アントワーヌ・グリーズマン(Antoine Griezmann; フランス語発音: [ɑ̃.twan ɡʁiɛzman] 、1991年3月21日 - )は、フランス出身のサッカー選手。アトレティコ・マドリード所属。フランス代表。ポジションはFW。
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フランス代表でのグリーズマン (2018年) | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | Principito[1], Grizi[2], Grizou[3] | |||||
ラテン文字 | Antoine Griezmann | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | フランス | |||||
生年月日 | 1991年3月21日(32歳) | |||||
出身地 | マコン | |||||
身長 | 173cm[4] | |||||
体重 | 73kg[5] | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | アトレティコ・マドリード | |||||
ポジション | FW / MF | |||||
背番号 | 8 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1997–1999 | マコン | |||||
1999–2005 | マコネー | |||||
2005–2010 | レアル・ソシエダ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2009-2014 | レアル・ソシエダ | 180 | (46) | |||
2014-2019 | アトレティコ・マドリード | 180 | (94) | |||
2019-2022 | FCバルセロナ | 74 | (22) | |||
2021-2022 | → アトレティコ・マドリード (loan) | 37 | (5) | |||
2022- | アトレティコ・マドリード | 6 | (3) | |||
代表歴2 | ||||||
2010 | フランス U-19 | 7 | (3) | |||
2011 | フランス U-20 | 8 | (1) | |||
2010-2012 | フランス U-21 | 10 | (2) | |||
2014- | フランス | 117 | (42) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2022年11月10日現在。 2. 2022年12月18日現在。 (■テンプレート)((■ノート) ■解説)■サッカー選手pj |
生い立ち
フランス東部のソーヌ=エ=ロワール県マコンに生まれた。役所勤務の父アランはドイツ西部のミュンスター出身のアルザス人であり[6]、そのため「グリーズマン」[7]というのはドイツ系の姓名である[8]。母イザベルは病院のスタッフとして働いていたが、現在は退職している。イザベルは、ポルトガルのFCパソス・デ・フェレイラなどでプレーした元サッカー選手のアマロ・ロペスの娘であり、アマロがフランスに移住した後にフランスで生を受けた[9]。そのため、グリーズマンはフランス国籍だが、ドイツ系とポルトガル系の血筋の流れを汲む事になる。
グリーズマンは1997年に地元アマチュアクラブのECマコンでサッカーを始めた[10]。マコン在籍時、プロクラブの入団テストを何度が受験したが、いずれも体のサイズが基準に達していないという理由で軒並み不合格とされた[10]。転機となったのは、2005年に参加したASサンテティエンヌのトライアルである。パリ・サンジェルマンFCのユースチームと対戦したサンテティエンヌのトライアル生として大会に参加していた所、レアル・ソシエダのスカウト、エリク・オルハツに才能を見込まれ、レアル・ソシエダでの1週間のトライアルに挑戦した[11]。1週間後、レアル・ソシエダは正式にグリーズマンとユース契約を結んだ。しかし、契約提示当初は幼いグリーズマンが親元から離れ、スペインに渡ることを両親は好まず、契約を拒もうとしたが、グリーズマン本人と身元保証人になる予定だったオルハツらが積極的に説得し、契約締結に至った[10][12]。オルハツは、仮にグリーズマンがソシエダで成功できずとも、ユース時代をバスク州で過ごしていれば、アスレティック・ビルバオでのプレー資格も得れると知っていたので、彼のスペイン移住に乗り気だった[13][14][15]。
クラブ経歴
レアル・ソシエダ
プレシーズン、その夏にBチームへ昇格したばかりだったにもかかわらず5ゴール(チーム1位)を挙げ、一躍注目を浴びた。開幕からトップチームに帯同し、2009年9月6日のレアル・ムルシア戦で途中出場して18歳でリーガデビューすると、9月27日のウエスカ戦では初先発と初得点を記録し、その後はレギュラーの座を確保した。
