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能勢電鉄

能勢電鉄株式会社(のせでんてつ、: Nose Electric Railway Co., Ltd.)は、兵庫県川西市川西能勢口駅と、妙見山および阪急日生ニュータウンを始めとするニュータウン群とを結ぶ鉄道を運営する会社である。本社は兵庫県川西市平野一丁目35番2号。愛称は「のせでん」。

能勢電鉄株式会社
Nose Electric Railway Co., Ltd.
能勢電鉄本社
種類 株式会社
略称 のせでん、能勢電
本社所在地 日本
666-0121
兵庫県川西市平野一丁目35番2号
設立 1908年明治41年)5月23日
(能勢電気軌道株式会社)
業種 (陸運業)
法人番号 3140001079570
事業内容 旅客鉄道事業
鋼索鉄道事業
索道事業
賃貸事業
レジャー事業
ベーカリー事業
代表者 中野雅文(代表取締役社長[1]
資本金 1億円
(2019年3月31日現在)[2]
発行済株式総数 2億560万株
(2019年3月31日現在)[2]
売上高 39億3555万7000円
(2019年3月期)[2]
営業利益 6億4220万2000円
(2019年3月期)[2]
純利益 3億9012万1000円
(2019年3月期)[2]
純資産 45億3184万2000円
(2019年3月31日現在)[2]
総資産 300億9339万4000円
(2019年3月31日現在)[2]
従業員数 125人
(2018年3月31日現在[3]
決算期 3月31日
主要株主 阪急電鉄 98.51%
(2019年3月31日現在[4]
関係する人物 城南雅一(元社長)
外部リンク https://noseden.hankyu.co.jp/
(テンプレートを表示)

概要

社名は会社が能勢妙見山への参拝客輸送を目的として設立されたことに由来する。鉄道路線2路線および鋼索線(ケーブルカー)、索道(リフト)を運営し、それらを含めた総営業キロは15.98 km。阪急電鉄の子会社で、阪急阪神ホールディングス連結子会社でもあり、阪急阪神東宝グループ所属企業の一つとなっている。2000年代前半まで不動産事業を行っていたほか、戦前の一時期には乗合自動車事業も行っていた。

現在の社章は1995年に制定されたもので、デザインは「愛・伸・爽・楽」をモチーフに妙見線、日生線を表し、さらには沿線の人々と沿線地域を表している。

歴史

能勢電鉄の直接の前身である能勢電気軌道(能勢電軌)は、能勢妙見の参詣客輸送と、沿線で産出される三白(酒、米、寒天)・三黒(黒牛、栗、炭)などの特産物の輸送を目的として1908年5月に設立され、1910年12月には着工届けを提出した。しかし経営は混迷を窮め、着工と同じ月には発起人の中里喜代吉が詐欺横領事件により検挙される始末だった。建設工事どころか、会社の存続さえ危うくなった能勢電軌を立て直したのは、1912年に専務取締役となった太田雪松だった。太田は負債を整理し、一部着工されて放置されていた敷設工事を一からやり直し、1913年妙見線の能勢口駅(現・川西能勢口駅)- 一の鳥居駅間の開業にこぎ着けた。しかし、太田による独断専行な経営もまた会社を疲弊させ、電力料金の未払いにより電力会社から送電を止められるという珍事まで発生した。1914年、能勢電軌はついに破産宣告を受け、協諧契約(現在の強制和議に相当)により管財人のもとで運営されることになった。

再起を図る能勢電軌は、能勢口駅 - 池田駅前駅(後の川西国鉄前駅)間の延長などの経営再建策を実行する一方で、吉川(現妙見口駅)までの路線延長に先駆けて一の鳥居 - 吉川間で乗合自動車事業を開始、奈良県にも路線を展開したが、経営不振により3年ほどで同事業から撤退した。このため、吉川までの路線延長は急務となり、会社の増資を図り1923年に一の鳥居駅 - 妙見口駅間を開通させた。また、この過程で阪神急行電鉄(後の京阪神急行電鉄、阪急電鉄)の資本参加を仰ぎ、現在まで続く阪急との関係が成立した。また、直営のバス事業からは撤退したものの、交通網の拡充や競合の回避などを目的として、相次いでバス会社を傘下に収めていった。これらの会社は戦中から戦後にかけ他社に統合され消滅している。

