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阪急京都本線

京都本線(きょうとほんせん)は、大阪府大阪市淀川区十三駅から京都府京都市下京区京都河原町駅まで[注釈 1]を結ぶ阪急電鉄鉄道路線。京都本線自体を指して、あるいはその支線を含めて通称京都線(きょうとせん)と呼ばれる。また、軌道法準拠で開業した神宝線神戸本線宝塚本線ほか)と区別する意味で、かつては鉄道線(てつどうせん)とも呼ばれた。ラインカラーは、古都京都の木々からグリーン()。 一般的に、案内上「京都線」の名称は、京都本線と宝塚本線大阪梅田駅 - 十三駅間を含めた、大阪市北区の大阪梅田駅から京都河原町駅を結ぶ運転系統の呼称として使われている。以下特記のない限り、運転系統としての京都線(大阪梅田駅 - 京都河原町駅間)について記述する。

京都本線
9300系による特急
西向日駅付近 2020年11月)
基本情報
日本
所在地 大阪府京都府
起点 十三駅[注釈 1]
終点 京都河原町駅
駅数 27駅
路線記号 HK
開業 1921年4月1日
最終延伸 1963年6月17日
所有者 阪急電鉄
運営者 阪急電鉄
車両基地 正雀車庫・工場桂車庫
使用車両 使用車両の節を参照
路線諸元
路線距離 45.3 km
軌間 1,435 mm標準軌
線路数 複線
電化方式 直流1,500 V 架空電車線方式
閉塞方式 自動閉塞式
保安装置 (阪急型ATS(パターン式))
最高速度 115 km/h[1]
路線図
(テンプレートを表示)

概要

停車場・施設・接続路線
(凡例)
 
 
 
 
北新地駅 JR西  JR東西線
 
 
 
大阪梅田駅 阪神  本線
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
0.3 梅田駅 (1)  -1971
 
 
 
   
 
 
 
 
 
 
1 - 4の路線は下記参照
 
 
 
   
 
 
 
 
 
 
大阪駅  梅田駅
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
0.0 HK-01 大阪梅田駅 (2) 1971-
     
 
 
 
 
 東梅田駅 西梅田駅
         
梅田信号場
     
 
 
 
 
阪神北大阪線
   
 
 
 
 
 
 
 
JR西:梅田貨物線
     
 
 
 
 
JR西:梅田貨物線(旧線)
 
 
 
 
 
 
 
HK-02 中津駅(京都線は通過)
 
 
 
 
 
 
 
新淀川駅 -1926
     
淀川
   
 
 
 
 
   
 
 
 
 
   
     
0.0 HK-03 十三駅
 
 
 
 
  神戸本線
 
 
 
 
  宝塚本線
 
 
 
 
 
  御堂筋線西中島南方駅
 
 
 
 
1.9 HK-61 南方駅
   
JR西:東海道本線(  JR京都線)
 
国鉄:東海道本線旧線
 
3.2 HK-62 崇禅寺駅
   
K20 天下茶屋駅
 
 
 
 
  堺筋線
   
K11 天神橋筋六丁目駅
 
 
 
 
  千里線
 
 
 
 
 
4.2 HK-63 淡路駅
 
 
 
 
JR西:  おおさか東線JR淡路駅
 
国鉄:東海道本線旧線
     
  千里線 北千里駅
 
JR東海  東海道新幹線
   
6.3 HK-64 上新庄駅
 
7.2 HK-65 相川駅
 
8.3 東吹田信号所
   
地下鉄:東吹田検車場
 
9.4 HK-66 正雀駅
   
正雀工場
 
10.9 HK-67 摂津市駅
 
 
 
 
12.9 HK-68 南茨木駅
 
 
 
 
大阪モノレール線
 
近畿自動車道
 
JR貨物
東海道本線貨物線
大阪ターミナル線
 
14.8 HK-69 茨木市駅
 
 
16.2 HK-70 総持寺駅
 
17.3 HK-71 富田駅
 
20.6 HK-72 高槻市駅
 
 
22.2 東高槻仮信号場 -1993
   
JR東海:  東海道新幹線
   
24.9 HK-73 上牧駅
 
   
25.7 HK-74 水無瀬駅
 
大阪府京都府
 
     
27.7 HK-75 大山崎駅
     
       
JR西:東海道本線(  JR京都線)
 
名神高速道路
 
30.2 HK-76 西山天王山駅
 
京都縦貫自動車道にそと
 
31.7 HK-77 長岡天神駅
 
33.6 HK-78 西向日駅
 
35.0 HK-79 東向日駅
 
物集女駅 -1948
 
36.3 HK-80 洛西口駅
 
   
38.0 HK-81 桂駅桂車庫
 
  嵐山線
 
桂川
 
40.1 HK-82 西京極駅
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
41.9 HK-83 西院駅  
 
 
 
   
京福  嵐山本線
 
 
 
 
西院駅
   
JR西:山陰本線  嵯峨野線
   
四条大宮駅
 
43.3 HK-84 大宮駅  
 
44.4 HK-85 烏丸駅  四条駅 
 
 
 
45.3 HK-86 京都河原町駅  
 
 
 
鴨川
 
 
 
 
祇園四条駅 京阪 KH  京阪本線

大阪梅田駅付近の路線

神戸本線宝塚本線と並ぶ阪急電鉄の基幹路線の一つ。大阪と京都という大都市同士を結ぶ都市間鉄道(インターアーバン)であり、大阪と京都それぞれの随一の繁華街である梅田界隈と四条河原町界隈を両端に持つ。京阪間を大阪府の北摂地域と京都府の乙訓地域を経由して、淀川右岸に沿うように直線コースで結んでいるのが特徴である。また、西院駅 - 京都河原町駅間は地下線であり、このうち西院駅 - 大宮駅間は1931年に開業した関西初の地下線となっている。1963年に大宮駅から河原町駅(現在の京都河原町駅)に延伸された。

もともとは京阪電気鉄道の子会社である新京阪鉄道京阪本線のバイパスとして建設した路線(新京阪線)であったが、太平洋戦争中の政府による交通統制によって1943年に京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)の路線となった。戦後の1949年の京阪電気鉄道の分離の際、新京阪線は阪急に残され京都本線となった(詳細後述)。

全線にわたってJR京都線東海道本線)と並行しており、淀川の対岸には大阪と京都を結ぶ鉄道として京阪電気鉄道(京阪電車)の京阪本線がある。ただし、JRと異なり本路線はターミナル駅京都駅を経由せずに、直接京都市の中心市街地である四条通四条河原町四条烏丸)にアクセスできるほか[2]、京阪本線は大阪側のターミナル駅が淀屋橋駅京橋駅であり、途中の経路も大きく異なる。

淡路駅を経由して千里線に直通する列車も設定されており、同線の天神橋筋六丁目駅方面の列車はさらにOsaka Metro堺筋線直通運転を行い、天下茶屋駅まで至る。

路線データ

旅客案内および運転系統上の京都本線は、大阪梅田駅 - 京都河原町駅間47.7 km、28駅(起終点駅含む)である。

路線概況

阪急の基幹3路線系統が並走する大阪梅田駅 - 十三駅間を除き、一貫して淀川の右岸側に路線が通っている。路線敷設の経緯から線形は比較的良く、とりわけ上新庄駅 - 桂駅間には運転上考慮すべきカーブはあまりみられない。西日本旅客鉄道(JR西日本)の東海道本線JR京都線)は崇禅寺駅付近 - 大山崎駅間では当路線の北寄りを、それ以外では南寄りのルートを通る。ほかにも東海道新幹線名神高速道路国道171号も当路線に近いルートを通る区間があり、特に高槻市駅 - 西山天王山駅付近では淀川と北摂山地および天王山に挟まれた狭隘な平地をこれらの路線が近接して並走する光景もみられる。

運行形態

京都本線はJR片町線京阪本線と同様、大阪方面行が下り、京都方面行が上りとなっている。これに対し、神宝線はその逆で大阪方面行が上りとなっている[注釈 2]。正式な起点は大阪側の十三駅である[注釈 1]が、運行上、京都線の列車は大阪梅田駅を始発・終着としており、大阪梅田駅 - 十三駅間は宝塚本線複々線の東側増設線2線に乗り入れる形となっている。この区間は休止となった北野線の復活という形で免許が申請されており、用地の問題からホームが設置できなかった中津駅には京都線の列車は停車しない。途中の淡路駅で自社の千里線と交差しており、両路線は頻繁に直通運転を行っている。直通列車は大阪梅田駅 - 淡路駅 - 千里線方面と京都方面 - 淡路駅 - 千里線方面の2系統が存在し、後者は千里線を経て大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) の地下鉄堺筋線にも直通している。

 
梅田(現・大阪梅田)駅京都線ホームの隣駅表示は十三。中津駅を通過することも明記されている(画面奥)

ダイヤサイクルはパターン化されており、昼間は10分サイクル、ラッシュ時は20分サイクルで運転されている。ただし、土休日の日中は快速特急が運行されるためその前後の列車にダイヤパターンから1 - 2分ほどの時間のズレが生じており、完全な10分サイクルではない。

千里線とは運用面で一体化されており、また歴史的経緯からも開業以来一体で運営されてきたものであるため、千里線の運用も本項に併せて記載する。

編成両数は基本的に8両編成だが、一部に7両編成の運行がある[注釈 3]。8両編成で統一されている神戸本線(平日朝ラッシュ除く)・宝塚本線と異なり、京都本線に7両編成が存在するのは京都河原町駅2号線のホーム有効長が7両であることや、車庫の収容能力に起因している[4]。土曜・休日に運転される快速特急および行楽期に運転される直通特急は6両編成で運転されている。

日中1時間あたりの運行本数は次のようになっている。平日と土休日でダイヤパターンが異なる。

日中の運行パターン(平日)
種別\駅名 大阪梅田 淡路 高槻市 京都河原町
運行範囲 特急 6本
準急 6本
普通 3本
3本 →北千里
天下茶屋← 3本
日中の運行パターン(土休日)
種別\駅名 大阪梅田 淡路 高槻市 京都河原町
運行範囲 快速特急 0 - 1本(1日4往復)
特急 6本
堺筋準急 天下茶屋← 3本
準急 3本
普通 3本
3本 →北千里
天下茶屋← 3本

列車種別

以下に各種別の詳細を示す。現行の各種別の停車駅は「駅一覧」の節を参照。

快速特急(京とれいん 雅洛)

土休日のみに大阪梅田駅 - 京都河原町駅間で運転される京都への観光客向けの列車で、特別料金不要であるため運賃のみで乗車できる。1日4往復運転される。

停車駅は、大阪梅田駅・十三駅・淡路駅・桂駅・烏丸駅・京都河原町駅である。ダイヤは特急の始発駅発車2分後に続行で設定され、停車駅は後述の特急より少ないものの、終点まで先行の特急を追い抜くことはない。ただし、大阪梅田行きは桂駅で準急に、京都河原町行きは淡路駅と桂駅で準急に接続する。

使用車両は神宝線7000系を改造した「(京とれいん 雅洛)」(7006F)6両編成である。最高速度は110 km/hである。専用の車両が使用されるが、1編成しかないため、車両の検査等で使用できない場合は一般車両が使用される[5]

英語表記は「Limited Express」が使用されていたが、2019年1月のダイヤ改正で「Rapid Limited Express」に変更された。阪急ホームページ内の発車時刻表では「快特」と表記している[6]

快速特急は、2011年5月14日のダイヤ改正で6300系をリニューアルした「京とれいん」で運行する列車として新設された[7]。その後、十三駅にホームドアを設置することになり、2019年1月19日のダイヤ改正で6300系を使用する列車は後述の「快速特急A」に変更して十三駅通過とした[8](快速特急Aは2022年12月17日のダイヤ改正で廃止)。

