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イラク日本人人質事件

イラク日本人人質事件(イラクにほんじんひとじちじけん)、イラク邦人人質事件(イラクほうじんひとじちじけん)は、外務省によるイラクへの渡航自粛勧告を無視し2003年のイラク戦争以降にイラク武装勢力によりイラクに入国した日本人が誘拐され、人質として拘束された事件。特に2004年4月に3名が誘拐され、自衛隊の撤退などを求められた後、唐突に解放された事件。

武装勢力の要求

イラク現地の武装勢力が、イラクに入国した外国籍のボランティア、NGO職員、民間企業社員、占領軍関係者などを誘拐する事件が頻発した。誘拐の要求の多くは、誘拐した外国人を人質に、彼らが本籍を置く政府に対して、自国の軍隊(日本では自衛隊)をイラクから引き上げることを要求するものであった。

人質事件の詳細

2004年4月、3名、解放

以下の出来事は全て2004年のものである。また、最初の3名に関するもののほか、時期的に重なっている2名(次項で解説)の出来事も含む。

  • 3月31日 - ファルージャで米国の傭兵4人が殺害された(en:2004 Fallujah ambush)。
  • 4月6日 - 米軍が報復としてファルージャ攻撃を開始する(en:Fallujah during the Iraq War)。
  • 4月6日 - 外国人拉致事件の最初の事件が発生する(拉致されたのはイギリス人)。
  • 4月7日 - イラクで日本人3名(高遠菜穂子郡山総一郎、(今井紀明))が武装勢力によって誘拐される。
  • 4月8日 - カタールのテレビ局「アルジャジーラ」が犯行グループから送られてきた映像を放送した。犯行グループは、イラクのサマーワに駐留している自衛隊の撤退を要求する声明を発表した。犯行グループからの要求に対し、日本政府は自衛隊を撤退させる考えのないことを表明。
  • 4月10日 - 小泉純一郎首相は、自衛隊を撤退する意思がないことを明らかにするとともに、人質の救出に日本政府として全力をあげるよう指示した。また、人質となった日本人3人の家族が東京でアルジャジーラの取材に応えて人質解放を訴え、その映像が中東全域に放送された。同日逢沢一郎外務副大臣や、塩川実喜夫警察庁警備局国際テロリズム対策課長らがアンマンに入った[1]
  • 4月11日 - 武装グループからアルジャジーラにあてて、「イラク・ムスリム・ウラマー協会の求めに応えて3人の日本人を24時間以内に解放する」との内容のファックスによる声明が届き、日本では一時楽観ムードが漂ったが、期限内の解放は実現されなかった。
  • 4月13日 - イタリア国籍の4人が別の武装グループに拘束され、自衛隊に続いてイタリア軍に対してイラクから撤退が要求された。この間、外国人の人質事件が相次ぎ、占領行政を行う連合国暫定行政当局(CPA)の発表では12か国、40人前後が人質に捕われたとされる。
  • 4月14日 - 新たに、日本人2人(自称ジャーナリストとNGO団体職員)がバグダード西方で何らかの武装勢力により連れ去られた。一方、イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ首相は日本の小泉首相と同様に撤兵を断固として拒否する声明を出していたが、イタリア人人質の1人の殺害が公表された。
  • 4月15日 - 日本人3名はイラク・イスラム聖職者協会の仲介もあり無事解放された。解放された3名は今回の犯行グループ名と思われる「サラヤ・ムジャヒディン・アンバル(アンバル州の聖戦士軍団)」と署名されていた犯行グループの声明文を所持していた。なお、後に解放の仲介をしたとされる地元有力者が殺害されている。
  • 4月17日 - 14日から拘束されていた日本人2人がバグダード市内のモスクで解放された。

2004年4月、2名、解放

イラク政府が主催した人間の盾に参加したフリージャーナリストの(渡辺修孝)、安田純平の日本人2人がイラクの武装勢力に拉致された。この際の報道は前回ほど活発ではなく、ほどなく解放された。