戦前に一定の増加傾向を見せた妙見線の輸送人員は、戦後に入ると再び低迷した。様々な旅客誘致策が考案され、その一環として戦前に妙見鋼索鉄道によって設置された妙見ケーブル(現・妙見の森ケーブル)を自社線として1960年に再開業させるが(ただし上部線は妙見リフト(現・妙見の森リフト)に変更)、増収には結びつかなかった。またこの頃から沿線の宅地開発が進められるようになるが、多田グリーンハイツを開発した西武グループにより能勢電軌の株の買い占めが行われ、これに対抗して当時の京阪神急行電鉄の出資による増資を行った結果、西武グループの買収防止に成功するとともに、名実ともに阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の一員になった。

1964年には、専務取締役となった村上実のもとで土地経営部門が新設され、ときわ台などの住宅地を開発して大きな利益を上げた。路線も沿線人口の増加に対応して改良を進めていき、一連の路線規格の向上により、鉄道線は軌道法から地方鉄道法に適用法規が変更された。これにより1978年には社名を能勢電鉄株式会社に改めた。

1980年代には安定した経営状態を示すが、1990年代以降は川西能勢口駅の連続立体化工事による資本費の増加に加えて、バブル崩壊以後の不況による不動産部門の不振や鉄道部門の乗客数の減少により収支が悪化する。2003年には不動産事業から撤退するとともに、同事業による多額の負債を軽減させるため経営の合理化が行われ、その一環として阪急との運営の一体化が進められた。こうした経営努力により、2012年3月期決算では長年続いていた債務超過状態をようやく脱した。