2019年3月23日からは、「京とれいん」の2編成目である「京とれいん 雅洛」で運転されている[9][10]。6300系と異なり、ドア位置の問題はないため十三駅にも停車する。

なお、6300系京とれいんと違い、「京とれいん 雅洛」は神宝線の7000系を改造しているため神宝線への乗り入れが可能であり、行楽期の臨時列車として神戸本線西宮北口駅 - 嵐山線嵐山駅間の(直通特急)で運転されたことがある。

特急

平日ダイヤでは京都本線の最上位の種別であり、乗車券のみで乗車可能である。大阪梅田駅 - 京都河原町駅間で、基本的に平日は9 - 16時に、土曜・休日は概ね9 - 21時に運行される。10分間隔が基本だが、土休日夜間などは15分ほどあく時間帯がある。日中の大阪梅田駅 - 京都河原町駅間の所要時間は42 - 45分、最速は2022年12月17日のダイヤ改正以降、平日日中下りに運転される列車の42分30秒(表定速度:67.3 km/h、平均速度:74.2 km/h)である。

8両編成の運用で、最高速度115 km/hで運転されるためそれに対応した車両に限定されている。主に転換クロスシート車の9300系で運行されるが、ロングシート車の8300系・7300系・1300系で運行される列車もある。

途中停車駅は、大阪梅田駅・十三駅・淡路駅・茨木市駅・高槻市駅・長岡天神駅・桂駅・烏丸駅・京都河原町駅で、各駅において先着となる。かつては梅田駅・十三駅・大宮駅・烏丸駅・河原町駅のみの停車で、京阪間ノンストップ運転を行っていた。

大阪梅田方面への列車は、平日は桂駅と高槻市駅で準急に、茨木市駅で普通に接続する。土休日は桂駅と茨木市駅で準急に、高槻市駅で普通に接続する。京都河原町方面への列車は、平日・土休日ともに、茨木市駅で普通に、高槻市駅と桂駅で準急に接続する。

平日は終日、9300系で運転される列車において、大阪梅田側から5両目(5号車)に「女性専用車両」が設定されていた(女性専用車両の詳細については阪急電鉄ホームページを参照のこと)。9300系以外の車両による運用時は女性専用車両は設定されない。2022年12月17日のダイヤ改正により、特急における女性専用車両の設定を取り止められた。

2024年には有料座席の設置が予定されている。

通勤特急

大阪梅田駅 - 京都河原町駅間で、平日の朝3往復のみ運行される。全列車8両編成、最高速度は115 km/hである。

停車駅は、大阪梅田駅・十三駅・茨木市駅・高槻市駅・長岡天神駅・桂駅・西院駅・大宮駅・烏丸駅・京都河原町駅である。特急に比べ京都市内の西院駅・大宮駅に停車する代わりに、千里線・堺筋線との乗り換え駅で特急・準特急停車駅の淡路駅を通過する。京都河原町行きは、高槻市駅で準急に、長岡天神駅で普通に接続する。大阪梅田行きは、長岡天神駅で準急天下茶屋行きに、高槻市駅で普通大阪梅田行きに、茨木市駅で普通天下茶屋行きにそれぞれ接続する。

特急同様に停車駅を増やす傾向がみられ、下位種別の準特急(2022年12月16日までは快速急行)との差が縮まりつつある。2010年のダイヤ改正で茨木市駅に停車するようになってからは、快速急行(現在の準特急)との停車駅の差は淡路駅に停車しないだけになった[11]。また、このダイヤ改正で、停車駅が1つ増加し10駅停車となったため総停車駅数で見れば特急より下位種別(9駅停車の特急と11駅停車の快速急行の間)となっている。

現行のものは2001年のダイヤ改正で設定された。英語表記は「Limited Express」が使用されていたが、2019年1月のダイヤ改正で「Commuter Limited Express」に変更された。2022年12月のダイヤ改正で夕ラッシュの運転を取り止め、朝ラッシュも準特急への統合・格下げにより通勤特急は3往復のみと大幅に削減された[12]

準特急

大阪梅田駅 - 京都河原町駅間で、主に平日の朝夕ラッシュ時間帯と土休日の早朝・夜間に運転される。全列車8両編成。最高速度は110 km/hである。ほとんどの列車は、大阪梅田駅 - 京都河原町駅間で運行されるが、正雀車庫からの出庫を兼ねた茨木市発京都河原町行きが2本(平日は朝夕に1本ずつ、土休日は朝に2本)運行される。

2022年12月17日のダイヤ改正で快速急行を改称して設定された[12]。停車駅は従来の快速急行を引き継ぎ、大阪梅田駅・十三駅・淡路駅・茨木市駅・高槻市駅・長岡天神駅・桂駅・西院駅・大宮駅・烏丸駅・京都河原町駅である。すべての区間において先着する。

接続に関しては、列車ごとに異なるが、長岡天神駅・高槻市駅・茨木市駅で普通または準急に、また淡路駅で普通天下茶屋行きに接続する。

平日・土休日の京都河原町を23時15分に出発する大阪梅田行きは、京都河原町駅 - 西院駅・桂駅・長岡天神駅で淡路駅・十三駅・大阪梅田駅への最終列車の役割を担う。ただし、高槻市駅で普通大阪梅田行き(相川駅 -大阪梅田駅の最終列車)に接続する。

急行

2022年12月17日より快速から改称して西京極駅停車として設定された。停車駅は、大阪梅田駅・十三駅・南方駅・淡路駅・上新庄駅・南茨木駅・茨木市駅・高槻市駅・長岡天神駅と桂駅 - 京都河原町駅の各駅である。全区間で先着する。平日は早朝に下り3本(このうち2本は長岡天神発大阪梅田行き)、夜間に上り3本(大阪梅田発京都河原町行き)が運転される。土休日は夜間に上り3本が運転される。

すべて8両編成で運行されている。最高速度は110 km/hである。種別を表す色は路線図や時刻表では黄色、種別幕の色も黄色となっている。

大阪梅田行きは、京都河原町駅を始発とする列車のみ、高槻市駅と茨木市駅で普通大阪梅田行きに接続する。京都河原町行きは、茨木市駅で普通に接続する。

平日の大阪梅田駅を23時45分に出発する京都河原町行きは、大阪梅田駅・十三駅・南方駅・淡路駅・上新庄駅・南茨木駅・長岡天神駅と桂駅 - 京都河原町駅への最終列車の役割を担う。ただし、途中茨木市駅にて普通桂行き(高槻市駅 - 桂駅の最終列車)に接続する。

準急

2007年に急行に代わって設定された。ほとんどの列車は大阪梅田駅 - 京都河原町駅間の運転であるが、土休日の早朝において、高槻市発大阪梅田行き、洛西口発大阪梅田行きがそれぞれ1本ずつ設定されている。また高槻市発大阪梅田行きは平日の朝ラッシュ終わり(高槻市9:30発)にも1本設定されている。

停車駅は、大阪梅田駅・十三駅・南方駅・淡路駅・上新庄駅・南茨木駅・茨木市駅と高槻市駅 - 京都河原町駅の各駅である。

7両編成または8両編成で運行されている。最高速度は110 km/hである。

朝夕のラッシュ時間帯では、長岡天神・高槻市で準特急または通勤特急に接続する。平日の昼間時間帯は、高槻市駅と桂駅で特急に、茨木市駅で普通に接続する。土休日の昼間時間帯では、上下でそれぞれ異なり、大阪梅田方面は、桂駅と茨木市駅で特急に接続(一部は桂駅で快速特急にも接続)し、京都河原町方面は、茨木市駅で普通に、高槻市駅と桂駅で特急(一部は快速特急にも)接続する。

1982年から2001年までも「準急」を名乗る列車が運転されていたが、これは現行のものと大きく異なり、梅田行きのみの設定で淡路駅を境に京都側で通過運転、大阪側で各駅停車(ただし中津駅は全列車通過)となるものであった(後節参照)。

堺筋準急

Osaka Metro堺筋線(天下茶屋駅 - 天神橋筋六丁目駅間)・阪急千里線(天神橋筋六丁目駅 - 淡路駅間)と京都本線の直通列車として運転される。2007年3月17日改正で従来の堺筋急行堺筋快速急行に代わって設定された。

全列車が天下茶屋駅 - 京都河原町駅間での運転である。停車駅は、Osaka Metro堺筋線内(天下茶屋駅 - 天神橋筋六丁目駅)の各駅と、淡路駅・上新庄駅・南茨木駅・茨木市駅、高槻市駅 - 京都河原町駅の各駅である。

平日朝は下りで、平日夕方は上りでそれぞれ7本ずつ運転される。平日の朝(天下茶屋方面)は、長岡天神駅で通勤特急または準特急に、高槻市駅で準特急に、淡路駅で普通大阪梅田行きに接続する。夕方の京都河原町行きは淡路駅で大阪梅田発の北千里行普通に、高槻市駅と長岡天神駅で準特急に接続する。

土休日は2011年5月14日から日中に設定されており、20分間隔で運転されている。

なお、「堺筋準急」は運行管理上の種別名であり、正式種別名は単に「準急」である。阪急の8両編成の車両が使用され、Osaka Metroの車両は使用されない。

普通

各駅に停車する種別で、終日運転される。ただし前述のとおり中津駅は京都本線側にホームがないため全列車通過する。

運転区間は、ラッシュ時は、大阪梅田駅 - 高槻市駅・京都河原町駅間、昼間時間帯は大阪梅田駅 - 高槻市駅間である。また千里線に乗り入れる列車が大阪梅田駅 - 北千里駅間、堺筋線に乗り入れる列車が天下茶屋駅 - 高槻市駅間で運行されている(天下茶屋駅 - 北千里駅間を直通する列車もあり)。日中時間帯は、10分に1本の運転で、大阪梅田発着系統と天下茶屋発着系統が交互に運転されている。

そのほか、相川駅・正雀駅・茨木市駅・長岡天神駅・桂駅始発の列車も設定されている。朝夕のラッシュ時間帯には、天下茶屋発茨木市行きも設定されている。

夜間は車庫の入庫の関係から、上下共に桂止まりの列車が設定されている。また夜間留置の都合で、平日夜に京都河原町発長岡天神行き、平日深夜には京都河原町発茨木市行き、土休日深夜は同駅発高槻市行きが1本ずつある。

淡路駅で京都本線と千里線の普通(大阪梅田行きと天下茶屋行き、高槻市行きと北千里行き)が接続する。

平日の上りは相川駅で準急・特急を待避し、茨木市駅で準急・特急と接続する。平日の下りと土休日の上りは茨木市駅で準急・特急と接続し、相川駅で特急を待避する。土休日の下りは始発の高槻市駅で準急・特急から接続し、正雀駅で特急・準急を待避する。

8両編成または7両編成が使用されるが、堺筋線直通列車は高槻市駅 - 京都河原町駅間を除いて8両編成のOsaka Metroの車両も使用される。高槻市駅 - 長岡天神駅間を走行する列車に関しては2001年までは全列車が7両編成以下だった(これは大山崎駅・水無瀬駅・上牧駅が7両編成対応ホームであったため)。

