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カツラギハイデン(欧字名:Katsuragi Heiden、1983年3月18日 - 不明)は、日本の競走馬[1]。
カツラギハイデン | ||||||
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欧字表記 | Katsuragi Heiden[1] | |||||
品種 | サラブレッド[1] | |||||
性別 | 牡[1] | |||||
毛色 | 鹿毛[1] | |||||
生誕 | 1983年3月18日[1] | |||||
死没 | 不明 | |||||
父 | ボールドリック [1] | |||||
母 | サチノイマイ[1] | |||||
母の父 | チャイナロック[1] | |||||
生国 | 日本(北海道三石町)[1] | |||||
生産者 | 大塚牧場[1] | |||||
馬主 | 野出一三[1] | |||||
調教師 | 土門一美(栗東)[1] | |||||
競走成績 | ||||||
生涯成績 | 9戦3勝[1] | |||||
獲得賞金 | 3440万0000円[1] | |||||
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経歴
競走馬時代
入厩当初からソエ(骨膜炎)に悩まされ、完治をしないままデビューを迎える。1985年10月の新馬戦で、西浦勝一を背に初勝利。その後オープンのもみじ賞では6着となるが、(400万下条件戦)のかえで賞を勝つと、GI阪神3歳ステークスへと出走した。デイリー杯3歳ステークスの覇者ヤマニンファルコンらを押さえ、10頭立ての1番人気に推された。レースでは、内から一気に抜け出す横綱競馬で快勝した。
1986年はきさらぎ賞から始動したが、GI優勝馬にもかかわらず、牝馬のダイナフェアリーに1番人気を奪われる2番人気。スタート直後の落鉄もあり、結果は4着。続くスプリングステークスでは、西浦から柴田政人に乗り替わり、2番人気に推されたが8着と敗れた。次走皐月賞では、また西浦が鞍上に戻るも、21頭立ての18着と惨敗、NHK杯7着後、屈腱炎を発症。約1年間の休養を挟んで1400万条件からの格上挑戦で臨んだ北九州記念8着後、またも屈腱炎を発症し、何とか復帰を図るも治癒に至らず、現役を引退した。
引退後
引退後は乗馬になった[要出典]が、繋養先などの詳細はわかっていない。
競走成績
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血統表
カツラギハイデンの(血統)(プリンスキロ系 / (Crepello)4×5=9.38%、Nearco5×5=6.25% ) | (血統表の出典) | |||
父 *ボールドリック Baldric 1961 黒鹿毛 アメリカ | 父の父 Round Table1954 鹿毛 日本 | Princequillo | Prince Rose | |
Cosquilla | ||||
Knight's Daughter | Sir Cosmo | |||
Feola | ||||
父の母 Two Cities1948 鹿毛 アメリカ | Johnstown | Jamestown | ||
La France | ||||
Vienna | Menow | |||
Valse | ||||
母 サチノイマイ 1973 鹿毛 日本 | *チャイナロック China Rock 1953 栃栗毛 イギリス | Rockefella | Hyperion | |
Rockfel | ||||
May Wong | Rustom Pasha | |||
Wezzan | ||||
母の母 ミチアサ1960 黒鹿毛 日本 | *ヒンドスタン Hindostan | Bois Roussel | ||
Sonibai | ||||
プレイガイドクイン | ダイオライト | |||
ウヱツデイングラス |
脚注
注釈
出典
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