年表

  • 1905年明治38年)3月 - 中里喜代吉を発起人として能勢電気鉄道株式会社設立申請[5]
  • 1908年(明治41年)
    • 1月 - 社名を能勢電気軌道株式会社に変更。
    • 5月23日 - 能勢電気軌道株式会社として設立[5]
  • 1913年大正2年)4月13日 - 能勢口(現在の川西能勢口) - 一の鳥居間が開業[5]
  • 1914年(大正3年)8月5日 - 神戸地裁により破産宣告が下される[5]
  • 1918年(大正7年)4月7日 - 一の鳥居 - 吉川間で乗合自動車事業を開始
  • 1921年(大正10年)9月30日 - 奈良県内における乗合自動車事業を譲渡。これにより、すべての乗合自動車事業から撤退。
  • 1922年(大正11年)10月4日 - 増資に伴い、阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)が資本参加[5]
  • 1923年(大正12年)11月3日 - 池田駅前(後の川西国鉄前駅) - 妙見(現在の妙見口)間が全通[5]
  • 1926年(大正15年)1月17日 - 妙見鋼索鉄道と共同で能勢妙見自動車株式会社を買収。
  • 1930年昭和5年)4月10日 - 池田能勢妙見自動車株式会社を買収。
  • 1960年(昭和35年)
    • 4月22日 - 妙見ケーブルが開業(旧下部線を復活。黒川 - 山上間623m)[5]
    • 8月27日 - 妙見リフトが開業(旧上部線のうち山頂側の573mを運行)[5]
  • 1961年(昭和36年)8月10日 - 資本金を9,600万円に増資[5]。京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)の子会社となる(出資比率57%)。
  • 1964年(昭和39年)7月1日 - 土地経営部門を新設。
  • 1967年(昭和42年)
    • 5月1日 - 鶯の森住宅地分譲開始。
    • 10月21日 - ときわ台住宅地分譲開始。
  • 1976年(昭和51年)5月30日 - 東ときわ台住宅地分譲開始。
  • 1977年(昭和52年)12月27日 - 鉄道線の準拠対象を軌道法から地方鉄道法に変更[5]
  • 1978年(昭和53年)
  • 1990年平成2年)
    • 4月1日 - 全駅に新型自動券売機の設置が完了したのを機にプリペイドカード「パストラルカード」を発行、同カードによる乗車券の発売開始。
    • 9月15日 - 全駅に自動改札機の設置が完了した[5] のを機に回数券の様式を紙券から磁気券に変更、販売箇所が売店から券売機に変更された。
  • 1991年(平成3年)4月1日 - 駅務機器遠隔操作システム稼動開始[5]。同年10月までにほとんどの駅を無人化[5]
  • 1992年(平成4年)10月31日 - つつじヶ丘住宅地分譲開始[6]
  • 1994年(平成6年)4月1日 - ストアードフェアシステム「パストラルスルー」開始、阪急の「ラガールスルー」と共通運用となる[5]。この複数社間相互決済可能型ストアードフェアシステムがほぼそのまま「スルッとKANSAI」に発展した[5]
  • 1995年(平成7年)1月1日 - 現社章を制定。
  • 1996年(平成8年)3月20日 - 阪急電鉄ほか3社局と共通乗車カードシステム「スルッとKANSAI」開始。
  • 1997年(平成9年)
  • 2001年(平成11年)
    • 3月24日 - フェアライドシステムを導入。
    • 5月 - 社員有志により妙見の水広場(現在の「妙見の森ふれあい広場」)でミニトロッコ「シグナス森林鉄道」の運行が始まる[7]
  • 2003年(平成15年)4月1日 - 都市開発部(不動産事業)を廃止[8]。阪急電鉄との運営一体化がスタート。
  • 2004年(平成16年)8月1日 - PiTaPa導入[5]
  • 2006年(平成18年)1月21日 - PiTaPaとICOCAの相互利用開始により、ICOCAも利用可能となる[9]
  • 2010年(平成22年)6月1日 - 遠隔操作システム及び遠隔制御を山下駅に一元化。
  • 2013年(平成25年)
    • 3月16日 - 妙見ケーブル・妙見リフトを、それぞれ妙見の森ケーブル・妙見の森リフトに改称[10]
    • 12月21日 - 妙見線・日生線全駅に駅ナンバリング導入。
  • 2014年(平成26年)12月 - 妙見線・日生線全駅の駅名標が刷新。各駅沿線にちなむイラストが描かれている。 
  • 2016年(平成28年)6月10日 - 交通系ICカード全国相互利用サービスへの対応を開始し、KitacaPASMOSuicamanacaTOICAnimocaはやかけんSUGOCAが利用可能となる[11]
  • 2017年(平成29年)3月18日 - 鉄道線の急行(妙見急行・日生急行)を廃止[12]
  • 2019年(平成31年)3月1日 - 能勢電鉄においてプリペイド式ICカード「ICOCA」、および「ICOCA定期券」を発売開始[13]
  • 2021年(令和3年)11月27日 - ミニトロッコ「シグナス森林鉄道」がこの年度の冬期休業に入る。同施設はその後設備の老朽化などにより2022年2月に廃止となったため、この日が事実上のラストランとなった[7]
  • 2022年(令和4年)12月17日 - 運行形態を大幅に見直し。川西能勢口駅 - 日生中央駅間の直通運転を基本とし、妙見口駅側は、早朝・深夜の一部を除いて川西能勢口駅への直通運転が廃止され、山下駅 - 妙見口駅間の折り返し運転が基本となった[14]
  • 2023年(令和5年)
    • 4月1日 - 「能勢電車ポイント還元サービス」を開始[15]
    • 4月30日 - 回数券の発売をこの日で終了(身体障がい者・知的障がい者用用特別割引回数券は山下駅で発売継続)[15]

路線

 
路線図

駅務機器は交通系ICカードに対応している。現状では川西能勢口駅平野駅山下駅を除いて無人駅であるため、これらの駅の機器は平野駅と山下駅にある駅務機器遠距離操作センターから制御・管理しているが、これは能勢電鉄が1991年にいち早く導入したシステムである。

運行形態などについては以下の各項目を参照。

妙見線・日生線を「鉄道線」と総称することもある。

廃止路線

未成路線

以下は能勢電の関連会社が取得した免許線

  • 妙見鋼索鉄道妙見口駅 - 黒川駅 (2.1km) (1937年2月5日免許失効。能勢電気軌道線と自社の鋼索線を結ぶ鉄道線)[16]
  • 妙見鉄道:豊能郡東郷村 - 亀岡駅 (19.3km) (1919年4月7日免許失効)[17]