人質となった渡辺修孝は「人質である自分たちを助けるために政府は自衛隊を撤退させるべきだった」とし、後に「自衛隊を撤退させなかった事」に対し500万円の損害賠償を求める訴訟を起こしたが敗訴。また、解放後日本政府が負担した日本への帰国費用について、一切の支払いを拒否している。

2004年10月、1名、殺害

バックパッカーとしてニュージーランドからイスラエルを通じイラクに入国した香田証生が行方不明となり、10月24日、彼を拉致した犯行グループ「イラクの聖戦アルカーイダ組織」の声明がインターネットに公開された。小泉首相は「テロに屈することはできない。自衛隊は撤退しない」と表明した。

30日(日本時間31日)、首を切断された遺体が発見され、後日になって殺害の模様が公開され、その後その動画がインターネット上に流布する事態となった。遺族は「息子は自己責任でイラクに入国しました。危険は覚悟の上での行動です」「彼の死を政治的に利用しないで欲しい」と言う声明を発表した。そのため、最初の人質3人のような感情的なバッシングは起こらず、マスコミも比較的淡々と報道した。

2005年5月、1名、殺害

5月9日、イラクの武装勢力「アンサール・アル・スンナ軍」がイギリス民間軍事会社Hart Sequlity社職員の日本人、斎藤昭彦と銃撃戦の末拘束したとの声明を発表した。5月28日、武装勢力は齋藤の死亡をネットに発表した。斎藤は傭兵としてイラクで活動していた。

日本人を狙った計画的誘拐ではなく、戦闘で負傷し捕虜になったものであったため、テロリストから日本政府への要求は無いに等しく、それへの対応を巡って世論が割れる事も無かった。

被害者

高遠菜穂子はボランティアを目的として入国した。支援対象は10代男子のみだった。

また、渡辺修孝は元自衛隊員だった。 3人を救出する費用に20億円はかかったと後に報道された。

また擁護派のマスコミ報道を真に受けた渡航者家族の高遠兄妹が居丈高に政府批判と救出要求をする姿が報道され世間から一斉に非難されるとその後は低頭平身で救出要求をするようになった。

なお、この事件に当たっては、週刊文春2006年11月2日号に掲載された作家麻生幾が執筆した記事によると、海上自衛隊特殊部隊である特別警備隊員をバクダード駐留米軍に派遣し、米軍部隊との合同で突入・救出する「バビロンの桜」作戦が政府内で立案されたとされる(結局実行されることはなかった)。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

出典

  1. ^ 外務副大臣らが成田を出発/「手だて尽くし救出」四国新聞社2004/04/09 13:33

関連文献

  • 今井紀明『ぼくがイラクへ行った理由(わけ)』コモンズ、2004年7月。(ISBN 4-906640-80-X)
  • 今井紀明『自己責任 いま明かす「イラク拘束」と「ニッポン」』講談社、2004年8月。(ISBN 4-06-212546-3)
  • 郡山総一郎、吉岡逸夫『人質 イラク人質事件の嘘と実』ポプラ社、2004年9月。(ISBN 4-591-08274-1)
  • 佐藤真紀、伊藤和子編『イラク「人質」事件と自己責任論 私たちはこう動いた・こう考える』大月書店、2004年7月。(ISBN 4-272-21080-7)
    • コメント・メッセージおよび執筆者: 今井紀明、伊藤和子(弁護士)、鎌仲ひとみ(映画監督)、高遠菜穂子、田中宇ら36名
  • 高遠菜穂子『愛してるって、どう言うの? ―生きる意味を探す旅の途中で―』文芸社、2002年6月。(ISBN 4-8355-4074-3)
  • 高遠菜穂子『戦争と平和 それでもイラク人を嫌いになれない』講談社、2004年8月。(ISBN 4-06-212541-2)
  • 『法学セミナー』日本評論社、2004年9月号「イラク人質事件・日本人対"世間"の法感覚 ――グローバルとローカルのはざまで」 - ISSN 0439-3295
    • インタビューおよび執筆者:岡田順太、天木直人、加藤健二郎、佐藤直樹、矢野直明
  • 小林よしのり『ゴー外!! 1 翻弄されない視座をもつ 小林よしのりの痛快“こき下ろし”SPECIAL』アスコム、2004年8月

関連項目

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