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野崎 昌一(のざき まさかず、1955年(昭和30年)7月11日 - )は、東京フイルム・メート所属のフリーアナウンサー。元フジテレビアナウンサー。元ネクステップ執行役員。
来歴・人物
埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身。高校生時代にマンドリンクラブの卒業公演の司会を務め、周りからは好評だったが自分では納得出来ず、入学した慶應義塾大学では喋りを勉強しようと思い放送研究会に入る[1]。父が銀行員だったということもあり同じく志望していたが、フジテレビのアナウンサー試験に合格し[1]、卒業後の1979年同社入社[1]。同期には近藤雄介(現在はフリーアナウンサー)、大野かおり、斎藤裕子、古賀万紀子、皆川寿美、本間正彦、稲木甲二(専務取締役を経て、2017年以降は仙台放送代表取締役社長兼さくらんぼテレビ取締役)、若松誠(常務取締役を経て、2019年以降はテレビ静岡代表取締役社長。大学でも同期)がいる。2001年にアナウンス室から広報局広告宣伝部長に異動。2005年経営管理局関係会社調整室業務部長、2006年グループ事業推進局関係会社調整室業務部長を歴任後フジ・メディア・ホールディングス経営管理局投資管理部長に異動。投資戦略部長を経て、2012年6月8日付で、フジ・メディア・ホールディングス製作子会社のネクステップ執行役員に就任。
長らくスポーツアナウンサーとして活動した。1987年よりフジテレビが全戦中継を開始したF1グランプリの記念すべき第1戦実況を担当[1]。その後もプロ野球中継などで活躍する傍ら、1988年の春の改編で、佐々木信也に替わる平日の「プロ野球ニュース」総合キャスターに起用された[1]。ちなみに入社後初めての仕事は、佐々木時代の『プロ野球ニュース』の提供読みである。2019年からはCSフジテレビNEXTのF1グランプリ中継に復帰し、BSフジのスーパーフォーミュラの実況も担当する(スーパーフォーミュラの実況については2021年を以て終了)。また、同時にフジテレビ子会社である東京フイルム・メート[2]にも所属する。
家族は、松田朋恵(元フジテレビアナウンサー)との間に長男・長女。その後、協議離婚。 1991年10月31日放送の『とんねるず木梨憲武の(盲腸緊急追悼特番)』の際に進行役を務めたことでも有名[3][4]。放送内において野崎は木梨が「亡くなられた」とは一言も言っておらず、代わりに冒頭で「信じられないことになってしまいました」と表現していた。
フジテレビの開局45周年キャッチフレーズ「きっかけは、フジテレビ」の考案者でもある。
アナウンサーとしての出演番組
報道・情報番組
期間 | 月・火曜日 | 水曜日 | 木・金曜日 | |
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1980.4 | 1984.9 | (なし) | 3時のあなた1 | (なし) |
1988.4.1 | 1992.3.31 | プロ野球ニュース2 | ||
1994.10.3 | 1995.9.29 | FNNニュース2:003 | ||
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バラエティ番組・その他
- F1グランプリ
- スター千一夜(新人時代に担当)
- ナイター中継実況(スタジオ担当だった時期あり、
- 1998年10月26日、プロ野球日本シリーズ第6戦『横浜ベイスターズ対西武ライオンズ』(横浜スタジアム)で横浜ベイスターズの日本一を実況
- とんねるずのみなさんのおかげです(木梨憲武追悼番組の司会)
- スーパーフォーミュラ(BSフジ/J SPORTS・2019年)
脚注
外部リンク
- 野崎 昌一 - 東京フイルム・メート