京都本線の普通は、1959年2月18日の梅田駅(現在の大阪梅田駅) - 十三駅間3複線化までは早朝・深夜のごく一部を除き大阪側は十三駅又は天神橋駅発着であり、3複線化により千里山線(現・千里線)方面の普通列車の多くが梅田駅発着に延長された。その後1969年12月5日までは梅田駅発着の列車が設定されていた早朝・深夜を除き[注釈 4]、十三駅発着列車と、淡路駅で梅田駅発着の千里線直通普通に接続する天神橋駅発着列車が交互に運転されていた。堺筋線との相互直通運転が開始された1969年12月6日改正で、天神橋駅発着列車を高槻市駅発着の堺筋線直通列車に変更し、同じく早朝・深夜を除き、京都本線の大阪側の普通は千里線直通普通の一部を含め十三駅発着が基本となった。それも梅田駅移転工事の完成した1973年11月23日改正でほぼ全列車が千里線直通普通と同様に梅田駅発着に延長され、十三駅発着の普通は当時学生の帰宅時間向けに設定されていた平日午後や土曜正午前後に運転されていた茨木市駅・淡路駅などを発着とする不定期の普通や、わずかに残った京都本線の定期普通など、ごく少数のみとなり、それらも1976年9月22日までに廃止されたため(廃止直後に十三駅7号線を廃止)、現在は十三駅発着の列車は設定されていない。なお、千里線直通普通については、京都本線の普通とは逆に、梅田駅発着を原則としており、十三駅発着列車がごくわずかであった。

過去の列車種別

過去には以下の列車種別が存在した。本節において梅田駅、河原町駅はそれぞれ現在の大阪梅田駅、京都河原町駅。

快速特急A

停車駅
大阪梅田駅 - 淡路駅 - 桂駅 - 烏丸駅 - 京都河原町駅

2019年1月19日のダイヤ改正で、それまで前述の「快速特急」に使用されていた6300系京とれいん」で運行する列車として新設された[8]。なお快速特急Aは阪急では初のアルファベット入り種別であり、日本で唯一の種別であった。

専用車両として内装を京風にリニューアルした6300系「京とれいん」が使用された。最高速度は6300系が115 km/h非対応であるため110 km/hである。

十三駅は通過する。これは、6300系の扉位置が他車と異なり、十三駅に設置されているホームドア[13]の位置と合わないためである(なお同ダイヤ改正が行われる前は同駅にホームドアが無かったため快速特急として停車していた。)[8]。ただし、実際は通過するのではなく旅客扱いを実施しない(運転停車)を行っており、所要時間は十三駅で旅客乗降を扱う快速特急と同等である[注釈 5]。一般車両が運用に入る際も同様に通過扱いとなる[8]。なお十三駅を通過扱いとする列車は1961年1月16日のダイヤ改正で特急が停車するようになって以来、58年ぶりの設定である。

2022年12月17日のダイヤ改正で廃止されることになり[12]、同月11日をもって運行を終了した。

旧・快速特急

停車駅
梅田駅 - 十三駅 - 高槻市駅 - 桂駅 - 大宮駅 - 烏丸駅 - 河原町駅

2001年3月24日[14]から2007年3月16日までの、土曜・休日の朝(平日にも一部運転)および全日の夕方・夜間の時間帯に運行された。後述の1997年-2001年の快速急行を改称したもので、停車駅は同じである。2007年3月17日のダイヤ改正で休止[15]され、代わりに西院駅を停車駅に加えた通勤特急が設定された。6300系で運転され、2002年から平日は大阪寄り5両目が女性専用車両となっていた。

なお、「快速特急」の種別名称は、2010年度より行楽時の(嵐山線直通臨時列車)の種別として復活した。その後、2011年より土休日運転の観光客向け特急の種別となっている(前述)。

旧・通勤特急

停車駅
梅田駅 - 十三駅 - 高槻市駅 - 大宮駅 - 烏丸駅 - 河原町駅

当時の特急の停車駅に対して、高槻市駅にも停車するようにしたもので、朝夕ラッシュ時に運転された。1997年改正ですべての特急が高槻市駅に停車するようになり、通勤特急はいったん消滅した。廃止直前の運行形態は、約15分間隔で、梅田発20時以降は30分間隔だった。夕方の河原町発は設定されていなかった。

2001年3月24日のダイヤ改正で、朝夕ラッシュについては以前のダイヤを踏襲して作成されていたことから、従来と同じ停車駅(十三駅・高槻市駅・大宮駅・烏丸駅)で再び設定され、朝のみに15分間隔で運転された。該当する時間帯には、特急は運転されなかった。以前より運行時間が縮小されているが、朝ラッシュの前後と夕方以降は快速特急(前記に加えて桂駅に停車)が運転されていた。車両は6300系が使用された。

快速急行

1997年3月2日 - 2001年3月23日
停車駅
梅田駅 - 十三駅 - 高槻市駅 - 桂駅 - 大宮駅 - 烏丸駅 - 河原町駅

1997年3月2日から2001年3月23日まで存在した。平日河原町行きのみの運転で、朝の1本と、夜間(梅田発21時30分以降)に設定された。なお、同時間帯は特急の運転がなかった。停車駅は、当時の特急の停車駅に桂駅を加えたものであった。6300系で運転された。2001年3月24日のダイヤ改正で前述の旧・快速特急に改称された[14]

2001年3月24日 - 2022年12月16日
停車駅
大阪梅田駅 - 十三駅 - 淡路駅 - 茨木市駅 - 高槻市駅 - 長岡天神駅 - 桂駅 - 西院駅 - 大宮駅 - 烏丸駅 - 京都河原町駅

2001年3月24日のダイヤ改正で従来の急行の停車駅を受け継いで設定され、朝夕ラッシュと夜間の時間帯に運行された。 2022年12月17日のダイヤ改正で準特急に名称変更された。

旧・急行

 
2007年3月まで存在していた急行(南茨木駅付近 2006年7月22日)

2007年3月16日までの昼間と夕方の時間帯と平日深夜(上り1本のみ高槻市止まり。ただし梅田発高槻市行最終はその次の普通)に運行された。昼間時間帯は普通の運転のない高槻市駅 - 河原町駅間の各駅停車の代替となり、下りは桂駅と茨木市駅で、上りは高槻市駅と桂駅で特急と緩急接続していた。列車によっては7両編成で運転されることがあった。終戦直後から存在する種別であったが、2001年改正を境に大きく見直しが行われた[14]

2001年3月23日まで
停車駅
梅田駅 - 十三駅 - 淡路駅 - 茨木市駅 - 高槻市駅 - 長岡天神駅(1979年改正まではラッシュ時のみ停車) - 桂駅 - 西院駅 - 大宮駅 - 烏丸駅 - 河原町駅

2001年3月改正までの急行は、現在の準特急、2001年-2022年の快速急行と同じ停車駅であるが、終日に渡って運転されていたこと、当時は特急と停車駅数の差が大きかったため、途中で特急待避が行われていた点が異なる。

最終時点では、平日日中は10分間隔、それ以外は朝夕を含めおおむね15分間隔で運転されていた。また、平日日中の河原町行き、休日の梅田行きはそれぞれ桂駅で後発の特急を待避した。

所要時間は、待避のない最速列車で48分、一方朝の梅田行きは最大で57分を要していた。

車両は8両編成のほか、平日朝には10両編成で運転された。

2扉車の6300系が運用される列車は駅の時刻表に2扉車を示すマークとして◆が付けられていた。

1979年3月5日改正まで長岡天神駅には平日朝夕のみ停車していたが、停車駅の相違による種別の区分は行われず、ともに「急行」を名乗った。ただし、同駅通過の急行は「大阪 急 京都」と書かれた種別板の背景色が白色だったのに対し、長岡天神駅に停車する急行は種別板内の「大阪」「京都」と書かれた行先部分の背景色が黄色になっていることで区別されていた。

プロ野球の試合が行われる日は西京極駅に、サッカーJリーグの試合が行われる日には南茨木駅や西京極駅に、向日町競輪が行われる日には東向日駅に、それぞれ臨時停車することもあった。

2001年3月の改正で停車駅が大幅に見直され、この旧・急行は快速急行に名称変更された[14]

2001年3月24日 - 2007年3月16日
停車駅
梅田駅 - 十三駅 - 淡路駅 - 南茨木駅 - 茨木市駅 - 高槻市駅 - (この間各駅に停車) - 河原町駅

2001年3月改正からの急行は、1997年-2001年の快速の停車駅を受け継ぐ形で設定された。平日・休日を問わず日中のみ(例外的に平日の梅田0時00分発高槻市行きも)設定され、10分間隔で運転された。

梅田行きは桂駅・茨木市駅で、河原町行きは高槻市駅・桂駅で後発の特急を待避した。

7両編成または8両編成が使用された。なお、この急行の設定にあわせ、従来7両分の長さしかなかった大山崎駅水無瀬駅上牧駅では、ホームの延伸が行われている。

2007年の改正で休止され、停車駅パターンは、上新庄駅南方駅にも追加停車する形で準急に引き継がれた[15]

2022年12月のダイヤ改正から、再び快速に代わり急行が登場することになった[12]

堺筋快速急行

停車駅
天下茶屋駅 - (この間各駅に停車) - 天神橋筋六丁目駅 - 淡路駅 - 茨木市駅 - 高槻市駅 - 長岡天神駅 - 桂駅 - 西院駅 - 大宮駅 - 烏丸駅 - 河原町駅

2001年3月24日から2007年3月16日の平日夕方ラッシュ時に、地下鉄堺筋線・阪急千里線と京都本線の直通列車として天下茶屋発河原町行3本のみが運転されていた。茨木市駅で後発の快速特急を待避した。なお、淡路駅から京都方面へは最速達列車であった。

2007年3月17日のダイヤ改正で、淡路駅で快速急行河原町行に接続する観点から消滅し、その代替として堺筋準急が設定された。

堺筋急行

2001年3月23日までの停車駅
天下茶屋駅 - (この間各駅に停車) - 天神橋筋六丁目駅 - 淡路駅 - 茨木市駅 - 高槻市駅 - 長岡天神駅 - 桂駅 - 西院駅 - 大宮駅 - 烏丸駅 - 河原町駅
2001年3月24日 - 2007年3月16日の停車駅
天下茶屋駅 - (この間各駅に停車) - 天神橋筋六丁目駅 - 淡路駅 - 南茨木駅 - 茨木市駅 - 高槻市駅 - (この間各駅に停車) - 河原町駅

1979年3月5日から2007年3月16日の平日朝夕ラッシュ時に地下鉄堺筋線・阪急千里線と京都本線の直通列車として河原町駅 - 天下茶屋駅(1993年までは動物園前駅)間で運転されていた。

2001年改正までは、朝の天下茶屋行き、夕方の河原町行き各3本ずつが運転された。天下茶屋行きは長岡天神駅で、河原町行きは茨木市駅で後発の特急(または通勤特急)を待避した。

2001年改正以降は急行の停車駅パターンが変更され、河原町駅 - 高槻市駅間の各駅に停車するようになった。この改正では朝の高槻市始発も設定されたが、夕方の列車は快速急行(堺筋快速急行)へ種別変更され、急行としての設定はなくなった。朝の列車が残ったが、2007年3月17日のダイヤ改正で準急(堺筋準急)に変更された。

「堺筋快速急行」および「堺筋急行」は便宜上の呼び方であり、種別表示幕には「快速急行」「急行」と表示された。阪急の車両が使用され、大阪市交通局(現在のOsaka Metro)の車両は使用されなかった。

快速

1997年3月2日 - 2001年3月23日
停車駅
梅田駅 - 十三駅 - 淡路駅 - 茨木市駅 - 高槻市駅 - (この間各駅に停車) - 河原町駅

高槻市駅以東の各駅から梅田方面への速達化を図るため、1997年3月のダイヤ改正で新設された。平日昼間のみ20分間隔の運行であった。梅田行きは桂駅で特急、長岡天神駅で急行を待避し、河原町行きは長岡天神駅で急行・特急を連続待避した。