駅名標

以前の駅名標は、長らく親会社の阪急電鉄の駅名標を黄色の背景色で黒文字に変えたものが使われていた。2000年代からはデザインは変わらないものの、白の背景色に緑文字で下部の赤線が緑と黄色の帯に変わったタイプも登場したが、すべての駅で更新せず、黄色タイプも併用していた。2014年に大幅に刷新され、白の背景色で緑文字となり各駅沿線にちなむイラストが描かれ、下部が緑一色のものに交換された。なお、2000年代以降、関西私鉄では駅名標を更新する際、従来はひらがな表示が大きいタイプだったものを漢字表示が大きいタイプに刷新した例が多いが、能勢電鉄の場合は書体などは一新したものの、ひらがな表示を大きく表記する意匠は踏襲されている。これは親会社の阪急電鉄同様に「子供に分かりやすくするため」である。

車両

鉄道線

2022年現在在籍する全車両が阪急電鉄から譲渡された車両である。(能勢電気軌道→)能勢電鉄は1953年1954年に登場した(車体更新車)である50形60形を最後に自社で車両を製造しておらず、完全な新製車となれば1926年に製造された(31形)まで遡らなければならない。1995年の昇圧に際しては、60形以来の自社発注車となる阪急直通対応の新型車両(仮称2000系)を計画していたが、これも中止している[18][19]

高架化前の川西能勢口駅には出発してすぐに時速15キロ制限の急カーブ(半径47m)があったため、阪急からの移籍車両のほとんどに連結器などの改造が施されており、連結器間の距離が長い車両はその名残となっている。ただし川西能勢口駅の高架化に伴って曲線が半径100mに緩和され、同時にワンマン運転対応に改造された車両は連結器の位置を阪急時代に戻したりもしている[20]

1997年11月17日から特急「日生エクスプレス」として阪急の車両が日生中央まで乗り入れている。6000系を除き、能勢電鉄の車両は通常阪急線内には乗り入れないが、全般検査・重要部検査は阪急の正雀工場で行われるため、その際には阪急京都線正雀駅まで回送される。

列車には阪急と同様に(携帯電話電源OFF車両)が設定されていた(4両編成の場合川西能勢口側の1両、2両編成には設定なし)。また、同じく「全席優先座席」を実施し、特定の優先座席を設けていなかったが、阪急での変更に合わせて2007年10月29日に「全席優先座席」を廃止し「優先座席」を設定している。なお、2014年7月15日に携帯電話電源OFF車両は廃止され、「優先座席付近では混雑時は電源OFF」となった[21][22]

また、阪急6000系のうち6002Fが能勢電鉄に移籍し、2014年8月から特急「日生エクスプレス」で運行されている[23]ほか、阪急5100系5136Fを購入した上でグループの阪神車両メンテナンス阪神電気鉄道尼崎工場内)にて2014年7月より能勢電鉄転用に向けた改造が行われ[24]、2015年3月16日より能勢電鉄妙見線・日生線にて運用が開始されている[25]。2018年3月19日には能勢電鉄保有車両で初のVVVF制御車両となる7200系も営業運転を開始した[26][27]

車体塗装

能勢電鉄の車両は阪急線に準じてマルーンで塗られているが、以前は独自の塗装が施されていたことがある。開業時の1形は青色で塗られており[28]2013年には1500系に施されたリバイバル塗装によって再現されている[29]

戦後の1953年に登場した50形・60形はブルーとクリーム色のツートンカラーで登場し(下の画像1参照)、鋼体化改造された31形もこれに倣ったが、それ以外の車両に波及することはなく、その後しばらくは阪急からの譲渡された車両もマルーンのまま使用された。

1983年に入線した1500系は、窓周りをクリーム色に塗り分けて登場し(下の画像2参照)、その後に導入された1000系もこれを踏襲した。1990年に投入された1700系は希望と躍動をイメージしたオレンジに沿線の森林をイメージしたグリーンの帯を巻き、先頭部に能勢電鉄の「N」をイメージした稲妻型のデザインを入れた姿となり[30]、その後すべての車両がこの塗装(下の画像3参照)に統一された。

1993年には社員から新塗装を募集し、クリーム色を基調にした様々な塗装が試行されたが、それらのいずれにも統一されることはなく、最終的には1994年に導入された宝塚造形芸術大学(現在の宝塚大学)の(逆井宏)教授によるデザイン(下の画像4参照)に統一されることになった。塗装のコンセプトは「能勢電鉄の基本理念「あなたのそばに・のせでん」に沿った親しまれやすいカラーリング」「沿線各地の背景との調和」「街の風景あるいは野山の風景の添景としての車両色の責任、公共物としての責任を持てる色彩」「オリジナルなカラーリングイメージ」とし、車体の地色には「クリーミー・オーカー」、側扉は年を経た木製ドアをイメージした黄味がかった茶色「バーント・オーカー」に乗客を迎え入れる駅員・乗務員の白い手袋をイメージした白い帯を配しており[31]、「フルーツ牛乳」の通称が付けられた[32]

