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長生院 (浅野長政正室)

長生院(ちょうせいいん)は、戦国時代から江戸時代にかけての女性、尼僧。浅野長政正室。名は「やや(良々)」または「お祢々[2]」、末津姫(まつひめ)[3]など。晩年は出家して宗玉と名乗る。

ちょうせいいん
長生院
一宝宗玉大姉像(浅野長勲氏個人蔵)
生誕生年不詳
死没元和2年2月22日1616年4月8日[1]
別名やや、お祢々[2]、末津姫[3]
配偶者浅野長政
子供幸長長晟長重、豊姫(杉原長房室)、女(堀親良室)、(智相院)(松平定綱
父:杉原定利または浅野長勝
母:朝日殿または(勝福院)
親戚高台院木下家定長慶院
補足
父母、養父母については、本文参照。

略歴

通説では、父は杉原定利で、母は朝日殿((杉原家利)の娘)とされ、姉おねとともに、浅野長勝とその後妻で(ややの叔母にあたる)七曲殿の養女となり、ややが安井重継の子長政(長吉)の妻となって、これを浅野家の婿養子として迎え入れたとされる。しかし杉原氏木下氏の系図にややに関する記述がなく、別に浅野氏の系図には、ややの父は浅野長勝で、母はその先妻の勝福院(樋口美濃守の娘)であると記述するものがあり、ややは長勝の実の娘で、おねとは義理の姉妹だったとする説がある[1][4]

兄弟姉妹に、おね(豊臣秀吉の正室・高台院)、木下家定、くま(長慶院、(三折全友)室)がいる。長政との間には浅野幸長浅野長晟浅野長重、豊姫(杉原長房室)、女(堀親良室)、(智相院)(松平定綱室)をもうけた。

慶長16年(1611年)、長政(伝正院殿)の死後は出家して、一宝宗玉と号した(長生院は諡号)。また、長重領の真岡2万石のうち3千石を隠居料とした[1]

慶長18年(1613年)、長男幸長にも先立たれる。この際、幸長に男子がいなかったため、世継ぎ争いとなり、三男長重に遺領を継がせるように希望したが、結局、次男長晟が継いだ。

元和2年(1616年)江戸にて死去。葬儀の際に徳川義直より銀100枚が贈呈された。墓は、夫と同じく天目山(伝正寺)にある。戒名は長生院殿一宝宗玉大姉。

演じた人物

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d 浅野史蹟顕彰会 1917, pp.39, 48-49
  2. ^ a b 「おねね」であると、姉と同音のようであるが、この説の場合は姉の方を「おや屋」もしくは「於子々」としている。
  3. ^ a b 未津姫、未津子[1]とする系図もある。
  4. ^ 手島 1920, pp.4-7

参考文献

  • 手島益雄国立国会図書館デジタルコレクション 『浅野長政公伝』東京芸備社、1920年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/962737/18 国立国会図書館デジタルコレクション 
  • 浅野史蹟顕彰会 編国立国会図書館デジタルコレクション 『浅野荘と浅野氏』浅野史蹟顕彰会、1917年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926969/36 国立国会図書館デジタルコレクション 
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