» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

電撃ネットワーク

電撃ネットワーク(でんげきネットワーク)は、日本のパフォーマンス[]集団。負傷するほどに身体を張ったで知られる。日本ではその過激さゆえ敬遠されがちだが、欧米諸国では「TOKYO SHOCK BOYSトーキョー・ショック・ボーイズ)」の名で知られ、高い評価を得ている。 メディア関係の窓口としては、芸能プロダクション「(オフィス電撃ネットワーク)」が主に担当をしている。

電撃ネットワーク
東京公演(2008年3月2日)
メンバー 南部虎弾
ギュウゾウ
ダンナ小柳
ランディー・ヲ様
今日 元気
リチャード・ジョーダン
別名 TOKYO SHOCK BOYS(トーキョー・ショック・ボーイズ)
結成年 1990年
事務所 電撃南部ちゃん
活動時期 1990年 -
出会い ライブハウス
現在の活動状況 テレビ・ライブなど
芸種 パフォーマンス[]
同期 千原兄弟
FUJIWARA
博多華丸・大吉
カンニング竹山など
公式サイト dengekinetwork.com
(テンプレートを表示)

メンバー

南部虎弾
ダチョウ倶楽部の元メンバーにして元リーダー。南部を除いた3人がダチョウ倶楽部としてテレビに出ているのをテレビでみて自身のクビを知る。芸のためなら命を惜しまないとしている。
ギュウゾウ
強面だが気は優しい。その怪我は伝説の域に達している。ロックDJ、イベントプロデューサーとしても活動。
ダンナ小柳
ギュウゾウ共々生傷が絶えない。電撃の芸はダンナ小柳から始まったとされる。
今日 元気
海上自衛隊隊員潜水艦乗り。趣味、釣り 口癖、酔うた。読み方は「きょうもげんき」が正しい。
ランディー・ヲ様
1977年11月19日生まれ。北海道札幌市西区発寒出身。身長170cm、体重64kg。
カリスマホスト(源氏名は渚カヲル)を経てよしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。後に電撃に移籍し吉本退社(移籍の一時期だけ掛け持ちだった)。日本ボディピアス協会会長で、容姿の特徴として、顔中に無数のピアスを開けている。芸能活動の傍ら、歌舞伎町にてバー「rita」を営む。
リチャード・ジョーダン
マイケル・ジョーダンの親戚(父親がマイケルのはとこ)。日生学園第二高校出身の元高校球児関口メンディーのライバル。本名「仲條リチャード聖也」「リチャード・マイケル」、「リチャードくん」との表記も。

元メンバー

三五十五
立て板に水のような喋りを得意とし、MC役を務めていた。言うまでもなくメンバー内でもっとも怪我の少ない人物。
2013年7月、肺癌を患い、療養のため芸能活動を休止していたが、2015年3月3日に都内の病院で死去。52歳没[1]
犬神千代吉
初期メンバー兼マネージャー。メンバーから降りた後もマネージャーとして関わっていた。現在はロック総統として活動しているが、公式発表はしていない。(同メンバーのギュウゾウ談)

