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世界平和統一家庭連合(せかいへいわとういつかていれんごう、ハングル: 세계평화통일가정연합、英: Family Federation for World Peace and Unification; FFWPU)は、文鮮明によって1954年に韓国で創設された新興宗教[4][5][6]およびその宗教団体(宗教法人)。旧名称は世界基督教統一神霊協会(せかいキリストきょうとういつしんれいきょうかい、英: Holy Spirit Association for the Unification of World Christianity)。略称は家庭連合[7](かていれんごう、英: Family Federation)で、旧略称は統一教会、統一協会[8][9][10]。
略称 | 家庭連合 (旧略称は統一教会、統一協会) |
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設立 | 1954年 |
設立者 | 文鮮明 |
種類 | 宗教法人 |
法人番号 | 6011005000441 |
目的 | 教会統一・統一韓国・世界平和[1] |
本部 | 韓国 京畿道加平郡 東京都渋谷区松濤1-1-2(日本本部)[2] |
会長 | 田中富広(日本教会第14代会長) |
重要人物 | 韓鶴子(総裁) |
関連組織 | 原理研究会、国際勝共連合、世界平和宗教連合、世界平和教授アカデミー、世界平和連合、世界平和女性連合、世界平和青年連合、平和大使協議会、真の家庭運動推進協議会、日本純潔同盟、世界日報社、平和統一聯合、光言社、一心病院、世一観光、一和[3]、一信石材、統一産業、東和チタン、トゥルー・ワールド・フーズ、ニューズ・ワールド・コミュニケーションズ、世日クラブ、ワシントン・タイムズ、清心国際中高等学校、仙和芸術高等学校、鮮文大学校、清心神学大学院 |
特記事項 | 旧統一教会問題 |
かつての呼び名 | 世界基督教統一神霊協会 |
世界平和統一家庭連合 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 세계평화통일가정연합 |
漢字: | 世界平和統一家庭聯合 |
発音: | セゲピョンファトンイルガジョンヨナプ |
日本語読み: | せかいへいわとういつかていれんごう |
ローマ字: | segye pyeonghwa tongil gajeong yeonhap |
英語: | Family Federation for World Peace and Unification |
宗教学ではキリスト教系の新宗教とされ、文化庁が発行している宗教年鑑ではキリスト教系の単立に分類されている[11][12][13]。また、欧米ではカルト宗教であるとされており[14]、中国では、法輪功などと共に邪教に認定されている[5][8]。1994年5月に名称が変更され[9]、日本では霊感商法問題のために遅れて、2015年8月26日に宗教法人名を管轄している文化庁から改称を認証された[15][16][17]。
2022年7月8日、信者の家庭出身の犯人(宗教二世)が起こした安倍晋三元首相への銃撃事件以降には旧統一教会問題が表面化し、社会からの注目を集めるようになった。安倍元首相との密接な関係性は政界において「公然の秘密」ともいわれていた[18]。
概説
1960年代後半から、教団系の学生団体である原理研究会による家庭崩壊、学業放棄が社会問題となり、霊感商法が社会問題になった1980年代以降、朝日新聞社や『週刊文春』によって大々的な批判キャンペーンが展開されたが、教団側は激しく反発し、信者によるデモなどが行われた[19]。1984年には、世界日報編集長の副島嘉和が教団の反日思想等の実態について、内部告発を行った後に、襲撃を受ける事件が発生。その他にも、教団を批判した人物・マスメディアへの嫌がらせや、教団に関連した不可解な事件が多数発生している。教団は反対派に「共産主義者」「サタン」といったレッテルを貼って攻撃することも知られており[20]、近年ではインターネットを通じて、一般人を装った書き込みで批判者を攻撃することも多いとされる[21]。
コリアゲート事件の調査を行ったアメリカ合衆国下院のフレイザー委員会の最終報告書によれば、統一教会は1961年に当時のKCIA長官・金鍾泌によって再編され、韓国政府およびKCIAと密接な関係を保ち、その要請により米国内で反日デモを組織するなど、韓国の国益を促進し、韓国の政治的目的を達成するために政治工作を行っていたことが明らかになっている[22][23][24]。
文鮮明は自由民主党の安倍晋三元総理大臣の祖父である岸信介と盟友であり、1960年代から日本の政界と協力していた[25][26]。岸の自宅付近には統一教会の施設が存在し、そこで岸は交流会や講演会などを行っていた。岸内閣時代の首相公邸は統一教会本部として使用された[27]。同教団は現在に至るまで、国際勝共連合等の関連団体あるいはダミー団体を通じて、自由民主党等の保守政治家と密接な関係を保ち続けている[28]。敵対する組織である、日本共産党によると、政治家との密接な関係は、教団の宣伝・広報に利用されており、関連組織、国際勝共連合の月刊誌『世界思想』では、「戦後憲法の終焉」「今こそ日本を取り戻そう」等のフレーズが使われ、安倍晋三元総理大臣の写真が過去複数回にわたり表紙に使われていた。これは、敵対する組織である、日本共産党の機関誌「赤旗」の記事によると、後述する「霊感商法」の被害拡大につながると懸念されている[29][30]。
日本統一教会の初代会長は、国際勝共連合の日本における初代会長久保木修己である[31]。安倍晋三元総理大臣が説いていた国家像である「美しい国」と、久保木修己が説いた「美しい国」との共通点が指摘されている[32]。また、下村博文元政調会長が関連団体から陳情を受け、党の公約に反映させるよう指示を出していた疑いが指摘されている[33]。
教祖の文鮮明は三・一独立運動で独立宣言書に署名した33名の朝鮮独立運動指導者の1人であった李昇薫が設立した学校の出身であり、日本統治下の朝鮮半島で「日本人はふろしきをまとめて出て行け」と演説を行ったため、地元の警察に「要注意人物」とされていた[34][35]。また、日本留学中には大韓民国臨時政府の金九と協力、抗日地下運動に参加していたことも公言していた[35]。教団の教義では日本は"エバ国家"で「サタン(悪魔)側の国[36]」であるとされており[37][25]、ジェンダーフリーや同性婚、夫婦別姓などの政策は共産主義の亜種である「文化共産主義」であるとされ、認めさせてはならないとされている[25][26]。文鮮明の教え(教義)の一つとして、文教祖の恨(ハン)を晴らすのは「エバ国家日本をアダム国家韓国の植民地にすること」「天皇を自分(文鮮明)にひれ伏させること」としている[38][39][40][41]。
統一教会は、霊感商法とマインドコントロール(洗脳)を利用した高額な物販と献金に関する問題や、教団が結婚相手を決める合同結婚式、信者間の養子縁組、麻薬関連のマネーロンダリングと密輸、大韓民国中央情報部(KCIA)と連携した国際的な政治工作活動、反共産主義や朝鮮半島の統一の支持、歴史修正主義、反同性婚、反夫婦別姓、反ロシア思想、イスラエルのパレスチナ弾圧派及びユダヤ教右派勢力への政治協力、ニカラグアの反共産主義ゲリラ・コントラへの資金援助、岸信介政権時代からの自由民主党との関係などの政治との関わりなど、様々な問題で物議を醸している[22][6][42][43][44][45][46]。日本基督教団の書籍によると、特に統一教会の布教方法と、高額な献金や財物の購入を強いられることが問題とされ、統一教会を相手に元信者らが札幌地裁に提訴した「青春を返せ裁判」は1987年から2001年までの14年間に及んだ[47]。
全国霊感商法対策弁護士連絡会によると、判明している分だけで、1987年から2021年までの「霊感商法」による「被害件数」は3万4537件で「被害総額」は約1237億円に上り[48]、物販には壺・印鑑・多宝塔・朝鮮人参濃縮液などが用いられ[49]、その「被害」の高額さから社会問題化している[50]。2000年(平成12年)の広島高裁岡山支部での控訴審では一審を破棄し、統一教会/統一協会の伝道の違法性を認定する全国初の判決が出た[47]。これは日本において、宗教団体による勧誘・教化行為の違法性を認めた全国初の判決となった[47]。2007年から2010年にかけて教団信者への特商法・薬事法違反による摘発が合計13件と相次ぎ、2009年2月の新世事件では、教団の渋谷教会及び豪徳寺教会も強制捜査の対象となり、特商法違反(威迫・困惑)で5人が罰金刑、2名が執行猶予付きの懲役刑および罰金刑に処せられた[51]。
弁護士の郷路征記によれば、信者は「マインドコントロール」を受けているため善悪の基準が転換し、客観的には悪とされる行為も、神のためであれば善であると信じるようになっている。このため信者は霊感商法や無言電話、違法な選挙運動などの反社会的な行為を平気で行うという[52][53]。統一教会の信者の特徴の1つとして「正体を隠す」ことが知られており[54]、信者であるか質問されても「信者でない」と嘘をつくこともある[55]。「正体を隠して」の勧誘活動は「個人が信教を自主的に選択する自由意思」を犯しているとされ、教団が元信者の信教の自由を侵害したとする判例もある[56]という。
元信者のスティーブン・ハッサンによると、入信後に正体を隠して勧誘をする理由を尋ねたところ「サタンがアダムとエバをだまして神にそむかせて以来、この世はサタンに支配されている」とし「いまや神の子らがサタンの子をだまして、神の意思に従わせなければならない」と説明したという。「神はその計画を実現するため、歴史の中で何度も嘘を許容された」ともされ、このような理屈は「天的うそ」と呼ばれ、正体を隠しての勧誘や募金、宣伝活動など教団の活動のあらゆる側面で利用され、教団外部の人間をだますことを正当化しているという[57][58]。弁護士の山口広によれば、教団内部で霊感商法はメシアの側に万物復帰(俗界の財物をメシアが地上天国実現のために召し上げること)させる活動とされており、嘘をつくことが正当化される。嘘をつかないという小さな善のために、霊感商法という大きな善を拒否することは大罪であるとされる[59]。
教団は複数の関連団体や関連企業、ダミー団体を有しており、これも正体を隠して勧誘活動を行うのに役立っている。これらの団体は霊感商法等の教団の反社会性が明らかになった1980年代以降に、政治家との関係を秘密裏に保つことにも貢献した[60]。
欧米ではカルト宗教とみなされており[14]、韓国、日本[61]、米国[62]、ウクライナ[42]などに拠点が存在する[63][64]。フランスやソビエト連邦諸国などでも活動を広めようとしたが、フランスでは反セクト法により、ロシアではプーチン政権が定めたネオナチ勢力(セクト勢力)に対する対テロ法により、統一教会を安全保障上の問題があるとして規制と監視対象とした。旧ソビエト連邦のゴルバチョフ元大統領は統一教会からの資金援助でゴルバチョフ財団を設立、旧ソビエト国での布教協力を行い、ロシア並びにポスト・ソビエト諸国では批判が続いていた。また、中国においては1997年に「邪教」に認定されており、活動が禁止されている[65]。 イスラエルにおいては反パレスチナ、パレスチナ弾圧派などのユダヤ教右派勢力に資金援助を行っており、イスラエル政府にも長年関与している[45][66][67][68][69]。また、米国政府によるイランへの工作事件である「イラン・コントラ事件」の発覚後、統一教会傘下の新聞社であるワシントンタイムズを通じて、ニカラグアの反共産主義ゲリラであるコントラに資金援助を行っていた[70][46]。 米国では、日本人信者を利用して水産会社を興し、全米の中・高級寿司屋向けの鮮魚流通の8割を占めて寿司を広めたりするなど多角的にビジネスを広げ[71]、韓国では財閥組織の扱いを受けており、その巨大な資金力を利用して国際的な政治力も獲得しているが[72]、教団の運営資金の7割は日本が担っており、その原資は深刻な社会問題となっている霊感商法と、法外な献金要求等の信者からの経済的搾取より得られた金である[73]。こうして集められた金は教団の勢力拡大のために日本から韓国やアメリカに送られ、1976年から2010年までの間に日本からアメリカに36億ドルが送金された[74]。
信者は教団の経済活動のために酷使され、海外の危険地域等に送り出され犯罪に巻き込まれることも多い[75]。弁護士らは、金銭を収奪する献金や「霊感商法」よりも、信者の人生を浪費させる「献身」のほうがより悪質な被害を生んでいるとしている[76]。なお、統一教会では「アベルとカインの原則」と呼ばれる上下関係が徹底されている。信者は再臨のメシアである文鮮明を頂点として、教団内部の上司に対する絶対的服従が求められており、アベルに対する「報・連・相(報告・連絡・相談)」も指導されている。その対象は事務的なものだけでなく、私生活に関わることや心情的な内容までも求められる[77][78]。なお、日本の教団は「韓国支配」の体制になっており、方針を自主的に決定することはなく、韓国人幹部が日本の教会を統制し、地方レベルでも韓国人が支配する体制が敷かれている[79]。
親世代が統一教会の信者である「2世信者」も社会問題となっている[80]。幼少期から信仰を強要されるなど、ドメスティック・バイオレンス(DV)の状態にあった当時の子供達は、信者や教会からの特定を恐れ、息をひそめ生活せざるを得ない等の理由により散在状態になっており、弁護団が救済の為に活動している状態である[25][26]。「統一教会2世被害弁護団」は今も統一教会による被害は発生し続けているとしており、2022年(令和4年)7月8日に発生した安倍晋三銃殺事件の犯人の動機に関する弁明を行った統一教会による、「2009年以降は全く問題はおきていない」「犯人の母親の寄付額は把握できていない」等とした会見内容は虚偽だとしており、「統一教会と安倍晋三元総理は大して関係が無く、犯人は思い込んだだけである。」とするメディアの報道姿勢や内容も糾弾している[25][26]。
2012年に亡くなった文鮮明と妻・韓鶴子の7男の韓国系アメリカ人である文亨進は、母親の韓鶴子が父親の教え以上に自らの立場を上位の物にしようとしたとして、韓鶴子との違いを明確に表明した事により対立、2013年には韓鶴子により教会の複数の立場から解任され、文亨進は分家組織である世界平和統一聖殿(通称:サンクチュアリ教会)を、アメリカ統一教会とは別にアメリカ国内にて立ち上げた[81]。統一教会は現在、文亨進のサンクチュアリ教会を「脱会組織」とみなしており、文亨進が主導した統一運動の変革のほとんどは、彼の解任後に却下された[81][82]。文亨進は有力なトランプ支持者であるとされ、AR-15を重要視する“Rod of Iron Ministries”を率いている事で知られ、2021年アメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件にも参加した[83][84][85][86]。
統一教会が大きく成長した最大の戦略的要因として、宗教学者で北海道大学教授の櫻井義秀は、統一教会が国別に機能を特化させる戦略をあげており、「宗教的競争力のなさを、政治・経済部門の事業多角化とグローバルな事業展開で乗り切ったこと」であると述べている[37]。
歴史
1950年代まで
朝鮮半島の平安北道定州出身の文鮮明[87][88](1920年 - 2012年)は、1945年に布教活動を始めた[89]。その後1950年に朝鮮戦争が勃発、1952年に経典の「原理原本」の草稿が完成した[90]。
- 1954年5月、韓国ソウルで、「世界基督教統一神霊協会」を創設した[90]。なお、名称の「神霊」は、主流派キリスト教における三位一体の聖霊とは関係がない[91]。
- 1955年、文鮮明が「(梨花女子大事件)」で逮捕される。韓国マスコミからの総批判を浴びる[92]。
- 1956年から韓国で切手収集の経済活動を開始する。信者に命令して消印付きの切手を葉書から剥がして集めさせて販売する事業だった。7年間続いた[93]。
- 1958年頃、文鮮明は「大学街に日本と交渉する準備」をした上で、日本への海外宣教を計画する。文曰く「北では金日成主席を中心として、ソ連と中共が後援する立場にあることは間違いないので、この難局を解決し、大韓民国が生き残る1つの突破口を開くためには、日本を突破していかなければならない」と考えたという[93]。7月16日、日本伝道のため、崔奉春(チェ・ボンチュン 通名・西川勝[92])が釜山から密航船に乗り込み、17日に小倉に到着するも上陸の許可が下りず、21日に呉方面で海上保安本部に連行される。25日から広島県の吉浦刑務所に収監され、10月には密入国で懲役6ヶ月の実刑判決が言い渡される。吉島刑務所から山口刑務所、そして韓国への送還のため下関刑務所に移送される。崔奉春は送還を回避するために、断食によって病気になることを決断。1959年3月に入院し、光風園療養所に移され、4月中旬ごろになって送金を受け取ることに成功したため、脱出を決行。急行列車で東京に向かう。飯田橋まで行き、韓国のYMCAに到着[94][95]。
- 1958年、北朝鮮の脅威を懸念した文鮮明は、仁川に『統一産業』朱安工場を設立、銃器製造を開始する[96]。
- 1959年からは米国への宣教も開始。梨花女子大事件を契機に関係が生じた自由党を利用、旅券を発行させ、(金永雲)を1月2日に、(金相哲)を9月18日に相次いで派遣[93]。
- 1959年7月下旬、崔奉春は米田という人物から、日本に帰化した在日韓国人でクリスチャンの青年を紹介される。彼の時計店で住み込みで働くことになった[95]。
- 1959年10月、新宿区戸塚町(現在の新宿区西早稲田)の日本に帰化した在日韓国人が経営する時計店で日本統一教会が発足する。崔奉春は時計店で住み込み店員として働きながら、3人の仲間(1人は在日韓国人)と共に布教を開始する[94]。
1960年代
- 1961年に大韓民国中央情報部(KCIA)部長の金鍾泌により政治的意図をもって再組織され、以後アメリカや日本で政治工作を行っているとされた[97][98][99]。
- 1962年、教団が立正佼成会と関係を持つ。日本統一教会初代会長の久保木修己によれば、発端は「創価学会撲滅の会」グループを作って活動していた青年が消息を経った事件である。青年が行方不明になって半年ほど経った頃、久保木は新宿で「統一原理による統一世界」と書かれた旗を振る青年を発見する。話を聞くと「素晴らしい理論体系を知った」「久保木先生、あなたの悩みも解決します。どうか一度聞いてください」と言う。青年の言う通りに杉並区の馬橋にあった6畳の部屋に招かれると、そこには3人の信者と1人の説教者(西川勝)がおり(当時の統一教会の規模は10人未満だったという)、久保木は西川の態度に感銘を受ける。その後、西川が久保木を尋ねてきて「庭野会長に合わせてもらいたい」と仲介を求め、会長の庭野日敬に対し「40日ぐらいで"人間改造"してみせます」と立正佼成会の青年信者を統一教会に預けることを提案した。庭野は宗教に反発していた息子を含め、久保木ら数人の信者を「修練会」に参加させる。久保木によれば、庭野の息子は40日の「修練会」で「自己改革」に成功したとされ、街頭で「統一原理によって、日本は立ち上がらなければならない」と訴えるなど、かつての「宗教嫌い」が一変したとされる。息子の変貌ぶりに感銘を受けた庭野は、立正佼成会の信者に統一原理を学ぶことを推奨し、百数十人の青年が統一教会に通うようになった。しかし、統一教会の修練会に通った青年らは「自分たちが日本を救うのだ。佼成会のような偶像崇拝は必要ない」などの言動で軋轢を生むようになった。その上、庭野は統一教会に惚れ込んでしまい、教団幹部や外部の人間に対して公然と統一教会を褒めちぎるような言動をするようになったため、立正佼成会の内部で統一教会への反発を生んだ。統一教会との関係については文部省の宗教法人課からも忠告の指令まであったとされる。このため、統一教会の修練会に行くことは禁止された。しかし、最終的に久保木ら約50人の青年信者は統一教会に転向したという[100][101][92]。
- 1963年6月18日、銀座ガスホールで日本統一教会最初の決断式が開催され、ゲストに笹川良一を迎える[102]。
- 1963年10月、世田谷区北沢(現在の代沢5丁目)に本部教会を移転。この頃、前田建設社員だった梶栗玄太郎が入信する[94]。
- 1964年4月、「原理研究会」が設立され全国の大学で学生伝道を開始した[103]。同年7月15日、日本で宗教法人の認可を受け、翌16日に設立[104][105]。初代会長になったのは元立正佼成会信者の久保木修己だった[103]。同年11月1日、教団本部を世田谷区代沢5丁目から、渋谷区南平台町45番地(当時の番地)に移転した[106][107][108]。建物の隣は元首相の岸信介の私邸であった[109]。
- 1964年6月、崔奉春の不法滞在が発覚し、北沢署により連行される。後に身柄が出入国管理局に移される[94]。
- 1964年12月、文鮮明は元韓国陸軍の朴普煕を米国に派遣した[93]。
- 1960年代半ば頃、教団は「天照皇大神宮教(通称:踊る宗教)」の教祖の北村サヨを介して岸信介に接近。信者が渋谷の南平台町にある岸の私邸を訪れるようになり、教団との密接な関係が生まれた。岸は頻繁に統一教会や国際勝共連合の本部を訪れ、そこで教団が招いた韓国の国会議員や大学教授と面会することもあった[110]。
- 1965年1月28日、文鮮明は21年ぶりに来日した。南平台の日本本部教会を訪問、その後全国の教会支部を回り、各地の信者からの歓迎を受ける。文鮮明は2月10日に三笠宮崇仁親王、笹川良一と会談。翌日にも笹川と会食。2月12日には日本を離れ、羽田から日航806便でアメリカに向かう。3月には崔奉春も渡米した[111]。この時期から文鮮明一家と幹部たちは、アメリカに宗教・政治的情宣活動の拠点を移したとされる[112]。
- 1965年2月12日、文鮮明はサンフランシスコの国際空港に到着。6月25日にゲティスバーグでアイゼンハワー前大統領と会談。朝鮮半島の安全保障問題などを話し合う[113]。
- 1965年8月23日、教団本部を渋谷区南平台町45番地から、同区松濤1丁目に移転した[114]。
- 1965年11月10日、北朝鮮の脅威を懸念した文鮮明は、江原道の知事に働きかけ、統一教会信者を中心とした反共啓蒙団を発足させる。その後全国8つの道に運動が拡大した。警察署長や郡守などの公務員を対象にした反共教育が教団信者によって行われた。文は「統一教会の思想で60万人の大軍を武装させる」とも語った[113][115]。
- 1965年12月10日、教団系のリトルエンジェルス舞踏団が来日し日本テレビに出演。翌日初の日本公演[111]。
- 1967年5月11日、文鮮明が日本を訪れた。滞在中に韓国大使館と民団を訪れ、日本共産党と朝鮮総連に対抗するため、在日韓国人に対する反共教育を実施する必要性を訴えた[116]。
- 1967年7月7日、朝日新聞「親泣かせの原理運動」報道で原理運動に参加した学生の学業放棄・家庭崩壊の被害が報じられる。日本で初めての統一教会の被害報道[117][118][119]。
- 1967年8月、韓国人幹部の(崔容硯)が民団で講演した[111]。
- 1967年9月、日本初の統一教会の被害者団体「原理運動対策全国父母の会」が発足する[120]。
- 1960年代当時、教団が明治神宮の境内の一角を「大聖地」に認定して、信者の早朝祈祷の場所に利用していたことが発覚し、物議を醸した。この聖地認定は教祖の文鮮明と教団幹部により一方的に決定され、神宮側には一切の相談がなかった。この事態に対して、神宮側は1967年10月16日付けで立ち入り禁止の措置を講じた[121]。
- 1968年4月、文鮮明が岸信介、児玉誉士夫らの協力を得て反共政治団体「国際勝共連合」を日本に設立した[103]。名誉会長には笹川良一が就任した(笹川はのちに「全日本空手道連盟」に関わるようになり、共産圏出身の選手への配慮から名誉会長を辞退した)[122]。
- 1969年、国際勝共連合は「(自由擁護連盟)」に接近し、タイのバンコクで開かれた世界反共連盟(WACL)の大会への参加を実現。世界の反共運動との関係を深めた。「自由擁護連盟」は岸信介と関係の深い組織で、当時は東大名誉教授の渡辺銕蔵が会長を務めていた[123]。
1970年代
- 1970年1月17日、済州島で第二回韓日狩猟大会が開催される。日本人と韓国人の教団信者が多数参加した。文鮮明は大会開催の理由として「統一教会の青年たちは、北韓の共産党が攻め込んできた時には、銃を持って彼らに対して戦わなければなりません」と語った[124]。
- 1970年5月11日、『平和を祈る音楽の祭典』WACL躍進国民大会が開催。冒頭で自民党副総裁の川島正二郎が、総裁の佐藤栄作に代わってメッセージを朗読[125]。
- 1970年9月上旬、岸信介の紹介状により、日本統一教会会長の久保木修己と韓国大統領の朴正煕との会談が実現する。会談は1時間以上にも及び、久保木は日本における朝鮮総連についての懸念を話し、両者は反共運動での共闘を約束した[126]。
- 同年9月20日、「国際勝共連合」は日本武道館で開催された世界反共連盟(WACL)を全面的に支援。米上院議員のストロム・サーモンド、キューバのカストロ議長の妹のフアニータ・カストロをゲストに迎える。総理大臣の佐藤栄作や韓国大統領の朴正煕からもメッセージを受ける。このときにサーモンドと教団とのコネクションが生まれた[123][125]。
- 1970年10月21日、岸信介がソウルで開催された統一教会の合同結婚式(777双)に祝辞を送る。会場では韓国海軍軍楽隊の演奏も披露された[127]
