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あゝ上野駅

あゝ上野駅」(ああうえのえき)は、1964年昭和39年)5月に発表された日本ポピュラーソング演歌)。あるいは同曲を収録したシングル

あゝ上野駅
井沢八郎シングル
B面 艶歌一代(1964年盤)
北海の満月(1976年盤)
リリース
ジャンル 流行歌・演歌
レーベル 東芝音楽工業(1964年盤)
東芝EMI(1976年盤)
作詞・作曲 関口義明(作詞)
(荒井英一)(作曲)
(テンプレートを表示)

作詞関口義明作曲・(荒井英一)、歌唱井沢八郎。オリジナルモノラル音源シングル盤のレコード番号はTR-1053。以後TP-2022でステレオ盤として再発売、1976年(昭和51年)に、600円に価格改定とともにTP-10125と改番、1985年(昭和60年)には、装いも新たに「祝・東北上越新幹線上野駅開業記念」として¥700盤TP-17687が発売された(片面は男船)。

概要

関口義明[1]は、上野駅で見かけた集団就職の少年たちを題材に[2]詞を書き、農家向け家庭雑誌『家の光』の懸賞に応募、1位入選を果たした。

これを見た東芝レコードの(近藤秀男)によりレコード化され、当時ほぼ無名の若手歌手だった井沢八郎が歌った。1位入選作は大物歌手によってレコード化されるという触れ込みであったため、関口は落胆したが[3]、歌手を志して青森県から単身上京した井沢自身の人生も重なり、発売後まもなく「金の卵」と呼ばれた集団就職者などから支持と共感を得て、高度成長期の世相を描いた代表的ヒット曲となった。いわゆる団塊の世代を中心に「心の応援歌」として多くの人々に勇気と感動を与えた楽曲であり、井沢の代表曲との呼び声も高い。

「あゝ上野駅」の累計売上は100万枚[4]を記録した。

オリジナルの音源はモノラルで、オリジナルバージョンの発売当初は途中の台詞は吹き込まれていなかったが、井沢八郎がテレビの歌番組に出演中に父が亡くなったことを知らされ、井沢本人曰く「間奏の途中で即興で、アドリブで入れちゃった」台詞が反響を呼んだために、後に台詞入りバージョンをレコーディングして改めて発売したという[5]

以後疑似ステレオ化され、B面曲を同じく井沢のヒット曲である「北海の満月」に差し替えた『ベスト・カップル・シリーズ ああ上野駅/北海の満月』として再発されている。

1985年テイチクレコードから発売されたシングル「あゝ青森」(RE-683)B面に、ニューバージョンが収録されている。テイチクから発売されているCDに収録されているのは、オリジナルではなくこちらである。

2001年12月、東北本線リバイバル急行津軽」号が運転された際、出発セレモニーで井沢はこの曲を歌い、駅長と共に「津軽」号の発車の合図をした。2003年には上野駅に歌碑が建立された(後述)。

2007年1月に井沢が亡くなると、『第39回思い出のメロディー』(NHK、2007年8月11日放送)で、追悼として氷川きよしが歌唱した。

井沢の娘である工藤夕貴は、父の死後の記者会見で「『あゝ上野駅』は、パパの残してくれた大きな宝物。だから、『あゝ上野駅』は私が歌い継いでみせます」と、宣言している。その後2022年の日本歌手協会の歌謡祭で初めて披露され、最後に「パパ、ありがとう!」と泣きながら叫んだ。

NHK紅白歌合戦』では、井沢によって披露されたことはないが、1982年の『第33回NHK紅白歌合戦』で福島県郡山市出身の西田敏行が歌唱した。

歌碑

 
「あゝ上野駅」の歌碑

2003年、元プロボクサーファイティング原田や集団就職で上京した中小企業経営者らによる有志団体によって、上野駅広小路口前のガード下に「あゝ上野駅」の歌碑が建立され[6]、同年7月6日に井沢や作詞者の関口、吉住弘台東区長、上野駅長、有志関係者ら約2,000人が参加して除幕式が行われた。

歌碑は高さ2.6メートルで、C62形蒸気機関車や駅に降り立ち荷物を持ちながら歩く学生服姿の若者達が描かれたレリーフ板と歌詞の銘板からできている[7]。上野駅界隈のご当地ソングとして広く知られるため、歌碑も観光名所の一つとなっている。建立費用や維持費など計2,000万円は、ほぼ寄付で賄われたという[8]

2013年7月28日には上野駅開業130周年を記念し、同駅13番線ホームにおいて発車メロディとして採用された[9]。その後、2016年11月1日からは16・17番線の発車メロディとして使用されている。

関連曲

すべて作詞・関口義明

  • あゝ上野駅(パートII)(霧島浩二)
  • あゝ上野駅平成バージョン(霧島浩二、峰しろう)
  • あゝ上野駅もう一度(亜理佐)
  • あゝ上野駅ありがとう(井沢八郎) - 1999年9月11日の上野駅18番ホーム(かつて多くの集団就職列車が到着した[10])廃止にあわせて、発売された。
  • あゝ上野駅いつまでも(星次郎)

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 関口は当時23歳で埼玉県の地方銀行に勤務していた。本楽曲のヒット以降も銀行員との兼業作詞家を続け、本格的に作詞家として独立したのは40歳を過ぎてからだった(『ポピュラー音楽人名事典』 日外アソシエーツ)。
  2. ^ 「ああ上野駅」作詞家、関口義明さん死去 - MSN産経ニュース
  3. ^ 日本経済新聞2007年2月23日夕刊
  4. ^ 塩澤実信『昭和の流行歌物語 佐藤千夜子から笠置シズ子、美空ひばりへ』展望社、2011年、255頁。(ISBN 978-4-88546-231-3)。
  5. ^ “天地人”. WEB東奥. 東奥日報社. (2016年12月20日). http://www.toonippo.co.jp/tenchijin/20161220020814.asp 2017年3月3日閲覧。 
  6. ^ 東奥日報 2003年8月25日「あゝ上野駅」の歌碑
  7. ^ 「あゝ上野駅」歌碑画像ほか
  8. ^ 47NEWS「あゝ上野駅」の歌碑完成 除幕式で井沢八郎さん熱唱
  9. ^ JR上野駅:13番ホームの発車ベル「あゝ上野駅」に変更 - 毎日jp(毎日新聞、2013年6月20日更新、同年7月5日閲覧)
  10. ^ 写真特集:東北本線と「はつかり」の時代 みちのく路の大動脈
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