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アントワーヌ・グリーズマン

アントワーヌ・グリーズマン(Antoine Griezmann; フランス語発音: [ɑ̃.twan ɡʁiɛzman]1991年3月21日 - )は、フランス出身のサッカー選手アトレティコ・マドリード所属。フランス代表。ポジションはFW

アントワーヌ・グリーズマン
フランス代表でのグリーズマン (2018年)
名前
愛称 Principito[1], Grizi[2], Grizou[3]
ラテン文字 Antoine Griezmann
基本情報
国籍 フランス
生年月日 (1991-03-21) 1991年3月21日(32歳)
出身地 マコン
身長 173cm[4]
体重 73kg[5]
選手情報
在籍チーム アトレティコ・マドリード
ポジション FW / MF
背番号 8
利き足 左足
ユース
1997–1999 マコン
1999–2005 マコネー
2005–2010 レアル・ソシエダ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2009-2014 レアル・ソシエダ 180 (46)
2014-2019 アトレティコ・マドリード 180 (94)
2019-2022 FCバルセロナ 74 (22)
2021-2022 アトレティコ・マドリード (loan) 37 (5)
2022- アトレティコ・マドリード 6 (3)
代表歴2
2010  フランス U-19 7 (3)
2011  フランス U-20 8 (1)
2010-2012  フランス U-21 10 (2)
2014- フランス 117 (42)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年11月10日現在。
2. 2022年12月18日現在。
(■テンプレート)((■ノート) ■解説■サッカー選手pj

生い立ち

フランス東部のソーヌ=エ=ロワール県マコンに生まれた。役所勤務の父アランはドイツ西部のミュンスター出身のアルザス人であり[6]、そのため「グリーズマン」[7]というのはドイツ系の姓名である[8]。母イザベルは病院のスタッフとして働いていたが、現在は退職している。イザベルは、ポルトガルFCパソス・デ・フェレイラなどでプレーした元サッカー選手のアマロ・ロペスの娘であり、アマロがフランスに移住した後にフランスで生を受けた[9]。そのため、グリーズマンはフランス国籍だが、ドイツ系とポルトガル系の血筋の流れを汲む事になる。

 
グリーズマンをスカウトしたオルハツ

グリーズマンは1997年に地元アマチュアクラブのECマコンでサッカーを始めた[10]。マコン在籍時、プロクラブの入団テストを何度が受験したが、いずれも体のサイズが基準に達していないという理由で軒並み不合格とされた[10]。転機となったのは、2005年に参加したASサンテティエンヌのトライアルである。パリ・サンジェルマンFCのユースチームと対戦したサンテティエンヌのトライアル生として大会に参加していた所、レアル・ソシエダのスカウト、エリク・オルハツに才能を見込まれ、レアル・ソシエダでの1週間のトライアルに挑戦した[11]。1週間後、レアル・ソシエダは正式にグリーズマンとユース契約を結んだ。しかし、契約提示当初は幼いグリーズマンが親元から離れ、スペインに渡ることを両親は好まず、契約を拒もうとしたが、グリーズマン本人と身元保証人になる予定だったオルハツらが積極的に説得し、契約締結に至った[10][12]。オルハツは、仮にグリーズマンがソシエダで成功できずとも、ユース時代をバスク州で過ごしていれば、アスレティック・ビルバオでのプレー資格も得れると知っていたので、彼のスペイン移住に乗り気だった[13][14][15]

クラブ経歴

レアル・ソシエダ

 
2012年

プレシーズン、その夏にBチームへ昇格したばかりだったにもかかわらず5ゴール(チーム1位)を挙げ、一躍注目を浴びた。開幕からトップチームに帯同し、2009年9月6日のレアル・ムルシア戦で途中出場して18歳でリーガデビューすると、9月27日のウエスカ戦では初先発と初得点を記録し、その後はレギュラーの座を確保した。

アトレティコ・マドリード

 
2015年

プレミアリーグアーセナルトッテナム・ホットスパーなどからオファーがあったものの、2014年7月28日、アトレティコ・マドリードへの移籍合意が発表[16]。翌29日に正式に移籍が発表された。契約期間は6年[17]。アトレティコではディエゴ・シメオネの下で2トップの一角としてプレーする。1年目の前半戦は苦労したが、アトレティコ式の守備を覚えた後半戦は好調を維持し、22ゴールと結果を残した。

