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高階氏(たかしなうじ)は、日本の氏族のひとつ。天武天皇と尼子娘の長子である高市皇子を祖とする皇別氏族で、姓は真人のち朝臣。
概要
奈良時代後期の宝亀4年(773年)長屋王の五男・安宿王が高階真人姓を与えられて臣籍降下したことに始まる[1]。この系統と想定される氏人に、高階遠成・高階浄階・高階石河らがいる。また、平安時代に入ると、仁明朝の承和10年(843年)高市皇子後裔(同様に長屋王の後裔と想定される)の五世王である春枝王および秋枝王の子女7名が[2]、翌承和11年(844年)長屋王の子・桑田王の後裔の六世王である峯緒王が[3]高階真人姓の賜姓を受ける。さらに、嘉祥元年(848年)には長屋王弟の鈴鹿王の系統である豊野沢野と兄弟姉妹ら10名が、貞観15年(873年)にも成相王と後相王が高階真人姓を与えられている。
これらのうち、従四位上・神祇伯に昇った峯緒の系統が後世まで続いた。峯緒は(伊勢権守)となり、斎宮・恬子内親王に仕えた。この縁により、伊勢斎宮の恬子内親王と在原業平が密通して生まれた男児を引き取り、師尚と名付け、自らの跡を嗣がせたとする伝承(伊勢物語に描かれる斎宮と業平とされる男の不義密通の逸話)がある。後世の各種系図上にも実父は在原業平である旨の記載があり[4]、また後述されるように、数代後の時代ですら信憑性高く支持されていた。だがこの「師尚隠し子説」は院政期に入って見られるようになってきた事や国文学の世界では事実無根という説も根強く、さらにまた数代後については後述のような疑いがある。
平安時代中期の高階成忠の時に、娘の貴子が関白・藤原道隆の正室となって一条天皇の中宮・藤原定子を産んだことによりにわかに繁栄し、成忠は従二位に叙せられて高階氏の氏人として初めて公卿に昇進するとともに、真人姓から朝臣姓に改姓した[5]。しかし、定子の生んだ敦康親王の即位は藤原道長により、道長自身の権力を強固にするため、また敵対関係であった中関白家を追い落とすために妨害された。前述の「師尚隠し子説」により、道長の腹心で一条天皇の寵臣でもあり、当時の朝廷で故事に優れた知識人として知られた藤原行成はこの時の権記で「高階氏の血を引く敦康親王の即位は、伊勢神宮の怒りを買う」と進言したことがひとつの要因となった[注釈 1]。この頃中関白家もほぼ権力闘争に敗れた状態であり、成忠の子孫は中関白家と共に没落する。ただし倉本一宏は、現存する宮内庁書陵部蔵の伏見宮本の『権記』では、伊勢神宮の怒りの部分は行間に挿入される形で枠外に書かれていたので後世の加筆ではないかと指摘している[6]。
一方、成忠の弟・敏忠の系統は道長に接近して、受領として勢力を築く。欲大弐と呼ばれた成章(高名な歌人大弐三位の夫[注釈 2])、白河法皇の近臣として法勝寺の造営を行った為家(母は大弐三位)・為章親子などが代表である。また、平清盛の息子達の平重盛・基盛兄弟の外祖父の基章(為家の娘の子で為章の養子、実父は醍醐源氏の但馬守・(源家実))も知られる。
後白河院政期にも後白河側近の大蔵卿・高階泰経、寵妃・高階栄子(丹後局)が活躍した。同じく院近臣として権勢をふるった藤原通憲(信西)も血縁である。鎌倉時代から室町時代初期にかけては泰経の子孫が従二位(非参議)を極位として代々公卿に昇るが、公卿としては南北朝期の寛経が最後となり、室町時代中期に従四位上に叙せられた(経之)をもって記録が途絶えた[7]。なお、江戸時代には青蓮院坊官を務めた地下家である鳥居小路家が泰経の後裔として高階姓を称している。
武家では、代々足利家執事をつとめ、室町幕府草創期に活躍した高師直を輩出した高氏がある。高氏は長らく名字を名乗らず、本姓である高階氏の一字を取って呼ばれていた。長州藩毛利氏の重臣であった国司氏は高氏の一族であり、明治時代には(国司直行)が男爵となり、華族に列している。また、織田信長や豊臣秀吉に仕え、江戸時代には大名となった堀尾吉晴の(堀尾氏)も高階姓を称している。
元慶5年(881年)高市皇子の創建と伝わる大和国宗像神社に神主が設置されると高階氏の氏人(高階仲守)がこれに充てられており[8]、同神社の社家である(玉井氏)も高階氏の後裔を称した。
系図
天武天皇 — 高市皇子 — 長屋王 — 桑田王 — 礒部王 — (石見王) — 高階峯緒 — (茂範) — 師尚 — 良臣*
脚注
注釈
出典
参考文献
- 倉本一宏『一条天皇』吉川弘文館〈人物叢書〉、2003年12月。ISBN (9784642052290)。
- 大津透『道長と宮廷社会』講談社〈講談社学術文庫 [1906]; 日本の歴史 06〉、2009年2月。ISBN (9784062919067)。
- 史料
- 『尊卑分脈』
- 『群書類従』巻第63所収「高階氏系図」
- 『続群書類従』巻第174所収「高階氏系図」
- 『本朝皇胤紹運録』