. 1994年9月12日   ブカレスト クレー   (フランコ・ダビン) 2-6, 4-6
優勝 11. 1994年10月10日   東京 カーペット (室内)   マイケル・チャン 6-4, 6-4
準優勝 15. 1994年10月24日   ストックホルム カーペット (室内)   ボリス・ベッカー 6-4, 4-6, 3-6, 6-7(4-7)
準優勝 16. 1995年5月14日   ハンブルク クレー   アンドレイ・メドベデフ 3-6, 2-6, 1-6
優勝 12. 1995年12月18日   ミュンヘン カーペット (室内)   トッド・マーティン 7-6(7-4), 6-3, 6-4
準優勝 17. 1996年1月15日   シドニー ハード   トッド・マーティン 7-5, 3-6, 4-6
優勝 13. 1996年2月5日   ザグレブ カーペット (室内)   セドリック・ピオリーン 3-6, 6-3, 6-2
優勝 14. 1996年2月12日   ドバイ ハード   アルベルト・コスタ 6-4, 6-3
準優勝 18. 1996年2月19日   (アントワープ) カーペット (室内)   ミヒャエル・シュティヒ 3-6, 2-6, 6-7(5-7)
優勝 15. 1996年3月3日   (ミラノ) カーペット (室内)   マルク・ロセ 6-3, 7-6(7-3)
優勝 16. 1996年3月11日   ロッテルダム カーペット (室内)   エフゲニー・カフェルニコフ 6-4, 3-6, 6-3
準優勝 19. 1996年3月31日   マイアミ ハード   アンドレ・アガシ 0-3, 途中棄権
準優勝 20. 1996年8月12日   インディアナポリス ハード   ピート・サンプラス 6-7(3-7), 5-7
優勝 17. 1996年11月11日   モスクワ カーペット (室内)   エフゲニー・カフェルニコフ 3-6, 6-1, 6-3
準優勝 21. 1996年12月3日   ミュンヘン カーペット (室内)   ボリス・ベッカー 3-6, 4-6, 4-6
優勝 18. 1997年2月3日   ザグレブ カーペット (室内)   グレグ・ルーゼドスキー 7-6(7-4), 4-6, 7-6(7-6)
準優勝 22. 1997年2月10日   ドバイ ハード   トーマス・ムスター 5-7, 6-7(3-7)
優勝 19. 1997年3月2日   (ミラノ) カーペット (室内)   セルジ・ブルゲラ 6-2, 6-2
準優勝 23. 1997年6月9日   ロンドン   マーク・フィリプーシス 5-7, 3-6
優勝 20. 1997年10月13日   ウィーン カーペット (室内)   グレグ・ルーゼドスキー 3-6, 6-7(4-7), 7-6(7-4), 6-2, 6-3
優勝 21. 1998年2月9日   (スプリト) カーペット (室内)   グレグ・ルーゼドスキー 7-6(7-3), 7-6(7-5)
準優勝 24. 1998年7月5日   ウィンブルドン   ピート・サンプラス 7-6(7-2), 6-7(9-11), 4-6, 6-3, 2-6
準優勝 25. 1998年8月17日   ニューヘイブン ハード   カロル・クチェラ 4-6, 7-5, 2-6
準優勝 26. 1998年10月5日   上海 カーペット (室内)   マイケル・チャン 6-4, 1-6, 2-6
準優勝 27. 1998年11月16日   モスクワ カーペット (室内)   エフゲニー・カフェルニコフ 6-7(2-7), 6-7(5-7)
優勝 22. 2001年7月9日   ウィンブルドン   パトリック・ラフター 6-3, 3-6, 6-3, 2-6, 9-7