- 1971年、文鮮明は大韓民国籍のまま米国に移住した。久保木によれば、当初北朝鮮のスパイの疑いで入国を拒否されたが、教団から電話で連絡を受けたサーモンドより便宜が図られ無事入国が実現した[123]。
- 1971年2月、文鮮明は一信石材工芸株式会社(一信石材)を創立した。同社は大理石の壺や多宝塔を製造・販売した[128]。
- 1971年12月、文鮮明は一和製薬株式会社を設立した。同社は朝鮮人参関連商品を製造・販売した[129]。
- 1972年秋、総選挙で自民党が敗北し日本共産党が40議席獲得を実現すると、共産党をターゲットにした「救国の予言」キャンペーンを展開する[130]。
- 1972年10月、文鮮明は韓国チタニウム工業株式会社(東和チタン)を買収した。文は買収によって、デュポン社の韓国進出を食い止めることができたと語った[131]。
- 1972年11月から教団系のリトルエンジェルス舞踏団の日本公演が行われ、35人の少女舞踏団が各地を巡回した。この背景として、中国の上海バレエ団が訪日し、読売新聞と朝日新聞が記事を掲載したが、産経新聞は反共的な立場をとるため協力できず、代わりに反共的な背景を持つ舞踏団の来日を望んだとされる。来日には国際勝共連合の協力もあった。また、「日本屈指の財閥」の関係者ら約80人が、久保木修己や(石井光治)の宣伝により支援を決めたという。文鮮明は公演の目的を「韓国のため」であるとし、金日成の主体思想に対抗し、文化民族である韓国の権威を日本で高めるためであると語った。公演は1973年3月まで続いた[131]。
- 1972年11月、教団信者で国際勝共連合幹部の男2人が兵庫県警に逮捕される。総額2億3000万円分の小切手を韓国に不正に持ち出した疑惑が浮上したが、4年10ヶ月におよぶ裁判の末に、証拠不十分で「無罪」になった[132]。
- 1973年4月8日、岸信介が日本統一教会本部を訪れる[125]。
- 1973年5月1日、文鮮明は朝鮮総連に対抗するため、国際勝共連合の民団代表として(崔容硯)を日本に派遣した。崔は日本で万景峰号の大阪寄港を阻止する街宣活動などで活躍した[129]。
- 1973年11月23日、文鮮明と岸信介は日本の統一教会本部で長時間にわたり会談[114][133]。岸信介が文鮮明と握手した写真は統一教会で「世界でいかに統一教会が認知され、我々の理念が間もなく達成されようとしている」といった宣伝に利用されている[26][133]。
- 1973年11月30日、文鮮明は『ニューヨーク・タイムズ』および『ワシントン・ポスト』紙に意見広告を出稿し「ウォーターゲート宣言」を掲載、ウォーターゲート事件で窮地に陥っていた当時の大統領・リチャード・ニクソン擁護の姿勢を鮮明にし、赦免を求めるための信者による断食運動も展開した[134]。
- 1973年12月、東京で韓国、台湾、日本の3ヵ国の国会議員を対象にした勝共セミナーが開催される[129]。
- 1974年2月1日、ニクソンはホワイトハウスに文鮮明を招待し、約1時間の会談。ニクソンは「この国で、誰よりも私を愛し、私のために心配してくれる人はミスター文である」と感謝の意を述べたとされる[134]。
- 1974年7月22日から24日まで、ワシントンDCの議事堂階段で信者約650人による断食闘争祈祷を実行した[134]。
- 1975年、統一教会は韓国の汝矣島で120万人を集めて史上最大の平和的集会を開催した[135]。
- 1975年、マスコミ界の「左傾化」を懸念した文鮮明の提唱により『世界日報』が創刊される[136]。
- 1975年4月、統一教会の被害者団体「全国原理運動被害者父母の会」が発足する[120]。
- 1975年12月、統一教会の被害者団体「全国原理運動被害者父母の会」が自民党議員全員に対し「原理運動即時禁止令要請」の請願書を送付する。この文章では教団を「年間五万人以上の平和な家庭が崩壊するばかりでなく、数多くの精神錯乱、発狂者、自殺者などが続出する兇悪な新興宗教団体」とし、数多くの被害者家族の実態を挙げ、自民党に教団の規制を訴えた[137]。
- 1976年5月、文鮮明はニューヨーク・マンハッタンにある43階建の『ニューヨーカー・ホテル』を買収した。統一教会は他にも米国各地で不動産を取得したが、その資金の出所が疑問視された[138]。
- 1977年1月、一和製薬の関係者10人が脱税容疑で逮捕された[139]。
- 1978年、イギリスのタブロイド紙デイリー・メールは、「家庭を崩壊させる教会」という見出しの記事を掲載した[140][141]。その記事は、統一教会が家族を洗脳し、引き離していると非難するものであった。英国統一教会のデニス・オーム所長は、デイリー・メールとその親会社であるAssociated Newspapersを相手に名誉毀損訴訟を起こし、英国法史上最長となる6ヶ月の民事訴訟となった[142][143][144]。オーム所長と統一教会は、名誉毀損訴訟、控訴審で敗訴し、貴族院への提訴も拒否された[145]。元の裁判では、アメリカの反カルト精神科医マーガレット・ターラー・シンガーを含む117人の証人の話を聴取した[146]。原審では、統一教会はAssociated Newspapersに75万ポンドの費用を支払うよう命じられたが、これは控訴後も維持された[147]。原審の陪審員は関連新聞社に費用を与えただけでなく、法務長官に統一教会の慈善団体としての地位を再調査するよう要請し、1986年から1988年までの長期の調査の後も解任されなかった[148][149]。ジョージ・クリシデスによれば、英国にいた統一教会の500人のフルタイム信者の約半数が米国に移った[150]。統一教会は判決の後、12の主要な教会センターのうち7つを売却した[151]。ドイツのような国の他の反カルト主義者は、ロンドン高裁の判決を法律に組み入れようとした[152]。統一教会は、デイリー・テレグラフ紙に対する同様の裁判を含め、英国で他の名誉毀損や誹謗中傷の裁判に勝利している[153]。
- 1978年11月、コリアゲート事件の調査を行ったフレイザー委員会によって大韓民国中央情報部(KCIA)と文鮮明が共謀して、米国議会に対して贈賄等の政治工作を行い、何百万ドルもの資金を違法に調達して国境を越えて移動させていたことが判明した[154]。
- 1978年11月、上智大学学長のヨゼフ・ピタウ、早稲田大学元総長の村井資長、歴史学者の家永三郎、ジャーナリストの茶本繁正と(荒井荒雄)、衆議院議員の西宮弘、参議院議員の市川房枝らの協力によって反統一教会団体「原理運動を憂慮する会」が発足する[155][156][157][158]。
1980年代
- 1980年代から、文鮮明は統一教会のメンバーに「家庭教会」と呼ばれるプログラムに参加するよう指示し、公共サービスを通じて隣人や地域住民に手を差し伸べるようにした[159]。
- 1982年3月、文鮮明は共和党を支援する政治的目的のため、『ワシントン・タイムズ』紙を創刊した[160]。
- 1982年、文鮮明は米国で虚偽の連邦所得税申告と陰謀の罪で有罪判決を受けた:United States v. Sun Myung Moonを参照。彼はコネチカット州ダンベリーの連邦刑務所で13ヵ月間服役した[161][162]。起訴・収監された際には、キリスト教右派団体やバプティスト教会、全米黒人カトリック聖職者会などの牧師が、文鮮明の無罪と釈放を要求するデモを行った[163]。この事件は、モラル・マジョリティー代表のジェリー・ファルエル、南部キリスト教指導者会議代表のジョセフ・ローリー、ハーバード大学神学教授のハーヴィ・コックス、アメリカ合衆国上院議員で元民主党大統領候補のユージン・マッカーシーなどから、選択的起訴であり信仰の自由への脅威であると抗議を受けた[164][165]。
- 1982年、文鮮明はアメリカで脱税の罪で懲役判決を受けた[166]。
- 1984年、日本統一教会元幹部、副島嘉和と元営業局長井上博明が連名で、文藝春秋1984年7月号に「これが『統一教会』の秘部だ―世界日報事件で『追放』された側の告発」という18頁に渡る手記を暴露発表したことで、初めて日本国内の一部に統一教会の暗部が露見した[167]。
- 1984年6月10日頃、副島嘉和の暴露記事が全国の店舗に並んだが、その直前の1984年6月2日夜、副島が帰宅途中に何者かに襲撃され、全身を刺され瀕死の重傷を負った「副島襲撃事件」が発生した[168]。襲撃事件時、世界日報の元記者が副島の自宅に偶然おり、副島が瀕死の状態で自宅にたどりついた時の様子を証言している[169]。副島は全身を刺され、最も深い物で刃渡り15㎝まで到達していたが、心臓からわずかに2センチメートル外れており、また世界日報の別の記者が事件直後にたまたま副島の自宅を訪ねており、救急車に担ぎ込まれた事により副島は奇跡的に生還した[169][170]。副島らは、この襲撃事件前後の統一教会との確執に関して原稿を書き『週刊文春』に持ち込んだが採用されなかった[171]。また、マスコミも襲撃事件を言論事件として取り上げようとするところはなかった[171]。副島らは孤立無援の状態で統一教会の告発を続けたが、さまざまな事情によりグループから脱落者が出て、それを続けることは難しくなっていた[172]。偶然ではあるが、1984年秋から『朝日ジャーナル』が統一教会、霊感商法の批判キャンペーン記事を掲載しはじめたため、副島らが始めた統一教会批判は実質的には『朝日ジャーナル』へ引き継がれることになった[172]。この襲撃事件は殺人未遂事件としてではなく、傷害事件として捜査された[173]。
- 1984年11月、第七回世界言論人大会が開催され、岸信介が名誉議長として挨拶。ほかにも元駐日大使のダグラス・マッカーサー2世、(ジャック・スーステル)元フランス副首相が挨拶した。日本生産性本部会長の郷司浩平、評論家の細川隆元も祝辞を述べた。最終日の晩餐会には米駐日大使のマイケル・マンスフィールド、福田赳夫が出席。文鮮明からのメッセージを朴普煕が代読した[174]。
- 1989年3月、鄧小平の後ろ盾を得て中国で自動車事業を開始する。中国政府から許可を受け、広東省恵州に統一グループが主導するパンダ自動車工業団地の造成が始まる。6月27日には起工式が開催され、中国の政府高官や有力者など約300人が集まった[175]。
1990年代
- 1990年代、ソビエト連邦で活動を開始したが、ロシアを含む多くのポスト・ソビエト諸国の宗教当局は統一教会を安全保障上の問題があるとして規制と監視対象とした[68]。
- 1991年、文鮮明は、統一教会員が故郷に戻り、そこで使徒的活動を行うべきであると発表した。新宗教運動の研究者であるマッシモ・イントロヴィーニュは、このことは運動のメンバーにとって、もはやフルタイムの信者が重要であるとは考えられないことを確認したと述べている[176]。同年6月2日、「副島襲撃事件」は犯人を特定できないまま公訴時効を迎えた[173]。
- 1990年代前半、霊感商法や合同結婚式で話題になったが、この時代でさえもあまり信者を獲得できていなかった[177]。この合同結婚式によって家庭を持った日本人の信者数は10,000組を超え[37]、2004年時点で統一教会による合同結婚式で韓国人男性と結婚して韓国で暮らす日本人女性信者数も7,000人ほどいる[178]。
- 1991年12月9日、ホテルニューオータニで「柳寛順精神をたたえる東京大会」が開催。文鮮明は柳寛順の伝統的な思想を日本人の女性たちに植え付けるため、と大会の趣旨を語った。この大会の後、全国各地で「柳寛順烈士精神宣揚会」が設立され、教団信者によって運営された[179][180]。
- 1992年、教祖の文鮮明は世界日報社長の朴普煕に、伊藤博文暗殺犯の安重根を称える「安重根義士旅順殉国遺跡聖域化事業」を命令、旅順における、本格的な資料発掘および聖域化を推進した。文は安重根を「韓民族の偉大な将軍」「アジアの平和を主張した愛国者」とした上で、「彼の愛国心をアジアの青少年の精神教育における象徴とする」と事業の意義を語った[181]。
- 1992年4月11日、大阪国際交流センターで、抗日運動の英雄とされる柳寛順を称える「柳寛順烈士精神宣揚大会」が開催。1500人以上の日本人女性信者が太極旗を掲げながらチマチョゴリを着て参加した。広島、名古屋など日本各地で開催され延べ1万400人が参加。同大会を通して「柳寛順烈士が16歳の少女として見せてくれた祖国観と犠牲的な愛国心、不撓不屈の精神」を褒め称えた[180]。
世界平和統一家庭連合(1994–)の設立以降
- 1994年5月1日(統一教会創立40周年)、文鮮明は統一教会の時代が終わったことを宣言し、新しい組織を発足させた。統一教会のメンバーと他の宗教団体のメンバーが共通の目標、特に性的道徳や異なる宗教、国家、人種の間の和解の問題に向けて働く「世界平和統一家庭連合」(FFWPU)であった。FFWPUは祝福式を共同主催し、他の教会や宗教の何千ものカップルに、以前は統一教会のメンバーだけに与えられていた結婚の祝福が与えられた[182][183]。
- 2000年、FFWPUは、ワシントンD.C.で行われた家族の結束と人種的・宗教的調和を祝う集会「100万家族行進」を、ネーション・オブ・イスラムとともに共催した[184]。
- 2000年10月16日、同じくルイ・ファラカンが主催した100万人行進の5周年記念日に開催され、ファラカンがメインスピーカーとして登壇した[185]。FFWPUの指導者であるダン・フェファーマンは、ファラカンと文の見解は複数の問題で異なっているが、「神を中心とした家族」という見解は共有していることを認める手紙を同僚に送っている[186]。
- 2003年、韓国のFFWPUのメンバーは、韓国で「神と平和と統一と家庭のための党」という政党を立ち上げた。新党の発足宣言では、神と平和について国民を教育することによって、朝鮮半島の統一を準備することに重点を置くと述べている。FFWPUのある幹部は、日本や米国でも同様の政党を立ち上げると述べた[187]。FFWPU関連の万国平和連合会の中東平和構想は2003年から、ユダヤ人、イスラム教徒、キリスト教徒の間の理解、尊敬、和解を促進するために、イスラエルとパレスチナの団体ツアーを開催している[188][189]。
- 2005年9月12日、天宙平和連合(UPF)が創設される。文鮮明はニューヨークのリンカーンセンターで講演し、「機能を果たせなくなった既存の国連に対し、アベル的位置に立つ」として創設の意義を語った。イベントには(マカリム・ウィビソノ)国連人権委員会委員長が参加し祝辞を述べた[190]。
- 2007年5月17日、教団系の『ワシントン・タイムズ』紙の創刊25周年を祝うイベントがワシントンDCで開催。国連事務総長の潘基文から、「ワシントン・タイムズは正義と報道の自由を守るチャンピオンでした。今後も国連の業務に大きく貢献することを期待します」とのメッセージが寄せられたほか、元英国首相のマーガレット・サッチャーもビデオ映像で賛辞を述べた[191]。
- 2008年7月19日、文鮮明一家16人を載せたヘリコプターがソウル・蚕室のヘリポートを離陸後、清心国際病院付近で着陸準備中に松林に墜落、20分後に爆発炎上するが、16人全員が脱出に成功[192]。
- 2009年、コンプライアス宣言を行う。これは、印鑑販売会社「新世」の社長らが霊感商法で逮捕された事件の裁判のなかで、統一教会との関連性が一部認定されたことを受けたものである[193][194]。
- 2012年2月の始め、旧ソビエト国家であるキルギスでは、キルギス国家保安委員会、キルギス検察庁、および州宗教問題局が、統一教会の活動が適切な登録なしに非伝統的な宗教的見解を強制的に広めることにより、キルギスの国家安全保障に脅威を与えたと主張[68]。裁判所に苦情を申し立てた[68]。ビシュケク裁判所は、キルギスの領土での統一教会の活動を実質上不可能とする判決を下した[68]。
- 2012年には開祖の文鮮明が死去し、妻の韓鶴子が組織全体の責任者となったが[195]、「家庭連合幹部と母親韓鶴子女史が、後継権を奪い、韓鶴子女史が自ら教主となり、相続権を奪われた」と主張する七男の文亨進派と分裂した。
その後、文亨進は、サンクチュアリ教会を設立した。そして、文亨進は家族連合(韓鶴子率いる統一教会)と裁判で争い(『統一マーク使用権訴訟』)、勝訴した[196]。
サンクチュアリ教会の掲げる主張は統一教会とは異なり、「全能の神が与えた権利によって武器を持ち、民が互いと人類の繁栄を守ることのできる平和の警官、平和の兵士の王国」と銃賛美の宗教となっている[197]。同年には札幌地裁により、違法な布教活動、伝道や献金を強いたとして布教活動を違法とする判決が下された[198]。
韓鶴子は、現在のこの運動のリーダーであり、公的なスポークスパーソンとして活動している。2019年、日本での集会で講演し、環太平洋諸国間の理解と協力の拡大を呼びかけた[199]。2020年、家族連合主催の朝鮮半島統一のための対面・仮想集会で講演し、約100万人の参加者を集めた[200]。
- 2020年、潘基文前国連事務総長が鮮鶴平和賞を受賞し、100万米ドルの賞金を授与される[201][202]。
- 2021年、統一教会の関連団体が主催するイベント「希望の結集(Rally of Hope)」でドナルド・トランプと安倍晋三が演説を行った[203][204][205][206]。統一教会は、安倍の祖父で元首相の岸信介や、安倍の父で元外相の安倍晋太郎と関係がある[207]。
- 2022年2月24日からのウクライナ侵攻後、ウクライナの家庭連合会長アーニャ・カルマツカヤは、「ウクライナは人類の平和、自由、人権の為に戦っている」とメディアやSNS上などを通じてウクライナ愛国心と反ロシア思想を世界へ向けて説いている[42]。
- 2022年7月8日、安倍晋三元首相が奈良市で暗殺されたが、犯人は、安倍が統一教会と強い関係性があると主張し、統一教会への恨みを晴らすために安倍を銃撃したと動機を説明しているとされる[208][209]。
政治思想・政治活動
オウム真理教などの宗教問題を専門とするジャーナリスト出身の有田芳生は、統一教会の本質について、「多国籍企業を上回る準軍事的な国際政党」「宗教という仮面をかぶった経済=政治複合組織である」との見解を示し、その活動は日本、韓国、アメリカ合衆国をはじめ、世界を股にかけるものとしている[210]。
1978年に公表された米下院のフレイザー委員会報告書では、「厳格な規律をもった国際政党の特徴を備えている」と評価されており、教団の最終目的を、教祖の文鮮明を頂点とする「世界的な政教一致国家を樹立すること」だと断定している[210][211]。教祖の文鮮明本人は「現人神である自分を中心とする神国政治を創る」と言っていたとされる[212]。
日本における政界との関係
1960年代後半から岸信介と自民党が統一教会と関係を深めることとなった。この背景には「安保闘争」と日本共産党の存在があったとされる。岸信介は1960年に日米安保条約を強行採決させたが、10年後に失効を迎えることになっていた。「安保護持」を掲げる岸の懸案は安保法制に反対する左派の存在だったが、70年安保の反対運動は、60年安保を超える国民的な大反対運動に発展することが予想されたのである。対立政党である共産党の躍進も、岸と自民党の懸念材料であった[213]。
安保闘争で猛威を奮った全学連や新左翼の学生、数万人規模とも噂される日本共産党の学生組織「民青」に対し、自民党にはそれらに対抗する学生組織がなかった。これは抗議に訪れた「全国原理運動被害者父母の会」に対し、自民党の辻寛一が漏らしていた事実であった。教団は選挙の際には日本共産党攻撃の実働部隊として活躍、自民党との協力関係が続いた。岸が主導した統一教会への接近について、評論家の(荒井荒雄)は「韓国と文鮮明に国を売り、共産党破壊ではなく日本の幾多の善良の家庭が破壊されるという悲劇を生む結果に至るのである」と厳しく批判している[213][92]。
教団から政界への資金の流れもあったとされ、1974年当時、国際勝共連合から自民党への政治献金は1億円以上にも及んでいた。統一教会信者による朝鮮人参茶や壺の販売、生花の押売り、目的を偽った街頭募金などが原資と見られる。教団がたびたび開催した政治関連のイベントの費用は時に数千万にも及んだが、大半のケースでは教団側が負担した[214]。
日本における政治家と教団の関係について、宗教ジャーナリストの鈴木エイトは、「政治家が教団に求めるのは『票集め』ではありません。選挙戦での運動員、事務所スタッフなどの『人的貢献』です。それは政治家が何よりほしがるもので、教団は無尽蔵に提供してくれるわけです。政治家と旧統一教会――その関係は、世間一般の人たちが思うよりも、ずっと深いものなのです」としている[215]。
(世界日報事件)を機に教団を脱会した元世界日報記者の伊藤達夫によれば、統一教会は選挙に弱い議員を狙って接近する。教団の信者は一人でいくつもの肩書を使い分けており、政治家に接近する場合は、反共政治団体の「国際勝共連合」の名刺を渡す。教団が政治家に接近する理由は複数あり、電話掛けのために渡される名簿を持ち出して霊感商法のターゲットを洗い出すことや、議員秘書としての給与を教団に献金させること、政治家に霊感商法等の経済活動が問題化しないように働きかけるなどの各種の便宜を図ってもらうことだという。教団と近しい議員には重要な役職についているものもおり、自民党国防族の重鎮で、第1次中曽根内閣での防衛庁長官・谷川和穂は少なくとも3人の教団信者を秘書としていた。伊藤は秘書を通じて、日本の防衛政策の機密情報が第三国に流出するリスクを指摘し、政治家は自発的に関係を断つべきとの見解を示した[216]。
教団は国会議員のみならず地方議員にも接近をはかっており、学生ボランティアなどを口実に議員に接近し、ビラ配りなどの活動を熱心に行うと言う。このときもダミー団体を表に出して、あくまで旧統一教会の信者であることは隠して接近する。ジャーナリストの(いのうえせつこ)によれば、教団が地方議員に接近する主な理由は、やはり議員の支援者名簿の入手や議員とつながりのある富裕層をリストアップして、教団のターゲットを洗い出すことだという[217]。
実際、RKB毎日放送が入手した教団による地元国会議員への選挙支援についての映像では、福岡県久留米市の教団関連施設で教団の渉外部長が、福岡5区で立憲民主党の堤かなめに敗れた自民党の原田義昭の選挙運動を報告する内容が映されていた。映像では「ここに鳩山二郎先生を迎えて、勝利の報告をしてもらう。また藤丸先生も、(大牟田市の)桑原市議からもうすでにきのう『なんとか藤丸さんを教会に連れて行きます』と約束していただいております」と藤丸敏などの複数の自民党議員の名前が挙がり、教団関係者が選挙運動で得た約6000人分の名簿を今後の信者獲得につなげていくとの趣旨の発言をした[218]。
教団関連団体が2006年頃に作成した資料によれば、信者の議員を100人立てることが教団の目標に掲げられており、また、元総理大臣の安倍晋三を信者にすることも関連団体の講義の内容に含まれていた[219]。
2021年の衆院選では、教団の関連団体が自民党の複数の議員との間で電話掛けなどの選挙支援と引き換えに、憲法改正などへの賛同を求める事実上の「政策協定」を結んでいた。推薦確認書では、憲法改正や、(家庭教育支援法)・青少年健全育成基本法の制定、LGBT問題・同性婚合法化への慎重な姿勢、日韓トンネル推進、関連団体の平和大使協議会および(世界平和議員連合)への入会などの条件が記されていた[220]。
2022年8月にTBSが教団との関係について、全国会議員に「旧統一教会の関連イベントに出席したり祝電を送ったりしたことがあるか」と調査を行った結果、「ある」と答えたのは、自民党が60人、日本維新の会が9人、立憲民主党が5人、公明党が1人、参政党が1人だった。選挙支援を受けたことが「ある」と答えたのは、自民党が14人だった。政治献金を受けたのは自民党議員4人と国民民主党の玉木雄一郎だった(全国会議員中、回答率は76%)[221]。
法学者の南野森は、新興宗教を含め、一般論として政治家が宗教団体と関係を持つことは問題がないとしつつも、「不法行為を繰り返しているし、自分たちが宗教団体であることを隠してアプローチしてくるところが決定的に他の宗教団体と違う」として、旧統一教会は一般的な宗教団体とは区別して、交流を持つべきではないとしている[222]。
選挙運動・各政治家との関わり
1960年代半ばに教団が岸信介と接点を持つことに成功し、その後、反共運動を通じて自由民主党を中心に政界に浸透していった。1968年4月には、岸と児玉譽士夫、笹川良一らの協力を得て反共政治団体「国際勝共連合」を結成。1970年代初頭からは教団が関与する反共をテーマにした集会・イベントを通じて佐藤栄作、青木一男、千葉三郎、小川半次、玉置和郎、源田実、辻寛一らの議員と関係を持っていった[223][224]。
1974年5月、帝国ホテルにて教団系のイベント「希望の日バンケット」が開催され、このとき来賓として安倍晋太郎、中川一郎、倉石忠雄らの自民党議員が出席。当時の大蔵大臣だった福田赳夫は文鮮明を絶賛する短いスピーチを行った[225][223]。
東洋に偉大な指導者現る。その名は文鮮明、ということを聞いて久しいのですが、今日、親しく文先生の教えを聞くことができて、とてもいい晩だったなあという感じです。文先生に『お前たちは神の子である』といわれて、少し偉くなったような気分ですが、それは、そういわれるように国のために一生懸命に働け、ということだと思います。 — 福田赳夫〜1974年5月、帝国ホテルにて[225]
自民党議員は各地で勝共連合後援会を結成し、また地方議員レベルでも「国を守る会」「救国連盟」といった実質的な勝共連合の後援組織が作られた。これらの議員のお墨付きを得た上で国際勝共連合は会社や団体を巡り資金集めを行い、一方で勝共連合側は選挙等で自民党を支援するという共存関係を作り上げていった[223]。