 
2016年

2年目の2015-16シーズンにはチャンピオンズリーグバルセロナバイエルン・ミュンヘン相手にゴールを上げ、チームをファイナルへ進出させる原動力となった。2016年6月21日、アトレティコと2021年6月30日まで契約を延長することを発表した。

2017-18シーズンのヨーロッパリーグ決勝では母国のオリンピック・マルセイユ相手に2ゴールを決め、アトレティコの優勝に貢献した。さらに、後半終了間際にはシーズン終了後アトレティコを離れることが決まっていたフェルナンド・トーレスへの交代をベンチに要求し、トーレスは優勝の瞬間ピッチに立つことができた。

2019年5月14日、2018-19シーズン限りでの退団を発表した。「多くの愛情をくれたファンに伝えたかった。僕はここから離れ、自分の実力を試すために新しいチャレンジをすることを決めた。このクラブで最初のトロフィーを獲得することができ、とてもかけがえのない5年間だった。君たちに対しては感謝しかない。」と、クラブ公式SNSで感謝の意を述べた[18]。しかし、最終節では「出てけ」という痛烈なチャントを浴びせられた[19]

バルセロナ

2019年7月12日、FCバルセロナが1億2000万ユーロの契約解除金を支払い、同選手が5年契約を結ぶことを発表した[20]。同日、アトレティコは、移籍金が1億2000万ユーロに下がる7月1日以前に契約合意をしていたとして、契約解除金2億ユーロに足りていないと主張した[21]。9月、リーグ機構はバルセロナが獲得に際して不正を行ったとして、バルセロナに300ユーロの罰金を科した[22]

バルセロナは8億ユーロの契約解除条項を設定した。背番号は17番を選択した[23]。9月25日、レアル・ベティス戦で自身移籍後公式戦初得点を含む2得点1アシストの活躍でチームを5-2の勝利へと導いた[24]。2月25日のSSCナポリ戦では1得点をあげる。これはチームにおいてCL決勝トーナメントでメッシ以外に得点した2015年以降初のアウェイゴールとなった[25]。しかし全体としてチームにフィットしきれず、ベンチを温めることもあり、計15得点に留まった[26]

アトレティコ・マドリード復帰

2021年8月31日、アトレティコ・マドリードへ期限付き移籍することが発表された[27]。アトレティコ・マドリードが年俸を請負い、買取義務オプションが付帯する[28]ジョアン・フェリックスが7番を着けていたこともあり、背番号は8となった。9月28日、UEFAチャンピオンズリーグ第2節のACミラン戦で復帰後初得点を決めた[29]。シーズン序盤は、ライバルクラブへの移籍によりサポーターよりブーイングや罵声を受けることもあったが、徐々にサポーターの信頼を回復させ、交代時には拍手で迎えられることが増えた[30]。この2021-22シーズンは、リーグ戦3得点、公式戦通算8得点と得点は積み重ねられなかったが、シメオネ監督に献身的な守備やパス能力を買われて公式戦36試合に出場した[31]

2022-23シーズンは、高額な買取義務オプションの影響もあり開幕から出番が限られていたが、バルセロナ側が値下げに応じる形で10月10日に約2000万ユーロで完全移籍が成立した[32]。なお契約期間は2026年6月30日までとなる。移籍成立後はチームの中心選手として復調し、3月には自身7度目となるリーグの月間MVPに選出された[33]

代表経歴

 
2017年

フランス代表として各年代の代表でプレーし、2010年に開催されたUEFA U-19欧州選手権においては、U-19フランス代表の一員としてピッチに立ち、チームの優勝に貢献した。また、この時のメンバーにはアレクサンドル・ラカゼットらがいた。

2012年11月、U-21代表の招集中にヤン・エムヴィラウィサム・ベン・イェデルクリス・マヴィンガエムベイェ・ニアンらと共に夜遊びをし、2013年12月31日まで世代別代表を含む代表戦への出場停止処分を受けた[34]

出場停止解除後の2014年3月5日、オランダとの親善試合でA代表初出場を果たした[35]。同年6月1日のパラグアイとの親善試合で代表初得点を記録[36]2014 FIFAワールドカップ本大会では、得点こそなかったが大会直前に離脱したフランク・リベリーの穴を埋める活躍をみせた。