アトレティコ・マドリード
プレミアリーグのアーセナルやトッテナム・ホットスパーなどからオファーがあったものの、2014年7月28日、アトレティコ・マドリードへの移籍合意が発表[16]。翌29日に正式に移籍が発表された。契約期間は6年[17]。アトレティコではディエゴ・シメオネの下で2トップの一角としてプレーする。1年目の前半戦は苦労したが、アトレティコ式の守備を覚えた後半戦は好調を維持し、22ゴールと結果を残した。
2年目の2015-16シーズンにはチャンピオンズリーグでバルセロナ、バイエルン・ミュンヘン相手にゴールを上げ、チームをファイナルへ進出させる原動力となった。2016年6月21日、アトレティコと2021年6月30日まで契約を延長することを発表した。
2017-18シーズンのヨーロッパリーグ決勝では母国のオリンピック・マルセイユ相手に2ゴールを決め、アトレティコの優勝に貢献した。さらに、後半終了間際にはシーズン終了後アトレティコを離れることが決まっていたフェルナンド・トーレスへの交代をベンチに要求し、トーレスは優勝の瞬間ピッチに立つことができた。
2019年5月14日、2018-19シーズン限りでの退団を発表した。「多くの愛情をくれたファンに伝えたかった。僕はここから離れ、自分の実力を試すために新しいチャレンジをすることを決めた。このクラブで最初のトロフィーを獲得することができ、とてもかけがえのない5年間だった。君たちに対しては感謝しかない。」と、クラブ公式SNSで感謝の意を述べた[18]。しかし、最終節では「出てけ」という痛烈なチャントを浴びせられた[19]。
バルセロナ
2019年7月12日、FCバルセロナが1億2000万ユーロの契約解除金を支払い、同選手が5年契約を結ぶことを発表した[20]。同日、アトレティコは、移籍金が1億2000万ユーロに下がる7月1日以前に契約合意をしていたとして、契約解除金2億ユーロに足りていないと主張した[21]。9月、リーグ機構はバルセロナが獲得に際して不正を行ったとして、バルセロナに300ユーロの罰金を科した[22]。
バルセロナは8億ユーロの契約解除条項を設定した。背番号は17番を選択した[23]。9月25日、レアル・ベティス戦で自身移籍後公式戦初得点を含む2得点1アシストの活躍でチームを5-2の勝利へと導いた[24]。2月25日のSSCナポリ戦では1得点をあげる。これはチームにおいてCL決勝トーナメントでメッシ以外に得点した2015年以降初のアウェイゴールとなった[25]。しかし全体としてチームにフィットしきれず、ベンチを温めることもあり、計15得点に留まった[26]。
アトレティコ・マドリード復帰
2021年8月31日、アトレティコ・マドリードへ期限付き移籍することが発表された[27]。アトレティコ・マドリードが年俸を請負い、買取義務オプションが付帯する[28]。 ジョアン・フェリックスが7番を着けていたこともあり、背番号は8となった。9月28日、UEFAチャンピオンズリーグ第2節のACミラン戦で復帰後初得点を決めた[29]。シーズン序盤は、ライバルクラブへの移籍によりサポーターよりブーイングや罵声を受けることもあったが、徐々にサポーターの信頼を回復させ、交代時には拍手で迎えられることが増えた[30]。この2021-22シーズンは、リーグ戦3得点、公式戦通算8得点と得点は積み重ねられなかったが、シメオネ監督に献身的な守備やパス能力を買われて公式戦36試合に出場した[31]。
2022-23シーズンは、高額な買取義務オプションの影響もあり開幕から出番が限られていたが、バルセロナ側が値下げに応じる形で10月10日に約2000万ユーロで完全移籍が成立した[32]。なお契約期間は2026年6月30日までとなる。移籍成立後はチームの中心選手として復調し、3月には自身7度目となるリーグの月間MVPに選出された[33]。
代表経歴
フランス代表として各年代の代表でプレーし、2010年に開催されたUEFA U-19欧州選手権においては、U-19フランス代表の一員としてピッチに立ち、チームの優勝に貢献した。また、この時のメンバーにはアレクサンドル・ラカゼットらがいた。
2012年11月、U-21代表の招集中にヤン・エムヴィラ、ウィサム・ベン・イェデル、クリス・マヴィンガ、エムベイェ・ニアンらと共に夜遊びをし、2013年12月31日まで世代別代表を含む代表戦への出場停止処分を受けた[34]。
出場停止解除後の2014年3月5日、オランダとの親善試合でA代表初出場を果たした[35]。同年6月1日のパラグアイとの親善試合で代表初得点を記録[36]。2014 FIFAワールドカップ本大会では、得点こそなかったが大会直前に離脱したフランク・リベリーの穴を埋める活躍をみせた。