1973年に発行された国際勝共連合の広報誌によれば、勝共連合が主宰する「勝共理論の研究活動」に参加した議員は同年だけで482人であった(この手の研修活動は韓国に渡航して行うものもあったとされる)[223]。また、アメリカ合衆国下院のフレイザー委員会の取材を行っていた読売新聞は、米国議会関係者の証言として、最低数人の自民党国会議員が統一教会に入信しているとの情報を得ている[99]。
1976年12月17日、帝国ホテルで教団系のイベント「希望の日実行委員会」が開催され、名誉委員長には岸信介、実行委員長には三菱電機元会長の高杉晋一や日本生産性本部会長の郷司浩平らが名を連ねた。会合には船田中、増田甲子七、石原慎太郎、毛利松平、中川一郎らの自民党議員が出席し、その他にも数十人の議員が祝電を送った。石原慎太郎は来賓代表として「敬愛する久保木先生…私は同志として選挙運動を助けてもらいましたが、こんなに立派な青年がいまの日本にいるのかと思った」と久保木修己を絶賛するスピーチを行った[226]。
教団は選挙に積極的に介入することで知られる。1971年4月の東京都知事選は、革新派の美濃部亮吉と、保守派で警視総監出身の秦野章の保革決戦の構図となった。福祉政策を掲げる美濃部に対し、秦野は災害対策を前面に掲げる「四億円ビジョン」を打ち出した。この選挙では正体不明の団体「東京を災害から守る会」が「大地震がやってくる 核攻撃以上の被害」「迫りくる大地震の恐怖 東京中は焼野原と化す」などの内容のビラを大量にばら撒いており、同団体は秦野の別働部隊ではないかと物議を醸した。選挙後に『週刊新潮』が調査したところ、同団体の代表の男の住所は渋谷区松濤にある統一教会の本部であり、熱海に住む父親に取材すると、男は韓国で合同結婚式に参加した信者であることが判明した[227]。
1977年7月には統一教会品川大田支部長の男(33)が選挙違反の疑いで逮捕されている。男は都議選・永井辰男候補の運動員だった。別の信者に指示して、品川区内の50戸に同候補の推薦文の載せたはがきを配布させ、報酬として6万円を渡した疑いだった[228]。1993年6月の東京都議選でも、立候補し落選した自民党の佐藤良平派による公選法違反(個別訪問)の捜査で、警視庁は教団系の政治団体「国際勝共連合」が組織的に関与したとして、渋谷区宇田川町の本部など数カ所の家宅捜索が行われた[229]。
1986年の衆・参ダブル選挙では教団が肩入れした候補150人のうち134人を当選させ、後にその全員が教義セミナーを受講したと勝共連合の機関紙が伝えた[230]。
ほかにも教団は、韓国政府に批判的、または革新派の議員への選挙妨害を行うことも知られている[231]。1972年秋、総選挙で自民党が敗北し日本共産党が40議席獲得を実現すると、教団はこれを警戒し「救国の予言」キャンペーンを展開する。当時、東京・神奈川・京都・大阪など各地で実現していた革新自治体を敵視し、特に京都府の蜷川府政をターゲットにすることを決定。京都府の各地で街宣車を展開するなどの教団信者による激しい反共運動が展開された。蜷川府政は1978年に終了したが、元総理府副長官の(弘津恭輔)は「革新の灯台の火を消した勝共連合」と絶賛した[130]。また、1978年の第84回国会地方行政委員会では、共産党の正森成二が、京都府知事選における勝共連合の杉村敏正陣営に対する演説妨害について報告し、公職選挙法違反に該当する可能性について言及している[232]。
1976年の総選挙では、ロッキード事件の対応に抗議する形で自民党を離党した宇都宮徳馬に対し、勝共連合が公示直前に同候補に中傷的な内容の教団紙『思想新聞』の号外をばら撒き、選挙後に宇都宮陣営が思想新聞編集局長を公選法違反で刑事告発する事件が発生している。宇都宮への批判キャンペーンには在日本大韓民国民団も参加し、宇都宮に対し「糾弾活動を凡ゆる手段によって無期限かつ無限界に展開する」と宣言した[231]。
教団からの選挙妨害について、宇都宮は自身が金大中事件等を巡って韓国政府を批判していたことに触れた上で、教団と朴正煕政権の関係に言及した[233]。
完全に朴(正煕)政権とつながっているということですね。朴政権のKCIA、それから日本の癒着した部分とつながっている。だから片方を支援し、片方をやっつける。許しがたい問題だね、ほんとにこれは。アメリカで起こっているのも同じですね。ニクソンを応援したり、フレイザーを妨害したり。許しておけないことですよ — 宇都宮徳馬 〜 勝共連合の選挙妨害を受けて[233]
また、教団は信者を議員秘書として派遣することが知られている。当時ジャーナリストとして活動していた有田芳生の調査によれば、1991年当時、自民党の新井将敬と東力、民社党の菅原喜重郎の公設秘書が統一教会の信者だったという。私設秘書はさらに多く、自民党の高橋一郎、伊藤公介、平沼赳夫、原健三郎、大塚雄司らの議員秘書が信者だったとされ、ある自民党大物議員も「こんなものじゃない。私設秘書だって数十人の規模でいる」と証言していたというほどだった。1990年2月の大塚の選挙活動には数十人規模の信者が関与していたとされ、カンパ、ポスター貼り、他陣営候補者のポスター破り、推薦はがきの宛名書き、演説会の案内状書き、支持依頼の電話などを熱心に行ったという。教団は京都の嵐山と神戸の須磨の関連施設を、信者を議員秘書とするための養成所とし、話し方、接待の仕方、お茶の出し方、受付や名刺交換、電話の応対の作法などを泊まりがけで叩きこんだとされる[234]。このほかにも、勝共連合では「まず秘書として食い込み議員の秘密を握り、次に自ら議員になれ」との指示が下されているという[235]。
政治家の中村敦夫は、1998年(平成10年)の第143回国会法務委員会で、国会議員に対して統一教会やその政治組織などから秘書が派遣されており、多い人は統一教会から一人の議員に、9人もの秘書がついているというようなこともあったと述べている[236]。在任中の法務大臣であった保岡興治が政策秘書として使う信者(1800双)[237]を秘書官に登用したことが週刊誌で報じられ[238] 国会で追及を受けたこともある[239]。
また秘書となった信者が自ら選挙に立候補するケースもあり、例えば渡辺美智雄(国会議員)の元秘書(6000双)で、霊感商法でトーカーと呼ばれる霊能師を担当していた者が衆院選候補に転身し、後に自民党が公認している。1992年11月2日、ホテルニューオータニ大阪で、この女性を応援するイベントが開催され「(女性とは)古い古い付き合い」と公言する自民党の元参議院議員・安西愛子が司会を務めた。当時政治評論家として活動していた高市早苗も挨拶を述べ、ほかにも衆議院議員の武藤嘉文が講演した[240] 。2010年(平成22年)にも市議選への女性信者の出馬が発覚した[241]。
一方で参議院議員だった西川きよしは自身の秘書が統一教会信者であることが発覚すると、自発的に解任している[242]。
1970年代には、教団の「原理運動」による学生の学業放棄、家庭崩壊が社会問題化していたが、1977年の第80回国会予算委員会で日本社会党の石橋政嗣が、教団による被害を訴える団体が自民党議員に陳情しても「多くは儀礼的な挨拶だけ」であり、『自民党では、この問題はタブーです』と断られた例もあった、と報告している[243]。
「霊感商法」と政治の関係も明らかとなっており、1987年(昭和62年)の第109回国会法務委員会で、政治家の安藤巖は「霊感商法をやっておる「世界のしあわせ」、「世界のしあわせ北海道」、「世界のしあわせ名古屋」あるいは「世界のしあわせ九州」、「(世界のしあわせ)広島」」といった団体から自民党の保岡興治議員、桜井新議員、亀井静香議員に政治献金がなされており、政治資金報告書によると、わかっている範囲で保岡が400万円、桜井が150万円、亀井が300万円、また自民党の中村文教部会長が国際勝共連合から10万円の政治献金を受け取っていると述べている[244]。
1987年6月24日には、霊感商法との関わりが指摘されている霊石愛好会「翡翠の会」が群馬県前橋市で開催したイベントに福田赳夫、福田宏一、中曽根康弘らの自民党議員が祝電を送っていたことが判明した。毎日新聞の取材に対し、中曽根の事務所は「国際勝共連合の支部からしつこく祝電の依頼があったため打った。別に応援する意図はない」と説明。福田の事務所も「勝共連合から"ぜひ祝電を打ってほしい"と強く頼まれた」とした[245]。1987年8月にも、「霊感商法」の卸元の1つだった「世界のしあわせ名古屋」が自民党の小島善吉・静岡県議とともに静岡県警を訪れ、「今後、誤解を招くような商法は一切しない」との説明をしていたことがわかった。県議は「国際勝共連合に頼まれた」としている[246]。
教団と自民党議員の政策や主張には多くの一致点が見られる。教団系の『思想新聞』は自主憲法制定とスパイ防止法を一貫して唱えており、自主憲法制定を訴える大会の記事には、必ず岸信介が登場し「憲法改正!」「マスコミの偏向を許すな!」と叫んだ。安倍晋太郎は1988年に「勝共連合の皆さんには、わが党同志をはじめ大変お世話になっている」「スパイ防止法制定のために積極的に取り組みたい」と発言した。安倍晋三が内閣総理大臣に就任した直後の2006年10月1日付け『思想新聞』の見出しには「安倍政権で新憲法制定を」と掲げられた[219]。「日韓トンネル」の建設推進運動の背後にも、教団関係者の暗躍が確認されている[247]。
1992年3月の文鮮明来日時にも、自民党関係者との密接なつながりが見られた。文鮮明は過去に二度来日したが、出入国管理法に違反して宗教活動を行なったため、1979年・1981年・1982年にわたり、入国を三度拒否されている(米国で1984年に受けた実刑判決の影響との指摘もある[236][248])。副島嘉和によれば、1981年には教団と関連企業「ハッピーワールド」の顧問弁護士だった自民党の高村正彦と山崎武三郎に裏工作を依頼したという。表向きは当時東海大学大学院に留学中だった長男の(文聖進)に面会するためだったが、最終的にビザの発給は失敗した。この異例の来日が実現した背景には自民党副総裁の金丸信の働きかけがあったとされる。来日に協力した自民党代議士として、加藤武徳、中山利生、相沢英之、牧野隆守、大塚雄司、谷川和穂の名前も挙がっている。来日した文鮮明は29日に中曽根康弘と会談し、30日夜には「北東アジアの平和を考える国会議員の会」が主催した晩餐会で、三十一人の国会議員の前で講演を行なった。31日には金丸信と密室で会談した。金丸との会談の内容は主に北朝鮮をめぐるものだったとされ、金日成の親書を金丸側に手渡したとの噂まであった[249][36][250]。
韓国の統一教会で発行された『統一世界』1990年4月号では、文鮮明本人が日本の政治に対する影響力の大きさを自慢する演説の要旨を紹介している[251]。
日本の今度の選挙だけでも、私たちが押してあげたのが、百八議席当選しました。今回、私たちが援助しなければ、無所属で出てきた中曽根なんか吹けば飛んだよ。また派閥で見れば、中曽根派は六十二議席にもなって、安倍派は八十三議席です。私がそういうふうに作ってあげたんですよ。この二派閥を合わせるといくつになりますか?それで安倍とか中曽根は、原理の御言を聞け!と言ったら聞きはじめました — 文鮮明の演説より抜粋『統一世界』1990年4月号[251]
2008年11月、文鮮明の三男・文顕進が、教団ダミー団体の「天宙平和連合」共同会長として教団系のイベント「グローバル・ピース・フェスティバルジャパン2008」に参加するために来日。14日には、自民党の後藤田正純と会談した。そのほかにも選挙協力などを目当てに自民党議員20数名が参加したとされるが、いずれの議員も否定した。これについて有田芳生は、統一教会が霊感商法等で反社会性が問題視されていることから「出ていても、出たことは否定するでしょうね」としている[252]。
教団による落選議員の支援指示があったことも知られている[253]。自民党の萩生田光一が2009年の第45回衆議院議員総選挙で落選していた当時、頻繁に八王子市の教団関連施設を訪れ、何度も挨拶をしていたとされる。萩生田は自身を「浪人生」として「政界に戻らせてください」と言っていたとされ、実際に教団からの萩生田への支援として、信者によるビラ配りやポスターの貼り付け、電話掛けなどが行われていたという。TBSの取材に答えた信者は、「萩生田さんを政界に戻すことが、神様の計画というか使命」と教えられていたと語る[254]。
2011年12月、安倍晋三が日本統一教会の会長を務めた(大塚克己)の長男で、教祖・文鮮明の孫と祝福結婚した教団の重要人物と自民党本部で面会し、写真撮影をしていたことが講談社『現代ビジネス』の報道で判明した。男性は韓国の旧統一教会系の中学、高校に進学後、早稲田大学に入学。その後名門商社に入社しており、文鮮明本人と家族で釣りに同行したこともある人物だった[255]。
2017年5月19日、教団系の放送局「PeaceTV」の番組内において、教団関係者が5月上旬に来日した際に自民党本部を訪問し副総裁の高村正彦、田中和徳からの歓迎を受けたこと、京王プラザホテルで開催したシンポジウムで国会議員6人が参加したこと、「日米安保の権威、安倍首相に毎日報告する政府要職者」とも会ったこと、官房長官の菅義偉が首相官邸に教団関係者を招待したことなどの活動報告がなされた。『週刊朝日』の取材に対し、高村と田中は面会した事実を認めた上で「党本部の要請」があったと証言した。菅は「ご質問中の当議員に関わる事象は、一切承知していません」と回答している[256]。
自民党所属の参議院議員である青山繁晴は、2022年の参議院選で、別の所属議員から「派閥の長」から「旧統一教会の選挙の支援を受けるように」と指示されたが、断ったことを明かされ、その事実関係を「派閥の長」に問いただしたところ「各業界団体の票だけでは足りない議員については、旧統一教会が認めてくれれば、その票を割り振ることがある」と回答されたことを証言している[257][258]。
地方政界についても、2020年の富山県知事選で現職の新田八朗が教団から組織な支援を受けていた。この選挙では、当初は対立候補の石井隆一の優勢が伝えられていたが、教団の元広報局長で関連団体・世界平和連合の県本部事務局長の鴨野守が主導して後援会の名簿集めを行い、戸別訪問を行った。新田は世界平和連合の名古屋支部長とも面談を行い、滑川市と富山市で合わせて3回も信者らを前に演説した。その後、逆転勝利を収めた選挙事務所の会場には鴨野の姿があった。また、鴨野は2021年4月の富山市長選にも関与しており、2021年7月の高岡市長選でも角田悠紀とグータッチする姿が捉えられていた[259]。
2022年4月には、自民党所属の岡山県議・福島恭子が教団系の『世界日報』のインタビューで、自身が素案の作成から成立まで中心的に関わってきた「家庭教育応援条例」について、その狙いについて話している。条例にもある「子供の教育についての、保護者の第一義的責任」を重ねて主張した。また、憲法に「家族条項」がないことについての懸念を話している[260][261]。
弁護士の紀藤正樹は、安倍晋三銃撃事件を受けて、政治と教団の関係について「国会内に特別委員会を設置するなど、本気でやらなければ、何年か後に同じことが起きる。それは、国として大きすぎるダメージとなることでしょう」と語っている[262]。
自民党幹事長との密接な関係
2002年4月、当時自民党幹事長であった山崎拓が統一教会信者の女性と不倫関係にあり、教団側に国家機密が漏れる危険性があったとされる。山崎と関係があった女性は東京の九段にあるマンションに住んでいたが、彼女は毎週末に八王子にあるアパートの1室に通っており、そこは信者が共同生活をする統一教会の関連施設そのものだったという。有田芳生はこの女性を、二十四時間教団の施設で生活する「献身者」ではなく、普段は働いて週末には施設に通い教義を学ぶ「勤労青年」と呼ばれる信者であり、この女性は自ら政治家に接近し、情報を引き出すための「特別な使命」が教団から課せられた人物であるとし、教団が北朝鮮に近い立場にあることから北朝鮮などに国家機密が流出する危険性を指摘した[263]。また、有田によれば「女性信者が信者獲得や政界に食い込むためのハニートラップのような手段を取ることが少なくない」という[264]。
山崎は一連の不倫報道を名誉毀損とし、週刊文春に対し5000万円の損害賠償を請求する訴訟を提起したが、2003年9月、東京地裁は「記事は真実か真実と信じる相当の理由があった」と判断、山崎側の敗訴が確定した[265]。
警察捜査への政治圧力
上越教育大学教授の塚田穂高は、「旧統一教会の場合は、教団を追及や捜査から守ってもらうために政治に近づき続けた面も強い」とし、「政治家が『よくあるつきあい』で済ませてよい相手ではなかった」として、教団による政治家へのアプローチの背景には、捜査を回避する目的があるとの趣旨の発言をしている[262]。
ジャーナリストで元参議院議員の有田芳生によると、有田は1995年に警察庁関係者に警察庁幹部から依頼を受けて教団についての講義を行った。当時オウム真理教の次に摘発をしようとしていると聞かされていたが、結局摘発はなかった。その10年後、警視庁幹部二人から「政治の力」により摘発を阻まれたと聞かされたとしている[266][267]。
2012年には、元警察官僚の平沢勝栄が、この種のアプローチを受けたのではないかとの話があった。週刊新潮の報道によれば、平沢の発言を収録したテープが流出し、そのテープには平沢の声で「各地で今、5、6ヶ所警察とトラブってんだよ。それで結局、警察けしからんって言ってんだよなあ、統一教会は。それで私にそれをやってくれって…」などの発言が収録されていたという。この発言について、平沢が、統一教会から警察の捜査について相談され、警察との窓口役を務めざるを得なくなり、困惑したのではないかとの関係者の証言があった。なお、平沢は教団との関与を否定している[268]。
「全国霊感商法対策弁護士連絡会」のメンバーで弁護士の(川井康雄)は、第1次安倍政権終了後の2007年頃から、教団に関連した違法行為の刑事事件化が相次いでいた一方で、2012年の第2次安倍政権発足後に再び刑事事件化することは少なくなったことを指摘した上で、教団と政治家の関係性は明らかであるとした。同じく弁護士の山口広は、教団は政治だけでなく、言論・学術界などにも食い込んでおり、違法な霊感商法の被害について警察や行政が積極的に取り組まないように、圧力をかけてもらうように働きかけていることを証言している[269]。
また、2005年と2006年の公安調査庁の報告書で「特異集団」として位置づけられていた教団が、第1次安倍政権下の2007年で項目から外れていたことがわかっている。同報告書では教団について、「危機感や不安感をあおって勢力拡大を図り、不法事案を引き起こすことも懸念される」としていた。対象から外れた理由について、日本政府は「時々の公安情勢に応じて取り上げる必要性が高いと判断したものを掲載している」としている[270]。
その他
- 霊石愛好会の主催にて各地で開かれた霊感商法を擁護する集会に、当時の国会議員らが祝電を寄せたことが批判を受けた[271][272]。
- 2008年(平成20年)12月、教団関係者の運営するNPO法人「未来構想戦略フォーラム(JFFSI)」が中心となって開かれたシンポジウムを外務省が後援。他にも同フォーラム主催の会合や講演会では現職の大使や首長、官僚が講演している[273]。
- 2009年9月、衆議院選挙で民主党から出馬した萩原仁を支援した教会(協会)関係者が公職選挙法違反で逮捕された[274]。
- 参院選間近の2010年(平成22年)5月、 山谷えり子への支援ならびに有田芳生への落選運動を通達する教団の内部文書が流出し物議を醸した[275]。翌月には信者による有田に対する選挙妨害が行われた[276]。
- 2010年11月6日に国際勝共連合が新宿で行った「沖縄・尖閣諸島をまもれ!緊急国民集会」では、中国の覇権主義への抗議と尖閣漁船衝突事件での国の対応を批判し打倒民主党も呼びかけられた[277]。
- 2011年(平成23年)に統一教会系団体が主催・後援し全国各地で開催した「アジアと日本の平和と安全を守る全国大会」に現職・元職の国会議員や地方議員が多数参加した[278]。
- 2013年(平成25年)3月7日、統一教会系団体が靖国神社で「戦没者と東日本大震災犠牲者」の慰霊祭を行った[279][280][281]。団体名は「宗教新聞社」および「平和大使協議会」であり、慰霊祭では靖国神社の元宮司・湯澤貞〔湯沢貞〕が「宗教新聞の立場から」と称して挨拶を行った[282]。この慰霊祭は、統一教会が安倍政権と自民党との関係を深める狙いの行動の一つであったと鈴木エイトは見ている[281]。神社界は創価学会とは異なり、集めることができる献金や票はごく少なかった[281]。そこで統一教会は、表向きはNPO法人を称して神社に献金(玉串料の納入)を行い、氏子への投票依頼・改憲賛同者署名・募金活動を行うことで、神社界への影響力を高めていったという[281]。なお、全国の神社を統括する神社本庁に総長が二人いるなど、神社界には分裂が表れている[281]。神社本庁に詳しいジャーナリストは「神社本庁の事務局には、統一教会の隠れ信者がいると噂される。彼らの教義からすれば、サタンの宗教である神道を分裂させることは理にかなっている」と述べている[281]。
- 2021年9月12日(日本時間)に開催された天宙平和連合主催のイベント『THINK TANK 2022 希望前進大会』に安倍晋三がビデオメッセージを寄せた[283][284][285]。天宙平和連合の関連組織であるUPFインターナショナルとワシントン・タイムズの依頼に安倍晋三が応じたことで実現した[284]。全国霊感商法対策弁護士連絡会は9月17日、ビデオメッセージを寄せた安倍晋三に対し抗議文を送付、同日開かれた記者会見で抗議文を公開した[286][287]。
- 2022年1月、教団系の『世界日報』に、改憲派として、自民党の古屋圭司、日本維新の会共同代表の馬場伸幸、国民民主党の榛葉賀津也の三人が共演した[288]。
- 警察組織を統括する立場にある国家公安委員長の二之湯智は2021年4月に京都市の国立京都国際会館で開催される予定だった教団系のイベント『新型コロナ終息を願う京都1万人祈りの集い』の『呼びかけ人』に、田中英之、木村弥生、繁本護とともに名を連ねていたことが判明している[215]。
韓国を中心とする世界統一運動
教団の教義には韓国の伝統的な習俗が反映されており、使用される用語にも韓国語由来のものが多い。例えば、教団内で信者は韓国語で「家族」にあたる「食口(シック)」と呼ばれているほか、日本人信者への韓国語教育も命じられていた。儀式の服装や拝礼も韓国色が強く、人事面でも韓国人が優遇されていた[36]。
元日本統一教会本部広報局長で、教団系メディア『世界日報』元編集長の副島嘉和の内部告発によれば、韓国で教えられている教義では「韓民族が選民であり、他民族に優越している」「韓国語が世界共通語になる」とされており、韓国が世界の中心であるとする「韓国中心主義」が説かれている[36]。
教団の教典『原理講論』の韓国語版では、日本は「サタン」側の国であるとされている。なぜなら、日本は代々天照大神を崇拝して、韓国キリスト教を過酷に迫害した国であるからである。一方、韓国はイエス・キリストが再臨する国であるとされている。これは教祖・文鮮明が「世界を統一する」ことを意味しているという[36]。
教団が「四大名節」と呼ぶ記念日には、文鮮明と家族に対して、天皇の身代わりに日本統一教会の会長・久保木修己が拝礼を行うという儀式が行われ、その他にも、アメリカ合衆国大統領などの世界各国の元首に扮した教団幹部が同様に跪く。さらには、イエス・キリスト、釈迦、孔子、ムハンマドなど主要な宗教の創始者に扮した人物も文鮮明とその家族に平伏するという。そして、統一教会が行う宗教活動や国際勝共連合が行う政治活動は、このような文鮮明の野望を実現するための方便に過ぎないとされる[36]。
この国(韓国)であらゆる文明が結実されなければならない。有史以来、全世界にわたって発達してきた宗教と科学、即ち精神文明と物質文明とは韓国を中心として、みな一つの真理のもとに吸収融合され、神が望まれる理想世界のものとして結実しなければならないのである……ゆえにまさしくあらゆる文明が結実しなければならない韓国においてなされなければならないのである。(略)
言語はどの国で統一されるのであろうか?その問いに対する答えは明白である。子供は父母の言葉を学ぶのがならわしであるからである。人類の父母となられたイエスが韓国に再臨されることが事実であるならば、その方は間違いなく韓国語を使われるであろうから、韓国語はまさに祖国語となるであろう。したがってすべての民族はこの祖国語を使用せざるをえなくなるであろう。 — 韓国語版『原理講論』第六章第三節「イエスはどこに再臨されるのか」[36]
この内部告発は多大な反響を呼び、新右翼団体・一水会会長の鈴木邦男は、天皇に扮した久保木が文鮮明に平伏する儀式について、「国民の象徴として天皇を上にいただく日本国民としては見逃せぬ情景ではないか」と批判。文鮮明を道鏡になぞらえて批判した。また、教団の勧誘活動を「洗脳」とし、信者が生活の至る所で自由を制限され教団に従わせる実態を「共産主義的」と指摘。「本物の共産主義国家、ソ連や中国でも、ここまで共産主義化していない」と痛烈に批判している。反共活動を口実に教団が、自民党や体制派の文化人に接近していることについても、「「反共」すらも本当かどうか怪しい」として「反共という衣をつけて、ハナから利用するためだけに近よっている」と指摘した。教団の経済活動についても「合法、非合法を問わない強引なやり方」で、年間に240億円もの資金が日本から文鮮明に送金されていると指摘。さらに「これは日本の戦争に対する韓国側からの復讐なのかもしれないが、日本人会員にとってはそうすることによって「侵略戦争」の贖罪ができると思っている」として、その本質は、極左反日テロ組織の「東アジア反日武装戦線」と同様に、屈辱的な贖罪史観を色濃く引きずっていると指摘した。さらに教団信者の青年による選挙応援等についても、その裏には教団の日本政界への影響を強める野心があるとして、警戒を呼びかけていた[289]。