略歴

  • 1990年、結成[2]。ライブハウスで活動を重ね、深夜番組オールナイトフジにてテレビデビューを果たす。グループ名は東京フィルムフェスティバルにて上映されていた同名の映画が由来。
  • 1991年、デーブ・スペクターの紹介によりLAの人気番組 (ベスト・オブ・ザ・ワースト)(英語版)に出演。これが世界進出のきっかけとなった。
TOKYO SHOCK BOYSという名がついたのもこの時で、「電撃ネットワークじゃ外国人は発音できないから」とデーブが命名した。
  • 1992年、カナダの世界的コメディフェスティバル ジャスト・フォー・ラフスからの招待をうけ出演、大成功を収める。以降、世界中から出演依頼が入るようになる。
  • 1994年、オーストラリアにて全77公演。4万人を動員。
  • 1995年、スコットランドデンマークオランダドイツ全36公演。
    • デンマークでは女王マルグレーテ2世の前でパフォーマンスを披露し、翌日の新聞に大々的に取り上げられる。
  • 1996年、千葉経済大学の学園祭に出演。
  • 1997年、ニューヨークオフブロードウェイに進出。3ヶ月で71公演という日本人初の快挙を成し遂げる。
  • 1999年、FUJI ROCK FESTIVALに初出演。01年、03年、15年にも出演。
  • 2000年、初の全国ツアー「10th ANNIVERSARY TOUR 〜原点回帰〜」を開催。RISING SUN ROCK FESTIVALに出演。
  • 2001年、国内全国TOUR「不死身の男伝説」(21ヶ所24公演)を開催。初のアジア公演、香港公演。
  • 2002年、スペインのイベント「House of Asia Japanese night」に出演。
  • 2003年、国内全国TOUR「一撃必殺 〜怒りの青筋ブチ切れ寸前!〜」を開催。
  • 2004年、オーストラリアTOUR 8都市(シドニーメルボルンパース他)を開催。初の韓国公演。
  • 2005年、国内全国TOUR「電撃伝説 〜15周年だよ全員集合!〜」を開催。
    • 全世界にネットワークを持つNATIONAL GEOGRAPHIC CHANNELにて、メンバーが体験した日本4大奇祭を1年がかりで収録したドキュメント番組が放送される。RISING SUN ROCK FESTIVALに出演。
  • 2006年、オーストラリアの格闘技イベント「XPLOSION」でハーフタイムショーに出演。
  • 2007年、スペインマヨルカ島でのイベント「BROT '07」に出演。
  • 2008年、3年ぶりの国内全国TOUR「危機一髪 〜電撃最大のピンチ〜」を開催。
    • 「大銀座落語祭2008」 博品館劇場での公演に出演。
    • 福岡の夏フェス「SunSetLive2008」に出演。
    • 北野武 監督 映画「アキレスと亀」に出演。
  • 2009年、国立代々木競技場第二体育館で開催された「SPLASH INTERNATIONAL 2009」にゲスト出演。
  • 2010年、電撃ネットワーク結成20周年を迎え、6年ぶり6回目となるオーストラリアツアー8都市(アデレード、シドニー、メルボルン、パース他)を開催。
    • 神戸のロックフェス「COMIN’ KOBE」に出演。
    • 三重のロックフェス「GAGNER FESTIVAL」に出演。
    • 逗子のフェス「音霊 OTODAMA SEA STUDIO 2010」に出演。
    • 東京国際フォーラム爆風スランプの1日限定の復活ライブ「爆風復活しまんすライブ!!〜サンプラザ中野くん50歳だー!!〜」にサプライズ出演。
  • 2011年、ROCKIN'ON JAPAN 主催のフェス「Japan Jam 2011」に出演。
  • 2013年、英国アパレルブランドFRED PERRY生誕100年を記念した企画「100PERSONS,100MINDS」の東京100人ポートレートに出演。
    • 「SUMMER SONIC 大坂」に出演。
    • オンラインホテル予約サイトの世界最大手Hotels.com® WEB CMに出演。
    • 野外フェスティバル「夏の魔物2013」に「電撃BiS階段」として出演。
    • 7月、三五、肺癌が発覚して療養のため芸能活動を休止。
  • 2014年、渋谷WWWにて単独公演「デンゲキピック」を開催。
    • メンズカジュアルバッグメーカー「master-piece」ブランド創立20周年記念コラボレーションムービーを作成
    • RISING SUN ROCK FESTIVALに出演。
    • A-WORKS主催の野外フェスティバル「旅祭〜WOELD JOURNEY FESTA〜」に出演。
  • 2015年3月3日、三五、都内の病院で死去。3月26日、告別式にて、現在の事務所から独立。「会社化」することを発表した。

主な芸

  • サソリを使った芸『サソリ男』
  • 人間打楽器
  • 牛乳を鼻から飲んで目から出す『ミルクマン』
  • 液体化したロウの中に顔を入れる『ワックスマン』
  • 布団圧縮袋に入って空気を抜く『布団圧縮袋(即身仏)』
  • 缶を頭にくっつける『頭くっつき気合男』
  • マジックペンのインクを口に吸い込む『肺活量吸引力男』
  • ドライアイスと水を口に含み白煙を出す『ドライアイス大好き男』
  • グラインダー(工作機械)で金属片を削り、飛び散る火花でタバコの火をつける『火花大好きサンダー野郎』
  • 金属製のゴミを入れるバケツに、メンバーを逆さ吊りにして入れて、その中に爆竹を投げ込む『爆竹地獄』
  • ビニール袋にメンバーを入れてその中に(消火器)を放出する『即席山海塾
  • 台所用洗剤やエンジンオイルを一気飲みする
  • 巨大線香花火の火花を上半身裸の状態で浴びる
  • 陰茎の根元に縄をくくりつけ、綱引きの勝負で勝利する
  • 陰嚢に紐をくくりつけ、コンクリートブロックを引き上げる
  • スッポンとキス
  • 千円札をステープラーで耳につける『福耳男ホチキスマン』
  • スーパーウォーターガンで顔面の粉を一気に洗い流す『瞬間メイク落とし』
  • 巨大クラッカーを口で受け止める『バズーカ』
  • クラッカーを口で受け止める『クラッカー口内爆裂』
  • 『おなら燃やし』
  • 『牛乳瓶底抜き』
  • ドラム缶を打楽器に見立てたパフォーマンス『Stomp the Noise』