地元開催となったUEFA EURO 2016本大会では、グループステージ第2戦のアルバニア戦で途中出場ながら、試合終了間際に均衡を破るヘディング弾を決めた[37]。ラウンド16のアイルランド戦では同点、逆転となる2得点を挙げ勝利に貢献した[38]。準々決勝のアイスランド戦では、チームの4得点目にしてUEFA EURO 2016本大会通算100得点目を決めた。準決勝のドイツ戦でも2得点を挙げ、1984年大会のミシェル・プラティニの9得点に次ぐ、史上2位となる大会通算6得点を記録[39]。決勝のポルトガル戦では得点を奪えずフランスも準優勝に終わったが[40]、ゴールデンブーツ(得点王)[40] に加え、最優秀選手賞を審査員の全会一致で受賞した[41]。
2018 FIFAワールドカップでは、初戦のオーストラリア戦、決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン戦でペナルティーキックで得点を記録。準々決勝ウルグアイ戦では自身のシュートが相手キーパーフェルナンド・ムスレラのミスを誘いゴールを奪った。決勝のクロアチア戦では、18分に自ら蹴ったフリーキックから相手チームのマリオ・マンジュキッチのオウンゴールを誘発し先制点をもたらすと、38分にはペナルティーキックでゴールを挙げ、更にポグバの決勝点をアシストして4-2の勝利に貢献。大会通算4得点でブロンズボール賞、シルバーブーツ賞を受賞。フランスの優勝に貢献した。
2021年、ユーロ2020ではグループリーグ第2戦のハンガリー戦で1-1の同点とするゴールを挙げた[42]。チームはベスト16でPK戦の末に敗退、大会終了後、ムバッペと以前から不仲であったことが報じられた[43]。
2022年、ワールドカップカタール大会では、中盤のカンテ、ポグバが欠場したことからFWではなく中盤に下がってプレー、グループリーグ第2戦のデンマーク戦でムバッペの決勝点をお膳立てした[44]。準々決勝のイングランド戦で前半にチュアメニの得点をアシストすると、後半には正確なクロスでジルーの決勝点をアシスト、準決勝進出に貢献した[45]。大会合計ではメッシらと並び最多タイとなる計3アシストを決めてこととなった[46]。
人物
少年時代は細くて小さい体だったため、9クラブの入団テストに落ちている[11]。
憧れの選手はオリンピック・リヨンで2年連続リーグ・アン得点王を獲得したブラジル代表ソニー・アンデルソン[11]。デビッド・ベッカムの大ファンであり、好んで着用している「背番号7」と「長袖」は彼から影響を受けている[47]。また、幼い頃からオリンピック・マルセイユのファンであることを公言している[48]。
ゴール後に行うダンスセレブレーションはカナダのミュージシャンドレイクの楽曲「Hotline Bling」から来ている[49]。ゲーム「フォートナイト」のプレイヤーであり、インタビュー動画にてゲーム内に登場するダンス「エモート」を踊っている[50]。また、2018年頃から行っているゴールパフォーマンスとして「負け犬が!」のエモートを踊っている。 サッカーゲームはFIFAシリーズとPES(ウイニングイレブン)両方をプレイしており、アトレティコ時代からInstagramのストーリー等でプレイする姿を投稿している。また、コナミと契約しているバルセロナ移籍後はスペインのPESコミュニティでの大会に参加する等の活動をしている[51]。
2021年7月3日、グリーズマンとチームメイトのウスマン・デンベレが、日本人に対して人種差別を行ったと見られる動画が流出した[52]。動画は2019年夏の日本ツアー中のもので、デンベレがホテルの日本人従業員に対して「醜い顔だ」「何て言葉だ」「君たちは後進国なのか」とからかい、グリーズマンは笑顔で頷いていた[52]。この動画を受け、楽天やコナミなど日本企業が、謝罪の要求や、スポンサー契約を解除するなど騒動に発展した[53]。動画流出から5日たってから、二人の所属チームのFCバルセロナは謝罪を発表した[54]。
また、グリーズマンは自身のTwitterで「僕は常にあらゆる差別に反対してきた。この数日、僕を本来とは違う姿に見せようとしている人たちがいる。僕は、僕に対する非難に断固として反論する」と反差別の姿勢を強調。続けて、「日本の友人たちを怒らせたのなら申し訳ない」と謝罪した[55]。
個人成績
- 2022年5月26日現在
クラブ | シーズン | リーグ戦 | コパ・デル・レイ | 国際カップ戦 | その他 | 合計 | ||||||
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ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
レアル・ソシエダ | 2009–10 | セグンダ | 39 | 6 | 0 | 0 | - | - | 39 | 6 | ||
2010–11 | プリメーラ | 37 | 7 | 2 | 0 | - | - | 39 | 7 | |||
2011–12 | 35 | 7 | 3 | 1 | - | - | 38 | 8 | ||||