地元開催となったUEFA EURO 2016本大会では、グループステージ第2戦のアルバニア戦で途中出場ながら、試合終了間際に均衡を破るヘディング弾を決めた[37]。ラウンド16のアイルランド戦では同点、逆転となる2得点を挙げ勝利に貢献した[38]。準々決勝のアイスランド戦では、チームの4得点目にしてUEFA EURO 2016本大会通算100得点目を決めた。準決勝のドイツ戦でも2得点を挙げ、1984年大会ミシェル・プラティニの9得点に次ぐ、史上2位となる大会通算6得点を記録[39]。決勝のポルトガル戦では得点を奪えずフランスも準優勝に終わったが[40]、ゴールデンブーツ(得点王)[40] に加え、最優秀選手賞を審査員の全会一致で受賞した[41]

2018 FIFAワールドカップでは、初戦のオーストラリア戦、決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン戦でペナルティーキックで得点を記録。準々決勝ウルグアイ戦では自身のシュートが相手キーパーフェルナンド・ムスレラのミスを誘いゴールを奪った。決勝クロアチア戦では、18分に自ら蹴ったフリーキックから相手チームのマリオ・マンジュキッチのオウンゴールを誘発し先制点をもたらすと、38分にはペナルティーキックでゴールを挙げ、更にポグバの決勝点をアシストして4-2の勝利に貢献。大会通算4得点でブロンズボール賞、シルバーブーツ賞を受賞。フランスの優勝に貢献した。

2021年、ユーロ2020ではグループリーグ第2戦のハンガリー戦で1-1の同点とするゴールを挙げた[42]。チームはベスト16でPK戦の末に敗退、大会終了後、ムバッペと以前から不仲であったことが報じられた[43]

2022年、ワールドカップカタール大会では、中盤のカンテ、ポグバが欠場したことからFWではなく中盤に下がってプレー、グループリーグ第2戦のデンマーク戦でムバッペの決勝点をお膳立てした[44]。準々決勝のイングランド戦で前半にチュアメニの得点をアシストすると、後半には正確なクロスでジルーの決勝点をアシスト、準決勝進出に貢献した[45]。大会合計ではメッシらと並び最多タイとなる計3アシストを決めてこととなった[46]

人物

少年時代は細くて小さい体だったため、9クラブの入団テストに落ちている[11]

憧れの選手はオリンピック・リヨンで2年連続リーグ・アン得点王を獲得したブラジル代表ソニー・アンデルソン[11]デビッド・ベッカムの大ファンであり、好んで着用している「背番号7」と「長袖」は彼から影響を受けている[47]。また、幼い頃からオリンピック・マルセイユのファンであることを公言している[48]

ゴール後に行うダンスセレブレーションはカナダのミュージシャンドレイクの楽曲「Hotline Bling」から来ている[49]。ゲーム「フォートナイト」のプレイヤーであり、インタビュー動画にてゲーム内に登場するダンス「エモート」を踊っている[50]。また、2018年頃から行っているゴールパフォーマンスとして「負け犬が!」のエモートを踊っている。 サッカーゲームはFIFAシリーズPES(ウイニングイレブン)両方をプレイしており、アトレティコ時代からInstagramのストーリー等でプレイする姿を投稿している。また、コナミと契約しているバルセロナ移籍後はスペインのPESコミュニティでの大会に参加する等の活動をしている[51]

2021年7月3日、グリーズマンとチームメイトのウスマン・デンベレが、日本人に対して人種差別を行ったと見られる動画が流出した[52]。動画は2019年夏の日本ツアー中のもので、デンベレがホテルの日本人従業員に対して「醜い顔だ」「何て言葉だ」「君たちは後進国なのか」とからかい、グリーズマンは笑顔で頷いていた[52]。この動画を受け、楽天コナミなど日本企業が、謝罪の要求や、スポンサー契約を解除するなど騒動に発展した[53]。動画流出から5日たってから、二人の所属チームのFCバルセロナは謝罪を発表した[54]

また、グリーズマンは自身のTwitterで「僕は常にあらゆる差別に反対してきた。この数日、僕を本来とは違う姿に見せようとしている人たちがいる。僕は、僕に対する非難に断固として反論する」と反差別の姿勢を強調。続けて、「日本の友人たちを怒らせたのなら申し訳ない」と謝罪した[55]