当時、高槻市駅以西の急行停車駅以外にも南方駅崇禅寺駅に停車する準急が運転されており、途中から各駅に停車するものの、この2駅を通過するという違いが生じるため、急行と準急の中間の種別を設定する必要が生じたことが設定の理由である。2001年3月23日のダイヤ改正で休止された(実質的には急行へ改称)[14]

この快速が運転されていた時間帯は、高槻市駅 - 梅田駅間で先着の優等列車が1時間に12本運転(特急3本・急行6本・快速3本、他に普通が6本)されるという頻発運転が行われていたが、あまり宣伝されることはなく、またこのダイヤは土曜・休日に実施されることはなかった。

なお、「快速」の種別名称は、2007年度より行楽時の臨時列車の種別として(後述)、また、2010年3月14日からは定期列車として復活した(下段参照)が、急行に改称する形で再び消滅した(前述)。

2010年3月14日 - 2022年12月16日
停車駅
大阪梅田駅 - 十三駅 - 南方駅 - 淡路駅 - 上新庄駅 - 南茨木駅 - 茨木市駅 - 高槻市駅 - 長岡天神駅 - 桂駅 - 西院駅 - 大宮駅 - 烏丸駅 - 京都河原町駅

2010年3月14日のダイヤ改正から定期列車として再設定された。2022年時点では平日に、下りは早朝に3本(このうち2本は長岡天神始発大阪梅田行き)・上りは夕ラッシュ時に7本運転されていた。土休日の運転はない。大阪梅田駅 - 高槻市駅間では準急と、高槻市駅 - 京都河原町駅間では快速急行とそれぞれ同じ停車駅である。全区間で先着する。夕ラッシュ時の京都方面への先着列車を増やし、通勤特急・快速急行の混雑緩和と利用者の分散の役割を持たせるために設定された。

種別を表す色は路線図や時刻表では青色、種別幕の色も青色となっている[16]。2013年12月20日までは種別を表す色が準急と同じ緑となっており[16]、高槻市駅 - 京都河原町駅間で誤乗が発生しやすいため、快速停車駅では誤乗防止を促す貼り紙が貼られていた。

祭事や終夜運転で臨時快速が運転されることがあった。8月に開催される京の七夕に合わせて、2012年から2014年までの開催期間中の土曜日夕方に梅田発河原町行き、夜に河原町発梅田行きの1往復の臨時快速が、6300系「京とれいん」車両を使用して運行されていた。当該編成の種別幕には「快速」の表示が収録されていないため、「臨時」と表示していた。

英語での種別表示では、快速急行「Rapid Express」との区別から、「Rapid Service」と表示されている(2019年10月の梅田・河原町の駅名変更までは、9300系・7300系LED方向幕装備編成の車内LCDでは短縮して「Rapid」とだけ表示されていた)。

2022年12月17日のダイヤ改正で西京極駅が停車駅に追加され、急行に名称変更された[12]

旧・準急

停車駅
高槻市駅 - 茨木市駅 - 淡路駅 - 崇禅寺駅 - 南方駅 - 十三駅 - 梅田駅

1982年11月27日から2001年3月23日までの間に設定されていた。

朝の梅田行きのみ運転されていた。平日は茨木市駅始発で、1997年以降は土曜朝にも高槻市駅始発で運転された。なお、準急は2007年3月17日のダイヤ改正で急行に代わって復活したが、そちらでは復活に際し上新庄駅・南茨木駅が停車駅に加わったものの、逆に旧・準急停車駅だった崇禅寺駅は通過となった。

淡路駅にてスタフの交換が行われていた。

臨時列車

本節の2019年9月までのトピックにおける梅田駅、河原町駅はそれぞれ現在の大阪梅田駅、京都河原町駅。

嵐山線直通臨時列車

例年、春・秋の行楽期には観光地の嵐山への行楽輸送のため京都線を経由して嵐山線に直通する臨時列車が設定されている。過去に運行されていた列車も含め、阪急嵐山線の項を参照。

臨時快速「いい古都エクスプレス」

2007年3月17日のダイヤ改正での定期運転種別再編に伴い、後述の「臨時特急」に代わって2007年11月より設定された臨時列車。春・秋の行楽時の限定の臨時列車ではあるが、「快速」の名称が復活するのは約6年半ぶりである。愛称は以前の臨時特急の「いい古都エクスプレス」が継承された。

上り・下りともに午前(9時台 - 11時台)・午後(15時台 - 上り16時台/下り17時台)合わせて片道10数本を運転。梅田駅 - 高槻市駅間は通常の準急のダイヤで走り、高槻市駅 - 河原町駅間を臨時設定ダイヤ(停車駅は定期の通勤特急および快速急行と同様)で走る。快速が設定された分だけ高槻市駅 - 河原町駅間の準急(各駅停車)が減るため、梅田駅 - 高槻市駅間の普通が高槻市駅以東にも延長運転される。

上り列車は通常の準急の場合高槻市で特急を待避するが、この快速は長岡天神駅での特急待避となる。下りは準急と同様に茨木市で特急を待避する。旧「いい古都エクスプレス」と異なり、高槻市でのスタフの交換は実施されなかった。

これまでは旧「いい古都エクスプレス」のように春季に運転された実績はない。2007年度・2008年度はともに11月後半の3連休のみの運転であったが、2009年度は11月後半の3連休とその翌週末2日間合わせて5日間と運転日が拡大された。

2010年3月14日のダイヤ改正で、ラッシュ時の定期種別として快速の運転が再開され、停車駅はこの臨時快速のものが踏襲された。その一方で、臨時快速の運転は前年度を以って事実上終了した。

停車駅
梅田駅 - 十三駅 - 南方駅 - 淡路駅 - 上新庄駅 - 南茨木駅 - 茨木市駅 - 高槻市駅 - 長岡天神駅 - 桂駅 - 西院駅 - 大宮駅 - 烏丸駅 - 河原町駅

臨時特急「いい古都エクスプレス」

前述の臨時快速の前身として、かつて京都本線にて行楽シーズンに運転されていた臨時列車である。

梅田駅 - 高槻市駅間は急行のダイヤで走り、高槻市駅 - 河原町駅間を臨時設定ダイヤで走る。通常の特急と同様に特急料金なしで利用することができる。2001年3月13日にそれまでの行楽期の臨時急行列車「嵯峨野エクスプレス」に代わる行楽期の臨時特急列車として新設されることが発表され、3月24日に春の「臨時特急」として運行を開始。また、同時に愛称の公募を行い、8月23日に愛称が「いい古都エクスプレス」に決定、11月11日から「いい古都エクスプレス」として運行を開始、臨時特急としては2007年3月17日のダイヤ改正まで運転されていた。通常の急行をそのまま格上げして運行していたため、7両編成での運用も多かった。

なお、臨時特急が設定された分だけ高槻市駅 - 河原町駅間の急行(各駅停車)が減るため、梅田駅 - 高槻市駅間の普通が高槻市駅 - 河原町駅(一部は桂駅)間で延長運転されていた。

通常、上り急行は高槻市駅で特急を待避するが、この列車は待避せずにそのまま逃げ切り河原町駅まで先着するダイヤであった。逆に下りは茨木市駅で特急に抜かれるため、(臨時)特急が(定期)特急を待避する珍しいケースが見られた。

新設当時は3月下旬 - 5月上旬と9月下旬 - 11月下旬の土曜・休日といったように比較的多くの日で運転されていたが、年々運転日が減少し、運転最終年となった2006年は4・5月上旬と11月下旬のみで、合わせて年10日以下となっていた。

阪急では、かつて設定されていた宝塚線の臨時特急を除き、臨時列車については駅の発車案内板では「臨時」の表示は原則として行わない(列車の方向幕には「臨時○○」と表示する)が、この「いい古都エクスプレス」では乗客が混乱しないようにあえて駅の発車標でも「臨時特急」と表示していた。また、この列車は上り・下りとも高槻市にてスタフの交換が行われていた。

停車駅
梅田駅 - 十三駅 - 淡路駅 - 南茨木駅 - 茨木市駅 - 高槻市駅 - 大宮駅 - 烏丸駅 - 河原町駅

大晦日終夜運転

1987年の大晦日以降、大晦日の終夜運転が阪急全線で実施されているが、他線が普通列車のみの運転である中、当線は快速(2000年大晦日までは急行、2010年大晦日までは快速急行)と普通の2本立てで運転されている。運転本数も京都河原町発1 - 2時台において、20 - 30分間隔となっており増発されている。2011年以降は全列車終点まで先着となっている。なお終夜運転実施前は、大晦日の終電繰り下げと元日の始発繰り上げが行われていた。

このほか、1月1日始発から3日の間は土曜・休日ダイヤで運転されている。過去に15分間隔で運転していた時期はこの期間に特急・急行を増発した特別ダイヤを実施していた。

2020年の大晦日は終夜運転を行わず、当初は終電を2時まで延長するとしていたが(嵐山線・千里線も同様)[17]新型コロナウイルスの感染拡大の影響から最終的に延長運転自体も取り止めた[18]。その後3年連続で(2020 - 2022)で終夜運転は中止されている。

大阪万博輸送列車

1970年千里丘陵で開催された日本万国博覧会の期間中は、観客輸送として千里線に直通し、会場最寄り駅であった万国博西口駅へ向けて臨時列車群が運行されていた。

歌劇特急

1950年から1968年まで京都駅(1963年からは河原町駅) - 宝塚駅間を神戸線・今津線経由で直通する、通称「歌劇特急(かげき特急)」が運転されていた。

1950年3月21日に不定期直通特急列車として運転を開始。運転開始当初は西宮北口駅構内に神戸方向から今津線に直通する連絡線が存在しており、列車は一旦平面交差を通過してから折り返して今津線に入線していた。しかし、同駅の大改造による宝塚線経由での運転や三複線工事による運休などを経て、神戸高速鉄道開通に伴う神戸線のダイヤ改正を目前に控えた1968年2月25日に廃止された。なお、この列車に関しては特定の愛称はなく、1954年頃から通称として『歌劇特急』や『歌劇号』と呼ばれるようになった。

ダイヤの変遷

京都本線及びその支線である千里線、嵐山線、相互直通運転を行うOsaka Metro堺筋線のダイヤ改正について述べる。神宝線については京都本線に関する内容のみ記載する。

1930年代

1930年(昭和5年)10月1日改正

同年9月15日に新京阪鉄道が京阪電気鉄道に合併され、京阪電気鉄道の路線として初のダイヤ改正となった。

  • 天神橋駅 - 京都西院駅間34分の直通特急を運行開始する。
    • 翌年3月31日に京阪京都駅まで1.4km延伸されても34分運転は維持された[19]
    • 京阪京都駅までの延伸に伴い、中間駅となった京都西院駅は西院駅に改称した。

1934年(昭和9年)4月改正

  • 天神橋駅 - 京阪京都駅間に運行していた急行の一部を淡路駅で増解結し、十三線十三駅まで直通することで阪神急行電鉄(阪急)との連絡を図る阪急連絡急行を運行開始する。
    • 阪急も梅田駅 - (阪急神戸駅)間で西宮北口駅のみに停車していた神戸線特急を十三駅に停車し、京阪十三線との連絡を図った[19]

1938年(昭和13年)10月改正

  • 阪急連絡急行を廃止する[19]

1940年代

1941年(昭和16年)10月改正

  • 阪急連絡急行を阪急連絡特急として復活する[19]

1944年(昭和19年)4月8日改正

前年10月1日に京阪電気鉄道(京阪)が阪神急行電鉄(阪急)と合併し、京阪神急行電鉄となった。既に十三駅の中間改札を廃止していたが、新京阪線から梅田への直通も開始することになる。