反共主義から容共へ
当初は文鮮明は戦闘的な反共産主義者であり[290]、共産主義は神の摂理に基づく民主主義に対抗する悪魔によるものと主張していた[291]。韓国主導の南北統一を望む西側諸国、特に西側諸国の反共派から相互支持を獲得することで統一教会は規模を拡大した[292]。
教団は共産主義革命の防止を主たる目的とし、日本においては岸信介らが中心となり、1968年(昭和42年)に韓国と日本で「国際勝共連合」(通称「勝共連合」)という政治団体を組織した。団体結成に至る経緯として、美濃部都政の誕生などの左派勢力の伸長に危機感をもった日本の右派勢力が山梨の本栖湖で「第一回アジア反共連盟結成準備会」を開き、反共・愛国の民族統一戦線を結成しようとしたが同意に至らず失敗した。その後、この運動の流れを引き継いだ形で成立に至った。国際勝共連合は路上で「共産主義は間違っている」と叫び、公然と反共運動を展開した。後にこれに賛同する著名人が「勝共運動を応援する会」を結成、木内信胤などが名を連ねた[122]。
この経緯については、1976年の第78回国会外務委員会で田英夫が、フレイザー委員会でのユナイテッド航空関係者の証言を引用する形で取り上げている[293]。
たとえばこのフレーザー委員会における証言の一つ、元在米韓国大使館付武官であった、これは非常にむずかしい字で、ちょっと読みにくいのですけれども、朴普煕と読むのでしょうか、その男と非常に親交のあったというロバート・ロランドというユナイテッド航空の人物の証言の中に、一九六七年七月に文鮮明という——文鮮明というのは御存じのとおり統一神霊協会の教祖と称しておる男です。現在アメリカにおりますが、この文鮮明が世界反共連合を設立するために日本の山中湖畔で児玉譽士夫、笹川良一と会合をしたということをこのロランド氏は証言をしています。そうしてこの証言によると、この会合の結果、世界反共連合というものが一九六八年の一月に韓国に本部を持って発足をし、同年、六八年四月には日本支部が設立され岸信介氏がこれに加わった、こういうことを証言をしていますが、これはフレーザー委員会の証言の中に出てくるわけですけれども、その点は外務省は把握しておられますか。 — 1976年10月21日参議院外務委員会にて[293]
久保木修己によれば、国際勝共連合の運動の本当の目的は「反共」自体ではなく、「共産主義に打ち勝つことによって、共産主義世界をも救済し、人類一家族のような世界を実現しよう」という宗教的観点だという。国際勝共連合はゴッディズム(神主義)を基本理念としており、単なる政治運動ではなく、宗教的理念をベースにした社会啓蒙運動であり、国民教育運動でもあるという[294]。
共産主義は、神と人間を断絶させ、神を葬り去ろうとした思想です。つまり神の敵であり、ゆえに人類の敵です。またすべての宗教者の敵です。神に背き、神に反逆することが罪であるならば、共産主義こそが理論的装いを帯びて、人類の前に現れたものと言えるのです。ですから、共産主義と戦うということは、単に共産主義の誤謬やソ連・中国の脅威を訴えるだけでは終わりません。罪と戦う姿勢を持たなければならないということを意味します。罪の根元は自己の内面にありますから、自己の罪と戦うように共産主義と戦うのです。別な言い方をすると、自己の罪と戦う姿勢を持たない人間は、共産主義と戦えないと言うことです。だからと言って、勝共運動を狭い宗教的運動に閉じ込めようということではありません。少なくとも、この運動を根本で支えている人たちには、そういうとらえ方が必要だということです。
人類の内なる罪が未解決のまま、ただ共産主義の打倒に成功しても、形を変えた悪がまた再び頭をもたげてくることは、明らかであるからです。共産主義の崩壊が世界平和の実現に近づくかどうかは、これからの我々一人一人の内なる罪との闘いいかんによるはずです。これが私たちが主張するゴッディズム(神主義)の精神です。私が統一教会という宗教団体の会長としての立場でありながら、勝共連合の会長となった理由は以上の観点から理解していただけるのではないかと思います。 — 久保木修己『愛天 愛国 愛人 ー 母性国家日本のゆくえ』より[294]
勝共連合では反共主義が徹底されており、共産主義は神を否定するサタンの思想であると説く「勝共思想(勝共理論)」[295] の啓蒙を運動方針の第一義に掲げている[296]。また「国際勝共連合」は、共産主義を「神への反逆の思想」であるとしており、そのルーツは中世イタリアで発生したルネサンス運動にあるとしている。ルネサンスは中世キリスト教権威の抑圧からの解放を目指し、人間の自由な創造性を重視する運動であるが、これがフランスの啓蒙思想家に受け継がれ、フランス革命に至ったが、カール・マルクスの共産主義はこの流れを受け継いでいると主張する[297]。
教団や勝共連合は、スパイ防止法や青少年健全育成法の制定運動、日本国憲法や教育基本法改正の推進、性教育に関する教科書改訂や子宮頸がんワクチン撲滅キャンペーンなどに取り組む一方、選択的夫婦別姓制度やジェンダーフリー、人権擁護法案、外国人への参政権付与には反対する[298][299]。また専守防衛・非核三原則・武器輸出三原則の破棄などを提唱した[300]。
なお、教団では、LGBT、同性婚や夫婦別姓を、教義の中で「生活共産主義」と呼び、エバ国家日本には許されないとして認めさせてはならないと説いている[25][26][301][注釈 1]。
日本では日本共産党をターゲットにさまざまな妨害工作を仕掛けていたとされる。有田芳生が右翼の畑時夫から得た証言として、袴田里見副委員長が共産党を除名になった直後の1978年に、統一教会の久保木修己会長と国際勝共連合の梶栗玄太郎理事長が、京都市内のホテルで、袴田と面識があった畑時夫と面会し、「金はいくらかかってもいいから袴田をなんとか手に入れることができないか。共産党を攻撃する材料ができる」と相談したという[302]。
一方で、元公安調査庁幹部の菅沼光弘は、高橋浩祐の取材に対し、統一教会に入会した人の多くは民青出身だったとしている[303][304]。
ソ連では、共産主義が失速した後、西側から様々な新興宗教が進出していたが、文鮮明もソ連人を援助し、1990年4月にモスクワで開かれた統一教会の世界メディア会議の後、ゴルバチョフと個人的に面会し、日本の経済界に働きかけて対ソ投資について調査させることを約束した[290]。
文化共産主義
教団はジェンダーフリー、男女共同参画、夫婦別姓、同性婚などの政策を共産主義の亜種とされる「文化共産主義」として敵視している[305]
教団の勝共理論によれば、共産主義は3つの時代に分類される。
- ロシア革命までの思想形成期
- ロシア革命からソ連終焉までの国家体制期
- それ以降の文化・思想期(文化共産主義)
文化共産主義は第2期の体制共産主義と対比して論じられる。体制共産主義とは、ソ連共産党や日本共産党のように既存の国家権力を打倒する革命を通じてプロレタリア独裁政権を樹立しようとする従来型の共産主義である。これに対して文化共産主義は国家の精神的基盤である伝統的な宗教や文化、家庭を崩壊させようとする共産主義とされる。自ら「共産党」と名乗り、活動する従来の共産主義と異なり、文化共産主義は共産主義と名乗らず、当事者ですら共産主義と認識していないことが多く、その正体や動きが判別しにくく、より深刻になるとされる。文化共産主義の主戦場は家庭と地域社会になり、その策謀をいかに阻止するかが教団の課題となっていた[306]。
教団の主張によれば、欧州ではロシア革命とソ連体制に失望したマルクス主義者がすでに1920年代から体制共産主義から脱し、宗教や家庭を崩壊させる共産主義の亜種に変身したとされ、ハンガリー共産党のルカーチが1920年代に過激な性教育を学校教育に持ち込み、イタリア共産党のグラムシがメディアを通じて「文化革命」を目指したとされる[307]。
グラムシの文化革命理論とは、芸術、映画、演劇、教育、新聞、雑誌などといった媒体を通じて人々に反権力、反キリスト教の精神を根付かせれば、暴力革命をせずとも自然に社会を変革させることができるという理論であるとされ、これを基盤に1923年にドイツのフランクフルト大学に「マルクス思想研究所(社会研究所)」が設立され、多くのユダヤ人研究者が文化共産主義の研究を進めたとされる。その後彼らはアメリカに移住し、ニューヨークに研究所を設立、この流れは「新フランクフルト学派」と呼ばれるようになった。その思想の要旨はヒトラーやナチス、人種差別主義者を生み出した源流にキリスト教や家族制度があり、伝統や道徳、貞操観念、忠誠心、愛国心などの西洋的価値観がある。これを否定しないと新しいファシズムが生まれるというものである[308]。
戦後、文化共産主義は欧州においてユーロコミュニズムとも連動して社会に浸透し、その流れは今日まで続いていると教団は主張する。また、同性婚を認めるオランダやベルギー、シビル・ユニオン(市民契約=同性カップルの法的平等)を採るフランスや英国、北欧諸国などで見られるように、文化共産主義の影響を受けて伝統的な結婚観や家族観が崩壊の危機に瀕しているとされる。またフランスではマルクス主義フェミニズムのデルフィが、80年代のミッテラン社会党政権下で女性抑圧の物質的基盤を破壊するための政策を立案・実施したとされる。物質的基盤とは「男らしさ・女らしさ」の背景となる文化伝統やジェンダーであり、それを破壊するジェンダーフリー政策を政府に採らせ、専業主婦の否定や伝統的な宗教文化、家族制度の破壊を試み、ついに婚外子が新生児の40%を超えるに至った。一方、米国ではマルクーゼの影響を受けて、60年代後半にフェミニズムやウーマンリブが吹き荒れ、宗教的伝統や家庭破壊が著しく進んだとされる。80年代のレーガン政権以降、家庭の価値の復権運動が高まり、家庭破壊を防いだが、2006年秋の中間選挙で民主党 (アメリカ)が上下両院で過半数を獲得し、同性婚や中絶を容認するリベラル派のナンシー・ペロシが下院議長に就任したことを教団は懸念している[307]。
また教団の勝共理論によれば、少子高齢化のような日本の危機は、「家庭の価値」を損なう文化共産主義等の共産主義思想によってもたらされたものであり、日本は共産主義思想の脅威を正しく認識し、克服できなければ、平和と安全、繁栄を享受し続けることはできないとしている。勝共理論では、共産主義の階級闘争論が、家庭のあり方にも影響を与えたとしており、父親が外で仕事をして、母親が家事や育児をするというかつての家庭の姿が、共産主義の一種である「文化共産主義」によって破壊されたとしている。「女性の権利を守れ」「子供の権利を守れ」という主張は「家族制度を破壊しよう」という共産主義の本音をオブラートに包んだものであり、個人の権利を主張するように装って、家族制度を破壊しようとしているとされる。また勝共理論では、少子高齢化、非婚化・晩婚化の理由を「家庭を築くこと」よりも「個人として自由に生きる」考えが強調された結果だとしており、その背景に「家庭の価値」の崩壊を狙う共産主義の思想があるとされる[309]。
勝共理論では、文化共産主義の浸透は、かつてのゲバ棒を振り回すような暴力的な共産主義運動とは異なり、人権や平等などの理念を掲げての学者や議員による講演や研究発表によって行われ、学校教育にも影響を及ぼしているとされる。文化共産主義では、家庭は人を育む場ではなく、犠牲を強いるための強制であるとされており、人権を奪う束縛だとしている。文化共産主義の具体例は、選択式夫婦別姓、男女共同参画社会(ジェンダーフリー)、過激な性教育、子供の権利条約、同性婚合法化などとされており、いずれも子供や女性、性的マイノリティなどの社会的弱者の味方を演じることで家庭を価値を破壊しようとしているとされる。勝共理論では、川崎市・子供の権利に関する条例で定められた「子どもは、ありのままの自分でいることができる」「安心できる場所で自分を休ませ、余暇を持つこと」などは過剰な権利であるとされる。文化共産主義者は1994年の村山政権発足後から、政府にも浸透するようになり、1999年の男女共同参画社会基本法の制定にもつながったとされる。この法律の背景には「男女の性差などない」という過激な主張があるとされ、家庭の価値の否定につながるとされた[308]。
教団はフェミニストも文化共産主義の尖兵として批判の対象としており、その主要任務はジェンダーフリーといった政策で資本主義の文化基盤を破壊したり、「自然な家族」の解体や、妊娠中絶などの普遍化の推進であるとされる。フェミニストは国連創設時にエレノア・ルーズベルトが国連人権委員会委員長に就任し「世界人権宣言」を起草し、国連の人権委員会や関連期間の事務局に多数送り込まれ、文化共産主義の隠れ蓑になってきたとされる。また教団は地方自治も家族解体策を自治体に導入させる仕組みとして敵視している。そこでは首長や議長を操れる協議会を設置し、そこに文化共産主義者が公募市民として入り込み、条例作りや補助金給付先を誘導するとされる。教団はNPOやNGOも敵視しており、それは左翼人権団体が委員会に名を連ね、左翼人権政策を行政に押し付けることが可能になるとされるからである[310][311][312]。
また、教団は文化共産主義を主導する頭目として、参議院議員の福島瑞穂を名指しで批判しており[310]、ほかにもジェンダーフリーを推進する文化共産主義者として東京大学教授の大沢真理の名前を挙げている[313]。
教団が文化共産主義と認定した政策一覧
以下は教団が文化共産主義が企てる政策として挙げたものである[305]。
- ジェンダーフリー
- 男女共同参画基本法・条例
- 夫婦別姓
- 同性婚・シビルユニオン
- 民法300日規定の廃止
- 「選択的議定書」の批准
- 女性再婚期間短縮
- 性同一性障害のの拡大化
- 年金からの「専業主婦」追放
- 税制から「専業主婦」追放
- 企業の配偶者手当の廃止
- コンドーム奨励エイズ対策
- 自治基本条例
- 子供権利法・条例
北朝鮮融和路線への転換
統一教会は共産主義国である北朝鮮と「宗教の自由を認めず、弾圧している」として長年敵対関係にあった。政治団体である「国際勝共連合」という「反共組織」を通じて、反共の先頭に立って「共産主義撲滅」「打倒金日成政権」の運動・活動を展開していた。
文鮮明は、北朝鮮の金日成主席を「共産主義の悪魔」と攻撃し、1950年12月以降から韓国へ移住するまで北朝鮮部分に住んでいて拷問を受けたこと、3年近くの興南監獄で多くの罪なき囚人たちが死んでいくのを見たことで「反共思想」に至ったと述べている[314]。北朝鮮もまた文鮮明教祖を「反共の頭目」と痛烈に批判していたように統一教会と北朝鮮はまさに不俱戴天の間柄だった[315]。
しかし、ベルリンの壁の崩壊と東欧社会主義諸国の瓦解後である1991年11月30日に、文鮮明は金日成による招聘を受けて北朝鮮を電撃訪問し、金日成主席と会談している。金日成は「連邦制による祖国統一実現のためには反共主義者とも手を握る必要がある」として、文鮮明をVIP待遇で「統一の使者」として受け入れるよう指示していた。これは、北朝鮮の党国際局・対南担当の祖国平和統一委員会などの反対を押し切った判断であった[315]。
教団系メディア『世界日報』によれば、金日成と文鮮明の会談では北朝鮮に対して教団が経済的支援を約束する合意がなされた。
また『聯合通信』が報じたところによると、北朝鮮側は先立って原油輸入代金として1億5000万ドルの献金を求めた[316]。
有田芳生らの調査によれば、統一教会信者グループによるチャーター便での北朝鮮訪問も実施され、その中には会長を経験した小山田秀生や「世界平和教授アカデミー」常任理事の周藤健などの重要人物も含まれていたという[317]。
この訪問について韓国紙『東亜日報』は、文鮮明が北朝鮮訪問前に韓国政府と事前協議したことは明らかであり、今回の訪問は相当な政治的意味があると指摘。教団を通じて韓国政府が北朝鮮にメッセージを送る意図があったとした[318][319]。
さらに別の韓国紙『中央日報』は、教団関係者の証言として、北朝鮮訪問に先立って教団側が対外債務改善のための30億ドル規模の資金援助、ドイツや日本にある統一グループの機械工業技術、先端電子技術、コンピューター技術などの移転、さらに生活必需品工場の設立を含む大規模な経済援助を北朝鮮に提案したと報じた。
さらに韓国政府筋からの情報として、北朝鮮が文鮮明を招いた理由として、教団が米国と日本で持っている影響力が米朝関係改善に役立つことや、反共産主義を掲げる文鮮明の訪問を認めることで、北朝鮮の解放性を強調し、韓国の融和姿勢を導き出す狙いがあるとした[320][319]。
満40年10か月ぶりの北朝鮮訪問後の1991年12月7日、文鮮明は北京での声明文「北朝鮮から帰って」において、「北朝鮮に恨(ハン・恨み)が多いと言えば誰よりも多い人間です。」「過去40年の東西冷戦時代に誰よりも徹底した反共指導者であり、国際勝共連合の創始者として一生を勝共闘争に捧げてきたことは、世界がみな知っております」「冷戦時代の終焉とともに招来した平和の運勢を世界的に拡散させるために、私は「世界平和連合」を創設し、国際的平和運動を主導しています。」「統一祖国の明るい新世紀を迎える準備を急ぎましょう。」と冷戦崩壊後に対北朝鮮方針を転換した理由を述べている[314]。
教団などは文鮮明が北朝鮮を訪問し、朝鮮半島の非核化宣言の合意形成に成功したお陰でこの時期の半島での戦争を避けられたと主張している[321]。訪朝後は経由地の北京で「私が過去40年の東西冷戦時代に誰よりも徹底した反共指導者であり、国際勝共連合の創始者として一生を勝共闘争に捧げてきたことは、世界がみな知っている」としつつ「しかし、私の勝共思想は共産主義を殺す思想ではなく、彼らを生かす思想、すなわち人類救済の思想」[322][323]とする声明文を発表した。
文鮮明と金日成の会談によって、教団は北朝鮮に総額35億ドルの支援を約束したとされ、文鮮明は北朝鮮で「愛国者」として扱われるようになった。当時のアメリカ国防省は教団から北朝鮮側に4500億円が提供されたと報告した。また、統一教会系の旅行代理店・世一観光が聖地巡礼ツアーを開始し、教団の日本人信者が北朝鮮を訪れ、多額の献金を行うことになった[324][325]。
日本の教団では幹部向けに月に1000人程度の参加者のノルマが設定され、信者らは現地での献金のため、「5000ドルから10000ドルを持っていかなければ恥ずかしい」と伝えられたという。信者は平均して約30万円ほどを持参し、定州にある文鮮明の生家に設置された壺「聖金函」に献金した[325]。
小学館『SAPIO』の推定によれば、日本人信者の献金は、その後、朝鮮労働党の資金に化けたとされ、少なくとも150億円が財政難に苦しむ北朝鮮に流れたとされた[325]。
1994年7月8日に金日成が死去したのち、北朝鮮の最高指導者の立場は息子の金正日に受け継がれたが、この金正日にも教団との密接な関係が見られた。直後の13日に教祖・文鮮明の側近である朴普煕は訪朝し金正日と会談した。
これに先立って1993年11月、首都・平壌にある「普通江ホテル」は北朝鮮国営から統一教会信者による経営に移行したが、これが実現した背景には金正日の関与があったという。有田芳生らの調査によれば、支配人を務めていたのは教団の日本人信者で、「世界のしあわせ北海道」という関連企業で霊感商法に関わっていたとされる。「普通江ホテル」に勤務する日本人信者には特別な便宜が図られており、通常は面倒なビザの更新手続きも自動的に行われていたという[326]。
1997年、韓国大統領に就任した金大中は北朝鮮への宥和政策・「太陽政策」を打ち出したが、これは教団の北朝鮮進出への追い風になったとされる。
1998年には、教団系の金剛山国際グループが北朝鮮系企業との合弁会社「平和自動車総会社」を設立、社長には金剛山国際グループの朴相権が就任した。教団は平和自動車に5年で3億ドルを投入したとされ、2003年4月には北朝鮮初の国産自動車「ヒッパラム(朝鮮語で口笛)」の生産を開始した。「ヒッパラム」は2004年から金正日の命令で党や政府、軍の幹部公用車に採用されるようになった[327]。
教団は朝鮮半島の南北関係にも影響を与えたとされ、2000年2月、南浦で平和自動車の起工式が開催されたが、この際同席した文鮮明の側近・朴普煕、平和自動車社長の朴相権と朝鮮労働党書記・金容淳との間で話し合いが行われた。これが2000年6月に実現した金大中と金正日の南北首脳会談に繋がったとされる[327]。
2012年9月3日に文鮮明が死亡した際には、北朝鮮の金正恩第1書記は遺族に弔電を送り、「文鮮明先生は逝去したが、民族の和解と団結、国の統一と世界平和のために傾けた先生の努力と功績は末永く伝えられるだろう」との哀悼の意を表している[328]。
2013年1月22日には北朝鮮と世界基督教統一神霊協会(統一教会)の合弁会社「平和自動車(Pyeonghwa Motors)」の最高経営責任者(CEO)で、米国市民権を持つ朴相権へ追加投資を引き出すために、北朝鮮から平壌市の名誉市民証を授与されている[329]。
2022年現在、旧統一教会の北朝鮮における事業の中心は流通業にシフトしているという[324]。
北朝鮮の大量破壊兵器開発への協力
アメリカ国防情報局の1994年8月と9月の報告書によると、1991年11月30日から1992年12月7日まで文鮮明が北朝鮮に滞在した際に、文鮮明から金日成に4500億円が寄贈されたという。その金の大部分は日本信者が統一教会に寄付した金だったという[330][331]。統一教会系の自動車会社である平和自動車の元最高責任者によると、日本人信者から集めた金はまずは韓国に送金されてマネーロンダリングされた後に香港に送金され最終的に北朝鮮に送金されていたという。平和自動車の元最高責任者によると、彼は朝鮮労働党の幹部であり兵器開発責任者であった朱奎昌と親密な関係にあったという[332]。韓国国防部元次官のペク・スンジュは、統一教会の日本人信者から寄付された金が北朝鮮の核開発と大陸間弾道ミサイルの開発に流用されたと分析している。1994年1月、日本の小さな商社を通じて、ロシアから北朝鮮に老朽化した潜水艦が売却されることが『ニューヨーク・タイムズ』によって報じられた。この商社は日本に帰化した韓国出身の社長を含め、4人の役員全員が統一教会信者だった。この取引について、2016年に韓国国防部は、統一教会信者の仲介で北朝鮮が入手したロシアの中古潜水艦(ゴルフII級潜水艦)が、北朝鮮の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)開発の元になっていたと国会で報告した[333][334]。
反日思想
日本は「サタン(悪魔)の国[36]」であるとの反日教義が教えられている[37][335]ほか、教祖の文鮮明は日本民族や天皇への侮辱的・差別的な発言を繰り返していたことでも知られる[38][39][40][41]。
文鮮明は教義の一つとして、「日本の天皇と韓国の王とが交差結婚をしなければならない。」「日本の皇室と(文教祖の)孫たちが結婚する時が来て、すべての国の王権の代表者たちと結婚する時代に入る。」「韓国が支配された立場とは逆に日本を支配するところまでいかなければなりません。」と説いた[336][337][338]。
このほかにも、統一教会内部では「昭和天皇は霊界で、『原理講論』を一生懸命勉強している。そのことが、私たちのこの世での活動を助けてくれている」「天皇家には色情因縁があるから皇太子殿下は婚期が遅れている」と教えられている。文鮮明は、皇太子がまだ独身の時代に、「結婚相手を統一教会信者の中からあてがう」との趣旨の発言をしていた[339]ほか、「韓民族に重い原罪を負っている日本人の結婚相手は、動物でももったいないくらいだ」とも説いていた[340]。
文鮮明はイエス・キリストの「再臨論」も説いており、「韓国のキリスト教を過酷に迫害した」「天照大神を崇拝してきた全体主義国家」と教会から批評される日本と、共産化した中国は「サタンの国」であるため、イエスが再臨する『東の国』とは韓国であるとしている[341]。また、「メシアを迎え得る国となるために我々は第三イスラエル選民となければならない」としている[341]。
1984年8月、教団と密接な関係にあった物理学者の福田信之が、脱税でコネチカット州ダンベリーの刑務所に収監されていた文鮮明と面会。このとき「中国は長男、韓国は二男、日本は三男」との発言を聞いている[342]。
歴史的に見て、中国は長男、韓国は二男、日本は三男である。歴史の逆転によって、三男が一番栄えるようになった。これからは日本から韓国、さらに中国へと繁栄を拡大していかなければならない。それはかつて民族がたどってきた道であり、行き着く先はモンゴルになる。 — 文鮮明〜コネチカット州ダンベリーの刑務所にて[342]
統一教会は韓国と日本では史観が違っており、韓国では献金などのノルマなどは厳しくないが、日本国内での統一教会の信仰者はまず始めに全財産の額の把握を教会にされる[26][133]。その後、日本の信仰者、信者たちは「地獄に行く、天国にいけない」と教えられ、莫大な献金を促される[26][133]。全財産を捧げる事を教義としており、破産しても借金する方法を教える事で貢がせ続ける[26][133]。
西洋文明圏において、日本はエバ国家ですが、西洋は天使長です。天使長が天側のエバのものを奪っていったので、アジア文化圏を代表した日本が西洋文物をすべて盗んできたのです。電子世界においては日本が主導国です。摂理時代に会う位置、すなわち日本が世界に誇ることのできる基準が今この時に初めて訪れてきたのです。それは何かというと、天側のエバは精神的な面を代表するのですが、その日本が物質的主体国になったということは結局、霊界を代表したエバの立場が内外ですべてつくられたということです。それが復帰歴史です。しかし、それが日本の中にとどまっていてはいけません。大陸に行かなければ日本は滅びます。韓国にすべて奪われるのです。そのようにしなければ、1988年からは下がっていきます。それで、摂理から見れば、経済的流動を正しておいたのです。 — 文鮮明 〜 1988年の発言[343]
