『びっくり捕物帳』(びっくりとりものちょう)は、1957年4月22日から1960年5月22日まで放送されたコメディ番組である。大阪テレビ、朝日放送 大阪テレビ、朝日放送がそれぞれ制作した。関西有機化学工業[1][2]の一社提供である。
概要
目明し2人と与力と与力の妹が4人で事件を推理し、解決に導くまでを描いた時代劇風のコメディ番組である。中田ダイマル・ラケットの二人が主演し、藤田まことと森光子がレギュラー出演した。本番組は藤田のテレビデビュー作で森の出世作ともなった。
現在に至る上方お笑い番組の元祖とされる番組で、日本の民放テレビ局による上方コメディで初の全国ネット番組である。
番組は前後編で構成され、前半30分で事件が発生してダイラケが捜査を開始し、後半30分で事件が解決する。原則として生放送されたが、大阪テレビ時代を含む朝日放送では初めて扱う時代劇でセットの構築に腐心した。
あらすじ
江戸時代の大阪天満で生活する目明しである中田ダイマル・ラケットの二人は、与力である藤田まことの指示で事件の捜査を開始する。犯人を見つけて捕縛となるも、実は弱虫の2人は犯人を前に尻込みばかりとなり、「お妙さーん!」と一声叫ぶと、与力の妹であるお妙の森光子が登場する。お妙は武術の名手で、小刀を振るって2人の危機を救いつつ犯人を捕まえ、快刀乱麻の活躍をする。
出演者
スタッフ
- 脚本:香住春吾
- 制作:吉村繁雄
- 演出:信太正行
- 美術:柴田千之
- 道具:梅田舞台
- 殺陣指導:的場達雄
放送時間・放送局について
この節の加筆が望まれています。 |
第6回までは大阪テレビのみ放送する近畿ローカル番組で、毎週月曜日の19時00分から19時30分まで[4]放送された。のちに日本テレビでネット放送が決まり、第7回から放送時間を日曜日12時15分から12時45分へ変更し、第8回から日本テレビでネット放送を開始した[5]。
1958年8月28日に、日本テレビ系列の準キー局として読売テレビが大阪で開局したために、大阪テレビは改めてラジオ東京テレビと系列ネットワークを結び、関東地区のネット局を変更した。ネット局変更に伴い、放送時間は変更せずにKRT系の全国ネットで放送した。
脚注
- ^ 番組は自社製品ブランドのモナ化粧品で提供し、番組内で森光子が出演した、モナ化粧品のCMを放送した。世界思想社『テレビ・コマーシャルの考古学 昭和30年代のメディアと文化』(ISBN 978-4-7907-1483-5) 217頁
- ^ のちに、日本ジョセフィン社(現・アンズコーポレーション)に吸収合併された。世界思想社『テレビ・コマーシャルの考古学 昭和30年代のメディアと文化』(ISBN 978-4-7907-1483-5) 226頁
- ^ 澤田隆治『上方芸能・笑いの放送史』日本放送出版協会、1994年、132頁。
- ^ 東方出版『まぼろしの大阪テレビ 全番組表集成~1000日の空中博覧会~』(ISBN 978-4-86249-271-5) 2016年 115頁、118頁
- ^ 澤田隆治『上方芸能・笑いの放送史』日本放送出版協会、1994年、115頁。
- ^ 東方出版『まぼろしの大阪テレビ 全番組表集成~1000日の空中博覧会~』(ISBN 978-4-86249-271-5) 2016年、364頁
- ^ 東方出版『まぼろしの大阪テレビ 全番組表集成~1000日の空中博覧会~』(ISBN 978-4-86249-271-5) 2016年、365頁
- ^ 『新潟放送四十年のあゆみ』(1992年10月15日、新潟放送発行)69頁「テレビ初期のプログラム(復元)1959年(昭34)2月」より。
外部リンク
- びっくり捕物帖 - テレビドラマデータベース
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