  • 梅田発着で新京阪線に直通する京阪神京都駅への直通急行を運転開始。梅田駅発着と天神橋駅発着の各2両編成を淡路駅で増解結し、淡路駅 - 京阪神京都駅間は4両編成で運行した。
    • P-6の増解結機能を生かした列車であったが、のち天神橋駅発着が単行となったのち、梅田駅発着の単独運転となった。この直通急行は翌年6月の空襲で105-509の2両編成が淀川橋梁上で被災したのをきっかけに休止した[20]

1948年(昭和23年)8月11日改正

  • 十三駅 - 阪急京都駅(現大宮駅)間の急行を梅田駅まで延長した。梅田駅乗り入れは1945年6月に休止されていたが、この改正で復活。30分間隔での運行[20]

1949年(昭和24年)12月3日改正

  • 平日3往復、日曜祝日3.5往復で神戸本線の阪急神戸駅(のちの三宮駅、(神戸三宮駅))-京都駅間で神京特急の運転を開始した。途中停車駅は西宮北口駅、十三駅、高槻市駅、西院駅[21]
  • 春の観光シーズンを前にした1950年3月21日からは、日祝日に京都から西宮北口経由で宝塚に向かう不定期特急2往復の運転も開始した。停車駅は西院・高槻市・十三・西宮北口・宝塚南口の各駅と、競馬開催時の仁川駅、所要時間は京都行き72分、宝塚行き73分。
    • 西宮北口駅では、神戸線下りホームに入線して客扱い後、一旦神戸側に引き上げて上り線へ転線、当時存在した神戸方面と宝塚方面を結ぶ渡り線を通って今津線に入線した。

1950年代

1950年(昭和25年)4月1日改正

  • この日のダイヤ改正から、3月13日に嵐山線の上桂駅、松尾駅に整備された交換設備の使用を開始する[22]

1950年(昭和25年)10月1日改正

  • 天神橋駅(現天神橋筋六丁目駅) - 阪急京都駅間で特急が復活した[23]。神京特急と異なり高槻市駅も通過し、ノンストップ運行で全区間の所要時間は36分。
    • 梅田駅 - 十三駅間の線路容量の関係上、特急は天神橋発着となった。
  • 梅田駅 - 阪急京都駅間の急行の所要時間を48分に短縮。途中停車駅は十三駅、淡路駅、茨木市駅、高槻市駅、桂駅、西院駅。

1951年(昭和26年)4月1日改正

  • 神戸駅発着、宝塚駅発着の特急に加えて天神橋駅発着の特急も高槻市駅に停車を開始した。
  • 日中は急行の運転間隔を30分から15分に短縮。
  • この年の10月には電力不足から利用率の低い列車の減便を実施。神京特急の運行を取りやめた。

1952年(昭和27年)10月1日改正

  • 天神橋駅発着の特急の停車駅に西院駅を追加したが、特急の所要時間は36分を維持。

1953年(昭和28年)4月1日改正

  • 梅田駅 - 阪急京都駅間の急行の所要時間を48分から45分に短縮。

1953年(昭和28年)7月20日改正

  • 天神橋駅発着の特急の利用率が改善しなかったため、日中の特急運行を取りやめ。

1956年(昭和31年)4月16日改正

南方駅 - 崇禅寺駅間の旧東海道本線線路敷との分岐点にある曲線の緩和工事が完了したことを受け、特急の大阪側の発着駅を天神橋駅から梅田駅(現大阪梅田駅)に変更した。引き続き京都発着の普通列車が天神橋駅を発着していたが、急行がすでに梅田駅発着であったため、当路線の実質的なターミナル駅は天神橋駅から梅田駅に移行することになった。

  • 梅田駅 - 阪急京都駅間に特急を新設した。所要時間38分、30分間隔での運行となった。
    • 後年の快速特急Aと同様、十三駅も通過する全区間ノンストップだった。
  • 既存の天神橋発着の特急の運転は終了した[23]

1957年(昭和32年)10月1日改正

  • 夜間時間帯の特急増発。
  • 深夜時間帯に十三駅 - 千里山駅間の普通を梅田駅まで延長。

1959年(昭和34年)2月18日改正

梅田駅 - 十三駅間の三複線化工事が完成した。ただし、中津駅にホームは設けられておらず、当路線は全列車通過となるとともに、架線電圧は神戸本線・宝塚本線と同じ600 V(ボルト)であった。

  • 十三駅 - 千里山駅間の普通を梅田駅発着に延長[24]
  • 特急を増発。
  • 平日夕方の急行の一部が特急待避のため、長岡天神駅に停車。
  • この時点では十三駅と梅田駅3号線に宝塚本線から新設された京都線用の複線に入る渡り線が設けられ、宝塚本線の急行・準急の一部もこの複線を使用していた[25]

1960年代

1961年(昭和36年)1月16日改正

  • 「特急」が十三駅に追加停車し、ノンストップ運転を解消した。これにより、神戸本線・宝塚本線との接続を改善している[23]
  • 「通勤特急」を平日朝ラッシュ時に新設した。途中停車駅は十三駅と高槻市駅。
  • 平日朝の急行の一部が長岡天神駅に停車。これにより、平日の朝夕ラッシュ時に急行が長岡天神駅に臨時停車することになった。

1963年(昭和38年)6月17日改正

大宮駅 - 河原町駅(現京都河原町駅)間が延伸開業。

  • 特急の途中停車駅は十三駅・大宮駅・烏丸駅となった。従来30分間隔であった特急を15分間隔へと増発した[26]
    • 同年に大阪側が淀屋橋駅発着となった京阪特急では転換クロスシート車が導入されていたこともあり、翌1964年(昭和39年)からは当路線にも2扉転換クロスシート車が特急に導入された[27]
  • 改正直後の8月29日に千里山線の延伸区間である千里山駅 - 新千里山駅間が開業し、新千里山駅が開業した。1号線にホームがなく、2号線と3号線による島式1面3線のホームだった[28]

1965年(昭和40年)7月22日改正

  • 梅田駅 - 河原町駅間の特急の所要時間を39分に3分短縮した。
  • 急行、普通も一部で時間短縮した。

1967年(昭和42年)3月1日改正

千里線(旧・千里山線)の新千里山駅 - 北千里駅間開業による変更。

  • 千里山線を千里線に、途中駅となった新千里山駅を南千里駅に、それぞれ改称した。
  • 南千里駅は1号線に片面ホームを設置し、2面3線になった。ただし、3号線は定期列車では使われなくなる[28]
  • 北千里駅に引上線はなかった[29]

1969年(昭和44年)12月6日改正

千里線と大阪市営地下鉄堺筋線(天神橋筋六丁目駅-動物園前駅間)との相互直通運転を開始したことによるダイヤ改正。

  • 高架駅だった千里線の天神橋駅を廃止し、地下に天神橋筋六丁目駅を開業。同駅は大阪市交通局(当時)の管理となる。
  • 東吹田検査場が京都本線の相川駅 - 正雀駅間に設けられたため、同区間の下り線に東吹田信号所を新設。
  • 普通の運転系統を大幅に変更した。昼間の場合、改正前は梅田駅 - 北千里駅間、天神橋駅 - 北千里駅間、天神橋駅 - 河原町駅間、十三駅 - 茨木市駅間での運転から、改正後は梅田駅 - 北千里駅間、動物園前駅 - 北千里駅間、動物園前駅 - 高槻市駅間、十三駅 - 河原町駅間での運転に変更した。
    • 天神橋筋六丁目駅(改正前は天神橋駅)と上牧駅以遠の京都方面を結ぶ普通列車はいったん廃止される。
    • これにより、茨木市駅 - 高槻市駅間の普通列車は毎時4往復から毎時8往復に増発された。
  • 開通直後に撤去されていた相川駅の待避線のうち、大阪方面の待避線が復活する。同駅は下りのみ待避可能な2面3線となった[29]
  • ダイヤ改正に先立つ11月30日には梅田駅(旧駅)の宝塚線ホームを新駅に移転、移転前の宝塚線ホーム4号線を転用し、京都線の梅田駅(旧駅)ホームを一時的に2線から3線に増設。翌年に開かれる大阪万博への輸送に対応するため。

1970年代

1970年(昭和45年)大阪万博開催中の臨時ダイヤ

3月から約半年間、千里線沿線の千里丘陵一帯で日本万国博覧会(大阪万博)が実施された。阪急グループの北大阪急行のほか、千里線に万国博西口駅を仮設して千里線・京都本線でも観客輸送を実施した。3月8日には南茨木駅が常設駅として京都本線に開設されている。

  • 梅田駅・動物園前駅 - 北千里駅間に「エキスポ準急」、高速神戸駅・宝塚駅(宝塚本線経由) - 万国博西口駅間に「エキスポ直通」を運行した[30]。詳細は「(阪急千里線#臨時列車)」や「大阪万博の交通」を参照。
    • これら臨時列車の運行などに対応するため、北千里駅の北側に引上線を新設した[29]
  • 日中の特急を平日は淡路駅、休日は茨木市駅に臨時停車した。
  • 千里線のほか、南茨木駅、茨木市駅から会場へのバスと連絡した。
  • 閉幕後、梅田駅の京都線ホームは再度2線に縮小した。翌1971年(昭和46年)には当路線の乗り場は高架ホームに移転し、2・3号線が設置された。

1971年(昭和46年)11月28日改正

京都線の梅田駅ホームを旧駅から新駅に移転、ただし旧駅同様2線のみの移転で、1号線の工事は継続された[31]。これにより営業キロが短縮された。折りしも、ライバルである国鉄(当時)は1970年10月1日ダイヤ改正で昼間1時間間隔ながら「新快速」の運転を開始、京阪も1971年8月15日白紙ダイヤ改正で新型特急車である初代3000系投入、特急15分間隔への増発が行われており、阪急も特急の所要時間短縮、2800系の冷房化・8両編成化で対抗することとなった。

  • 昼間の特急の所要時間を39分から38分に短縮した。これが京都線特急の最速記録となる。
  • 100系(P-6)の急行運用終了、営業キロ短縮により、急行もスピードアップされた。

1973年(昭和48年)11月23日改正

梅田駅移転工事が完成し、1号線が設置された。神戸本線・宝塚本線同様、当路線の梅田駅ホームが3線となる。

  • 京都本線の河原町駅などを発着する普通列車が延長運転され、千里線直通普通と同様に梅田駅発着となる。
    • 十三駅7号線で折り返す十三駅発着の普通がごく少数のみとなる[31]。一部の定期列車のほか、学生の帰宅時間向けに平日午後や土曜正午前後に運転されていた茨木市駅・淡路駅などを発着とする不定期の普通が運行されていた。
  • 千里線に山田駅が開業した[28]

1976年(昭和51年)9月23日改正

  • 十三駅発着の普通列車が完全に廃止された。廃止直後に十三駅7号線が撤去されている[31]
  • 相川駅に京都方面の待避線(1号線)が復活。開業当初と同じ、上下線とも待避可能な2面4線の待避駅に戻る[22]

1979年(昭和54年)3月4日改正

堺筋線への直通運転を大幅に増強した。

  • 平日朝夕を除く「急行」が長岡天神駅を通過していたが、すべての「急行」が長岡天神駅に停車するようになった[32][注釈 6]
  • 堺筋線直通列車が開業当初の5両編成から6両編成に増強された。
  • 大阪市営地下鉄堺筋線直通の「堺筋急行」が設定された。平日朝の動物園前行き、夕方の河原町行きが約30分間隔。運行を開始したのは平日である3月5日から。
    • 堺筋線では改正以前は5両編成が、改正後も他の列車は6両編成で運行されていたが、堺筋急行は梅田駅発着の急行と同じく全列車8両編成での運転となる。
  • このダイヤ改正時に確立した朝夕のダイヤパターンは2007年(平成19年)3月のダイヤ改正まで基本的に引き継がれている[33]