個人成績

2022年5月26日現在
クラブ シーズン リーグ戦 コパ・デル・レイ 国際カップ戦 その他 合計
ディビジョン 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
レアル・ソシエダ 2009–10 セグンダ 39 6 0 0 - - 39 6
2010–11 プリメーラ 37 7 2 0 - - 39 7
2011–12 35 7 3 1 - - 38 8
2012–13 34 10 1 1 - - 35 11
2013–14 35 16 7 3 8 1 - 50 20
通算 180 46 13 5 8 1 0 0 201 52
アトレティコ・マドリード 2014–15 プリメーラ 37 22 5 1 9 2 2 0 53 25
2015–16 38 22 3 3 13 7 - 54 32
2016–17 36 16 5 4 12 6 - 53 26
2017–18 32 19 3 2 14 8 - 49 29
2018-19 36 15 2 2 8 4 1 0 47 21
通算 180 94 18 12 56 27 3 0 257 133
バルセロナ 2019-20 プリメーラ 35 9 3 3 9 2 1 1 48 15
2020-21 36 13 6 3 7 2 2 2 51 20
2021-22 3 0 0 0 0 0 0 0 3 0
通算 74 22 9 6 16 4 3 3 99 35
アトレティコ・マドリード (loan) 2021-22 プリメーラ 26 3 1 1 9 4 0 0 36 8
キャリア通算 460 165 41 24 89 36 6 3 596 228

タイトル

クラブ

レアル・ソシエダ
アトレティコ・マドリード
バルセロナ

代表

U-19フランス代表
フランス代表

個人

代表歴

出場大会

出場数

2023年3月27日時点[56]


フランス代表国際Aマッチ
出場得点
2014 14 5
2015 10 1
2016 15 8
2017 10 5
2018 18 7
2019 11 4
2020 8 3
2021 16 9
2022 15 0
2023 2 1
合計 119 43