弁護士の山口広によれば、教団内部では「韓国人が人間なら日本人は犬ころ以下だ」「韓国人ならこじきでも日本人の貢献した人より上に立つ」と繰り返し聞かされるという。また、日本人信者の中にはどうして日本人に生まれてきてしまったのかと心底悔やむ者も少なくない。背景には、メシアの国韓国、教祖・文鮮明の韓民族に対して、日本は過去に大変な罪を犯したため、本来救われない日本を文鮮明は神の愛で救うことができる、とされる教えがあるという。日本人信者はこのように教えられ、犬以下の自分を救ってもらうために、文鮮明に尽くす様になるという[344]。
阪神淡路大震災について、教団内部では、日本での献金が滞ったことや、犯罪歴などを理由に教祖の文鮮明の入国を拒否したことへの「天罰」であるとの趣旨の教えが流布されていた[345]。
また、日本統一教会初代会長の久保木修己は、旧約聖書『出エジプト記』の十の災いを日本の十勝沖地震等の災害に結びつけ、日本人が統一教会の教えを受け入れなければ「日本は滅びる」との趣旨の発言を行なっている[346]。
モーセの路程の時、あまりにもかたくななパロは、三大奇跡をもっても従おうとしなかった。その時十災禍ということが行われたことを知っているのであります。故に、傲慢不遜なるパロ宮中にも比すべき日本一億の民が、もし我々に反撃をし、我々を嘲笑い、神の前に服従しないとするならば、十災禍という問題が歴然として現されていかざるを得ないのが歴史の必然なのであります。今、十勝沖地震であるとか、福井の大火事だとかいう問題が随所に起こりつつあることを考える時、一億の人々が自覚し得ないとするならば、そういう問題は今後もあちこちに起こってこないと誰が言い得ようか。「今のままでは日本は滅びる」という言葉が現実となって現れるのが今であるということを、もう一度強く警告したいのであります — 久保木修己『美しい国日本の使命ー久保木修己遺稿集』より[347]
また、久保木は日本の敗戦を例に出し、「日本は過去も現在もサタンに主管された愚かさを繰り返してきた」と主張した[348]。
サタンの象徴であったパロ宮中は、実は日本全土であることを知るものであります。故に、我々は今こそ日本全土のパロ宮中に向かって堂々と三大奇跡でもって闘いを挑んでいかなければならないということになるのであります — 久保木修己『美しい国日本の使命ー久保木修己遺稿集』より[348]
統一教会の教義には、日本人女性をマインドコントロール(洗脳)し、韓国人男性と強制的に結婚させて韓国の血の入った子を産ませることで、「日本の穢れた血」を浄化するという教えもあり[26][25]、「合同結婚式」(信者は「祝福」と呼ぶ)と呼ばれる教団内婚制をとり、教祖のインスピレーションに従って信者同士で結婚する[37]。「合同結婚式」の参加費用でも日本人は差別されており、日本人は1人あたり50万円から150万円なのに対し、韓国人は5万円(25万ウォン)未満ほどだという(1988年当時)。小規模な閉鎖的コミュニティを除き、教団内婚制をとる巨大教団はほかには見られない[37]。
慰安婦問題も罪悪感を植え付け、マインドコントロールするために利用されており[349]、2012年当時、韓国では教団系の「韓日の歴史を克服し、友好を推進する会」が「慰安婦問題について、心よりお詫びします」と土下座するパフォーマンスを韓国各地で繰り返していた。メンバーは教団の合同結婚式で韓国に嫁いでいった日本人妻で、「日本人は植民地時代の罪を韓国人にあがない続けなければならない」と叩き込まれていたという[350]。
また文鮮明が設立した関連団体の反共政治団体「国際勝共連合」では、「朝鮮半島が突破口に第三次世界大戦が必ずおこらなければならない」「日本は生活水準を3分の1に減らし、税金を4倍、5倍にしてでも、軍事力を増強してゆかねばならない」とし、日本の国民に犠牲(生贄)になることを要求している[351]。
世界で活動する教団の運営資金の7割は日本での「霊感商法」から得られたものであり[73]、日本は「金のなる木」、集金の場所として扱われた[37][44]。
また韓国の系列企業のビジネスには、日本の献身(無給に近い待遇で、教団の指示のもと様々な活動に従事すること[352])した信者による物販で稼ぎ出された資金が使われていた[37]。
文鮮明には強い反日感情があるとされ、日本における経済活動の指示のさいには、「日本の復興は朝鮮戦争の特需によるもので、韓国・朝鮮人の犠牲のうえに日本の繁栄が成り立っている」として、日本人を過酷に収奪しても良心の呵責を感じないと断言しているという[36]。
郷原信郎によれば、日本では学園闘争等で新左翼・共産主義者らとの「反左翼」対応で、日米韓で共産主義(者、国家)と立ち向かう「反共」の一致点だけで、信者の日本人に反日左翼思想的な自虐史観の歴史認識を教え込むため、反共日本人から各種カルト性を黙認される同床異夢の共闘関係でいた。しかし、日本との関係を、「アダム国家」である韓国に奉仕する務めを負った「エバ国家」だと教義をしており、世界の中で日本人信者からのみ莫大な金銭搾取被害を与えているために反日カルトと指摘されている[353][354][355][356][357]。
学術界への浸透
教団は学術界への浸透も図っており、教団系の学者・文化人組織「世界平和教授アカデミー」等の団体を通じてシンパへの支援を続けていたとされる。
文鮮明は1972年から毎年「科学の統一に関する国際会議」(ICUS)を開催した。この会議の目的は冷戦下において共産主義の下に結束する東側陣営に対抗する学者集団を結成すること、統一教会がキリスト教界で異端視されたため代わりの活動基盤を学会に求めたこと、西洋の学者に東洋の価値観を教えることの3つの理由があったという。東京の帝国ホテルで開かれた1973年の会議では、ノーベル賞学者のジョン・C・エックルスが議長を務め、スピーチで文鮮明を絶賛した。フロリダ州立大学名誉教授の(リチャード・ルーベンス)もゲストスピーカーを務め、後の1976年の合同結婚式で文鮮明から祝辞を依頼された[358]。
世界平和教授アカデミー初代会長の松下正寿は、アカデミー創設の趣旨として「ニセ学者」への対抗を明らかにしている。ニセ学者とは左翼系の学者のことであり、防衛問題を巡る議論の障害になると批判していた[359]。
日本で特に教団と近いとされたのは、物理学者の福田信之だった。福田信之が文鮮明と初めて面会したのは1974年5月、帝国ホテルにて教団系のイベント「希望の日バンケット」が開催され、ゲストとして筑波大学学長の三輪知雄と副学長の福田が招かれた折だという。その後も福田は「科学の統一に関する国際会議」(ICUS)などのイベントでたびたび文鮮明と面会した。また、東京教育大学の筑波移転に関しては、当時盛んだった左派による学生運動対策のためであり、実現のために政界工作を自ら率先して行っていたことを公言していた。また、福田は、学園紛争や「学会における左翼」との戦いで、体験的に共産主義に対決するようになったと表明している[360]。
1976年の衆議院文教委員会では、当時筑波大学副学長だった福田の教団との密接な関係が政治的・宗教的中立性の観点から問題視された。福田は1983年11月に米国で開かれた統一教会教祖・文鮮明主宰の昼食会に参加していたほか、文鮮明が脱税により米国で逮捕されたことについて、教団や国際勝共連合の機関紙に「米国の歴史的な汚点」などと米当局を非難する談話を寄せていたほか、コネチカット州ダンベリーの刑務所に収監されていた文鮮明と面会している。このとき福田は東アジア研究を指示され、帰国後「東アジア総合研究プロジェクト」を発足させた。福田はたびたび韓国に渡航していたが、大学側はその目的について把握していなかった。また、福田が筑波大学学長を務めていた1984年に新設された「国際関係学類」について、教団系の「世界平和教授アカデミー」の会員や、改憲・核武装論者が多く「政治色が強い」「まるで政治団体のよう」として問題視された。朝日新聞は関係者の証言として、福田が「世界平和教授アカデミー」の活動を基盤に、右傾化・自民党の政治路線への寄与を狙っている可能性について言及した[361][362][363]。
メディア戦略
教団は政治的意図をもってメディア戦略を展開することも知られており、文鮮明の側近である朴普煕によれば、米国内で共和党議員を支援するために、教祖自ら各種の新聞を創刊する指示を出したという。リチャード・ニクソンはウォーターゲート事件で失脚したが、その報道を主導していたのは教団が「左翼勢力に取り込まれた代表的なメディア」「西側にあるソ連の機関紙」として敵視する『ワシントン・ポスト』紙だった。ニクソンの失脚によって、文鮮明はメディア戦略の重要性を実感し、1976年に『ニューズ・ワールド』を創刊(のちに『ニューヨーク・シティ・トリビューン』と改称)、1978年10月には「世界言論人協会」を設立、1980年には、ヒスパニック向けのスペイン語紙『ノティシアス・デル・ムンド』を創刊した。1981年にロナルド・レーガンが大統領に就任すると『ワシントン・ポスト』紙は批判的な論調を展開したが、文鮮明はこれに対抗して1982年に『ワシントン・タイムズ』紙を創刊した[160][364]。
私は長い間待った。そして神様に祈祷した。ワシントンをどうすればいいのかと。 アメリカを救うにはどうすればいいのかと。答は常に同じだった。ワシントンに『保守勝共日刊紙』を創刊せよ。というものだった。新聞を作って運営することは、宗教の第一の本文ではない。しかしこの非常時において、われわれはこの使命を避けることができない。これはまさしく神様の御旨であるからだ。ワシントン・ポストに対抗し、レーガン大統領を保護する新聞を作ることを、私はきょうこの『神の日』に宣布する。今や全世界の統一教会の信徒たちは、この使命に命をかけて決起せよ! — 文鮮明〜1982年元旦の説教より[160]
『ワシントン・タイムズ』の社長には側近の朴普煕が就任し、約200名の信者が社員に任命された。1982年3月1日の創刊号には旧約聖書に登場するダビデを『ワシントン・タイムズ』に、巨人ゴリアテを『ワシントン・ポスト』に擬える風刺漫画を掲載し、同紙への対抗姿勢を明確にした。『ワシントン・タイムズ』には最初の10年でおよそ10億ドルの資金が投入され、ソ連への強硬政策を採るレーガン政権の擁護を続けた[160]。とりわけ「戦略防衛構想(SDI)」に関しては、文鮮明自ら「ワシントン・タイムズを作った目的は、まさしくこのような時のためである。ワシントン・タイムズは立ち上がって全力投球せよ!」と命令するなど、徹底擁護の論調を採った。ワシントン・タイムズは、アメリカのリベラル言論の背後にKGBの陰謀があると主張し、民主党が主導する議会を「非愛国的な議会」「米国民を人質にする議会」と批判した。朴普煕の主張によれば、『ワシントン・タイムズ』の報道によって「反対する者は売国奴か、さもなくばソ連のエージェント!」という世論が形成されたという[365]。
朴普煕によれば、『ワシントン・タイムズ』は共和党議員に好んで読まれるようになり、レーガンは大統領在任中に愛読していた。朴とも親しかった共和党上院議員の(ポール・レクソルト)も直接感謝の言葉を寄せるほどだったという[365]。 旧統一教会の幹部によると、レーガンはワシントン・タイムズを見せながら『私が読んでいる新聞はこれだけだ』と語ったことがある[366]。
また、レーガン政権下でニカラグアの反米共産主義政権に対抗する反政府ゲリラ(コントラ)への援助案が否決された時にも、獄中の文鮮明自ら『ワシントン・タイムズ』に指令が下され、1400万ドルの寄附金の募集が行われた。朴普煕によれば、レーガンもこの運動に賛同し、ワシントン・タイムズの編集局長に直接電話し感謝の意を伝えるほどだった[367]。
1988年には、レーガンの後継者にあたるジョージ・H・W・ブッシュが大統領選に立候補したが、副大統領候補のダン・クエールに兵役忌避の疑惑が浮上すると、ワシントン・タイムズ紙は同候補の支援のために、対立する民主党議員や言論人を攻撃する報道を繰り返した[368]。
ワシントン・タイムズ社には多くの重要人物が関わり、元ノルウェー大使の韓相國が副社長を務めたり、元駐日アメリカ大使のダグラス・マッカーサー2世が顧問委員会の委員を務めていたこともあった。また、米安全保障政策の最高権威者とされた(ジョセフ・チャーバ)も本社を訪れることがあった[369][370]。
ワシントン・タイムズは民主党議員を敵視する論調をとっており、1993年からのクリントン政権時には疑惑追及報道を徹底した[371]。
ワシントン・タイムズ特派員の戸丸廣安によれば、ワシントン・タイムズは世界的な言論人のネットワークと常につながりをもってきたとしており、前述した「世界言論人協会」や、同協会が毎年12回にわたり開催するジャーナリストの会合「世界言論人会議」や「ファクト・ファインディング・ツアー(事実調査旅行)」などのイベントを開催し、これらのイベントで関係を持ったジャーナリストが、ワシントン・タイムズに参加することも少なくないという[370]。
教団は『ワシントン・タイムズ』のみならず、世界中で同様のメディア戦略を展開しており、日本では1975年に創刊された『世界日報』、1983年にはキプロスで『ミドル・イースト・タイムズ』を創刊、中東各地で販売している。1985年にはウルグアイで『ウルティマス・ノティシアス』、1989年には韓国で『世界日報(セゲ・イルボ)』を創刊した[370]。
諸外国の政府・政党との関係
韓国
1976年に「コリアゲート」疑惑が発覚したが、フレイザー委員会の調査や『ワシントン・ポスト』紙の報道等を通じて、韓国大使館とKCIA、韓国人実業家の朴東宣、統一教会の政財宗が一体となった組織的な対米工作であるとの見方が強まった[372]。
フレイザー委員会に関連して公開された、1963年から1965年にかけて作成された統一教会に関する米中央情報局(CIA)による3つの秘密報告書によれば、1954年に文鮮明によって設立された統一教会は、1961年に大韓民国中央情報部(KCIA)部長の金鍾泌の指示で「韓国政府機関」として再組織され、莫大な資金力を背景にアメリカや日本で秘密裏に政治活動を行っている。また教団は、米国で「韓国文化自由財団」というフロント組織を持ち、この組織の名目上のリーダーは梁裕燦だが、本当のリーダーは陸軍将校朴普煕であるという[373]。
また、1977年(昭和52年)の第80回国会文教委員会で、政治家の大塚喬は「1961年の朴政権発足とともに、その庇護のもとに急速に勢力を伸ばしてまいりました。」と述べている[374][375]。後に教団ナンバー2となる朴普煕を始めとした韓国軍の高級将校も入教しており、系列企業の「統一産業」が小銃工場を建設する際に、文鮮明の側近となった朴普煕と朴正煕大統領(当時)が事業支援について協議したことや、公務員教育が国際勝共連合で行われたことなどが報じられた[376]。
1977年5月5日、米ニューヨーク・タイムズ紙は、金炯旭を取材、「コリアゲート」に関与する朴東宣が、1960年からKCIAの工作員であるとの証言を得ている。この他、当時の韓国駐カナダ大使、統一教会教祖・文鮮明と文鮮明の顧問・朴普煕もKCIAの工作員であることも明かしている[377]。
1977年6月、早稲田大学で「在日韓国人政治犯救援会」が教団系の「原理研究会」と公開討論を行い、その中で原理研は、教団の活動が大韓民国中央情報部(KCIA)に好感を持たれていること、原理研が勧誘活動で入手した資料や写真がOBを通じて、KCIAに流出する可能性があることを認めている[373]。
1978年の第84回国会予算委員会で、内藤功は「米国議会フレーザー委員会におきまして「米韓関係の調査」と題する報告書が公表された。その中で統一教会はKCIAが政治活動の目的のために組織したものだ、こういう米CIA資料を公開しております。」と述べ、園田直(当時国務大臣)は 「米国下院国際関係委員会の国際機構小委員会、いわゆるフレーザー委員会が米韓関係に関する調査との関連で先月開催した一連の公聴会の冒頭、韓国中央情報部長であった金鍾泌氏が統一教会を設立した旨の米政府部内資料が公開されたということは承知しており、すでにその資料の写しを取り寄せ済みでございます。ただ、同資料がどのような裏づけを持ってやられたものか等を含め、同資料の性格はまだ判明しておりません。なお、この公聴会では、後日、22日だと思いますが、公聴会で統一関係者が右資料の趣旨を否定する証言を行った旨、これまた報道で承知しております。」と述べている[378]。
韓国では教団自ら政党を設立して政界進出を企図することもある。2008年4月に行われた総選挙では「平和統一家庭党」から全245地方区(選挙区)と13比例区に候補を立て臨むも全員落選。更に、政党得票率が全有効票の2%に満たなかったため、選挙法の規定により政党登録を抹消されることとなった[379][380]。こうした教団の動きに対し同選挙では、「統一教会対策協議会」を中心に全キリスト教派が連携し、統一家庭党候補への落選運動も展開された[381]。
米国共和党
1970年代から文鮮明はアメリカに居を構えて、大規模な講演会を幾たびも開催した。日本から渡米した信者らも活発に伝道と経済活動をした。自ら創刊した保守系新聞『ワシントン・タイムズ』などのマスメディアで政治的に保守政党である共和党を一貫してバックアップしたほか、ニクソンなどの共和党政治家を支援し、関係を築いてきた[382][383][384]。
その政治的・社会的影響力について、1976年のニューヨーク・タイムズ紙は、その活動を以下のように報じている[163]。
急成長している文鮮明のグループは、米国内で韓国政府への支持を確立するため多くの努力を払っている[163]。これらは、議会での集中的なロビー活動、著名な政治家や実業家、地域リーダーへの働きかけ、韓国で戦争が起こった場合に参戦することを誓う熱心な信奉者の育成、共産主義を攻撃して、韓国とアメリカの愛国的テーマを結びつける入念なPRキャンペーンなどの形式を取っている[163]。
1974年、教祖の文鮮明とニクソンが単独会談を行っていた。当時は「ウォーターゲート事件」でニクソン政権が揺らいでいた最中だった[385]。
元アメリカ合衆国大統領のジョージ・H・W・ブッシュは1995年に日本で開催された教団系の「世界平和女性連合」で講演している。1996年には、アルゼンチンで創刊された教団系の新聞のパーティーでスピーチをしていた[253][386][387]。ブッシュはまた、教団系のワシントン・タイムズ紙について、「自分の政権はもちろん、アメリカの国益の推進のために計り知れない役割を果たしてくれた」と評価。同紙はレーガン政権時も旧ソ連への対抗政策「戦略防衛構想(SDI)」を擁護する役割を果たしている[60]。有田芳生は、教団は共和党と密接な関係にあり、ブッシュの一連の言動は、その交際の一環とみるべき、としている[60]。
息子のジョージ・W・ブッシュも2002年5月にワシントンで開かれたワシントン・タイムズ紙創刊20周年の集まりにメッセージを寄せているほか[253]、ブッシュ一族の中には統一教会の信者がいるとの噂もあった[253]。
このほかにも、文鮮明本人がアメリカで行った演説の内容として「先生(文鮮明が使う一人称)は、上院議員一人あたり三人の若い夫人を割り当てるだろう。・・・・・上院議員を正道に戻すには、まずその助手たち、とくに秘書たちを友達にしなければならない」(1972年)「先生には、多数の美貌の女性たちが必要である。三百人ほど必要である。先生は上院議員一人あたり三人の若い夫人を割り当てるだろう。一人は選挙、一人は渉外、一人はパーティーを担当する。もし女性会員たちが多くの点で上院議員たちにまさっていれば、その上院議員はまさにわれわれの会員のとりこになるだろう」(1973年)とあり、信者を議員秘書として送り込む戦術を米国で行っていたことを教祖自ら語っていた[388]。
イスラエル
2001年、文鮮明はイスラエルの首相選挙でリクード党のシャロンに選挙資金の援助を行っている[45]。2002年11月30日の放送では、イスラエルのアリエル・シャロンが、リクード党の党首選挙でのベンヤミン・ネタニヤフに勝った資金は、アメリカのシカゴを拠点とする文鮮明の統一協会から流れていると断言した[45]。
イスラエルの首相選挙で、リクードのシャロン候補が勝利し、政権党が労働党からリクードに交代することになった[389]。これは、冷戦後の国際情勢の中でパレスチナ問題を解決しようとして1993年に締結された「オスロ合意」の体制が崩壊したことを意味している[389]。パレスチナ問題が中東情勢の中核をなしていることから考えて、中東地域では「冷戦後」という一つの時代が終わったことになる[389]。イスラエルでは、建国前のシオニズム運動発祥の時代から現在まで、右派と左派の2つの流れがある[389]。右派は、ユダヤ教をイスラエルの建国精神の中心に置き、パレスチナ人が住んでいるヨルダン川西岸地域までを含めた地域を「神から与えられたユダヤ人の故郷」であると考え、パレスチナ人を弾圧し、できれば西岸から出て行ってもらうことを究極の目標としている[389]。
西岸は1967年の第3次中東戦争の大勝利でヨルダンから奪ったものだが、この大勝利こそ、神がユダヤ人に西岸を与えた証拠だと極右の人々は考えている[389]。彼らにとって、パレスチナ人とその背後にいるアラブ諸国は交渉相手ではなく、追い出すべき敵となっている[389]。首相選挙で勝利したシャロン氏が党首をしているリクードが、右派政党の代表的存在である[389]。
一方、イスラエルの左派の考え方は社会主義に基づき、民族や宗教を越え、ユダヤ人とパレスチナ人が共存するイスラエルを作ろうとするものである[389]。イスラエル建国運動はもともと左派の考え方が発祥になっている[389]。左派政党の中核は労働党で、敗北したバラク氏が党首をしていた[389]。
アメリカのクリントン前大統領が音頭をとって続いていた中東和平交渉は、左派的な和解の精神に立脚している[389]。この方向性は、1992年に労働党のラビン氏が政権を取った後、イスラエルとパレスチナがオスロ合意を締結したことで始まった[389]。この合意は、パレスチナ人が住んでいる西岸とガザ地区にパレスチナ人国家を作り、イスラエルとパレスチナを友好関係の兄弟国家にするシナリオである[389]。
リクードはパレスチナ人とアラブ諸国を信頼しない立場にたち、イスラエルの安全保障のためにはパレスチナ人への寛容政策を取るべきではないと主張し、和平交渉に消極的だった(リクードは自由主義を信奉するタカ派の非宗教政党)[389]。また、極右派の宗教勢力は「神から約束の地として与えられた西岸地域にパレスチナ人が国家を建設することを許すのは神への冒涜だ」と考え、オスロ合意に反対した。ラビンは95年に暗殺されたが、極右イスラエル人の中には「神を冒涜したのだから殺されて当然だ」と考える人々が多い[389]。
しかし2001年に文鮮明は中東和平を望まない政党を支持していながら、2003年シャロンの2次内閣が出発後、摂理と称して「エルサレム宣言」「中東和平イニシアチブ(ワシントン宣言)」とあたかも中東和平を推進している団体のように装っていた[45][389][390]。
日本統一教会会長
以下は日本統一教会の歴代会長の一覧である[104][391][392][393][394][395]。
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初代 | 久保木修己 | 1964年7月15日 | 1991年 | |
2代 | 神山威 | 1991年9月26日 | 1993年 | |
3代 | 藤井羑雄 | 1993年1月7日 | 1994年 | |
4代 | 小山田秀生 | 1994年5月6日 | 1995年 | |
5代 | 櫻井設雄 | 1995年6月7日 | 1996年 | |
6代 | 石井光治 | 1996年6月26日 | 1998年 | |
7代 | 江利川安栄 | 1998年3月14日 | 1999年1月13日 | |
8代 | 大塚克己 | 1999年1月14日 | 2001年 | |
9代 | 小山田秀生 | 2001年6月11日 | 2006年 | |
10代 | 大塚克己 | 2006年8月2日 | 2008年 | |
11代 | 徳野英治 | 2008年5月16日 | 2009年7月13日 | 新世事件の引責辞任 |
12代 | 梶栗玄太郎 | 2009年7月14日 | 2012年12月26日 | 任期中に死去[396] |
13代 | 徳野英治 | 2012年12月27日 | 2015年8月25日 | |
2015年8月26日 | 2020年10月13日 | 世界平和統一家庭連合に名称変更 | ||
14代 | 田中富広 | 2020年10月13日 | 現職 |
ダミー団体・関連団体
教団はアメリカや日本、韓国など世界各国で、教育、学術、宗教、政治、福祉、文化芸術等の様々な分野で関連団体を有している[397]。1978年に公表された米下院のフレイザー委員会の報告書では、文鮮明の統一教会とその関連団体は「文鮮明組織」(文組織 英:Moon Organization)と呼ばれ、実質として1つとなる国際組織を形成し、目標を追求するために様々な場面で韓国政府の統制に従いその活動を調整してきたこと、その目標として、教祖・文鮮明とその信者による世界政府の樹立が含まれていることなどが報告された。文組織は韓国政府およびKCIAと密接な関係にあり、その要請により米国内で反日デモを組織したこと、韓国の軍需産業の一部を担い、ライフル銃や対空砲の生産を行い第三国に輸出を試みていたことなどが明らかになっている[398][23][24]。