その後、2003年に合理化により車体の塗装を阪急正雀工場で行うことになったため、能勢電のオリジナルカラーは姿を消した。

現有車両

  • 1700系(元阪急2000系
  • (5100系)(元阪急5100系
  • (6000系)(元阪急6000系) - 阪急所属車両と共通運用であるため、特急「日生エクスプレス」以外では自社線には入らずに阪急宝塚本線・箕面線で運用されている[23]
  • 7200系(元阪急7000系電動車 + 6000系または7000系付随車) - VVVF制御車両[33]

過去の車両

  • 1形
  • (11形) (11-15) - 元東京市電気局1形 (207-211) で、1920年東京市より購入、1921年より使用開始した。1903年東京車輌製造所製の木造2軸単車で定員43人[34]。1933年に廃車された。
  • (21形) (21-30) - 元伊予鉄道松山市内線1形 (1-10) で、1435mmから1067mmへの改軌に伴い不要になった物を1923年に購入。木造2軸単車で、1937年に廃車された。
  • (31形) (31-36) - 1926年に、能勢電軌における初のボギー車として日本車輛で製造(台車・住友KS-50-L、主電動機・37.3kW×2)された。シングルルーフで前面非貫通3枚窓・2扉の落ち着いたスタイルの木造車で、ブレーキ装置も空気ブレーキが採用され、トロリーポールは屋根の前後両端に取りつけられた。車体構造もこれまでの単車とは異なり、デッキはなくプラットホームから直接乗車するものであった。1956年には31と32が瑞穂工業で鋼体化改造[35]されている。10形の登場により、1966年までに廃車された。このうち35は廃車後に無蓋電動貨車106に改造されており、1991年に廃車されている。
  • (37形) (37-38) - 元九州鉄道三井線20形 (21-22) で、レイルロードルーフで前面非貫通3枚窓・3扉の木造ボギー車。1934年に購入されたが搭載されたモーターの界磁コイルの接続ミスが原因で故障が多く、1954年にこのミスを修正してようやくまともに運用できるようになった。しかし運用期間は短く、1958年に廃車された。
  • 70形
  • 40形
  • 50形
  • 60形
  • 10形
  • 20形
  • 320形
  • 380形
  • 500形
  • 610系
  • (1000系)(元阪急1010系・1100系)
  • 1500系(元阪急2100系
  • (3100系)(元阪急3100系) - 2021年4月引退[36]
  • 電動貨車
    • 101-103 - 開業時に梅鉢鉄工所で製造された2軸の無蓋電動貨車。初期は車体中央にポールの土台となる支柱が立てられていたが、後に前後の運転台後部に支柱を立ててその間に梁を渡しポールの土台とする形に改造された。1966年までに廃車された。
    • 105 - 21形と共に伊予鉄道松山市内線から購入した2軸の電動貨車で、元々は大阪市電の(二階建て電車)だった。伊予鉄道時代は無蓋車だったが、能勢電軌入線後に有蓋化されている。1957年に廃車された後は車体は絹延橋車庫で倉庫として用いられ、台車は大阪市電創業当時の現存唯一の台車として宝塚ファミリーランド内の「のりもの館」で保存展示を経て、現在は大阪市高速電気軌道緑木検車場に併設された大阪市電保存館で保存されている。
    • 106 - 31形35を改造したボギー車の無蓋電動貨車。1966年に集電装置をポールからZパンタに変更しており、1991年に廃車された。