1980年代

1982年(昭和57年)11月27日改正

  • 平日朝の通勤時間帯に茨木市駅発梅田駅行き「準急」を3本新設した。停車駅は淡路駅 - 梅田駅間の各駅[注釈 7]
  • 茨木市駅、高槻市駅の高架化工事の進展による徐行運転の影響で、特急をスピードダウンした。
    • 昼間の梅田駅 - 河原町駅間は38分から42分に4分伸びた。
  • 仮線用地の確保などを行うため、高槻市駅の上り副本線の使用を中止した。代替として富田駅に設置した上り通過線・待避線の使用を開始している。
  • 通勤特急を増発。
  • 改正前の8月20日からは河原町駅の2号線を5両編成対応から7両編成対応に延伸した。

1985年(昭和60年)11月18日改正

  • 朝ラッシュ時「急行」の10両連結運転が開始される。当時は上下とも2列車が設定された。
    • 1982年3月29日からは宝塚本線「急行」、同じ1985年の11月18日に神戸本線「特急」でも同時に10両編成での運転が開始された。

1986年(昭和61年)12月14日改正

  • 所要時間の短縮など。

1989年(平成元年)12月16日改正

1987年4月に発足したJR西日本は1988年3月に東海道本線の当路線と並行する区間にJR京都線の愛称を設定し、1989年3月からは新快速・快速に221系を導入した。また、京阪も鴨東線を10月5日に開業し、特急に8000系、通勤車として7000系を導入している。阪急では通勤車として8300系が導入されたものの、特急向けの新車導入は行われなかった。しかし、平日日中のみ茨木市駅や高槻市駅など途中駅からの利用に対応しやすいダイヤに変更することでJR西日本や京阪への対抗策とした。ただし、休日のダイヤはほぼ従前どおりのままで維持された。

  • 平日に限り、昼間時間帯の運転間隔を15分サイクル(特急・急行各1本、普通2本)から20分サイクル(特急1本、急行2本。普通は梅田発着が2本、千里線・堺筋線直通が各1本)に変更[34]
  • 毎時4往復だった平日昼間の特急と千里線普通を3往復(20分間隔)に減便、急行と本線普通を6往復(約10分間隔の不等間隔[注釈 8])へ増発した。
  • 普通の8両運転を開始。

1990年代

1991年(平成3年)12月22日改正

  • 平日深夜時間帯に増発を行った。

1993年(平成5年)2月21日改正

大阪市営地下鉄堺筋線天下茶屋延伸にあわせたダイヤ改正。

  • 堺筋急行を含む堺筋線直通系統の全列車の運転区間を天下茶屋駅まで延長した。なお、開業前日の3月3日までは動物園前駅 - 天下茶屋駅間は回送扱いだった。
  • 堺筋急行はすでに8両編成で運行していたが、堺筋線直通の普通列車も6両編成から8両編成へ順次増強した。
  • 高槻市駅・茨木市駅の高架化完成に伴い、特急・急行の所要時間を短縮した。上り特急の所要時間は39分と再び40分を切っている。
  • 土曜ダイヤを導入した。

1997年(平成9年)3月2日改正

京阪間ノンストップ特急が消滅した。

  • すべての「特急」が高槻市駅に停車するようになり、改正前の「通勤特急」と同じ停車駅となった。これに伴い、「通勤特急」は一旦消滅した。
  • 梅田駅20時00分発以降の特急は30分間隔で運転していたが、20時台は15分間隔に増発した。
  • 平日朝ピーク時に普通茨木市発天下茶屋行きを1本新設し、ピーク1時間あたりの最混雑区間(上新庄駅→淡路駅間)の運転本数が25本から26本に増加。
  • 平日日中に「快速」を新設。停車駅は当時の急行停車駅と高槻市駅から河原町駅間の各駅(十三駅・淡路駅・茨木市駅・高槻市駅から各駅)。梅田駅 - 長岡天神駅間で先着するため、この区間の先着列車が毎時9往復となった。
    • これに伴い、同時間帯は梅田駅 - 河原町駅間の普通を20分サイクルに2本から1本に半減した。なお、快速河原町行きは河原町駅からは普通、普通河原町行きは河原町駅からは快速として折り返した。
  • 「(旧)快速急行」が平日の特急が運転されない時間帯に設定された。停車駅は、当時の特急の停車駅に桂駅を加えた十三駅・高槻市駅・桂駅・大宮駅・烏丸駅であった。
    • これまでの特急の7時44分梅田始発より早い朝の7時12分発と、梅田駅21時30分発から23時00分発まで4本(30分間隔)の5本。桂で普通と接続するため、桂駅に加えて梅田方面から西京極・西院の通過駅へも所要時間が短縮した。
  • 堺筋線では土曜・休日ダイヤが実施された。京都本線・千里線・嵐山線でも土曜ダイヤを変更し、朝の通勤時間帯以外はベースを平日ダイヤから日曜・祝日ダイヤに変更した。
    • 土曜日の特急は15分間隔に増発、急行は15分間隔に減便されて1989年以前と似たダイヤに戻った。快速は設定されず、朝の準急が高槻市発となり、普通正雀行きも設定された。

2000年代

2001年(平成13年)3月24日改正

日中のダイヤについて白紙改正を実施。土休日も含めて日中は20分サイクル(特急・急行は10分間隔)での運行に統一される[33]

  • 「特急」の停車駅に茨木市駅・長岡天神駅・桂駅が追加され、大宮駅が外された[35]。日中のみ10分間隔での運行となった。
  • 平日朝には、「特急」の代わりに「通勤特急」が1997年までと同じ停車駅(十三駅・高槻市駅・大宮駅・烏丸駅)で再び設定され、15分間隔で運転された。
  • 「快速特急」が、土曜・休日の朝(平日にも一部運転)および全日の夕方・夜間の時間帯に設定された。(旧)「快速急行」を改称したもので、停車駅は十三駅・高槻市駅・桂駅・大宮駅・烏丸駅で、(旧)「快速急行」と同じであり、「通勤特急」の停車駅に桂駅を加えたものである[14]。2002年から平日は大阪寄り5両目が女性専用車両となった。
  • 従来の「急行」は「(新)快速急行」に改称した。夕方時間帯の河原町行き堺筋急行は引き続き、高槻市駅からも通過運転するため「堺筋快速急行」に変更。
  • 「快速」の停車駅に南茨木駅を加え、新たな「急行」を運転開始。日中は梅田駅発着で上りは高槻市駅と桂駅、下りは桂駅と茨木市駅で特急と緩急接続した。平日朝には堺筋線直通の河原町駅・高槻市駅発天下茶屋行きを運行し、堺筋線内の各駅に停車している。
  • 日中の普通は上りが淡路駅で特急、相川駅で急行、茨木市駅で特急を待避し、下りが相川駅で特急と急行の2重待避を行った。
  • 河原町駅2号線を除く全駅のホーム有効長が8両または10両対応となり、6両編成での運用が一旦消滅。
  • 行楽期には従来の「嵯峨野エクスプレス」を廃止し、「急行」の高槻市以東を大宮駅、烏丸駅に停車する形で臨時特急「いい古都エクスプレス」を運転開始した。

2007年(平成19年)3月17日改正

朝夕ラッシュ時のダイヤについても白紙改正を実施し、15分サイクルでの従来のダイヤから変更された[33]

  • 「特急」の停車駅に淡路駅が追加された。京都方面から千里線や堺筋線への利便性が向上した一方、2001年以前の急行(現在の快速急行)と比べ大宮駅・西院駅に停車しないだけで大差のない停車駅になった。
  • 「快速特急」が休止となり、実質的には長岡天神駅・西院駅を停車駅に加え「通勤特急」に統合された[33]
    • 「通勤特急」同士で比較すると改正前に比べて3駅停車駅が増加したが、平日朝梅田行きは列車本数の削減によって所要時間が1分短縮した。同時間帯の快速急行は9分短縮している[33]
  • 「急行」は南方駅・上新庄駅に停車する「準急」に変更された。堺筋急行・堺筋快速急行も堺筋準急に変更されている[33]
    • 日中は上下とも「急行」と異なり相川駅での普通の追い越しをやめ、上りは茨木市駅、下りは正雀駅で普通を追い越すようになった。
  • 平日夕方に新設された梅田発の準急は淡路駅で通勤特急の通過待ちを行い、長岡天神駅で快速急行と緩急接続した。
  • 平日夕方の堺筋準急は茨木市行きであったが、淡路駅で先に発車する快速急行河原町行きに接続した。
    • このため、淡路駅から京都方面への先着列車は快速急行の毎時3本のみと日中より少なくなり、同駅から先の混雑が激しくなった。

2010年代

2010年(平成22年)3月14日改正

摂津市駅の開業とATS装置の更新完了によるダイヤ改正[36]。茨木市駅が全定期列車の停車駅となった[注釈 9]

  • 「通勤特急」「特急」の最高速度を115 km/hに引き上げた。特急の所要時間が短縮した。
  • 2扉の6300系が全廃されて輸送力が向上したため、「通勤特急」の停車駅に茨木市駅が追加された[33]
  • 茨木市駅発河原町行き「快速急行」は梅田駅始発となり、この快速急行に接続していた準急茨木市行きは廃止された。
  • 「快速」を定期列車として新設した。早朝の梅田行きと夕方18 - 20時台の河原町行き7列車。
    • 定期ダイヤのほか、祇園祭や天神祭、大晦日から元日にかけての終夜運転でも運行されるようになった一方、春と秋の行楽シーズンの設定は取りやめられている。
  • 1982年 - 2001年改正と2007年改正から今改正までの間運行されていた茨木市駅発梅田行きの準急は普通に変更された。
  • 茨木市駅行きだった夕方の「堺筋準急」を高槻市駅へ延伸し、淡路駅での快速急行との接続を取りやめた。高槻市駅で後続の通勤特急へ接続するようになった。
  • 「快速特急」が春と秋の行楽時の嵐山線直通臨時列車の種別として復活し、高速神戸・宝塚(今津線経由)発着の嵐山線直通臨時列車として「直通特急」が新設された。
  • なお、このダイヤ改正のプレスリリース内では土休日昼間における堺筋線と京都本線の接続改善、直通運転の実施などを目的としたダイヤの見直しを検討している旨が書かれており[36]、事実上次回のダイヤ改正が予告されていた。

2011年(平成23年)5月14日改正

土休日ダイヤのみ改正。

  • 観光客向け「快速特急」が定期列車として「京とれいん」で梅田駅 - 河原町駅間に1日4往復設定された[37]
    • 茨木市駅、高槻市駅、長岡天神駅を通過する定期列車が復活した。
  • 日中の準急の半数が天下茶屋発着の堺筋準急となる[37]。これに合わせて堺筋線内の折り返し列車が廃止されており、梅田駅 - 淡路駅間と堺筋線内の運転本数が毎時3本ずつ減らされている(それぞれ毎時18往復から15往復、12往復から9往復)。
  • 堺筋準急とは別に天下茶屋駅から京都河原町行きの普通も朝1本のみ設定された。
  • 改正前から運行されていた嵐山線直通臨時列車に天下茶屋発着の直通特急を新設し、梅田発着は1往復に削減した。

2013年(平成25年)12月21日改正

西山天王山駅開業に伴うダイヤ改正[16]