ダブルス: 19回 (9勝10敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 1988年10月17日   (フランクフルト) カーペット (室内)   (リューディガー・ハース)   (ジェレミー・ベイツ)
  (トム・ネイセン)
1-6, 7-5, 6-3
準優勝 1. 1989年10月2日   (パレルモ) クレー   (ディエゴ・ナルジーソ)   (ペーター・バラウフ)
  (リューディガー・ハース)
2-6, 7-6, 4-6
準優勝 2. 1990年2月19日   (ブリュッセル) カーペット (室内)   (バラージュ・タローツィ)   エミリオ・サンチェス
  (スロボダン・ジボイノビッチ)
5-7, 3-6
準優勝 3. 1990年6月10日   全仏オープン クレー   ペトル・コルダ   (セルヒオ・カサル)
  エミリオ・サンチェス
5-7, 3-6
準優勝 4. 1990年8月20日   ニューヘイブン ハード   ペトル・コルダ   (ジェフ・ブラウン)
  (スコット・メルヴィル)
5-7, 6-7
優勝 2. 1991年2月4日   (ミラノ) カーペット (室内)   (オマール・カンポレーゼ)   シリル・スーク
  (トム・ネイセン)
6-4, 7-6
優勝 3. 1991年5月13日   ローマ クレー   (オマール・カンポレーゼ)   (ローリー・ウォーダー)
  (ルーク・イェンセン)
6-2, 6-3
優勝 4. 1991年6月17日   (マンチェスター)   (オマール・カンポレーゼ)   (アンドリュー・キャッスル)
  (ニック・ブラウン)
6-4, 6-3
準優勝 5. 1991年7月22日   シュトゥットガルト クレー   (オマール・カンポレーゼ)   (ウォリー・マスアー)
  エミリオ・サンチェス
6-2, 3-6, 4-6
優勝 5. 1992年1月6日   アデレード ハード   マルク・ロセ   (マーク・クラッツマン)
  ジェイソン・ストルテンバーグ
7-6, 7-6
準優勝 6. 1992年6月15日   ロンドン   (ディエゴ・ナルギソ)   ジョン・フィッツジェラルド
  アンダース・ヤリード
4-6, 6-7
準優勝 7. 1995年4月17日   バルセロナ クレー   アンドレア・ガウデンツィ   (トレバー・クロネマン)
  (デビッド・マクファーソン)
2-6, 4-6
準優勝 8. 1995年8月7日   ロサンゼルス ハード   スコット・デービス   (ブレント・ヘイガース)
  (ケント・キニアー)
4-6, 5-7
優勝 6. 1995年9月11日   (ボルドー) ハード   (サシャ・ヒルシュゾン)   (ヘンリク・ホルム)
  (ダニー・サプスフォード)
6-3, 6-4
優勝 7. 1996年3月3日   (ミラノ) カーペット (室内)   アンドレア・ガウデンツィ   ヤコブ・ラセク
  ギー・フォルジェ
6-4, 7-5
優勝 8. 1997年2月3日   ザグレブ カーペット (室内)   (サシャ・ヒルシュゾン)   (ブレント・ヘイガース)
  (マーク・カイル)
6-4, 6-3
優勝 9. 1997年2月10日   ドバイ ハード   (アレクサンダー・グルーン)   サンドン・ストール
  シリル・スーク
7-6, 6-3
準優勝 9. 1999年6月7日   全仏オープン クレー   ジェフ・タランゴ   マヘシュ・ブパシ
  リーンダー・パエス
2-6, 5-7
準優勝 10. 1999年8月2日   ロサンゼルス ハード   (ブライアン・マクフィー)   バイロン・ブラック
  ウェイン・フェレイラ
2-6, 6-7

4大大会優勝

大会 対戦相手 試合結果
2001年 ウィンブルドン   パトリック・ラフター 6-3, 3-6, 6-3, 2-6, 9-7

4大大会シングルス成績

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 通算成績
全豪オープン A (QF) (1R) (3R) (2R) A (QF) (1R) (3R) (QF) 1R A 2R LQ 2R A A 19–11
全仏オープン A (4R) (QF) (2R) (QF) (3R) (QF) (1R) (4R) (1R) 1R 1R 1R A A A A 21–12
ウィンブルドン (1R) (2R) (SF) (2R) (F) (3R) (F) SF (QF) (2R) F 4R 1R W A A 3R 49–14
全米オープン A (2R) (3R) (4R) (3R) (2R) (1R) (1R) (SF) (1R) 4R 3R 1R 3R A A A 21–13

脚注

  1. ^ a b イバニセビッチ、日本戦のみ監督を申し出たワケは何? - WOWOW・2011年12月20日
  2. ^ チリッチを“サーブの怪物”に変えたイワニセビッチ氏の徹底改造 - 日刊ゲンダイ・2014年9月9日
  3. ^ “Djokovic Adds Ivanisevic To Coaching Team At Wimbledon”. ATP Tour (2019年6月30日). 2021年7月2日閲覧。
  4. ^ Goran's Split personality - the guardian・2001年7月15日
  5. ^ Goran's Split loyalties - BBC・2001年7月14日
  6. ^ 驚異の10代と節目に到達したポルトとブルバ - UEFA.com・2013年10月11日

外部リンク

  • ゴラン・イワニセビッチ - ATPツアーのプロフィール (英語)  
  • ゴラン・イワニセビッチ - デビスカップのプロフィール (英語)  
  • ゴラン・イワニセビッチ - 国際テニス連盟  
  • ゴラン・イワニセビッチ - 国際テニス殿堂のプロフィール (英語)  
  • ゴラン・イワニセビッチ - Olympedia(英語)  
ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。