代表での得点

# 日付 場所 対戦相手 スコア 結果 試合
1. 2014年6月1日  ニースアリアンツ・リヴィエラ   パラグアイ 1 – 0 1 – 1 親善試合
2. 2014年6月8日  ヴィルヌーヴ=ダスクスタッド・ピエール=モーロワ   ジャマイカ 7 – 0 8 – 0
3. 8 – 0
4. 2014年10月14日  エレバンハンラペタカン・スタジアム   アルメニア 0 – 3 0 – 3
5. 2014年11月14日  レンヌロアゾン・パルク   アルバニア 1 – 1 1 – 1
6. 2015年10月8日  ニース、アリアンツ・リヴィエラ   アルメニア 1 – 0 4 – 0
7. 2016年3月25日  アムステルダムアムステルダム・アレナ   オランダ 0 – 1 2 – 3
8. 2016年6月15日  マルセイユスタッド・ヴェロドローム   アルバニア 1 – 0 2 – 0 UEFA EURO 2016
9. 2016年6月26日  リヨンパルク・オリンピック・リヨン   アイルランド 1 – 1 2 – 1
10. 2 – 1
11. 2016年7月3日  サン=ドニスタッド・ド・フランス   アイスランド 4 – 0 5 – 2
12. 2016年7月7日  マルセイユ、スタッド・ヴェロドローム   ドイツ 0 – 1 0 – 2
13. 0 – 2
14. 2016年10月7日  ナントスタッド・ドゥ・ラ・ボージョワール   ブルガリア 3 – 0 4 – 1 2018 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
15. 2017年3月25日  ルクセンブルク市スタッド・ヨジー・バーテル   ルクセンブルク 0 – 2 0 – 3
16. 2017年6月2日  レンヌロアゾン・パルク   パラグアイ 5 – 0 5 – 0 親善試合
17. 2017年8月31日   サン=ドニ、スタッド・ド・フランス   オランダ 1 – 0 4 – 0 2018 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
18. 2017年10月10日   ベラルーシ 1 – 0 2 – 1
19. 2017年11月10日   ウェールズ 1 – 0 2 – 0 親善試合
20. 2018年6月1日  ニースアリアンツ・リヴィエラ   イタリア 2–1 3–1
21. 2018年6月16日  カザンカザン・アリーナ   オーストラリア 1–0 2–1 2018 FIFAワールドカップ
22 2018年6月30日   アルゼンチン 1-0 4-3
23. 2018年7月6日  ニジニ・ノヴゴロドニジニ・ノヴゴロド・スタジアム   ウルグアイ 2–0 2–0
24. 2018年7月15日   モスクワルジニキ・スタジアム   クロアチア 2-1 4-2 2018 FIFAワールドカップ・決勝
25. 2018年10月16日  サン=ドニ、スタッド・ド・フランス   ドイツ 1 – 1 2 – 1 UEFAネーションズリーグ2018-19
26. 2 – 1
27. 2019年3月22日  キシナウスタディオヌル・ジンブル   モルドバ 0 – 1 1 – 4 UEFA EURO 2020予選
28. 2019年3月26日  サン=ドニスタッド・ド・フランス   アイスランド 4 - 0 4 - 0
29. 2019年6月2日  ナントスタッド・ドゥ・ラ・ボージョワール   アイスランド 2 - 0 2 - 0 親善試合
30. 2019年11月17日  ティラナアレーナ・コムバターレ   アルバニア 2–0 2–0 UEFA EURO 2020予選
31. 2020年9月8日  サン=ドニスタッド・ド・フランス   クロアチア 1–1 4–2 UEFAネーションズリーグ2020-21
32. 2020年10月7日   ウクライナ 7–1 7–1 親善試合
33. 2020年10月14日  ザグレブスタディオン・マクシミール   クロアチア 1–0 2–1 UEFAネーションズリーグ2020-21
34. 2021年3月24日  サン=ドニスタッド・ド・フランス   ウクライナ 1–0 1–1 2022 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
35. 2021年3月31日  サラエボスタディオン・グルバヴィカ   ボスニア・ヘルツェゴビナ 1–0 1–0
36. 2021年6月2日  ニースアリアンツ・リヴィエラ   ウェールズ 2–0 3–0 親善試合
37. 2021年6月8日  サン=ドニスタッド・ド・フランス   ブルガリア 1–0 3–0
38. 2021年6月19日  ブダペストプシュカーシュ・アレーナ   ハンガリー 1–1 1–1 UEFA EURO 2020
39. 2021年9月2日  ストラスブールスタッド・ドゥ・ラ・メノ   ボスニア・ヘルツェゴビナ 1–0 1–1 2022 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
40. 2021年9月8日  デシーヌ=シャルピューパルク・オリンピック・リヨン   フィンランド 1–0 2–0
41. 2 – 0
42. 2021年11月14日   パリパルク・デ・プランス   カザフスタン 8-0 8-0 2022 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
43. 2023年3月24日   サン=ドニスタッド・ドゥ・フランス   オランダ 1-0 4-0 UEFA EURO 2024予選