車両数の変遷

320形 380形 500形 610形 1500系 1000系 1700系 3100系 5100系 6000系 7200系 計(冷房車計)
1982 12 1 23 28 64
1983 12 1 23 32 68
1984 10 1 15 35 8 69(8)
1985 4 1 11 35 16 67(16)
1986 4 2 35 24 65(24)
1987 35 24 4 63(28)
1988 35 24 4 63(28)
1989 35 24 8 67(32)
1990 35 24 8 4 71(36)
1991 15 24 8 16 63(48)
1992 5 24 8 28 65(60)
1993-
1997
24 8 36 68(68)
1998-
2001
24 6 36 4 70(70)
2002-
2004
24 36 4 64(64)
2005-
2014
24 32 4 60(60)
2015 16 32 4 8 8 68(68)
2016 8 32 4 16 8 68(68)
2017 24 4 24 8 60(60)
2018 24 4 24 8 4 64(64)
2019 20 4 24 8 4 60(60)
2020 16 4 24 8 8 60(60)
  • 50形・60形除く
  • 1982・83年は1月1日現在、84年以降は4月1日現在
  • 『私鉄車両編成表』各年版、ジェー・アール・アール

乗り入れ車両

阪急電鉄

全形式とも特急「日生エクスプレス」に使用される。

鋼索線・索道線

すべて開業時に新造した。ケーブルカーについては、1990年代初頭に現在の色に塗り替えた後、1号車については「ほほえみ」、2号車については「ときめき」と愛称が付けられた。

運賃

大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2019年10月1日改定[37][38]

  • 鉄道線(妙見線・日生線)
キロ程 運賃(円)
初乗り2km 160
2.1 - 4.0 190
4.1 - 6.0 230
6.1 - 8.0 270
8.1 - 10.0 290
10.1 - 12.0 320
12.1 - 12.2 330
  • 鋼索線(妙見の森ケーブル)・索道線(妙見の森リフト) - 鋼索線・索道線は2021年3月20日改定[39]
    • 大人 片道400円、往復800円
    • 小児 片道200円、往復400円

2017年3月31日までは乗車カードとして、スルッとKANSAI対応の磁気プリペイドカード「パストラルカード」を各駅券売機で販売していた[40]。2017年4月1日以降は関西のほどんどの鉄軌道事業者が西日本旅客鉄道(JR西日本)主導のICカード「ICOCA」を導入する中、阪急・阪神・能勢電鉄・北大阪急行電鉄のみで利用可能な磁気プリペイドカード「阪急 阪神 能勢 北急レールウェイカード」を発売していたが[41]、2019年2月28日で発売を終了し、同年9月30日をもって「レールウェイカード」のほか、スルッとKANSAI時代から続いていた全ての磁気プリペイドカードの自動改札機での利用も終了した[42]。なお、発行元は阪急電鉄であった。

ICカードは、全駅にてPiTaPaやICOCAなどの交通系ICカード全国相互利用対応カード(PiTaPa・ICOCAのほか、KitacaSuicaPASMOmanacaTOICAnimocaはやかけんSUGOCA)が利用できる。さらに2019年3月1日より能勢電鉄においてもプリペイド式IC乗車カードの「ICOCA」、および「ICOCA定期券」の発売を開始した[13]。但し現状発売されているのは阪急電鉄管理の川西能勢口駅のみで、能勢電鉄単独の駅では発売されていない。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 役員・組織構成 - 能勢電鉄、2021年10月6日閲覧
  2. ^ a b c d e f g 第166期貸借対照表及び損益計算書 - 能勢電鉄
  3. ^ 鉄道統計年報平成29年度版 - 国土交通省
  4. ^ 国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』令和元年度版、電気車研究会・鉄道図書刊行会
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』 14号 神戸電鉄・能勢電鉄・北条鉄道・北近畿タンゴ鉄道、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2011年6月19日、16-17頁。 
  6. ^ 能勢電鉄株式会社編 『能勢電鉄100年史』、2008年、168頁。
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参考文献

  • 川西市史編集専門委員会編 『かわにし 川西市史第三巻』、1980年、274 - 284頁。
  • 能勢電鉄株式会社編 『能勢電鉄80年史』、1991年。
  • 佐藤信之 「能勢電鉄の現状と輸送力増強の軌跡」『鉄道ジャーナル』2006年1月号、2006年、146 - 149頁。
  • 藤井信夫 「能勢電のカラーリング」『関西の鉄道』No. 51 2006年盛夏号〔阪急電鉄特集〕、2006年、86 - 88頁。

関連項目

外部リンク

  • 能勢電鉄ホームページ
  • のせでん【公式】 (@Noseden_PR) - Twitter
  • 能勢電鉄株式会社のせでん - YouTubeチャンネル
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