2012–13 | 34 | 10 | 1 | 1 | - | - | 35 | 11 | ||||
2013–14 | 35 | 16 | 7 | 3 | 8 | 1 | - | 50 | 20 | |||
通算 | 180 | 46 | 13 | 5 | 8 | 1 | 0 | 0 | 201 | 52 | ||
アトレティコ・マドリード | 2014–15 | プリメーラ | 37 | 22 | 5 | 1 | 9 | 2 | 2 | 0 | 53 | 25 |
2015–16 | 38 | 22 | 3 | 3 | 13 | 7 | - | 54 | 32 | |||
2016–17 | 36 | 16 | 5 | 4 | 12 | 6 | - | 53 | 26 | |||
2017–18 | 32 | 19 | 3 | 2 | 14 | 8 | - | 49 | 29 | |||
2018-19 | 36 | 15 | 2 | 2 | 8 | 4 | 1 | 0 | 47 | 21 | ||
通算 | 180 | 94 | 18 | 12 | 56 | 27 | 3 | 0 | 257 | 133 | ||
バルセロナ | 2019-20 | プリメーラ | 35 | 9 | 3 | 3 | 9 | 2 | 1 | 1 | 48 | 15 |
2020-21 | 36 | 13 | 6 | 3 | 7 | 2 | 2 | 2 | 51 | 20 | ||
2021-22 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | ||
通算 | 74 | 22 | 9 | 6 | 16 | 4 | 3 | 3 | 99 | 35 | ||
アトレティコ・マドリード (loan) | 2021-22 | プリメーラ | 26 | 3 | 1 | 1 | 9 | 4 | 0 | 0 | 36 | 8 |
キャリア通算 | 460 | 165 | 41 | 24 | 89 | 36 | 6 | 3 | 596 | 228 |
タイトル
クラブ
- レアル・ソシエダ
- セグンダ・ディビシオン:2009-10
- アトレティコ・マドリード
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ:2014
- UEFAヨーロッパリーグ:2017-18
- UEFAスーパーカップ:2018
- バルセロナ
- コパ・デル・レイ:2020-21
代表
- U-19フランス代表
- UEFA U-19欧州選手権:2010
- フランス代表
- FIFAワールドカップ:2018
- UEFAネーションズリーグ:2020-21
個人
- UEFA EURO 2016・最優秀選手賞 : 2016
- UEFA EURO 2016・ゴールデンブーツ : 2016
- UEFA EURO 2016・ベストイレブン : 2016
- リーガ・エスパニョーラ・最優秀選手 : 2015-16
- ラ・リーガ月間最優秀選手賞 : 7回 (2015年1月, 2015年4月, 2016年9月, 2017年3月, 2018年2月, 2018年12月, 2023年3月)
- UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー : 2016
- 2018 FIFAワールドカップ・ブロンズボール : 2018
- 2018 FIFAワールドカップ・シルバーブーツ : 2018
代表歴
出場大会
- U-19フランス代表
- 2010年 - UEFA U-19欧州選手権(優勝)
- U-20フランス代表
- 2011年 - FIFA U-20ワールドカップ(ベスト4)
- フランス代表
- 2014年 - 2014 FIFAワールドカップ(ベスト8)
- 2016年 - UEFA EURO 2016(準優勝)
- 2018年 - 2018 FIFAワールドカップ(優勝)
- 2018年 - UEFAネーションズリーグ2018-19
- 2020年 - UEFAネーションズリーグ2020-21
- 2021年 - UEFA EURO 2021(ベスト16)
- 2022年 - 2022 FIFAワールドカップ(準優勝)
出場数
フランス代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2014 | 14 | 5 |
2015 | 10 | 1 |
2016 | 15 | 8 |
2017 | 10 | 5 |
2018 | 18 | 7 |
2019 | 11 | 4 |
2020 | 8 | 3 |
2021 | 16 | 9 |
2022 | 15 | 0 |
2023 | 2 | 1 |
合計 | 119 | 43 |
代表での得点