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ “El Comercio. Consultado el 3 de marzo de 2017.”. Cadillo, Aldo. 2016年6月20日閲覧。
  2. ^ “‘Grizi’ y una noche por el Balón de Oro” (スペイン語). AS.com (2016年9月21日). 2021年11月30日閲覧。
  3. ^ “Francia, en las botas de ‘Grizou’” (スペイン語). Mundo Deportivo (2016年7月3日). 2021年11月30日閲覧。
  4. ^ “”. FIFA. p. 12 (2022年11月15日). 2022年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月1日閲覧。
  5. ^ “Antoine Griezmann”. Página oficial del Atlético de Madrid. 2019年5月18日閲覧。
  6. ^ “Aux origines de Payet, Giroud et Griezmann” (フランス語). La revue française de Généalogie. 2018年2月18日閲覧。
  7. ^ ドイツ語では「グリーツマン」と表記。
  8. ^ Wallace, Sam (2014年7月3日). “France v Germany World Cup 2014: Antoine Griezmann's rapid rise can outpace German rival”. The Independent. https://www.independent.co.uk/sport/football/worldcup/france-v-germany-world-cup-2014-antoine-griezmanns-rapid-rise-can-outpace-german-rivals-9582982.html 
  9. ^ Alvarenga, Vítor Hugo (2015年9月28日). “A herança portuguesa de Griezmann, Antoine 'Lopes' Griezmann [The Portuguese heritage of Griezmann, Antoine 'Lopes' Griezmann]” (ポルトガル語). http://www.maisfutebol.iol.pt/reportagem/benfica-at-madrid/a-heranca-portuguesa-de-griezmann-antoine-lopes-griezmann 2016年7月5日閲覧。 
  10. ^ a b c “” (フランス語). フランスサッカー連盟 (2010年6月25日). 2010年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月27日閲覧。
  11. ^ a b c Sportiva (2016年4月13日). “バルサ戦のカギ握るアトレティコのグリーズマン。「10クラブで落とされた」”. 2016年4月13日閲覧。
  12. ^ “Antoine lloraba al principio y estuvo tres veces a punto de irse” [Antoine wept at first and was about to leave three times] (スペイン語) (2009年10月1日). 2017年7月19日閲覧。
  13. ^ “Athletic Club's impossible dream of signing Griezmann” (2017年1月19日). 2018年10月16日閲覧。
  14. ^ “¿Puede fichar el Athletic a Griezmann?” [Can Athletic sign Griezmann?] (スペイン語). EITB (2012年6月6日). 2018年10月16日閲覧。
  15. ^ “Antoine Griezmann no entra en la filosofía del Athletic de Bilbao” [Antoine Griezmann does not enter the philosophy of Athletic Bilbao] (スペイン語). Goal (2012年9月28日). 2018年10月16日閲覧。
  16. ^ Goal.com (2014年7月28日). “アトレティコ、グリーズマン獲得合意を発表”. 2014年7月28日閲覧。
  17. ^ Goal.com (2014年7月29日). “アトレティコ、グリーズマン獲得を発表”. 2014年7月29日閲覧。
  18. ^ グリーズマン、今季での退団が決定「新しい挑戦のため」…バルサ行き加速か
  19. ^ アトレチコ退団のグリーズマン、最終節でサポーターから痛烈チャント 「出ていけ!」 football zone 2019年5月18日
  20. ^ “FC バルセロナの新選手、アントワーヌ・グリーズマン”. www.fcbarcelona.jp. 2019年7月12日閲覧。
  21. ^ “アトレティコ、バルサ移籍のグリーズマンを巡り声明発表「違約金が不十分」”. サッカーキング. 2020年8月6日閲覧。
  22. ^ バルサ、グリーズマン獲得時の不正接触で3.5万円の罰金…今夏145億円で移籍 サッカーキング 2019年9月27日
  23. ^ “グリーズマン、背番号'17'”. www.fcbarcelona.jp. 2019年7月16日閲覧。
  24. ^ “Griezmann throws a big Barcelona party” (スペイン語). https://www.marca.com. 2019年12月14日閲覧。
  25. ^ “Griezmann's goal vs Napoli breaks Barca's long-standing Champions League curse”. Tribuna.com. 2020年8月27日閲覧。
  26. ^ “生かすも殺すもメッシ次第 今のバルサにグリーズマンの居場所はあるのか”. SPORT 日本. 2020年8月27日閲覧。
  27. ^ “グリーズマンがアトレティコへ電撃復帰!…バルサから期限付き移籍で3季ぶりの古巣帰還”. サッカーキング (2021年9月1日). 2021年9月1日閲覧。
  28. ^ “グリーズマンのアトレティコレンタル移籍で合意”. FCバルセロナ (2021年8月31日). 2021年9月1日閲覧。
  29. ^ 衝撃のボレー! グリーズマンが復帰後初ゴールがヤバい! 逆転勝利に導いた一撃とは…【動画付き】チャンネル(2021年9月30日)2021年10月3日閲覧。
  30. ^ “ブーイングも罵声も浴びてなお…グリーズマンがアトレティコでプレーする喜び「大きな誇り」”. サッカーキング (2022年4月22日). 2022年5月26日閲覧。
  31. ^ “Griezmann se hace responsable por su falta de gol en el Atlético” (スペイン語). Marca (2022年5月12日). 2022年5月26日閲覧。
  32. ^ “アトレティコがグリーズマンの完全移籍を公式発表! 2026年夏までの3年契約に”. 超ワールドサッカー (2022年10月10日). 2022年10月10日閲覧。
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関連項目

外部リンク

  • Antoine Griezmann (@antogriezmann) - Twitter
  • アントワーヌ・グリーズマン - BDFutbolによる個人成績 (英語)
  • Futbolme profile
  • アントワーヌ・グリーズマン – FIFA主催大会成績


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