フレイザー委員会が明らかにした韓国政府と統一教会の関係は非常に密接なものであり、文組織の活動は韓国の機関や要人の指揮と管理の元で実行されたものであり、米韓関係に影響を及ぼすために実行されたものであること、独自の目標を追求しながらも韓国の国益を促進していることなどが明らかになった。韓国政府と文組織との関係で重要な役割を果たしたのは、元韓国陸軍の朴普煕や(韓相克)、(金相寅)などの人物であった。韓相克は1950年代に統一教会に入信し、その後KCIAの設立者である金鍾泌の個人秘書を務めた、金相寅もKCIAの職員であり金鐘泌の通訳だった。金相寅は朴普煕の親友であり統一教会の支援者でもあった。金鍾泌は1962年にアメリカを訪問したが、訪米中に統一教会信者と会談をし、韓国国内での統一教会の運動に政治的支援を与えることなどを話したとされ、その後の1963年に統一教会は韓国政府に正式の団体として登録された。文組織は米国内で上院・下院議員、大統領、著名人などの名前を使って募金活動を行ったが、これも文組織と韓国政府の政治的影響力を得るためだったとされる[398][23][24]。
文組織は政治、宗教、産業の各分野において分野を跨いで、また国境を越えて自在に資金や人材を動かすことができ、その手法は違法性が疑われるものも少なくない。世界各国では通貨の持ち運びにおいて厳しい規制が科せられており、米国では1972年以降、5000ドル以上の現金を所持して出入国する際には金銭収支報告書の提出が科せられており、日本や韓国でも同様の厳しい規制が課せられているが、アメリカで保有している多額の現金など文組織には不自然な資金の流れがあった。1972年から1974年にかけて朴普煕は(石井光治)から米国内で合計22万3000ドルを借り受けたが、その資金の出所は不明だった。朴はリトルエンジェルス舞踏団の団長を通しても石井から58000ドルを米国内で受け取っていたが、この資金は舞踏団のメンバーが個人枠の5000ドルまでを各々分担して持ち込まれた可能性が指摘された[398][23][24]。
弁護士の山口広は、旧統一教会の関連団体について、その名称からは各団体が文鮮明によって設立され、統一教会信者によって運営されていることが判然としないものばかりであるとしている。その問題点について、どれが教団の息がかかった活動なのかわかりにくいところにあるとし、名称や団体の趣旨がよさそうだと関与していくうちに実はそれが教団と縁の深い団体だと気づく例が多いとしている。また、世界平和教授アカデミーの松下正寿のように、関連団体での活動を通じて教団自体にのめり込んでいく例も少なくないとしている。また、アジア平和女性連合で司会を務めた飯星景子が教団に入信した例を挙げ、その目的を信者を増やし、資金源を確保することとしている[397]
例えば、世界平和女性連合は、表面上は留学生の支援や有名人をゲストに迎えての講演会などを開催し、ライオンズクラブの女性版のような宣伝をしているが、実際には文鮮明の妻・韓鶴子が総裁を務めており、旧統一教会幹部が日本の代表を務め、運営も教団信者であるなど、実態は教団のダミー団体であるとされる。同団体は「新純潔教育キャンペーン」と称して、青少年の性の乱れを懸念する主張も行っていたが、これは旧統一教会の教義と共通しているという。表面的な印象の良さに惹かれて、国会議員や著名人が協賛者になることも少なくなかったとされ、当時の国家公安委員長で参議院議員の小野清子は、団体の機関紙に登場し自身のホームページで宣伝をしていた[400]。また、山口広は世界平和女性連合について「ロータリークラブの女性版のようなつもりで入会したご婦人がグループ企業の展示会に誘われて高額な買い物をしたり、信者になって献金させられる例を、数多く聞いている」と話している[60]。
教団は別働部隊となる宗教団体を作って資金集めを利用することもある。1987年頃に教団による霊感商法の悪評が高まると、これに対抗するために教団は「霊石愛好会」と呼ばれる団体を組織した。山口広によれば、この団体にも霊感商法の悪評が定着したため、1989年に「天地正教」が設立され、全国各地の霊石愛好会が天地正教に姿を変えたが、その教祖である川瀬カヨは霊感商法にも関与した熱心な統一教会信者であった。天地正教も表向きは弥勒菩薩を信仰する仏教系の団体であるが、弥勒菩薩が文鮮明であるとされており、実態は統一教会の正体を粉飾したものに過ぎないという。また、天地正教の設立には、宗教法人法による税制上の特典を利用する意図もあったとされる[397]。
『週刊文春』が紹介する統一教会関係者の証言によれば、教団のダミー団体は1980年代以降に霊感商法が社会問題化して、教団のイメージが悪化した後に政治家との接点を持つためにも利用された[401]。また、ダミー団体を使って政治家に接近することは全世界で共通する手法だという[60]。
2022年7月、安倍晋三銃撃事件を受けて、日本統一教会の田中富広会長は「私たちの“友好団体”が主催する行事に、安倍元総理がメッセージ等を送られたことはございます。当法人と友好団体の区別がついていなかったのではないか。どちらも創設者が一緒なので、すべてが同じに見えていたのかなと」として、無関係であることを主張した[402]。
2022年9月、講談社『FRIDAY』は教団のネット会議を収録した動画を紹介した。この動画では、関連団体「天宙平和連合」事務総長の魚谷俊輔が、教団関連団体とされる天宙平和連合、世界平和青年学生連合、真の家庭運動推進協議会などの団体について、「何かトラブルがあったときにその責任が団体に及ばないようにするため」の壁であり、教団と関連団体は一体であるとの趣旨の発言をしていた[403]。
関連団体の所在地
成約ビル
成約ビルの概要および主な入居団体は下記のとおり(2022年8月の時点)[404]。
- 建物名称:成約ビル
- 所在地:東京都新宿区新宿5-13-2
- 竣工:1986年(昭和61年)
- 建物規模:地上5階
5F | UPF-Japan[405]、平和大使協議会 |
---|---|
4F | 真の家庭運動推進協議会[406]、一般財団法人国際ハイウェイ財団[407]、日本純潔同盟、 世界平和宗教連合、孝情教育文化財団[408]、宗教新聞社、統一思想研究院 |
3F | 世界平和統一家庭連合東京同胞教会[409] |
2F | 世界平和教授アカデミー、世界平和青年学生連合[410]、平和統一聯合、 日韓トンネル推進全国会議[注釈 2]、天一國歌舞連合、在日平和統一祝福家庭婦人会、 アジアと日本の平和と安全を守る全国フォーラム[415]、一般社団法人平和政策研究所(分室) |
1F | (セミナールーム) |
ワールド宇田川ビル
ワールド宇田川ビルの概要および主な入居団体は下記のとおり(2021年10月の時点)[416]。
ギャラリー
米国本部(ニューヨーク)
ワシントンD.C.の教会。かつては末日聖徒イエス・キリスト教会の建物だった。
希苑家庭教会(杉並区浜田山)
岡崎家庭教会(愛知県岡崎市)
名称
1954年の設立当時の名称である世界基督教統一神霊協会は「全キリスト教会を霊的に統合させる協会」を意味する[91]。英語名の「神霊」の部分には Holy Spirit が充てられ、Holy Spirit Association for the Unification of World Christianityとなっているが、これは命名当時に他に適切な訳語が思いつかなかったためであるという[91]。
統一教会は、社会における家族の重要性を強調しており[9]、それを反映して1994年5月に名称が世界平和統一家庭連合に変更された。日本で、2015年6月2日に所管する文化庁に変更申請書を提出し、同年8月26日付で名称変更が認証された[15][16][注釈 4][注釈 5]。
教団の名称変更について、政治的な力が働いているとの指摘がある。当時の文化庁宗務課長だった前川喜平は、教団から最初の名称変更申請があった1997年当時、「実態が変わっていないのに、名前だけ変えることはできない」として、認証できないとして、申請しないよう教団に要請したことを明かした上で、2015年に実現した名称変更について、「当時の文科相(下村博文)の意思が働いていたのは100%間違いない」と指摘。さらに名称変更の申請について、日本共産党の宮本徹衆議院議員が文化庁に情報開示を請求したところ、文書は名称の変更理由の部分が黒塗りとなっており、教団が提出した文書はすべてが黒塗りになっていた[424][425]。
教団は、政治介入の指摘に対し、2015年当時、「主務官庁が拒否するならば訴訟もやむを得ない」として意見書を提出したことを明かした上で、「純粋な法律問題」として、政治的介入や不正の存在を否定した[426]。
韓国では統一教[427][87]、日本では旧称の略称の統一教会、またキリスト教会側からはキリスト教の教会と混同されないよう統一協会と記載され、英語ではUnification Church(統一教会)[9]、Unificationism(統一主義)、開祖の姓から俗にMoonies(ムーニーズ)の名で知られる[428]。ただし、信者はムーニーズを蔑称と考えており、自らそう名乗ることはない[428]。文鮮明が率いる組織の集合体は統一運動と呼ばれる[429]。今は、「天の父母様聖会」と、呼ばれている。
教理
教典
統一教会の教典は1966年に初版が刊行された『原理講論』(原理講話)とされる[430]。日本語版は1967年に刊行され、日本の統一教会信者は長らく教典として重視しており、これを基に信仰心を形成してきた[430]。日本の教団幹部や彼らに教化された教団信者の世界観・信仰観を知るための、検討の対象となる文献である[430]。文鮮明の『原理原本』をもとに、劉孝元(ユ・ヒョウォン)が『原理講論』をまとめ、表向きは「聖書の解説書」と称するが、実質的教典として扱われている[431]。
『原理講論』は、文鮮明の高弟である劉孝元(教会長、1970年死去)が、文鮮明の『原理原本』を増補し、彼の説教を整理したものである[431]。
『原理原本』(1952年発行)は、韓国の神秘主義的キリスト教改革運動の流れを汲む「イスラエル修道院」の(金百文)[432](キム・ベンムン。キリストの親臨を主張した、柳明花の信奉者のひとり白南柱の弟子[87])の著作『基督教根本原理』[433](1946年3月2日起草、1958年3月2日発行)の執筆中に文鮮明が盗作したという証言がある[注釈 6]。
それに対し統一教会側は「金百文の著作が世に出る前に、『原理原本』そして『原理解説』(1957年発行)が作成された」と主張している。
『原理講論』は初版以降数度改版され、新しい部分も追加されている[430]。初版には、メシアが文鮮明であること、メシアが誕生する国が、韓国であることの論証部分はないが、第3版には追加されている[430]。
『原理講論』のはしがきには、本書が完成版ではなく、編者により適時増補、または加筆修正される可能性のあることが説明されている[430]。『原理講論』の言葉を勝手に解釈したり、自分の言葉を付け加えることは、分派発生の原因になるとして信者には禁止されている[435]。
ハンガリー人のカトリック神学者・神父で上智大学神学部教授であった(ネメシェギ・ペトロ)は、『原理講論』では、神は「ゲルマン民族を新しい選民として立て」たという主張を基に、古代末期以後の歴史はすべてゲルマン民族に集中して語られていて、カトリック教会はキリスト教の堕落したものとして描かれており、ルターが新しい福音の光をもたらした存在とされるなど、韓民族を現在の選民であるとする最後の唐突な飛躍を除き、ゲルマン・アングロサクソン系のプロテスタンティズムの立場で書かれていると述べている[291]。(日本語版では削除されているが、英語版『原理講論』には、「韓国の民が神によって選ばれた第三のイスラエルとなる」と書かれている[291]。)
聖書に預言された再臨のキリストが文鮮明であるとすることから、エホバの証人・モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)と共に全てのキリスト教会から異端と見なされている[427][436]。
弟子がまとめた教説よりも、生きている文鮮明が直接語った言葉こそが神の教えと考えられるため、初期の説教内容をまとめた『原理講論』だけでなく、教祖の言葉をまとめた『文鮮明先生御言選集』(360巻以上)、『御旨と世界』(1985年)などの説教集、信者の規律についての『御旨の道』なども併せて教義体系を構成しており、近年では説教集『天聖経』(2003年編纂)が『原理講論』以上に重視されるようになっているといわれる[430]。
教義・教説
統一教会で「原理」とは、文鮮明が霊的体験や独学によって与えられた啓示とされる。他方で文鮮明は1945年に妻の崔先吉と共にイスラエル修道院に通い(金百文)の教え[433]を学んで盗作したという証言がある[437]。統一教会の信者は「原理」は旧約聖書・新約聖書の解釈であり、究極的、決定的な真実であると信じている[438]。
「原理」は主に「創造」、「堕落」、「復帰」の3つの部分からなる[439]。『原理講論』は文鮮明の啓示の様々な解釈を書いたもので、「原理」とは厳密に区別されている[438]。1954年に統一教会が創立されて以降、一貫して、(聖書)よりも『原理講論』が重要視されており[431]、現存する聖書によるキリスト教の正典を超越すると考えられている[438]。この節は本書の内容を中心に述べる。
『原理講論』の「堕落論」には、「人間始祖の堕落によって、その子孫が、一人残らず、神の血統を受け継ぐことができず、サタンの血統を受け継いでしまった」と記され、「真の父母として降臨されるイエスのみがこれを知り、清算することができる」とする一説が記されている[440]。
プロテスタントの日本基督教団牧師・宗教研究者の石井智恵美は、教義内に明確な記述はないが、信徒にとって教祖の文が「再臨のイエス」=「人類と霊界を結ぶ比類ない存在」であることが信仰の前提であると述べている[431]。神の愛を中心に結婚し、完全な子供を産み、真実の家族を作ることで、地上の楽園(地上天国)を建設することが目指される[441]。
ネメシェギは、『原理講論』の思想の特徴として、朝鮮半島の陰陽説、文鮮明が受けたキリスト教的教育に由来する一神論と旧・新約聖書の権威の容認、根本主義的な聖書解釈、象徴的聖書解釈、科学性の主張、終末論的歴史神学、神との「霊交」で得られたという「啓示」を挙げ、『原理講論』の教えの根拠は、実際には哲学・自然科学・客観的な聖書解釈・キリスト教会の教えのいずれでもなく、真の根拠は著者が述べているように、文鮮明が受けたという「啓示」であると述べている[291]。
統一教会ではキリスト教における「再臨論」も説いており、韓国を蕩減復帰の民族的な基台を立て、第三イスラエル選民となければならないとしている[442]。
信徒は「ムーニー(Moonie、Moonies)」と称される[443][444][445]。
神の世界創造の目的
神はこの世からの刺激によって、はじめて喜びに満たされるとされている[441]。旧約聖書の創世記第1章28節「生めよ、増えよ、地を従わせよ」から、神の創造の目的は3つあるとされ、統一教会では三大祝福と呼ばれている。
- 「生めよ(פרו)」を、人格完成、個性完成せよと解釈する[446]。但しヘブライ語「פרו(ペルー)」にはそのような意味はない。また神は人が創造される前、全ての生き物に対しても与えている[447]。
- 「増えよ(ורבו)」子供を産み増やせ[446]を、家庭完成せよと解釈する。但し神は人が創造される前、全ての生き物に対しても与えている[447]。「神の二性性相が各々個性を完成した実体対象として分立されたアダムとエバが夫婦となり、合体一体化して子女を生み殖やし、神を中心として家庭的な四位基台をつくらなければならないのである」とされる[448]。
- 「地を従わせよ(ומלאו )」を、万物を主管せよと解釈する。これが神が人間にだけ与えたもの。神、人類、その他の生物の調和のとれた理想的な世界を創造することを意味する[446]。「万物世界に対する人間の主管性の完成を意味する」とされる[449]。人間は完全な家庭を築くことで、完全な社会、国家、世界を実現するために「増殖」できるのである[446]。統一教会が説く神の目的には、「人間の個性完成」という、近代主義的な発想が持ち込まれている[450]。また、家庭形成という「アジア的家族主義を織り込んだ人間論」(櫻井)も神の創造目的に取り入れられている[450]。
楽園追放と原罪
『旧約聖書』の「創世記」には、神が創造した最初の人類であるアダムとエバが、罪を犯し楽園を追放される逸話がある。エバが蛇にそそのかされて、次にアダムがエバにそそのかされて、食べることを禁じられていた知恵の樹の実を食べた。この蛇はしばしば悪魔であると解釈される。この罪のために、二人は神に罰せられて、人間は死や労働、出産の痛みといったあらゆる生の苦しみを持つようになり、この世に罪と死とのろいが入り込んだとされる。西方教会では、これがアダムとエバから全人類に「原罪」(ラテン語: peccatum originale)として受け継がれていると考えられている。神学者の宮本久雄は、統一教会における原罪とは、狭義には人間の神との関係の破綻、神と人間との生命的な関係の虚無化を意味しており、従って本来は、モラル規範への単なる違反や男女の性的欲求とは直接関係がないと述べている[451]。(詳細は「原罪」を参照)
『原理講論』の著者は、文鮮明の説教からルシファー(『原理講論』では「ルーシェル」。「Lucifer」の北朝鮮式発音。魔王サタンが堕落する前の天使の頭の呼称)の堕落を次のように説明している。ルシファーは元々神に最も近い大天使で[452]、神の愛を独占するような位置にいたが、神が人間を創造した後はその愛が減少したと感じた[453]。ルシファーは嫉妬に駆られてエバを誘惑し[452]、エバは10代の処女であったが[454]、「神のように目が開けることを望み、時ならぬときに、時ならぬものを願」い、両者には授受作用(相互作用)が生じ、「不倫なる霊的性関係」を結んだ[453]。統一教会ではこれを「霊的堕落」と呼ぶ[453]。天使は肉体を持たないため、これは肉体的な交わりではなく、霊的交わりであった[454]。
ことの重大さに気が付いたエバは、罪悪感から神の元に戻りたいと願い、神が定めた配偶者であるアダムと結ばれようと、彼をそそのかし性的関係を結んだ[454][453]。エバは神の元に戻れたと思ったが、ルシファーとの「授受」は真の配偶者との「授受」だけでは回復されず、さらにエバとアダムが性的関係を持つことは神の意志ではなく、神の祝福を受けていなかった[454]。エバは3重に罪を犯しており、神に従うべきであり、婚約者を裏切るべきではなく、婚約者と共に完全に精神が成長してから性的関係を持つべきだった[454]。アダムとエバは、自らの個性を完成する前に時期尚早な夫婦関係を結び、それは神ではなくルシファーを中心としたものであったため[455]、人間は家庭形成に失敗したのである[450]。これは「肉的堕落」と呼ばれる[453]。
以降すべての人間は、善と悪、神の要素と堕天使の要素を併せ持つ存在になった[455]。アダムはエバと性的関係を結ぶことで、エバがルシファーから受け継いだすべての要素を受けつぎ、子々孫々にもサタン(ルシファー)の血統が継承されているという[456]。これが統一教会における「原罪」である[456]。原罪は遺伝によって伝わるようなものとされている[291]。アダムとエバはその罪によって、人類を偽りの主、サタンに仕えさせることになった[457]。
イエス・キリストと再臨のメシア
統一教会では、イエス・キリストは既成神学における三位一体の存在ではなく[87]、霊的な三位一体と解釈する[458]。心情的には神と一体であるが[87]、イエスを神と言えるのは「すべての完成した人間は神と一体である」という意味においてのみであり[291]、「創造理想を体現した男性」としてその価値は認められる[291]。この点が、主流派キリスト教と最も異なる点である[291]。イエスは、司祭ザカリヤとマリアの間に生まれた原罪のない人間であると考えられている[87]。
イエス・キリストは、サタンが不当に奪った神の「主管性」を回復し、堕落した人類を原罪のない善の人類に産み直し、神を中心に据えた新し人間の血統を築き、地上天国を築くために来たとされている[455][459][460]。聖霊は女性神であり、真の母でありエバであるとされる[291][460]。神はユダヤ民族をはじめとする全人類を救うための代償として、イエスの肉体をサタンに引き渡さざるをえず、イエスの肉体はサタンの侵入を受け虐殺されたとしている[291]。そのためイエスの肉体が復活することはなく、今は霊人間として神のもとに生きているという[291]。
イエスは十字架上で死に、それは人類の霊的救済のための蕩減条件(代償)になり[461]、霊的救いが達成されたが、新しい血統を築くことはできなかったため、救いの摂理は完成されていないと考えられている[461][462]。
イエスの死はイエス自身の失敗によるものではなく、洗礼者ヨハネや弟子たちといったほかの人間がイエスを裏切り、見捨て、ユダヤ人が彼を受け入れなかったためであると考えられている[459][462]。統一教会の信者たちは、神はイエスの死を「神の国」を築くための手段にしようとはしなかったことを強調する[459]。
宗教史学者の(古田富建)は、統一教会の教理の核心は、神、イエスの「恨(ハン)」を解くこと、つまり「恨解(ハンプリ)」[要出典]であると述べている[87]。「恨」とは、朝鮮文化を語るときにクリシェとして用いられる言葉で、その意味合いには幅があるが、韓国近代宗教史の研究者の川瀬貴也は「様々な要因で叶えられなかった思いが、澱のように沈んでいる状態」と表現している[463]。
韓国の民族的な霊魂観においては、夭折者・横死者は成仏できず、怨みを抱いた「怨魂」となって彷徨うとされており、特に無念を抱えた者、子孫を残さずに死んだ者の恨みは強く、生者に災いをもたらすとされる[463]。こうした死者の恨みを鎮める儀礼が「恨解」である[463]。
統一教会では、人間の堕落のために神の創造目的を果たすことができず、神に「恨」を作ったと考えており、神はこの「恨」を解くためにメシアとしてのイエスを遣わしたが、人間が「責任分担」(5%の責任)を果たせずイエスを殺してしまったため、神の「恨」はさらに大きなものになったとされている、と説明している[87]。
1960~70年代の韓国のキリスト教の一部では、「恨」を教義に取り入れている[464]。李龍道はイエスを人間として理解しようとし、三位一体を否定していた[87]。
古田富建は、李龍道らはイエスを悲しみや痛みを抱える人間としてとらえ、その孤独や悲しみを理解し共感しようとする姿勢が、聖主教ではシャーマナイズ化された「恨解」の儀礼となっていき、統一教会では教義の根幹になっていると述べている[87]。1965年ごろに、「恨」という言葉が文鮮明の説教に定着した[464]。
イエス・キリストを救世主として崇める一方、イエスがやり残した多くのことを成就するために、「再臨のイエス」が韓国に生まれると主張している[431]。それは、地上に戻ったイエス・キリストではなく、イエスが霊界から支援する、聖書に示されている普通の人間であるとしている[461]。
文鮮明はメシアが、出生する時期や場所といった条件を示しているが、メシアが生まれる地とは韓国であり、示された条件には文鮮明自身が適合する[461]。神学的には、メシアは一組の男女である[9]。
文鮮明は1960年に、23歳若い17歳の信者韓鶴子と結婚し、メシア的使命の一環として14人の子供をもうけた[465]。
文鮮明は1992年に自身と妻が全人類の真の父母であり、救世主で、再臨の主であり、メシアであることを宣言した[461]。この宣言の前が「新約の時代」、以降が「成約の時代」であるとされる[461]。新宗教やニューエイジなどを研究し、統一運動を肯定的にとらえるウェールズ大学のサラ・ルイスは、この宣言以降、信者自身がメシアになりうるというように強調されるようになり、文鮮明がメシアであるということへの言及は減ってきていると述べている[9]。
メシアを受け入れることができなければ、ユダヤ人やローマ時代のキリスト教徒、江戸時代のキリシタンのような受難を罰として与えられると考えられている[462]。
人間における神の要素とサタンの要素の戦い
人間の堕落は、上記の神と人間の関係を損なったという縦の軸(信仰基台)だけでなく、もうひとつ人間を人間性自体から引き離したという横の軸(実体基台)があるとされる[455]。横の軸の堕落は、旧約聖書におけるアダムとエバの息子カインとアベルの、兄カインが弟アベルを殺したという逸話に基づいている。この人類最初の殺人によって、人間における神の要素とサタンの要素が分離し、互いに争うことになり、横の軸の堕落が起こったとされる[455]。
「最初の兄弟」の間の敵意は、歴史を通して民族、国内・国際的レベルで繰り返されており、20世紀における無神論的共産主義(カインの勢力)と神を畏れる民主主義(アベルの勢力)の衝突に明らかに見られるという[455]。
世界中に民主主義が現れたのは神の復帰摂理によるもので、共産主義の専制政治はそれに対抗する悪魔によるものである[291]。従って、第三次宗教改革によって、理念的に共産主義勢力を屈服させ、世界を一つの地上的な「神の国」に統一することが目指される。
文鮮明は、もし理念的戦いに勝利、つまり共産主義のイデオロギーが敗北しなければ、第三次世界大戦が起こり、サタン側の共産主義が敗北するだろうとしている[291][455]。そして原子力による第三次産業革命がおこり、幸福で理想的な社会環境が世界的に建設される[291]。その時全人類はキリスト教(統一教会)を受け入れ、最後に神を中心とした、神主義が現れなければならない、という[291]。
