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アルブレヒト・フォン・ローレツ(Albrecht von Roretz、1846年12月19日 - 1884年7月20日)は、明治時代にお雇い外国人として来日したオーストリアの医師である。姓はローレッツとも表記される。
経歴・人物
ウィーンの生まれ。ウィーン大学で医学を学び、内科及び外科学の博士号を取得する。
この業績により、1874年(明治7年)日本政府の招聘により来日した。来日後(オーストリア=ハンガリー公使館)付の医官となり、横浜居留地の住民の医療にあたった。また、同時期に日本各地や上海へ旅行し、そこでも医療にあたった。
1876年(明治9年)に(愛知県公立病院)の講習場、1880年(明治13年)には(金沢医学校)及び(山形県公立病院済生館)医学寮でのそれぞれの教頭に就任した。また、同時期に1882年(明治12年)に帰国するまで薬剤学、皮膚科学等多彩な医学の教鞭を執り、後藤新平等の著名な学者を輩出したりする等(ドイツ医学)の普及に携わった。
主な著作物
- 『虎列剌(コレラ)病論』
- 『皮膚病論一斑』