  • 朝ラッシュ時間帯(7時台)の北千里発 天下茶屋ゆき「普通」1本を、北千里発 梅田ゆき「普通」に変更。
  • 夕ラッシュ時間帯の「(堺筋)準急」高槻市行きを河原町駅まで延長運転。大阪市内中心部から、上牧以遠への利便性向上と混雑平準化を図った。また、淡路駅では梅田発北千里行き「普通」と接続し、梅田・十三方面から茨木市・高槻市方面への有効本数が1時間あたり3本増加。
    • 堺筋準急はすべて河原町発着となったが、この時点では梅田発の準急高槻市行きが存続した。
  • 夕方時間帯の上り通勤特急・快速急行・快速と準急・普通の接続駅を茨木市駅・高槻市駅・長岡天神駅に統一。快速急行の所要時間が短縮した。
  • 23時30分河原町発の「普通」梅田行き最終列車を5分繰り上げて23時25分発に変更。淡路駅で天神橋筋六丁目ゆき「普通」に、また 、十三駅では神戸線・西宮北口行きと宝塚線・雲雀丘花屋敷行き「普通」の最終列車に接続した。
  • 河原町23時30分発「快速急行」高槻市行きを運行し、長岡天神駅で上記の普通梅田行きと接続させた。
  • 地下鉄堺筋線では大阪市交通局として最後のダイヤ改正が行われ、最終列車の時間を延長した。23時25分・23時42分 北千里発「普通」天神橋筋六丁目行きは天下茶屋行き、24時14分天神橋筋六丁目発淡路行きと24時32分発正雀行きは天下茶屋発に変更した。これに伴い、天神橋筋六丁目発着の千里線列車は早朝の淡路発、北千里行きと夜間の北千里発の下り2本、上り1本に減少した。
  • 土休日夜間と平日にも天下茶屋発京都河原町行きの普通が設定された。平日は夕方1本のみの運転で、堺筋線内を4分後に走行する堺筋準急(上り1本目)を茨木市駅で待避した。

2019年(平成31年)1月19日改正

淡路駅付近での混雑緩和、利便性向上がメインのダイヤ改正を実施した[38]。Osaka Metroは民営化後では初となるダイヤ改正となった[39]

  • 平日朝に淡路駅7時台の快速急行は上りが5本から8本に増発された。うち1本は増発し、2本は通勤特急が淡路に追加停車して快速急行に変更されている。
  • 上新庄・相川・正雀で下車する学生の利用が集中する淡路駅朝8時台に天下茶屋発「普通」正雀行きを1本増発。
  • 淡路からの北千里行きも学生の利用が集中する朝8時台・10時台に1本ずつ増発し、9時台は1本削減した。
    • この前後の梅田発・天下茶屋発の普通の行き先を変更し、平日朝に2本、堺筋線からの普通京都河原町行きが設定された。いっぽう、改正前の平日夕方にあった同区間の普通1本は茨木市止まりとなった。
  • 下り梅田行き「快速急行」「準急」を1本ずつ増発した。
  • 上下とも朝ラッシュ時の桂駅での緩急接続を廃止。
  • 平日日中のダイヤパターンを変更し、準急は上下とも高槻市駅と桂駅で特急と緩急接続を実施。その時間帯の普通は上りは相川駅・茨木市駅は特急と準急、下りは茨木市駅で特急と準急、相川駅で特急を待避。
  • 17時台から21時台の通勤特急梅田行きを茨木市駅で「準急」梅田ゆきと接続させ、河原町方面から淡路駅における千里線・地下鉄堺筋線への乗り継ぎ利便性を向上させた。それ以降の通勤特急はすべて快速急行に変更。
  • 平日のみ梅田駅8時20分発と20時22分発の普通茨木市行きが設定される。
  • 平日夕方(淡路駅18-20時台)の堺筋線からの普通高槻市行き4本が茨木市止まりとなり、総持寺駅・富田駅への停車本数が毎時9往復から日中と同じ毎時6往復に削減された。
  • 土休日の快速特急を3往復増発し、「京とれいん」を使用する十三駅通過の「快速特急A」を新設した。
  • 快速特急4往復に3月23日から「京とれいん 雅洛」を投入した。
  • 近年の外国人旅行客増加に伴い、土曜休日ダイヤの天下茶屋発河原町行き列車を22本から29本(普通含む)に増便した。これに伴い、堺筋準急が増発され、夕方の梅田駅発着の準急が減便された。休日夜間にも新たに河原町発の普通天下茶屋行きが新設されている。
  • 土曜休日ダイヤの昼間時間帯(10時 - 18時)は天下茶屋駅の1番線を降車専用ホーム、2・3番線を乗車専用ホームにして乗降分離による混雑緩和を図った。

2020年代

2021年(令和3年)3月13日改正

阪急全線における終電の繰り上げが実施され、当路線でも大阪梅田駅・京都河原町駅発の終電の一部を繰り上げた。

  • 大阪梅田駅から十三駅 - 正雀駅間の終電は0時10分発普通高槻市行きになった。
  • 京都河原町駅から相川駅‐大阪梅田駅間の最終は23時15分発快速急行大阪梅田行き(高槻市駅で普通大阪梅田行き最終に連絡)、京都河原町駅から桂までの各駅の終電は0時15分発普通桂行きとなる。
    • それまでの最終列車は旅客扱いを行わない回送列車に変更。ただし、千里線・堺筋線からの直通列車は変更なく、上記の大阪梅田発高槻市行きより後の運転となる。

2022年(令和4年)12月17日改正

2022年12月17日ダイヤ改正では、以下のように変更[12][40]

  • 10両編成で運転されていた列車を全て8両編成に変更。
  • 女性専用車両を設定する列車を神宝線に合わせて通勤特急に統一(日中の特急での設定は終了)。
  • 快速急行を準特急に改称し、平日朝・夕時間帯の運転本数を増やす(通勤特急は朝時間帯のみ運転)。淡路駅に停車する列車を増やすことで、千里線・堺筋線の利用客の利便性を向上させる。
  • 快速の停車駅に西京極駅を追加し、急行に改称。運行時間帯は平日・土休日の早朝・深夜。
  • 21時・22時台の運転間隔を10分から12分に変更する。
  • 深夜時間帯の運転見直し。終電の繰り上げ。
  • 快速特急A「京とれいん」の運転を取りやめ。1日4往復の快速特急のみの運行に変更。

使用車両

元々京阪電気鉄道が設立した子会社の新京阪鉄道によって開業した路線であること(「歴史節」を参照)や、京都本線・千里線が堺筋線と直通運転を行うことから、京都線系統の路線で用いられる車両は、阪急の前身である箕面有馬電気軌道(箕軌)および阪神急行電鉄によって開業した神戸線・宝塚線系統(神宝線)で用いられる車両との仕様の違いが見られてきた。現在でも(車両規格)や電装品の製造会社(神宝線は東芝〈現在は東芝インフラシステムズ〉、京都線は東洋電機製造)、車両番号(神宝線の車両と区別するために、京都線向けに製造される車両の形式名は基本的に「○300系」となり、番号の百の位には3,4,8,9の数字のみが使われる)などに差違が見られる。詳しくは「神宝線」の項目を参照のこと。

ただし、「京とれいん 雅洛」は神宝線車両の7000系を改造したものであるため電装品は東芝製であり、9300系が接地開閉器継電器箱、クーラーに東芝インフラシステムズ以外の製品を採用しているほかは、それらの装置や列車無線、デジタル式速度計、蓄電池などは神宝線とそろえて東芝インフラシステムズ製としている。

営業運転では8両編成が基本であるが、京都河原町駅2号線ホーム、桂車庫・正雀車庫における収容能力の限界(8両編成の留置線が不足)[4]により、7両編成、6両編成もある。

編成の向きは、3複線区間となる大阪梅田駅 - 十三駅間を基準に「前パンタグラフの先頭車は大阪梅田寄り」となっているため、京都本線に限っては前パンタグラフの車両は「下り方面の先頭」となる。

Osaka Metro(および前身の大阪市営地下鉄)の車両は当路線の正雀駅そばにある車両基地東吹田検車場に配置されている。

京都本線で使用される車両は以下のとおり。各種別ごとの編成・使用車両については、「運行形態」章の各種別の節を参照。

現用車両

自社車両

乗り入れ車両

大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)
  • 66系 - 定期列車では淡路駅 - 高槻市駅間のみで運用され、高槻市駅 - 京都河原町駅・嵐山駅間では運用されない。臨時列車では桂駅や嵐山駅まで運用されたことがある。

過去の車両

自社車両

乗り入れ車両

大阪市交通局
  • 60系 - 淡路駅 - 高槻市駅間で運用された。2003年11月7日に運用終了。

歴史

京都本線は、大正昭和期にかけてに大阪 - 京都間を高速で結ぶ新線として、当時の京阪電気鉄道が設立した子会社の新京阪鉄道によって建設され、開業した。

建設の経緯

京阪電気鉄道は、大阪 - 京都間に現在京阪本線となっている路線を1910年(明治43年)に開業していたが、これはアメリカインターアーバンに準ずる路面電車を発展させた形の都市間電車で、併用軌道で街道筋の市街地を縫うように敷設されたため、曲線が多く、高速運転には向いていなかった。京阪本線の改良および輸送力向上工事と比較し、遥かに迅速かつ安価で効果的であるとの判断から、淀川西岸への進出とそれによる自社線との相乗効果を狙った[要出典]出願を行った。

新京阪鉄道による建設・開業

当初は京阪本線森小路駅(現在の千林駅に相当)から支線を分岐させて、新京阪線上新庄駅予定地から南へ延長した路線に赤川で合流させ、城東線(後の大阪環状線桜ノ宮駅天満駅を経由して梅田まで延伸し、同地に総合ターミナル駅を作ろうという構想(天神橋駅開業後に京阪本線は野江駅分岐、新京阪線は天神橋駅からの延伸に計画変更し、1932年(昭和7年)に断念、1942年(昭和17年)に免許失効。京阪梅田線も参照)を打ち出したが、城東線の高架化が関東大震災復興工事優先投資の方針から遅れることになったため、梅田延伸に関して高架化に伴う跡地の利用を考えていた京阪では、この新線は当面は実現不可能と考えて、代替地を探すことにした。

ちょうど新京阪線の計画が立った頃の1921年(大正10年)に、十三駅から千里山駅までを結ぶ北大阪電気鉄道(現在は淡路駅を境に、西は京都線、北は千里線)という私鉄路線が開業していた[注釈 10]。京阪ではこの会社を買収して同社が持っていた淡路 - 天神橋(天六)間の免許を利用することを考えた。同社の鉄道事業は1923年(大正12年)に新京阪へ譲渡された[注釈 11]1925年(大正14年)に天神橋駅(現在の天神橋筋六丁目駅) - 淡路駅間が開業した。その後、京都側は地下線で開業させる予定であったが、昭和天皇即位大典に間に合わせるため、急遽西院に仮駅を設けることにし、1928年(昭和3年)に天神橋駅 - 京都西院駅(現在の西院駅)間の全線が開業した。

京阪電気鉄道への合併

1930年(昭和5年)、大宮駅までの地下線による延伸の目途が立ったことから[要出典]、新京阪鉄道は京阪電気鉄道に合併されて同社の新京阪線となった。大宮駅までの延伸は1931年(昭和6年)に完成したが、これは大阪市営地下鉄(現在のOsaka Metro)開業の1933年(昭和8年)よりも早く、関西では初の地下鉄道路線でもあった。

なお、新京阪鉄道は西向日町駅(現在の西向日駅)から分岐して伏見・山科に至る路線と京阪宇治線の六地蔵駅付近から滋賀県大津市の馬場に至る路線、大宮駅からさらに京都市の地下を貫通する路線の免許も得ていた。このうち大宮駅からの地下貫通路線の免許は戦後に河原町駅へ阪急によって路線延長がなされる際に活用された。さらに京阪では、その大津市馬場から鈴鹿山脈を越えて名古屋に至る名古屋急行電鉄の建設計画も持っていたが、恐慌のため資金調達が困難となり、免許失効となった。