# | 日付 | 場所 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 試合 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2014年6月1日 | ニース、アリアンツ・リヴィエラ | パラグアイ | 1 – 0 | 1 – 1 | 親善試合 |
2. | 2014年6月8日 | ヴィルヌーヴ=ダスク、スタッド・ピエール=モーロワ | ジャマイカ | 7 – 0 | 8 – 0 | |
3. | 8 – 0 | |||||
4. | 2014年10月14日 | エレバン、ハンラペタカン・スタジアム | アルメニア | 0 – 3 | 0 – 3 | |
5. | 2014年11月14日 | レンヌ、ロアゾン・パルク | アルバニア | 1 – 1 | 1 – 1 | |
6. | 2015年10月8日 | ニース、アリアンツ・リヴィエラ | アルメニア | 1 – 0 | 4 – 0 | |
7. | 2016年3月25日 | アムステルダム、アムステルダム・アレナ | オランダ | 0 – 1 | 2 – 3 | |
8. | 2016年6月15日 | マルセイユ、スタッド・ヴェロドローム | アルバニア | 1 – 0 | 2 – 0 | UEFA EURO 2016 |
9. | 2016年6月26日 | リヨン、パルク・オリンピック・リヨン | アイルランド | 1 – 1 | 2 – 1 | |
10. | 2 – 1 | |||||
11. | 2016年7月3日 | サン=ドニ、スタッド・ド・フランス | アイスランド | 4 – 0 | 5 – 2 | |
12. | 2016年7月7日 | マルセイユ、スタッド・ヴェロドローム | ドイツ | 0 – 1 | 0 – 2 | |
13. | 0 – 2 | |||||
14. | 2016年10月7日 | ナント、スタッド・ドゥ・ラ・ボージョワール | ブルガリア | 3 – 0 | 4 – 1 | 2018 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
15. | 2017年3月25日 | ルクセンブルク市、スタッド・ヨジー・バーテル | ルクセンブルク | 0 – 2 | 0 – 3 | |
16. | 2017年6月2日 | レンヌ、ロアゾン・パルク | パラグアイ | 5 – 0 | 5 – 0 | 親善試合 |
17. | 2017年8月31日 | サン=ドニ、スタッド・ド・フランス | オランダ | 1 – 0 | 4 – 0 | 2018 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
18. | 2017年10月10日 | ベラルーシ | 1 – 0 | 2 – 1 | ||
19. | 2017年11月10日 | ウェールズ | 1 – 0 | 2 – 0 | 親善試合 | |
20. | 2018年6月1日 | ニース、アリアンツ・リヴィエラ | イタリア | 2–1 | 3–1 | |
21. | 2018年6月16日 | カザン、カザン・アリーナ | オーストラリア | 1–0 | 2–1 | 2018 FIFAワールドカップ |
22 | 2018年6月30日 | アルゼンチン | 1-0 | 4-3 | ||
23. | 2018年7月6日 | ニジニ・ノヴゴロド、ニジニ・ノヴゴロド・スタジアム | ウルグアイ | 2–0 | 2–0 | |
24. | 2018年7月15日 | モスクワ、ルジニキ・スタジアム | クロアチア | 2-1 | 4-2 | 2018 FIFAワールドカップ・決勝 |
25. | 2018年10月16日 | サン=ドニ、スタッド・ド・フランス | ドイツ | 1 – 1 | 2 – 1 | UEFAネーションズリーグ2018-19 |
26. | 2 – 1 | |||||
27. | 2019年3月22日 | キシナウ、スタディオヌル・ジンブル | モルドバ | 0 – 1 | 1 – 4 | UEFA EURO 2020予選 |
28. | 2019年3月26日 | サン=ドニ、スタッド・ド・フランス | アイスランド | 4 - 0 | 4 - 0 | |
29. | 2019年6月2日 | ナント、スタッド・ドゥ・ラ・ボージョワール | アイスランド | 2 - 0 | 2 - 0 | 親善試合 |
30. | 2019年11月17日 | ティラナ、アレーナ・コムバターレ | アルバニア | 2–0 | 2–0 | UEFA EURO 2020予選 |
31. | 2020年9月8日 | サン=ドニ、スタッド・ド・フランス | クロアチア | 1–1 | 4–2 | UEFAネーションズリーグ2020-21 |
32. | 2020年10月7日 | ウクライナ | 7–1 | 7–1 | 親善試合 | |
