略歴
1931年、高野三三男の娘としてパリ モンパルナスに生まれる。1938年、7歳の時、マグダ・タリアフェロに弟子入りする。1940年、9歳の時、日本へ帰国する。1946年、15歳の時、東京音楽学校(現東京芸術大学)に入学する。1948年、3年の途中で中退し、パリのコンセルヴァトワールに留学する。ピアノをリュセット・デカーブ、室内楽を(ジョセフ・ベンヴェヌッティ)(またはベンヴェヌーティ、Joseph Benvenuti)に学ぶ。コンセルヴァトワールを(プリミエ・プリ)で卒業する。[1]その後3年間、(デトモルト音楽院)でハンス・リヒター=ハーザー(またはハーゼル、w:Hans Richter-Haaser)に学ぶ。
1954年、イタリアのヴィオッティ国際音楽コンクールのピアノ部門で満場一致で優勝する。[2]これは、日本人として初めての国際音楽コンクール世界連盟登録コンクール[3]においての優勝である。1965年より4年間、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリに学ぶ。1975年、ヴィオッティ国際コンクール審査員を務める。1987-1988年(カプリ国際コンクール)審査員を務める。1979年より、東京に在住する。以降、日本各地で継続的にリサイタルを開催する。