高速運転

沿線の人口が少ないため(当時は高槻でさえ市制を敷いていなかった)、同線は京阪間の都市間輸送に重きを置き、天神橋駅 - 大宮駅間をノンストップ34分で結ぶ超特急など高速運転を行う列車を走らせた。その速さは同社の保有するP-6形電車による速達列車が当時の鉄道省線で最速の特急列車「つばめ」を抜いたと言う逸話が残るほどであった((新京阪鉄道P-6形電車)も参照のこと)。京阪本線では新京阪線との相乗効果を狙い、急行や普通を増発している。

また、1937年(昭和12年)に国鉄東海道本線京都駅 - 吹田駅間の電化が完成(吹田駅 - 須磨駅間は1934年(昭和9年)に完成)し、京阪間をノンストップの36分で結ぶ急行電車(急電)が走るようになると、京阪では新京阪線・京阪線の両線ともに列車の本数を増やし、運賃を値下げした。さらに1934年(昭和9年)からは、天神橋駅 - 大宮駅間運転の列車のほか、同列車と淡路駅で解結を行うことにして、阪急線と接続させるため十三駅を発着駅にする列車も設定した。

京阪神急行電鉄への統合

戦時中の交通統制のため、京阪電気鉄道と阪神急行電鉄は1943年(昭和18年)に合併して京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)となり、新京阪線も同社の運営となった。戦後、京阪電気鉄道は1949年(昭和24年)に再び分離発足することになる。この取り決めがなされた1949年の役員会において、旧京阪側は合併前の状態へ戻すことを主張したのに対し、旧阪急側は1944年(昭和19年)から開始された新京阪線電車の阪急梅田駅乗り入れ実績を踏まえ、新京阪電鉄を阪急側の所属路線とすることを主張した[41]日本国有鉄道も加わった協議の結果、京阪神地域の将来を見据えて、「実質的な新京阪線の神戸・宝塚への延伸」という考え方や、[要出典]旧阪急系役員の頭数の多さによる旧京阪系役員の劣勢[42]から、同線と支線の千里山線(現在の千里線の淡路駅以北)・十三支線(現在の京都本線の淡路駅以西)・嵐山線は京阪神急行電鉄の路線として存置することになった。ただし、京阪電鉄から京阪神急行電鉄時代には京都 - 大阪間で定期券を持っていれば必要に応じ両線を自由に選択できた乗客にとっては、大きな利便性が失われる結果となった。

この時、路線名が現在の京都本線となった。またこのような経緯から、京都本線系統の路線を除いた阪急各線をその頭一字を取って神宝線と総称し、お互いを区別することになる。路線名が京都本線に改称されてからも、京都本線の起点は長らく天神橋駅のままであったが、いわゆる三複線(宝塚本線の梅田 - 十三間複々線化工事)が完成したのを機に、天神橋駅 - 淡路駅間を千里山線に変更するとともに、京都本線は十三支線を編入し、十三駅が起点となった。

戦後1950年(昭和25年)に天神橋駅 - 阪急京都駅(現・大宮駅)間で特急が復活した当時はノンストップで朝夕のみ運行であった。その後1956年(昭和31年)より大阪側のターミナルを天神橋駅から梅田駅に変更、梅田駅 - 阪急京都駅間ノンストップの特急を運転開始する(1961年(昭和36年)に十三駅停車)。

上牧駅前後から大山崎駅にかけて一部高架区間があるが、これは並行する東海道新幹線の建設に併せて造られたもので、高架化工事中の1963年4月から12月までの間、先に完成していた同線の高架線路を借りて列車の運行を行っていたことがある((東海道新幹線#新幹線の線路を先に走った阪急電車)を参照)。

新線計画

戦後、京都本線の輸送増強と新幹線駅である新大阪駅へのアクセス路線として、1961年12月26日に淡路駅 - 新大阪駅 - 十三駅間4.0 km及び新大阪駅 - 神崎川駅間3.0 kmの事業免許を取得した。なお、完成した暁には、梅田と京都・千里方面を結ぶ列車は新大阪経由となり、淡路駅 - 南方駅 - 十三駅間は支線とし、区間運転の普通列車を運行させる予定であった。しかし、用地買収の困難などの諸般の事情により難航。そして、2003年3月1日に淡路駅 - 新大阪駅間、新大阪駅 - 神崎川駅間の免許が失効した。

河原町延伸開業

1963年(昭和38年)には、念願だった大宮駅 - 河原町駅(現・京都河原町駅)間が延伸開業し[注釈 12]、京都都心部への乗り入れを果たす。当時の特急の停車駅は十三駅・大宮駅・烏丸駅。これを機に従来30分間隔であった特急を15分間隔へと増発したことで、従来クロスシート車が中心であったのが、ロングシート車の割合が高まった。閑散時間帯の座席数減少にはパイプ椅子を積み込んで対応したが、乗車時間が比較的長い京阪間ではロングシート車が敬遠され、延長・増発により利便性は向上したものの、利用が想定に届かなかったことから、翌1964年(昭和39年)には2800系が製造された。同系列は阪急初の特急専用車で、当時の料金不要特急としては破格の車内設備を持ち乗客からも好評で、本線のサービスアップならびに乗客増に大きく貢献した。ちなみに1971年(昭和46年)時点の梅田 - 河原町間の所要時間は最速38分(十三 - 大宮間30分)で、現在に至るまでの最速記録である。登場当初5連であった2800系は順次増強され、1973年(昭和48年)までに全編成が8両編成となった。また、阪急の看板列車として他形式に先駆けていち早く冷房改造を受け、1971年(昭和46年)から1973年(昭和48年)までのわずか2年で全編成が冷房化された。

2800系の時代は短く、1975年(昭和50年)には後継となる6300系が登場、1979年(昭和54年)までに全編成が6300系に置き換わり、2800系は3扉に改造された。2800系の特急としての運用は、長いもので15年、短いものではわずか5年であった[注釈 13]

この頃、国鉄では新快速快速の増発、京阪では新テレビカー3000系の投入など各社がしのぎを削っていた。 当時は名神高速道路も片側2車線しかなく天王山トンネル梶原トンネル付近で慢性的に渋滞するなど道路事情も良くなかったこともあり、京阪間の移動における鉄道利用の割合が高かった。2800系同様料金不要特急として破格の設備を持つ6300系は、京阪間ノンストップの運行体系とともに文字通り阪急の看板列車であった。

沿線人口の増加と輸送体系の変化

1989年(平成元年)12月16日のダイヤ改正では、茨木市と大阪市内とのビジネス利用増加に対応し、従来15分間隔であった特急・急行のうち、平日日中に限り急行を10分間隔へ増発、特急を20分間隔へ減便したダイヤへと変更した。1987年(昭和62年)に国鉄が分割民営化されて発足したJR西日本も1990年(平成2年)3月10日には新快速を日中に限り高槻駅停車としている。

1997年(平成9年)3月2日改正では、沿線人口のさらなる増加を見込んで、すべての特急が高槻市駅に停車するようになる。一週間後の8日には新快速も終日高槻駅停車となった。

途中、十三駅・高槻市駅・大宮駅・烏丸駅に停車していたこの当時の特急の運転形態は、平日日中は20分間隔、それ以外は15分間隔で、夜間には30分程度開くこともあった。平日日中の河原町行き、平日夜間の一部と休日の梅田行きは、桂駅で先行の急行を追い抜くダイヤであった。平日の梅田発21時30分以降は快速急行となり、前記に加えて桂駅にも停車した。所要時間は最速で39分、一方朝の梅田行きは最大48分を要していた。車両は6300系がほぼ限定的に使用されたが、運転サイクルの移行時間帯などは8両編成の3扉車が使用されることもあった。当時は5300系の一部に非表示幕車が残っており、これらが充当された場合には、京都線の伝統であった「特急2枚標識」を掲げ、かつての2800系を髣髴させる姿であった。

1998年には、名神高速道路の片側4車線化・トンネル増設などの改良工事も行われ、天王山付近の渋滞が緩和されるなど、京阪間の道路事情も改善されたため、通勤以外のビジネス利用を中心に、マイカーへの転移も見られるようになった。また、娯楽の多様化などにより、リピーターの多い京阪間の行楽利用が、年々減少していった。

2000年以降の動き

2001年(平成13年)3月24日のダイヤ改正では大幅な停車駅の見直しと種別の整理が行われた。特急を通勤特急に、快速急行を快速特急に、急行を快速急行に、快速を急行に改称の上で南茨木駅にも停車させ、特急は停車駅を快速特急よりも多く快速急行よりも少なくして、各優等列車の停車駅を従来のほぼ2倍にし、特急を事実上それまでの急行と同等の列車にした(2007年の淡路駅停車で、さらにその様相が色濃くなった)。同時に準急と行楽期の「嵯峨野エクスプレス」を廃止し、行楽期の臨時特急を新設した。また河原町駅の2番ホームを除く線内全駅が8両編成対応となった。これにより高槻市から河原町までの区間において平日ダイヤの昼間は一部列車が減便(従来の特急は実質廃止)、休日ダイヤでも京阪間直通優等列車の総本数は減少(特急・急行で1時間当たり8本が特急6本に、25 %減少)した。また、特急の所要時間も十三駅 - 大宮駅間ノンストップ時代の38分から4 - 7分延びて、上り下りともに42 - 45分が標準的な所要時間となっており、これは同月23日以前の急行の所要時間と2 - 5分程度しか変わらない程スピードダウンしている。

2003年(平成15年)には3扉車の9300系が特急に投入される。2007年(平成19年)3月17日のダイヤ改正では特急が淡路駅にも停車するようになり、2001年以前の急行(現在の快速急行)と比べ大差のない停車駅(西院駅・大宮駅は通過)になった。2010年2月には2扉車両6300系の特急運用が終了した[43]

一方で、21世紀に入ってから駅間の長い区間に新駅の設置も進めており、洛西口駅摂津市駅西山天王山駅が開業している。

年表

  • 1916年大正5年)9月1日:北大阪電気鉄道が天神橋筋六丁目 - 淡路 - 千里山間の免許を取得。
  • 1919年(大正8年)9月12日:北大阪電気鉄道が十三 - 淡路間の免許を取得。
  • 1921年(大正10年)4月1日:北大阪電気鉄道が十三駅 - 淡路駅 - 豊津駅間を開業。東海道本線以南は旧東海道本線廃線敷を利用した。
  • 1923年(大正12年)4月1日:新京阪鉄道が北大阪電気鉄道の鉄道路線を譲り受ける。
  • 1925年(大正14年)10月15日:新京阪鉄道が天神橋駅(現在の天神橋筋六丁目駅) - 淡路駅間を開業。
  • 1928年昭和3年)
    • 1月16日:淡路駅 - 高槻町駅(現在の高槻市駅)間が開業。全線の架線電圧を600 Vから1500 Vに昇圧。
    • 11月1日:高槻町駅 - 京都西院駅(現在の西院駅)間が開業。
  • 1930年(昭和5年)
    • 4月21日:天神橋駅 - 京都西院駅間に超特急を運転開始。途中、淡路駅のみの停車(行楽期は嵐山線との接続駅である桂駅にも停車)で京阪間を34分にて結んだ。
    • 9月15日:京阪電気鉄道が新京阪鉄道を合併。天神橋駅 - 京都西院駅間が新京阪線、十三駅 - 淡路駅間が十三(支)線となる。
  • 1931年(昭和6年)3月31日:関西初の地下線として西院駅 - 京阪京都駅(現在の大宮駅)間が開業。京都西院駅を移転し西院駅に改称[44]
  • 1932年(昭和7年)12月:正雀変電所に出力2000 kWのピークカット ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。