33. | 2020年10月14日 | ザグレブ、スタディオン・マクシミール | クロアチア | 1–0 | 2–1 | UEFAネーションズリーグ2020-21 |
34. | 2021年3月24日 | サン=ドニ、スタッド・ド・フランス | ウクライナ | 1–0 | 1–1 | 2022 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
35. | 2021年3月31日 | サラエボ、スタディオン・グルバヴィカ | ボスニア・ヘルツェゴビナ | 1–0 | 1–0 | |
36. | 2021年6月2日 | ニース、アリアンツ・リヴィエラ | ウェールズ | 2–0 | 3–0 | 親善試合 |
37. | 2021年6月8日 | サン=ドニ、スタッド・ド・フランス | ブルガリア | 1–0 | 3–0 | |
38. | 2021年6月19日 | ブダペスト、プシュカーシュ・アレーナ | ハンガリー | 1–1 | 1–1 | UEFA EURO 2020 |
39. | 2021年9月2日 | ストラスブール、スタッド・ドゥ・ラ・メノ | ボスニア・ヘルツェゴビナ | 1–0 | 1–1 | 2022 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
40. | 2021年9月8日 | デシーヌ=シャルピュー、パルク・オリンピック・リヨン | フィンランド | 1–0 | 2–0 | |
41. | 2 – 0 | |||||
42. | 2021年11月14日 | パリ、パルク・デ・プランス | カザフスタン | 8-0 | 8-0 | 2022 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
43. | 2023年3月24日 | サン=ドニ、スタッド・ドゥ・フランス | オランダ | 1-0 | 4-0 | UEFA EURO 2024予選 |
脚注
- ^ “El Comercio. Consultado el 3 de marzo de 2017.”. Cadillo, Aldo. 2016年6月20日閲覧。
- ^ “‘Grizi’ y una noche por el Balón de Oro” (スペイン語). AS.com (2016年9月21日). 2021年11月30日閲覧。
- ^ “Francia, en las botas de ‘Grizou’” (スペイン語). Mundo Deportivo (2016年7月3日). 2021年11月30日閲覧。
- ^ “”. FIFA. p. 12 (2022年11月15日). 2022年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月1日閲覧。
- ^ “Antoine Griezmann”. Página oficial del Atlético de Madrid. 2019年5月18日閲覧。
- ^ “Aux origines de Payet, Giroud et Griezmann” (フランス語). La revue française de Généalogie. 2018年2月18日閲覧。
- ^ ドイツ語では「グリーツマン」と表記。
- ^ Wallace, Sam (2014年7月3日). “France v Germany World Cup 2014: Antoine Griezmann's rapid rise can outpace German rival”. The Independent
- ^ Alvarenga, Vítor Hugo (2015年9月28日). “A herança portuguesa de Griezmann, Antoine 'Lopes' Griezmann [The Portuguese heritage of Griezmann, Antoine 'Lopes' Griezmann]” (ポルトガル語)2016年7月5日閲覧。
- ^ a b c “” (フランス語). フランスサッカー連盟 (2010年6月25日). 2010年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月27日閲覧。
- ^ a b c Sportiva (2016年4月13日). “バルサ戦のカギ握るアトレティコのグリーズマン。「10クラブで落とされた」”. 2016年4月13日閲覧。
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関連項目
外部リンク
- Antoine Griezmann (@antogriezmann) - Twitter
- アントワーヌ・グリーズマン - BDFutbolによる個人成績 (英語)
- Futbolme profile
- アントワーヌ・グリーズマン – FIFA主催大会成績