- ウラルトゥ
- Biainili[1]
前9世紀から前6世紀のウラルトゥの版図
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ウラルトゥ (Urartu) は紀元前9世紀ごろから紀元前585年までアナトリアに存在した王国。その版図は、現在のトルコ東部のヴァン湖周辺を中心に、メソポタミア北部からコーカサス南部にわたった。
名称
「ウラルトゥ」という呼称は、同時期に覇を競ったアッシリア人たちが呼んだ名である。王国は、ウラルトゥ語でビアインリ (Biainli)と呼ばれ、これは「ヴァン (Van)」の語源となった。また、「ウラルトゥ」の名はアララト山 (Ararat) とも関係づけられる。
また、「(ハルディ) (en)」と呼ばれる神を信仰していたことから、「ハルディア (Haldia)」とも称された[2]。
歴史
前史
紀元前1250年ごろのアッシリアの文書は、「ウルアトリ (Uruatri)」または「ナイリ (Nairi)」と呼ばれる民族とのゆるやかな同盟関係に言及している。現在知られているウラルトゥについての情報のほとんどは、アッシリアの文書から得られたものである。
黎明期
その民族は、紀元前860年から紀元前830年のあいだに、王アラマとルティプリの下で黎明期を迎え、王国を形成した。首都は、初期の頃には(アルザシュクン)に置かれていた。
拡大期
その息子サルドゥリ1世の下で、紀元前832年頃に現在のヴァンのあたりに遷都し(トゥシュパ) (Tushpa) と呼ばれた。ウラルトゥ王国はメヌア(メヌアシュ)からサルドゥリ(サルドゥリシュ)2世の時代が最盛期[2]で、最盛期にはアルメニア高原の全域を含み、東は現在のタブリーズを越え、南はティグリス川、西はユーフラテス川の上流域にまで至った。
衰退期・滅亡
紀元前714年には、ウラルトゥの王ルサ1世 (Rusa) がサルゴン2世率いるアッシリア軍に大敗して王は自殺に追い込まれた。この戦い以降、ウラルトゥ王国はアッシリアと幾度か戦った(ウラルトゥ・アッシリア戦争、紀元前714年 - 紀元前585年)。ウラルトゥ王国は、キンメリア人やアッシリアの攻撃に苦しんだ。紀元前585年にスキタイ人の攻撃によってウラルトゥ王国は滅んだ。アケメネス朝の成立後、この地にアルメニア人が定住した((アルメニア)、紀元前553年 - 紀元前331年)。
発掘
言語系統
ウラルトゥ語は、フルリ・ウラルトゥ語族に分類される膠着語である。フルリ人が築いたミタンニ王国(紀元前1500年頃 - (紀元前1270年)頃)で使用されたフルリ語と近縁関係にある。
歴代国王
黎明期
拡大期
- サルドゥリ1世(紀元前834‐828年)
- イシュプイニ(紀元前828‐810年)
- メヌア(紀元前820‐785年)
- アルギシュティ1世(紀元前785‐753年)
- サルドゥリ2世(紀元前753‐735年)
- ルサ1世(紀元前735‐714年)
衰退期
脚注
参考文献
- Boris B. Piotrovsky, The Ancient Civilization of Urartu (translated from Russian by James Hogarth), New York:Cowles Book Company, 1969.
- (ボリス・ピオトロフスキー)著, 加藤九祚訳, 「埋もれた古代王国の謎―幻の国ウラルトゥを探る」岩波書店, (1981年)
- 杉勇「ウラルトゥ王国」(『アジア歴史事典 1』(平凡社、1984年))