沿革
第二次世界大戦末期、絶対国防圏の要石とされたサイパンを失い、レイテ戦に失敗し、大本営は1945年(昭和20年)1月20日に本土(北海道、本州、四国、沖縄を除く九州)の維持を作戦目的とした「帝国陸海軍作戦計画大綱」を決定、本土に於ける軍の編制を根本的に改めた。
第16方面軍は同年2月6日に、主に九州方面を作戦地域として編成され、当初は防衛総司令部の指揮下、その後4月8日には新設の第2総軍の指揮下に入り、連合国軍との本土決戦に備えたが、交戦することなしに日本軍の無条件降伏となった。
なお、第16方面軍司令官は西部軍管区司令官を兼ね、軍管区司令官としては天皇に直隷した。また、参謀長、参謀副長も、西部軍管区のそれを兼ねた。
基本情報
- 通称号:睦
- 編成時期:1945年(昭和20年)2月1日
- 最終位置:福岡県二日市
- 最終上級部隊:第2総軍
第16方面軍の人事
司令官
参謀長
参謀副長
- 福島久作大佐(陸士32期):1945年(昭和20年)2月1日 - 6月1日
- (友森清晴)大佐(陸士34期):1945年(昭和20年)6月1日 -
終戦時
終戦時の隷下部隊
脚注
- ^ 「第158号 昭和20年7月16日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120963000