オースチン・A40サマーセット (Austin A40 Somerset) は、イギリスにかつて存在した自動車メーカーであるブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)のオースチン部門が、1952年から1954年まで生産していた乗用車である。日本では日産自動車がノックダウン生産したことで知られる。
概要
1947年から生産されていたA40デヴォン(2ドアは「ドーセット」)の後継モデルで、ボディスタイルが近代化された以外は、セパレートフレームのシャシー、1,200ccエンジン[1]とも、先代の機構を流用していた。
ボディデザインはフェンダーラインのふくらみを残した過渡的なもので、同社の大型6気筒車A70ヘリフォードと非常に良く似ていた。また、当時の欧州車にも流行していたベンチシートやコラムシフトを採用していた。4ドアセダンに加え、カーボディーズ社製の3人乗りの2ドアコンバーチブルも作られ、こちらにはセパレートシートが装備されていた。
1954年9月に(A40ケンブリッジ)と世代交代するまでに173,306台が生産され、内7,243台がコンバーチブルだった。
日産製A40
詳細は「日産・オースチンA40サマーセット」を参照
1952年12月24日、BMCと日産自動車は「オースチンA40の組立てと国産化に関する技術提携契約」を締結。7年間の有効期限内に、年間2,000台のA40サマーセットを組み立て、国産化する計画を結んだ。1952年の時点で日本国内に1,000台以上のオースチン車[2]が稼動しており、知名度と信用のあるブランドだったこと、部品を日産車に流用することが認められたことなどが、契約締結の背景であった。
注釈
参考文献
- Gazoo名車館 1952年 オースティンA40サマーセット
- ジェイズ・ティーポ1994年2月増刊号「Japanese Historic 2」