二性性相(陰陽二元論)
初期には、『原理講論』で説かれた統一原理は宗教と科学を統一する原理であると考えられていた[466]。神の存在の弁証も自然科学的な因果論的推測に基づき、結果から原因を探ろうとしている[466]。被造世界を観察することで、神の神性を知ることができると考え、観察によって知れることは、被造物がすべて陽性と陰性の二性による授受作用(相互作用)により存在するということであり、存在というものは性相(内性[467]、性質を示す内性)と形状(外形[467]、内性が現れた外形)の二相を持つとしている[466]。
神は霊とエネルギーという二重の性質からなるとされ、この2つによってあらゆるものが生まれるとされる[9]。神はエデンの園でアダムとエバを作り、神自身の二重性を反映させた[9]。人間には外形である肉体と、内性である精神が備わっているとされる[467]。
神の内性の本質は心とも呼ばれ、神がどのように人間の復活を達成しようとしているかを理解するには、神の心にある愛、喜び、悲しみといった、もっとも奥深い神の感情を理解することが重要であると考えられている[467]。人間は神の似姿として想像されたのだから、神は男性的な面と女性的な面の両方を持つと考えられているが、習慣的に神は男性として「父」と呼ばれている[468]。
被造物がすべて陽性と陰性の二性を持つという考え方は陰陽二元論であり、宗教社会学者の櫻井義秀は、「この発想は統一教会が人間を男性性と女性性において理解し、双方の性質が合体した時に繁栄・繁殖がもたらされるという基本的なモチーフから出てきている」と述べ、極めて民族的、東アジア的な感覚に根差したものであり、イスラエル・アラブの民の神の理解と著しく異なることを指摘している[469]。内と外、男性と女性は対極にあるのではなく、それぞれがもう一方の要素を内在していると考えられている[468]。
四位基台
四位基台という概念は、神と、神の二性性相から生まれた男性(主体)、女性(客体)、男女の相互作用(授受作用)で生まれた子(合性体)が、それぞれほかの3つの対象と相互作用を持ち、「主体と合性一体化をなすという菱型モデル」である。
祝福
イエス・キリストによる救済は霊的救済のみに留まり、子孫を残さず天に上げられたため、肉的救済はメシヤに託され、文鮮明夫妻が人類の真の父母として信者に「祝福」を与えなければならないとしている[427][470]。祝福は、鮮明夫妻司式の合同結婚式で教祖に配偶者を決めてもらう信者同士の結婚である[427]。結婚したカップルだけが天の御国に入ることができ[471]、祝福を受けた家庭からは原罪のない子供が生まれるとされており[427]、特に重要な儀式である[471]。祝福は象徴的な堕落の撤回のプロセスであり、これによってサタンの血統から自由になり、メシアの血統に結び付けられる。無原罪の子をなし、神を中心とする家庭を完成させることが目的であるとされる[472]。
祝福では、メシアとの一体化による「血統転換」を象徴する秘儀ともとることができる「聖酒式」が行われていた。初期の合同結婚式では、新婦が「聖酒」を半分飲み、残りを新郎が飲み干す儀式が行われていた[473]。儀式に使われるワインには、文鮮明と韓鶴子の結婚式で使われたワインがわずかに含まれ、受け手の血統を転換する力があるとされる[471]。
1992年時点では聖酒式ではなく、文夫妻が参加者一人一人に水滴をかける「聖水儀式」が行われていた。また祝福を受ける前には、すべての罪を贖い合うことを象徴する、結婚する男女が互いにバットのような棒で互いの臀部を3回たたく「蕩減棒」という儀式も行われた[473]。挙式後は家庭生活に入る前に、最低40日間の「聖別期間」という心身を清める準備期間があり、夫婦の性交はその後に行われる。最初の性交には詳細な手順が決められている[473]。
カップルのマッチングの権威は、文鮮明から各国の祝福委員会に次第に移譲された[474]。祝福を受けた妻たちがスタッフとして入るなどしているこの委員会が、資格を持った候補者たちを、相手の好みのデータを基に組み合わせる[474]。相手が気に入らなければ、断って次の紹介を頼む人もいる[475]。
現在では、40日間の分離期間を除く蕩減条件は削除されている[474]。いずれにしても、過去から現在に至るまで教団で祝福する男女のカップルのマッチングは、女性(妻)の方が1〜4歳程度年長である「姉さん女房」となるように組み合わせられる場合が多い。年上妻が多いのは、女性信者より男性信者が少ないのが理由の1つだといわれている。教祖一家である文一族や既成祝福の場合を除き、男性(夫)が年長者であるカップルは少ない。
宗教学者の(ダグラス・E・コーワン)、宗教社会学者の(デイヴィッド・G・ブロムリー) は、初期には祝福を受けるために多くの奉仕が求められたが、現在は候補者は24歳以上で3年以上会員であることが求められ、儀式も簡素化されていると述べている[474]。
1992年には、祝福には非会員も候補に入れられるようになり、90年代半ばには、存命中の信者と亡くなった配偶者との再結合、信者の先祖も祝福の候補に含まれるようになった[474]。2016年の合同結婚式には、主催者によると62カ国から約3000組が参加し、うち日本からは778人、オンラインでも世界から1万2000組が参加したという[476][477]。会場で結婚した3000組のうち1000組は新規の結婚で、残りの2000組は入信前に結婚しており、改めて祝福を受けるために出席した[477]。
ジャーナリストの鶴野充茂は、統一教会によると、コミュニティ内の出生率は第二次ベビーブーム時並みの2.1人、基本的には結婚率100%で、離婚率は1.7%と非常に低いと述べている[476]。
2016年5月、フジテレビの番組「みんなのニュース」の中で、合同結婚式が取り上げられており、かつては直接会ったことがない信者同士を文鮮明氏が“組み合わせ”ていたが、現在は、教団のマッチングサポーターと呼ばれる仲人が、信者から希望をヒアリングして、信者の相手探しを手伝うことになっている、と報道されている[要出典]。
同性愛
統一教会は祝福による男女の結婚・家族形成による救いを主張しているので、それに反する同性愛は「創造の原理に反する不自然な関係」であるとして否定・批判している[478][479]。統一教会は「同性愛は倫理道徳の問題であり、人権問題ではない」、「キリスト教はもちろんのこと、同性愛を“罪”とみなすのは、古今東西の主要な宗教で共通している」と述べている[480]。同性婚を認めれば、「不倫はもちろんのこと、一夫多妻や近親相姦などの“権利”を主張することも可能となる。さらには、文字にするのもおぞましいが、『獣婚』(獣姦、動物とセックスすること)も論理的には認めざるを得なくなる」と、国や時代でも大きく異なる複婚・ポリアモリーや近親婚などへの偏見や蔑視を交えて主張している[480]。
霊魂観
統一原理では、アジア的な霊魂観が説かれている[449]。被造世界は神に似た人間を標本に創造されたため、あらゆる存在は心と体からなる人間に似ているとされ、独特な霊界、霊人間の存在が説かれる[449]。霊界は霊的な五官で知覚される実在世界であるという[449]。霊人間は現実の人間の合わせ鏡のようなものであり、霊魂を浄化するには身体の浄化や贖罪が必要であり、それをしなければ地獄行きであるとされる[449]。天国には地上に建設される地上天国と、その建設に伴ってできる霊界の天国があり、死後に霊界天国で安らぐために地上天国の建設が目指される[449]。
終末観
現在は、サタンの支配する罪悪世界から、神が支配する創造理想世界に転換される終末(末世)であるとされる[481]。
- 復活
- 復活とは、サタンの支配圏に堕ちた立場から、神の支配圏内に復帰するその過程を意味するとされる[462]。統一教会では、イエスが埋葬された3日後に弟子たちの前に現れた復活など、キリスト教の伝統的な復活論は全く顧みられていない[462]。聖徒、善霊、悪霊といった霊界をさまよう霊は、地上の人間に憑依して思いを遂げるとされ、霊たちの助けで摂理が進むとされる[482]。
蕩減(とうげん)
- 原義(朝鮮起源の漢字語)
- 借金を全部帳消しにすること。借債を悉く免除してやること。remission(ゆるし)。[483][484][485][486][487] 「蕩」の字義は「すっかり無くする。『蕩尽/掃蕩』」[488]韓国では一般に金融用語として「債務の減免」の意味で使われ頻繁にマスコミに登場する[489]。また韓国語聖書で負債や罪の「ゆるし」の訳に用いられており[注釈 7][490][491]、韓国のキリスト教会の説教でも頻繁に用いられる[492]。キリスト教の基本的用語にも関わらず統一教信者は原義を知らない。
- 原理用語
- 「本来の位置と状態を復帰するために必要な条件を立てる(満たす)こと」[493]、英訳は「indemnity(賠償)」[494][495]。
- 救済、正確には復帰のプロセスは、神と人間の関係という縦の次元と、人間同士の関係という横の次元がある[455]。復帰は、信心や行いではなく、蕩減(とうげん。償い)によって得られるとされる[496]。人類はメシアが出現できるだけの「基台」を築くように務めなければならない[496]。救済の摂理において、神の責任分担は95%、人類の自己責任分が5%であるとされる[497]。神が求めるのは、人間の罪を償いうるに足る以下のものだが、その正確な量は神によって決められるとされる[496]。摂理の成就は、信者の信仰と働き次第であり、よって完全な献身を求められる[497]。
これは完全に間違った用法であり、キリスト教会の用法とも異なる。その理由について統一教会は何の説明もしていない。
体恤
- 原義
- 己の身を其の人の境遇に置いて察しあわれむ。[498]上位にいる者が下位の者の困難な事情を理解して面倒をみてやり助けてやること[499]。compassion[注釈 8]。韓国語聖書に「憐れみ」の意味で数箇所訳されている[500]。そのため韓国キリスト教会の説教テーマにも用いられる[501]。キリスト教の基本的用語にも関わらず統一教信者は原義を知らない。
- 原理用語
- 概して体験、体得、血肉化というような意味に理解され、内部教材にはexperience(体験),incarnation(受肉)と記載されている[502]。
これは完全に間違った用法であり、キリスト教会の用法とも異なる。その理由について統一教会は何の説明もしていない。
作家・萩原遼は著書「淫教のメシヤ・文鮮明伝」[503]で「血分け教(イスラエル修道院、統一教会)では『血肉化する』という意味に用いている」として「血分け」と結びつけている。
受肉
- 原義
- 神が人の形をとって現れること。キリスト教では、神の子キリストがイエスという人間性をとって、この地上に生まれたこと。托身。化身。Incarnation。キリスト教の基本的用語にも関わらず統一教信者は原義を知らない。
- 原理用語
- 内部教材には体恤と同義語として記載され、体得、血肉化というような解釈をしている[502]。
これは完全に間違った用法であり、キリスト教会の用法とも異なる。その理由について統一教会は何の説明もしていない。
日本「エバ」論
日本のセミナー等で、『原理講論』で説かれる堕落の経緯と復帰の歴史を説明される際に、韓国は「アダム国家」、日本は「エバ国家」とされ、先に堕落したエバがアダムに侍ることは当然であると説かれている[497]。
朝鮮を植民地支配し民族の尊厳を踏みにじった日本はエバと同じであり、韓国に贖罪しなければならないとされているのである[504]。合同結婚式では、日本人女性・韓国人男性のカップルが多く生み出されており、結婚した日本人女性は韓国人の夫や家族に尽くすことが求められる[504]。サタンと姦淫したエバである日本とアダムとされる韓国という構図で規定される[505][506]。
信徒の実数
1963年時点のCIAの内部文書では、「KCIA(長官)の金鍾泌はKCIAの長官として統一教会を組織化し、2万7000人の信者がいる同教会を政治的なツールとして使っていた」とされる等、間接的な関係者、団体を利用したスパイ活動・政治的工作を行なっていると記している[508]。
2008年時点で統一教会は世界の200近い国で活動しており、日本と韓国を中心に「300万人」といわれるが、研究者たちは、公式登録が確認可能な会員はアメリカの数千人の信者を含め、数万人程度と指摘されている[509]。
『朝日新聞』と『文藝春秋』を中心にマスメディアによる批判報道や度重なる多額の献金要求の影響もあって、信者数は減少したといわれる。ジャーナリストの米本和宏は、1992年以降の激しい批判報道やその後の「貨幣復帰」疲れ(献金疲れ)で退会した信者は相当に多く、累計の入会数56万人に対し、2009年時点で活動している信者は推定6万人、残り50万人は退会したか退会同然の状態であると述べている[510]。
2022年8月18日、日本の統一教会批判報道で存続の危機に瀕しているために、ソウル市光化門周辺でシュプレヒコール抗議に集まったのは僅か約3000人のみで、中心となっていたのは合同結婚式で韓国に嫁いできた日本人女性であった。そもそも、韓国人が脱会するのも簡単で「去るもの追わず」となっているが、搾取対象である日本人信者には、家族が命がけで奪還するようがあった[511]。
批判
多額の献金要求
日本統一教会は「先祖の罪業を辿って償わないと不幸になる」という論理を教義の一つとしており、人値の先祖辺り70万円以上の定額寄付を促される。最終的に信者の財産を絞りつくす為にも、定額寄付は信者の資産ごとにコミットメントされ、場合によって縄文時代にまで家系図を遡るように作成され恐怖を植え付けさせ続ける[26]。統一協会の教義の確信は「堕落論」にあり、この教義を利用して霊感商法を行っている[73]。この教義の中の「万物復帰」という教えは、「全ての万物は神に捧げなければならない」という統一教会の集金システムであり、最終的に信者の全財産を捧げさせる為の物である[26][133]。
1988年5月、献金名目で土地や建物を安く売却させたとして、都内の無職女性(67)と千葉県の会社員(37)が教団に対し、約7500万円の損害賠償請求訴訟を東京地裁に起こしている。訴状によると、無職女性の土地やアパートを9400万円で売却させ、うち5400万円を献金させた。会社員は、高額な多宝塔や羽毛布団などを買わされたとしている[512]。
1992年4月、男性(58)ら一家4人が、「詐欺的な説得で多額の資金を提供させられた」として、約19億3000万円の損害賠償請求訴訟を東京地裁に起こした。訴状によると、教団関係者が男性の農地を担保に借金をさせ、16億4000万円を教団に貸金名目で提供させたとしている[513]。
1996年6月、関東地方在住の女性(67)ら3人が、教団に13億2800万円の損害賠償請求訴訟を起こした。訴状によれば、1989年5月から12月にかけて、土地を担保にノンバンクに借金をさせ、約13億を献金させた[514]。
1998年頃、統一教会の元信者の男性が教団に対し、19億円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に提起した。男性は栃木県の資産家の家に生まれたが、大学在学中に入信、以後、多額の献金を求められ、1986年から1991年までに総額32億を寄付し、先祖代々の土地の大半を失ってしまった。教団は当初争う構えを見せたが、最終的に19億の支払いを認める形で和解した。弁護団は判決回避のためとみている[515]。
朝日放送の取材に答えた大阪府在住の元信者は、三男の自殺による精神的ショックから入信に至り、1993年から2006年の13年のあいだに、三男の生命保険金など3000万円近い金額を教団に献金したと語った[516]。
2005年から2010年にかけて、警察による霊感商法の摘発が相次いだことから、不特定多数を狙った霊感商法は下火になり、集金方法は「狭く、深く」少数の信者から大金を搾取するようになっているという[340]。
2006年10月3日、「家計が途絶える」と脅すなどの教団信者による違法な勧誘の結果、多額の献金をさせられたとして足立区の資産家女性(68)が教団と信者4人を訴えていた裁判で、東京地裁は教団の使用者責任を認めた上で、約2億8900万円の支払いを命じた[517]。
2008年4月10日、「先祖が地獄で苦しんでる」などと信者に脅され、約2億2000万円を献金させられたとして教団に損害賠償請求訴訟を起こしていた千葉県の女性(70)に対し、教団側は2億3000万円を支払う示談に応じた。教団は「教団は関与せず信者間の和解である」とした[518]。
2012年7月3日、元信者の女性(37)が、教団と国に対し、約4300万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に提起した。教団に対しては、不安を煽られ、献金や「献身」と呼ばれる労働行為を強いられたこと、国に対しては是正措置を講じる義務があったのに放置した責任があったとした[519]。
2014年3月24日、元信者ら40人が、違法な布教活動で献金や宝石購入を強いられたとして、教団に合計1億990万円の損害賠償を求めていた裁判で、札幌地裁は、元信者3人の請求を一部認める形で、合計3850万円の支払いを命じた。判決では布教活動を「経済的利益を獲得する目的」とし「信教の自由を侵害する行為」と認定した[520]。
2016年6月28日、東京高裁は、教団の指示で元妻が多額の献金をしていたとして、60代男性に対して3428万円の損害賠償の支払いを教団に命じた裁判の控訴審で、組織的な関与を認めた上で賠償金を3789万円に増額した。教団は献金は信者の自由意志によるものと主張したが、裁判では、献金をしないと不幸になるとして、夫の預金を献金するように指示したと認定された[521]。
2020年2月28日、東京地裁は、教団に対し、違法な勧誘で多額の献金をさせられたとして520万円の損害賠償請求訴訟を提起していた60代の元信者女性に対しての、470万円の損害賠償支払いを命じた[522]。
2022年7月、教団による被害の救済に取り組む「全国霊感商法対策弁護士連絡会」は、毎日新聞の取材に対し、献金の違法性を認定し、返金を命じる民事裁判の判決が近年も相次いでおり、教団は現在でも信者に献金や奉仕を強要している、と強調した[523]。
原理研問題
統一教会系の学生組織『原理研究会』は、1960年代以降社会問題になり、複数の事件・訴訟が発生。原理研に加入した学生は学業を放棄して活動に熱中し、帰宅せず教団関連施設に泊まり続けるようになった。さらには親に「金を出さなければ親子の縁を切る」「遺産の前渡しだ」などと寄付金を要求し、要求が受け入れられないと断食をしたり、「サタン」と親を罵ったり、「殉教する」と自殺をほのめかしたりと、異常な言動をするようになり、「家庭破壊」の被害が続出した。原理研の活動は、路上での布教や募金活動を不眠不休で行うなどの重労働で、過労で入院する学生も多かったという。原理研の運動が盛んだった早稲田大学では、大学側は学生に対し学業に復帰するように要請するも、布教に専念するために退学に至る学生も現れた[118][524][525]。
学生の中には精神異常に陥る者も少なくなかったとされ、1969年に教団に入信した宮城学院女子大学の学生は、両親を「汚れている、サタンだ」と罵る様になり、そのうち幻聴、幻覚と見られる症状が見られるようになった。彼女はたびたび錯乱状態に陥り両親はそのたびに精神科に入院させた。彼女のグループの同世代の女性信者には入水自殺するものもいたという。原理研による家庭崩壊の被害に遭った親らは、「原理運動対策全国父母の会」を結成、渋谷にある統一教会本部前で「わが子を家庭、学校に返せ」などのプラカードを掲げてデモ行進を行った。当時の父母の会が、日本弁護士連合会人権擁護委員会に提出した調査統計によると、全国119名の調査対象者のうち、行方不明は32人、死亡者は3人、精神異常は49人、家出状態は90人に達していた。この統計は調査表に回答した分のみであり、父母の会が把握している被害者はさらに多いとされた[526][527]。
このような異常状態に陥る学生が多発していた背景には、修練会での激しい教義の叩き込みがあった。1975年2月に『東京新聞』に掲載された元信者(25)の手記には、教団の教典『原理講論』の堕落論を説かれた時に、体に衝撃波が走り、講師の声が天の声のように降り注いだかのような感覚に襲われたと記されている。彼女が誘った知人は錯乱状態に陥り、大声を張り上げ、裸足で修練場から走り出した[526]。
教団の修練会では、数週間にわたって拘束され、人間は罪の塊であると叩き込まれ、罪の意識を植え付けるように徹底される。このために講師が熱弁を振るい、断食をさせた上で、深夜まで祈祷もさせる。その上で救いの手段として、再臨のメシアに清められた神の子にならなければならない、神の子同士が結婚をして、神の子を産み、理想の社会を作らなければならない、と教え込む。人間を恐怖で限界まで追い込み、各種の手法で脳機能を低下させた上で、特定の暗示を植え付ける修練会での手法は「洗脳」の典型とされる[526]。
原理研究会は国会でも問題視され、1977年2月7日の衆議院決算委員会で石橋政嗣が、当時の総理大臣であった自民党福田赳夫に対し、「原理運動被害者父母の会」が内容証明で請願書を送付したことに触れている[528]。
入信者のほとんどは、かつて親に心配をかけたことのない純真な若者たちばかりであるが、入信してからは強烈な教義をたたき込まれ、学業、職場を放棄して家出し、集団をつくり、戸別訪問での押し売り、街頭での強要、募金活動、見知らぬ異性との集団結婚、海外渡航等を実行し、悲嘆に暮れて説得を繰り返す親兄弟を悪魔と呼ぶ始末である。そして、その中の多くの若者は身体衰弱、精神錯乱、自殺、行方不明となり、先般はアメリカで殺害されるという事件も発生しているというのである。ところで、この運動は、韓国人文鮮明なる者を教祖とするもので、キリスト教を原理教義としているが、あらゆるキリスト教団は、この教義はキリストを侮辱し、ねじ曲げた驚くべきものと非難しているのである — 1977年2月7日の衆議院決算委員会での答弁より[528]
原理研究会に関連する事件・事故
1967年12月には、教団信者2人が大分県内の滝壺で溺死、原理運動の修練活動中だったと見られる[529]。
1968年9月、「原理運動対策全国父母の会」は教団会長の久保木修己を刑事告訴した。告訴状によると、神奈川県厚木市に総工費7億円で「修練所」を建設すると称し、学生の親から寄付金を募ったが、募金終了後1年以上たっても着工せず、経理報告もしなかったため、寄付金詐欺であるとした[530]。
1970年8月、原理研の修練会に参加していた学生が、全身打撲による衰弱で死亡した。原理研の幹部らが不法に監禁し医師にも診察させなかったことが原因として、関係者7人が書類送検されている[531]。
1975年2月、中央大学4年の男子学生が福島駅で行き倒れ状態で発見され、精神に異常がみられたことから両親は精神科に入院させるに至った。この学生は1974年5月に教団に入信したとみられ、両親に朝鮮人参茶を買わせるなどの経済活動を行っていた[526]。
1975年3月、秋田県内の海岸で上智大学4年の男子学生(22)が溺死体で発見された。この学生は前年の12月に教団の修練会に参加後、発狂したとみられ、早稲田大学付近の路上を錯乱状態で徘徊していたところを警視庁戸塚警察署によって保護されていた。両親は男子学生を仙台市内の精神病院に入院させたが、「自分を置いて帰るのなら死ぬ」と訴えたため秋田の実家に帰らせたが、その後突然失踪し、約50日後に遺体で発見された[526]。
1976年には、フランスの「原理運動」パリ本部で手製の爆弾が爆発、教団関係者2人が重傷を負った。原理運動はフランス国内でも社会問題化しており、「子供を取り戻す会」が全国で3つもつくられていた[532]。
1976年9月ごろ、米国の移民局は、「原理運動」に関与する統一教会の信者約700人を不法滞在者として国外追放する手続きを指示した。これらの信者の多くは、日本人と韓国人で、連邦判事が「宣教師見習」としての資格を認めないと裁定していた[533]。
1977年2月、原理運動に反対する「原理被害者更生会」の顧問が男女2人に鉄パイプで襲撃される事件が発生。顧問は統一教会に一時入信した経験から、原理運動の被害者を社会復帰させる活動をしており、これまで約100人を更生させたと話していた。教団側は関与を否定[534]。
1977年4月、渋谷署は統一教会保安係の男(31)を傷害、暴行の疑いで逮捕した。男は、教団に入信した長男、長女と面会に来た「原理運動対策全国父母の会」のメンバーに対し、「不法侵入で110番するぞ。帰れ、帰れ」と恫喝し、二人を手をつかんで押し出し、壁に体を押し付けるなどの暴行を加えた。また、別の日に教団責任者に面会を求めてきた「父母の会」のメンバーにも暴行、全治5日のけがをさせた[535]。
1978年6月、青山学院大学で、原理研究会と対立する「反原理共闘」のメンバーら合わせて約20人で乱闘騒ぎが発生。1人が全治5日のけが[536]。
1982年11月、東京大学駒場北寮で、反原理運動サークル「文理研」の寮生3人がいる部屋に、約10人の男が乱入し殴る蹴るの暴行を加えた。駆けつけた警察官に対して、一部学生らがスクラムを組んで立ち入りを拒んだために、機動隊が出動し4人が公務執行妨害で逮捕された[537]。
1983年には、徳島県で原理研に加入した娘を家に連れ帰った親を相手取って、原理研側が人身保護請求訴訟を提起した。徳島地裁は「娘の幸福を願った親の愛情に基づく正当な親権の行使」として請求を棄却している[538]。
1988年12月、「原理研究会」の指示に従って就職した元信者が、理由もなく給料を天引きされ、1日あたり1100円の賃金しか支給されず、毎日15時間から21時間にわたる長時間労働も強いられ「タコ部屋同様の生活を強いられた」として、元勤務先の「セイロジャパン」に対して未払いの賃金や慰謝料を求める訴訟を東京地裁に提起した[539]。