その他

  • トランス系ミュージックを中心に、音楽と連動した活動も展開しており、CDの楽曲の作曲・アレンジや、ライブでのキーボードプレイヤーとして、genji/nishikataが参加している。
  • パフォーマンスは「人体実験」と称されるほどに過激だが、単なる見世物主義で終わらず、genji/nishikataの音楽と三五十五のMCでの進行、時にはストーリー仕立てで観客を楽しませるなど、様々な演出でエンターテインメントに仕上げている。
  • 日本では年々テレビのコンプライアンス[]が厳しくなり、露出が少なくなってきている。一方、海外ではパフォーマンス芸となると劇場が主流であり、主催される数々のコンクールに優勝すれば一生遊んで暮らせるほどの賞金が貰えたり、劇場との契約が発生したりする。このためコンクールに出場すること自体で有名になれるほどで、テレビに出演するよりもステイタスが高い。[注釈 1]このような事情から日本国内よりも国外での人気が高い彼らだが、特にオーストラリアでは圧倒的な人気を誇る。日本人としては初めて、現地のテレビCMに出演した。
  • 赤井英和と親交が深い。赤井家の新年会を始めとするパーティでネタを披露することもしばしば。
  • 相葉雅紀は彼らの大ファンで「超人技」と呼ぶほど。特にドライアイス大好き男が好きで、『Dの嵐』内の自身の企画『Aの嵐(仮)』で最初に行った実験もドライアイスに関するものだった。ビデオも持っており、メンバー内で又貸しているうちにどこかへ行ってしまったが、『嵐・15年目の告白』にて松本潤が持っていることが発覚した。
  • 若手班は2018年までは頻繁に過激なパフォーマンスの動画を投稿していたが、同年の「ドライアイスで氷点下ビールを作ってみた」を最後に動画の投稿は一旦止まり、その後2020年に入ってから活動は再開したものの、過去に投稿した動画は全て削除された。
    • TBSで放送された追跡バスターズ第6弾の放送直後、同番組で取り上げられた知人から多額の借金を踏み倒した芸人が、紹介された様々な特徴から若手班のペリカンではないかと推測したファンや番組を見た視聴者から非難や抗議が殺到し、芸人の素性が公表されてないにも関わらずメンバーのランディーがSNS上などで謝罪に追われる事態となった。ペリカンは放送から暫くして何の説明もなく存在を抹消され、脱退したことをうかがわせる扱いとなっているが、動画が削除された一件も含めて、これらの出来事が関係しているのかは不明。

出版物

CD

  • ガツン!(1993年6月25日)※廃盤
  • 富山米(1993年8月25日)
  • gero-gero(1999年10月23日)
  • YELLOW GROOVE(2000年10月18日)
  • PUNK JAP(2001年3月7日)
  • SASORI(2002年7月24日)
  • 電撃伝説(2005年4月6日)
  • 俺はもうダメだ(2006年6月21日)
  • 電撃ネットワークのテーマ(2007年5月26日)※ The Surfaris「Wipe Out」のカバー
  • 電撃魂(2013年10月30日)

コンピレーション作品

  • 熱唱!! ストリートファイターII(1992年12月16日)
  • MEGALOMANIACS SHOW TIME!(2001年3月28日)
  • PHAT WAXX(2004年6月23日)

コラボレーション作品

  • FLY HIGH/サソリ feat.電撃ネットワーク(2002年1月23日)※THE MAD CAPSULE MARKETSとのコラボレーション

DVD

  • 電撃ネットワーク ベスト (2001年3月14日)
  • 電撃伝説~15周年だよ全員集合!~ (2005年9月21日)

VHS

  • 公開人体実験 (1999年8月21日)
  • MADE IN JAPAN (2000年10月18日)
  • ベスト・オブ・ザ・ワースト (2001年3月14日)

書籍

  • 電撃ネットワーク南部の公開処刑(1995年3月)
  • 電撃ネットワークの「かかって来い!」痛ッ! (1995年3月)
  • オレ達外国じゃあビッグスター (1998年11月)
  • 電撃伝説―ちょっとあぶない世界の楽しみ方 (2000年9月)
    (注:既刊の「オレ達外国じゃあビッグスター」に書下ろしを加え再編集したもの)

出演

RADIO

CM

漫画

TV

タイアップ

パチンコ

  • CR電撃ネットワーク(2007年、エース電研
  • CRショックボーイズ(2007年、エース電研)

パチスロ

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 実際に電撃ネットワークは日本では「ヨゴレ芸のお笑い集団」というイメージであるが、海外ではれっきとした「アーティスト」として認知されている。
  2. ^ この競技にはダチョウ俱楽部大川興業柳ユーレイグレート義太夫芹澤名人極楽とんぼ、森下行由(バカーチン大臣)、ブッチャーブッチャーブラザーズ)、キリングセンスも参加していた。

出典

  1. ^ “「電撃ネットワーク」の三五十五さん死去、52歳 肺がんを公表”. 東スポWeb. (2015年3月4日). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/103794 
  2. ^ “電撃ネットワーク”. ORICON NEWS (2015年3月18日). 2023年4月12日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • 公式ウェブサイト
  • 株式会社電撃兄弟社 - 所属事務所
  • 株式会社BBE - 業務提携事務所
  • 電撃Live - Ameba blog
  • 早稲田大学人物研究会・電撃ネットワーク講演録
  • 「電撃TV / 電撃ネットワーク公式」 - YouTube
ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。