現在の日本の各大学の動き
現在でも多くの大学は「原理研究会」への注意喚起を公式に発信している。特に、上智大学、青山学院大学、同志社大学、明治学院大学等のミッション系大学は、教団を名指しで批判している。
上智大学は「キリスト教の名を語って人を惑わす新興宗教」として、「巧妙な手段を使ってキリスト教の学校や諸機関にまぎれこみ、騙された人を引きずりこんで、あちこちに被害が出ています」としており、青山学院大学は「サークルのふりをした危険な宗教団体」として、一般的なキリスト教の教えと大きな隔たりがあると、警告を発している。同志社大学も、教団を「破壊的カルト」として、「不安や恐怖をあおり、日本や世界が滅びるなどと脅かし、お金をたくさん取る団体」と厳しく批判し、明治学院大学も「多くの被害者を出してきた宗教団体」として、教団への注意を呼びかけている[540][541][542][543]。
散弾空気銃問題
1968年秋頃から、原理運動の関係者の間で、韓国製の散弾空気銃が出回っていることが判明し、問題となった。この銃は全国の原理運動関係者に市販され、1969年2月1日までに793丁の所持申請が警察に出された。63丁は年齢などの問題で受理されなかったが、446丁は猟銃扱いで許可された。この空気銃は通常よりも威力が高く、散弾銃に近い性能をもっていることから、禁止の方向で検討が始められた[544]。
合同結婚式で嫁いだ日本人妻問題
教団の合同結婚式で韓国に嫁いだ日本人妻の境遇も問題になっている。韓国の統一教会は嫁不足に悩む農村の結婚相談所のような役割を果たしており、韓国の貧しい農村に嫁いでいくことになった日本人の女性信者も多くいた。教団は韓国でも白眼視されており、また韓国の農村では日本人はほとんどおらず、日本人妻は現地コミュニティ内で孤立することとなった。現在でも多くの日本人妻が貧しい農村で暮らしているという[545][546]。
ジャーナリストの阿部光利が出会った日本人妻は公務員の家庭に生まれ、短大を出て不自由のない生活を送っていたが、友人からの勧誘を受け統一教会に入信。合同結婚式で韓国の農家の次男と結婚した。韓国に移住して夫の実家で暮らすこととなったが、部屋もなく、女性は豚小屋で寝起きすることとなった。夫は無学で韓国語以外話せず、夫婦の会話はなく、一家団欒の時間もなく、ただ労働力として扱われた。夫は結婚相手を見つけるために入信し合同結婚式を利用したに過ぎなかった。女性はパスポートも取り上げられており、現金もなく現地の土地勘もないため逃げ出すこともできないという。阿部は帰国後、この女性の消息を辿ったが行方不明だという。また、アフリカ大陸の発展途上国に嫁いでいった日本人妻も多くいるという[547]。
なお、合同結婚式に参加後、家族と連絡が取れなくなり「行方不明」になった日本人妻が6500人いるとされる[548]。
2世信者問題
両親が教団の信者である「2世信者」も深刻な社会問題になっている。幼少期から信仰を強要される、教義に従う生き方を強制される心理的虐待を受けてきた、献金のために貧困に苦しんだ、との証言が多数報告されている。自分も「元2世信者」であると語る20代の女性は、日本テレビの取材に答え、「2世信者」の苦しみを語った。女性は幼い頃から親に従い信仰をしてきたが、徐々に違和感を感じたという。小学生の時に、教祖・文鮮明の血が入っているとされる赤ワインを飲まされると「まずくて、気持ち悪かった」と感じたといい。中学生くらいから、信仰を拒否するようになった。親は給料の大半を教団への献金に費やしてきたといい。狭いアパートで高価な統一教会の「聖本」や「壺」に囲まれて生活をしていたという[549][550][551]。
別の「2世信者」女性は『週刊文春』の取材に答え、「絶対に異性を好きになってはいけない」と恋愛を厳しく制限されていたことを明かした。恋愛に興味を持たないように、本や漫画、テレビ番組も厳しく制限された。20代になって恋人ができ、そのことを親に打ち明けると「お前はサタンだろう!」と相手を脅迫しにいき、破局に至った。女性の弟は「合同結婚式」に頼らず、自分で相手を見つけて結婚したが、弟がそのことを打ち明けると、親が「殺しに行く」と言ったため、警察沙汰になった。弟は親と絶縁したという[552]。
「合同結婚式」で出会った両親の元に生まれた別の30代女性は、毎日新聞の取材に対し、両親は布教活動などに熱心で家を留守にすることが多く、夕食は一人で食べることがほとんどだったと語る。両親は給料の大半を教団への献金に費やしてきたため、生活は貧しく、小石や虫が混じる「くず米」を食べていたという。やはり家には壺や印鑑、多宝塔が置かれ、文鮮明の写真が飾られていた[553]。
小学館『週刊ポスト』の取材に答えた別の20代後半の「2世信者」女性も、幼少期から貧困に悩まされてきたという。小遣いは1円ももらえず、親戚からもらったお年玉も献金のため没収された。服もボロボロで、集団登校では『くさいから来るな』といじめにも遭った。高校生ではじめたコンビニのアルバイトで稼いだお金も、全額両親に渡していたという[554]。
40代の「2世信者」女性は「親孝行になるんだ」と親に従い高校生のころに入信した。21歳の時に「合同結婚式」に参加、結婚前に一度も会ったこともない当時19歳の韓国人と結婚した。夫は無職で気に入らないことがあると度々暴力を振るった。しかし、教団に相談すると「あなたの信仰が足りない」と言われただけだった。男性とは離婚に至り、教団が紹介した別の男性と再婚したが、男性は女性のクレジットカードを使い込み、女性は自己破産に至った[555]。
2022年8月23日、立憲民主党は国会内で元信者からヒアリングを行った。夫と子供と共に出席した「元2世信者」女性は、両親が高額な献金をしたために家庭環境は貧しくそれが原因でいじめを受けたこともあり、高校生の頃からアルバイトをしていたが200万円あまりの給与はすべて献金のために両親に没収されたと証言した。両親は現在も熱心な信者で、父は教会長を務めていたことがあり、母は婦人部長などを請け負い政治の面でも選挙活動の手伝いやウグイス嬢をしたりしていたという。また女性は結婚前に参加が義務付けられている修練会において公職者からセクハラを受け、韓国にある教団施設では精神が崩壊した信者を数多く目の当たりにするなどし、2016年頃に脱会した[556]。
高知県の農家男性は息子が小学1年だった当時に妻が勧誘を受け旧統一教会に入信。以後妻は教団への多額の献金を繰り返し家庭内不和が生じた。長男は中学1年生で不登校になったが、妻は「田んぼに悪霊がいるから、子供がおかしくなっている」として土地売却を求め、売却で得た1000万円を手にした直後、家族を置いて韓国に渡航した。夫婦は離婚に至ったが子供は妻のもとに留まることになった。その後、元妻との同居を続けていた息子は36歳で焼身自殺に至った。2022年10月、男性は野党の合同ヒアリングに参加し「旧統一教会をなくしてほしい」と涙ながらに訴えた。男性が教団側に繰り返し面会を求めても一切連絡がないという[557][558]。
養子縁組問題
旧統一教会では信者同士の養子縁組が行われており、無許可での斡旋を禁じた法令に違反する可能性があるという指摘がされている。これを受けて、厚生労働省と東京都は、2022年11月22日、教団の本部に質問書を送付した。旧統一教会では子どもが複数いる信者から子どもがいない信者への養子縁組が推奨され、教団によれば、1981年以降で745人の養子縁組が行われたとされる[559]。
規制論
教団が長期にわたって深刻な社会問題を引き起こしてきたことから、教団に対する規制を求める声も根強い。弁護士の紀藤正樹は「旧統一教会は、本人の財産状況を確認して、ギリギリまでお金を出させる手法で、過去30年余りで1230億円以上の被害が確認されている。行政側は、宗教団体による霊感商法には、信教の自由などからタッチできないという認識があり、問題の根深さにつながっている」とした上で、オウム真理教事件を契機に欧米でカルト対策が進んだ一方、日本では手付かずである現状を指摘した[560]。
国民民主党の玉木雄一郎は、「今問われているのは政治とカルトの問題だ。宗教をまといながら、反社会的な行動を行うことはあってならない。場合によっては法整備も必要だ」として、フランスなど他国の法規制を参考にし、法整備も含めた対策を検討するとして、党内に調査会を設ける方針を明らかにした[561]。また2022年8月21日の記者会見で、一般の宗教法人と反社会的な団体を区別するための法案提出を検討していることを明らかにした。「反社会的行為を、政治のみならず社会が排除できる仕組みを整えたい」と述べ、秋の臨時国会を視野に策定を進めると同時に「わが党としては、旧統一教会と決別することを徹底したい」と強調した[562]。
社会心理学者の西田公昭は、「海外では特定の団体をカルトと認定し、その思想を子どもに教えること自体を違法とする国もある」として、教団に対する規制を国が実行する必要性を説いているほか、「宗教」と「カルト団体」と一緒にしてはいけないとして、旧統一教会と他宗教団体を同等に扱うことに否定的な見解を示した[563][564]。
教団による選挙妨害を経験した元足利市長の大豆生田実は、「消費者問題にとどめるのではなく、統一教会が大手を振って活動できる土壌を整えてしまっている日本の政治環境や法制度の問題に切り込むべき」として、課税の強化などを含む宗教法人法の改正を主張しているほか[565]、宗教学者の島薗進は、旧統一教会が多くの被害者を生んできたとして、反社会的な問題を繰り返し起こす団体の宗教法人認証取り消しを可能とする宗教法人法の改正を検討すべきとの見解を示した[566]。
法学者の(中島宏)は、フランスの反セクト法に触れ、制定をめぐって信教の自由を侵害するとの懸念が示されたことから、違法行為に着目して規制するようになったことを指摘した。その上で、「日本が学ぶべきは、法規制とあわせたセクトを巡る情報提供や注意喚起、未成年者保護、宗教が絡む問題に対処するための公務員研修などだ」との見解を示した[566]。
一方で、弁護士・タレントの橋下徹は、日本テレビ系の『ミヤネ屋』で「反カルト法のような法律を導入すべき」と主張した共演者の紀藤正樹に対し、「教義内容や内心に踏み込むのは危険」と否定的な見解を示している。すると、紀藤は「70年から80年代で欧米で議論されていた、40年前の議論を蒸し返している」と反論、さらに「基本的には信教の自由には立ち入らない。諸外国の常識で、カルト規制法もそう。そしてカルト規制法は団体規制なので、宗教団体に限らない」と橋下の見解を否定した[567]。
被害者救済のための法整備
2022年10月21日以降、自民党、公明党の与党と、立憲民主党、日本維新の会らの野党は旧統一教会の被害者救済のための法整備に向けた協議を始めたが、マインド・コントロール下での献金要求への規制等を巡り、意見の対立が生じた[568]。11月18日の与野党幹事長会談で示された政府資料では、宗教団体などが寄付を求める際に、「霊感」などを用いて不安を煽ったり、不利益を避けるために「寄付が必要不可欠」などと告知した場合、最長10年後まで取り消しを可能にする案が出された。しかし、この案では、マインド・コントロールを受けた信者が、自発的に寄付を続け、破産や家庭崩壊に追い込まれる事例を防ぐことができないとの指摘がなされており[569]、21日、全国霊感商法対策弁護士連絡会は声明を発表、法人に限らず関連団体なども規制対象に含め、「困惑」だけでなく「正常な判断ができない状態に乗じた」と修正する必要があると指摘した。また、消費者契約法の改正案には、献金受領時の記録作成・開示を義務づける規定を求めた[570]。23日には、元2世信者らが東京都内で記者会見し、「被害実態と乖離しており、このままでは被害者ではなく統一教会が救済されるだけだ」として、マインド・コントロール下での献金の規制を求めた。また「われわれの親の被害額は数千万や億単位なのに、月数万円程度しか請求できない」として、家族らが献金を取り消す権利の拡充を含む修正も同時に求めた[571]。
同年12月10日、霊感商法による不当な寄付勧誘行為などに加え、借金や住居、生活に不可欠な資産を処分して資金を調達するよう求めることを禁止する内容の被害者救済法が、参議院本会議にて与党や立憲民主党、日本維新の会、国民民主党の賛成多数で可決、成立した[572]。
勧誘活動批判
統一教会の勧誘の手法は厳しい批判の対象となっている。
信教の自由
統一教会の活動は「信教の自由」の観点から問題視されている。教団の「正体を隠して」の勧誘活動は「個人が信教を自主的に選択する自由意思」を侵害しているとされており、札幌地裁に提訴された「青春を返せ訴訟」や、2005年の新潟地方裁判所での判決など、教団による元信者への信教の自由の侵害を認める判例がある[56][573][574]。
教義・教説
宗教社会学者の櫻井義秀は、ルシファーとエバが「不倫なる霊的性関係」を結んだという聖書における根拠はないと指摘している[453]。アダムとエバが楽園追放前に性的関係を結んだという聖書の根拠はなく、『旧約聖書』「創世記」四章一節では、実際に二人が夫婦になったのは楽園の外であることが明言されている[575]。また、霊的堕落・肉的堕落が不倫の性関係であるという根拠は聖書にはない[575]。
現在の聖書学では、旧約の諸文書には原罪の観念はないと理解されている[576]。櫻井は、統一原理では、「仮説を公理として議論を進めていって、議論に必要な概念(二性性相、四位基台、肉身と霊人など)もまた直感・霊感的に想定可能な準公理として用いながら、すべての議論を展開していく」と述べている[577]。
カトリック神学者のネメシェギ・ペトロは、『原理講論』を対象とした論文において、この書において哲学、自然科学、歴史、聖書解釈学、神学等においての主張は、完全に確信のあるものとして羅列されているが、その裏付けは非常に弱いか全くないと述べている[291]。文鮮明の理性は鋭く、思弁を好んで入るが、思惟方法は全く独特で、教育を受けているが狭い分野に限られており、独学者であることは明白であるという[291]。文鮮明の思考の特徴は、ミシェル・フーコーが前近代的な思考方法の特徴として明らかにした類似に基づく考え方(呪術的思考の一種)であり、『原理講論』の歴史神学の論証の多くはこのタイプであり、この思考方法は近代以後の思想界では通用しないと述べている[291]。
ネメシェギは、人間は皆悪魔の血を引いているとされるが、統一教会の楽園追放の話においても、人類はサタン(ルシファー)とエバの子孫ではなく、アダムとエバの子孫とされており、そうであるなら、統一教会の原罪を遺伝的にとらえる考え方と統一教会の楽園追放の話は合致しないと述べている[291]。
イエスの死が、罪深い人類を正当な理由で虜にしていた悪魔に支払われた身代金のようなものであったという説は、古代に幾人かの教父が唱えていたが、これには聖書的な根拠はなく、キリスト教神学では中世には捨てられている[291]。また、人類の歴史を神とサタンに分け、人々を恣意的(この分別の基準は、良識や常識の判断と必ずしも一致しないとされる)に神の側、悪魔の側に分けることは、狂信的で極めて危険であると指摘している[291]。ある宗教が天の側により近い宗教の邪魔をする場合、それはサタンに属するとされ、『原理講論』の倫理観では、それを滅ぼすためにはあらゆる行動が許され、善とされることになる[291]。
また、ネメシェギは次のことを指摘している。『原理講論』では、旧約聖書に書かれた様々な出来ごとを文字通りに受け取り、その年代も書かれたとおりであるとする根本主義的な聖書解釈(現代聖書学の立場では支持されない)と、聖書の表現を字義通りにではなく象徴的に解釈する象徴的聖書解釈が混在している[291]。
ネメシェギは、歴史学から否定されていることを事実とする一方、他のことを単なる象徴としているが、どちらの解釈を用いるかの判断基準はなく、文鮮明の独断にしか思われない[291]。
科学と宗教とを混合するような考え方は、現代のキリスト教哲学の認識論ではすでに排除されているが、『原理講論』には認識論が全くない[291]。世界の終末を計算するための歴史観は、非神学的、非学問的であり、その歴史観には驚くほど空白が多く、ギリシア・シリア・ロシア等の東方、ラテン系、アジア・アフリカ系諸民族は全く無視されている[291]。
神に二性性相があるとし、それを性的にとらえることは極めて危険であり、このような神理解から、統一教会の思想で性が過度に大きな位置を占め、結婚が絶対視されているのであろうと述べている[291]。独身性・童貞性に対する評価が全くないという点でも、世界三大宗教のどれとも区別される[291]。神の永遠の幸せがこの世なしにはあり得ず、初めてこの世から得られるという考え方は、キリスト教的な神信仰ではなく、神を進化するもののように考える汎神論の系統のものであるという[291]。
諸問題との関連
宗教学者島薗進は新宗教における「隔離型教団」の代表的な例としてオウム真理教、エホバの証人、幸福会ヤマギシ会と共に統一教会をあげている[578]。
櫻井義秀は、万物復帰の教えが教団の資金調達と密接に関連することを指摘している[449]。
「霊的な子ども」を生み出すことと考えられていた「勧誘活動」と共に、「資金調達」はサタンの領域から神の領域への合法的な金銭の移動と考えられ重視された[579]。勧誘活動と資金調達は、共に非常に儀式的な活動であり、たとえその活動で敵意にさらされようと、愛を与え、多くの人に復帰に関わる機会を与える活動と考えられていた[579]。多くの信者は、寄付した人がその行為の霊的意義を認識しているか否かに関わらず、神の領域へ資金を移動することで利益を得ると信じている[579]。宗教学者の(ダグラス・E・コーワン)、宗教社会学者の(デイヴィッド・G・ブロムリー) は、これが一部の資金調達チームの「聖なる詐欺」の実践、寄付の見込みのある人からさらにお金をだまし取ることに結びついたと述べている[579]。
合同結婚式も統一教会がカルト視される一因となっている。教団内婚制で世代が再生産されるため、ピークを越えたとはいえ教団の持続力は強い。教団内婚制も、カルト視されたりマインド・コントロール疑惑が持ち上がる一因になっている[37]。
日本では1992年には、歌手で女優の桜田淳子(当時34歳)、元新体操選手の山崎浩子(やまさきひろこ、当時32歳)、元バドミントンの世界チャンピオンの徳田敦子(当時36歳)ら有名人が韓国ソウルのオリンピック・スタジアムで行われる「3万組国際合同祝福結婚式」(前年までに12回行われ、計2万組の夫婦が誕生していたとされる)に参加することが公になり、マスコミでスクープとして飛びつき、過熱気味な報道が繰り広げられた[580]。次第に霊感商法被害や、見知らぬ異性同士が教祖のマッチングで結婚するのは不気味だと、激しいバッシングに変わった[581]。
1993年には前年の合同結婚式に参加した山崎が突如行方不明になり、統一教会側は拉致監禁であると記者発表してデモ行進を行った[581]。1か月後、週刊文春の独占で山崎の動静が伝えられ、その後山崎はテレビで婚約破棄と脱会宣言した[581]。1990年代以降、元信者が結婚無効を求める裁判も相次いでいる[473]。
「血分け」批判と諸見解
カトリック神学者のネメシェギ・ペトロは、神に陰陽説を当てはめるという考え方から性が過度に大きく扱われているが、性的乱交のような腐敗は今のところ見られないと述べている[291]。櫻井義秀は、統一教会の布教当初、血分けの疑惑が持ち上がったが、それは未確認のまま終わっていることを紹介している[582]。
1955年の梨花女子大事件の時も、「血分け」と称して淫行が行われているのではないかという疑いがもたれたが、文鮮明の容疑は兵役法違反及び不法監禁であり、無罪となっている[583]。
韓国では、統一教会は数ある異端の一つと認識されているが、単に宗教団体というよりある種の財閥と認識されている[584]。日本ほど反社会的宗教団体とは見なされておらず、韓国ではむしろ、日本で「摂理」と呼ばれるキリスト教福音宣教会が教祖による女性信者への性的暴行などで社会問題となっている[583]。
櫻井義秀は、文鮮明が初期の信者たちと「血統転換」をどのようにやったかは伝聞でしかないと述べており、統一教会の血分け疑惑に関して著書でさらなる論考はしていない[582]。そして文鮮明が、北朝鮮の興南牢獄に収監され国連軍の進攻で解放された経験や「血分け」スキャンダル等の迫害を受けたことを受難として、メシアにふさわしい聖痕として教説化したことを指摘している[585]。
ポリテクニック・サウスウェストの哲学科助教授・バーミンガム市のセリーオーク・カレッジ新宗教運動センター理事の(ジョージ・D・クリサイディス)は、統一教会は血分け教、セックス教であるという主張には裏付けがなく、想像の域を出ていないと述べ[586]、次のように解説している。
統一教会の初期には、夜遅くまで講話が行われることがあり、その際は夜間外出禁止令のために信者たちは朝まで帰宅できなかったが[91]、敵対者はこれを不道徳な性的行為、乱交パーティーであると批判し噂が広まった[587]。官憲が1954年に文鮮明と信者四人を逮捕し、罪状には姦通罪も含まれていた[91]。しばらくして徴兵拒否以外のすべての罪状は取り除かれ、徴兵拒否も無罪となり3か月後に釈放された[91][588]。キリスト教主流派や統一教会の批判者は、統一教会は批判者が血分けと呼ぶ性の入会式を行っており、救世主的教祖が女性の新入団者と性行為を行って女性を浄化し、その上で夫と性行為を行い夫の浄化と子孫の浄化を復帰するということを行っていると主張している[589]。
しかし、クリサイディスは、統一教会がこれらを実践しているという情報は、いずれも間接的なものにとどまっており、統一教会と性の儀式を結びつける証言はごくわずかしかないとのべている[586]。統一教会の信者であるユー・ヒョーウォン夫人は、歴史的に統一教会と関係のある聖主教で裸体儀式(楽園で人間が裸体であったことにちなむもので、性儀式ではない)が行われていたため、統一教会もその槍玉に挙げられると述べている。
ヨン・ポクチョンによる、文鮮明がキリスト教主流派から「血分け教」の開祖とも呼ばれる李龍道に出会い傾倒していたという証言は、年代が史実と合致しない[590]。クリサイディスは、ユー夫人の見解の方がヨンの証言より問題が少ないと述べている{"@context":"http:\/\/schema.org","@type":"Article","dateCreated":"2023-05-23T14:13:54+00:00","datePublished":"2023-05-23T14:13:54+00:00","dateModified":"2023-05-23T14:13:54+00:00","headline":"世界平和統一家庭連合","name":"世界平和統一家庭連合","keywords":[],"url":"https:\/\/www.wiki2.ja-jp.nina.az\/統一協会.html","description":"世界平和統一家庭連合 この項目では 安倍晋三銃撃事件の被告人の実名は記述しないでください 記述した場合 削除の方針ケースB 2により緊急削除の対象となります 出典に実名が含まれている場合は その部分を伏字 などに差し替えてください せかいへいわとういつかていれんごう ハングル 세계평화통일가정연합 英 Family Federation for World Peace and Unification FFWPU は 文鮮明によって1954年に韓国で創設された新興宗教 4 5 6 およびその宗教団体 宗教法人 旧名称は世界基督教統一神霊協会 せかいキリストきょうとういつしんれいきょうかい 英 Holy Spirit Associati","copyrightYear":"2023","articleSection":"ウィキペディア","articleBody":"この項目では 安倍晋三銃撃事件の被告人の実名は記述しないでください 記述した場合 削除の方針ケースB 2により緊急削除の対象となります 出典に実名が含まれている場合は その部分を伏字 などに差し替えてください 世界平和統一家庭連合 せかいへいわとういつかていれんごう ハングル 세계평화통일가정연합 英 Family Federation for World Peace and Unificatio","publisher":{ "@id":"#Publisher", "@type":"Organization", "name":"www.wiki2.ja-jp.nina.az", "logo":{ "@type":"ImageObject", "url":"https:\/\/www.wiki2.ja-jp.nina.az\/assets\/logo.svg" },"sameAs":[]}, "sourceOrganization":{"@id":"#Publisher"}, "copyrightHolder":{"@id":"#Publisher"}, "mainEntityOfPage":{"@type":"WebPage","@id":"https:\/\/www.wiki2.ja-jp.nina.az\/統一協会.html","breadcrumb":{"@id":"#Breadcrumb"}}, "author":{"@type":"Person","name":"www.wiki2.ja-jp.nina.az","url":"https:\/\/www.wiki2.ja-jp.nina.az"}, "image":{"@type":"ImageObject","url":"https:\/\/www.wiki2.ja-jp.nina.az\/assets\/images\/wiki\/34.jpg","width":1000,"height":800}}