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競馬の競走格付け

競馬 > 競馬の競走格付け

競馬の競走格付け(けいばのきょうそうかくつけ)では競馬競走格付け制度について述べる。

概要

2022年現在、世界中の国々で競馬の競走が行われている。

その中でも、例えば凱旋門賞ブリーダーズカップ・クラシックの2つのレースがある。双方とも世界の競馬における最高峰レースではあるが、凱旋門賞はフランスで行われる()レース、ブリーダーズカップ・クラシックはアメリカで行われるダートレースと開催国・施行条件共に全く異なるレースである。果たしてどちらがより価値が高いのか、これにある程度の回答を与えるのが本稿で解説するグレード制・グループ制である。

グレード制・グループ制ともに各国で行われている競馬の競走に最も格の高いG1(グレードI・グループ1)・次いでG2(グレードII・グループ2)・その次にG3(グレードIII・グループ3)、それ以下の格付けをして分類する。このG1・G2・G3の間で同じ格の競走は大体同じだけの価値があると見做される。故に、どの国の競走馬であろうともG1の格付けがなされたレースを勝った馬であるといえば、ほかの国でもそれだけの価値があると(ある程度は)保証される。

もっともこれはあくまで理念上の話であり、実際には同じG1であっても各レースごとにその価値は様々であるが、ある程度の目安にはなる。

「重賞」と「格付け」

競馬には様々な競走がある。古い形の競走としては、1回限りで行われるような競走(マッチレースなど)や、競走の都度条件が変わるものがある。一方、競馬の規則や制度が整備されていくにつれて、毎年決まった条件で行われる競走(パターンレース)が増加していく。そうしたパターンレースの日本語訳が「重賞競走(毎年“ねて”施行されることから)」である。もちろん重賞競走が重要な競走であることに疑いの余地はないが、「重賞」には「重要な賞」という意味合いはない

パターンレースは競馬場単位、地域単位、国単位など様々なレベルで体系化されるようになったが、それを体系づけるのに拠っていたのは競走条件(距離や斤量、年齢、性別など)・賞金額・開催時期などであり、これらの条件は基本的には主催者が決める。しかし、パリミュチュエル方式が確立するまでは、賞金の資金源はパトロンやスポンサー、或いは出走を計画している馬主が収めた登録料(ステークス方式)に頼っており、しばしば賞金の額が大きく変動して競走体系が揺らぐ要因になっていた[1][2]

とはいえ、古い時代には、馬の生産、馬の売買から競走に至るまでの競馬の一連の活動は大抵一定の地域に留まっていたので、その地域の中にいる者にとっては、どの競走がどれぐらいの価値を有するのかは容易に知りうる状態にあった[2]

やがて競馬の範囲が拡大し、特にアメリカでの競馬が盛んになってくると、大西洋を越えてヨーロッパとアメリカの間で競走馬の取引が増えるようになってきた。しかし、イギリス人にとってはアメリカ競馬の競走の価値がよくわからないし、逆にアメリカ人にとってはフランス競馬の競走の価値がよくわからない。そのため、こうした海を挟んだ競走馬の取引に支障をきたすようになってきた[2]

そこで、競走馬の取引を円滑に行うために考えだされたのが、グループ制グレード制と呼ばれる格付け制度である[2]

グループ制

グループ制は1970年にヨーロッパで導入された。パターンレースを、上等な方から順に「グループ1」、「グループ2」、「グループ3」に格付けし、残ったパターンレースは「リステッド競走」とされた。これらは頭文字をとって「G1」や「Gr-1」のように表記されるのが通例となった[2]

グループ制の導入までには5年の準備期間があった。1965年に第16代ノーフォーク公爵バーナード・フィッツアラン=ハワードの下に競走のパターンを調査する委員会が発足し、競走体系への勧告を行った。1967年には第7代カーナーヴォン伯爵(ヘンリー・ハーバート)(英語版)が競馬番組委員会(Race Fixtures Committe[注 1])を組織した。委員会は130の競走をパターンレースとしてリスト化した[3]

1970年にイギリス、アイルランド、フランスで「ヨーロピアン・パターン・レース」という格付けが初めて行われた[4]。翌1971年にはイタリアが、1972年にはドイツが参加した[4]

ヨーロッパでは基本的には競走馬の移動は自由に行われるべきと考えられていた。第二次世界大戦後にフランスが自国の競馬を外国馬に開放すると、その傾向は強まった。このため、基本的には競走馬の所属国に関わらず平等な条件で出走できる競走がより高いグループに分類され、出走条件に国籍などの制約[注 2]がある場合には、低いグループにされるか、格を与えられずにリステッド競走とされるかとなる。これらは賞金の額には関わらないので、グループ制における格付けと、賞金の嵩は一致しない[注 3]。このためヨーロッパではハンデ戦はおしなべてグループ制の下では格を付与されていないが、賞金ではグループ1を凌ぐ高額賞金の競走も少なくない[2]

  • 格付けに「グループ(Group)」を用いている主な国
イギリスアイルランドフランスドイツイタリアオーストラリアニュージーランドアラブ首長国連邦アルゼンチンブラジルチリ香港中華人民共和国)、スカンジナビア諸国(ノルウェースウェーデンデンマーク)等多数

グレード制

北米でも、1973年からグレード制と称してヨーロッパと同様の分類が行われた。北米では「グレードI」、「グレードII」、「グレードIII」と称した。これも略称では「GI」や「Gr-I」などの表記となる[2]

アメリカではハンデキャップ競走の人気があり、こうしたハンデ戦にもグレードが付与されているので、グレードI格のハンデキャップ競走の数は多い[2]

カナダは自国の馬産業を保護する目的から、外国産の競走馬の出走制限を行っているため、カナダ国内独自のグレードと、国際的なグレードとの間には齟齬がある。

  • 格付けに「グレード(Grade)」を用いている主な国
アメリカ合衆国カナダ日本南アフリカ共和国のみ(パートI国以外では東欧・カリブ諸国の一部、大韓民国等が域内あるいは自国限定のグレード制を使用している)

リステッド競走

リステッド競走」はパターンレースのうちG1からG3に格付けを得なかった競走の名称である。

日本中央競馬会(JRA)では、2019年より競走体系上および生産の指標としてグレード競走に次ぐ重要な競走であることを明示するため、オープン特別競走の約半数をリステッド競走として格付けするとともに、レース名の後ろに「(L)」(Listedの頭文字)を付すことになった。これにより、これまでのオープン特別競走をリステッド競走と非リステッド競走に区別することでオープン馬の中でも実績のある馬が非リステッド競走に出走する場合、斤量などで不利になるように設定される見込みである。賞金もリステッド競走の方が高く設定される。なお、リステッド競走の格付けはグレード競走の格付けと同様、日本グレード格付け管理委員会において審査・承認が行われる[5]

なお日本ではリステッド競走を重賞に次ぐ競走と扱い、重賞に含まれないが、リステッド競走はパターンレース(重賞)に次ぐ競走ではなく、パターンレースに含まれる。また、リステッド競走に準重賞という誤訳を当てることがあるが、「重賞」を「重要な競走」と解釈するのであれば、G3未満の競走という意味で、G3に準じるという解釈は可能である。しかし、リステッド競走でもG1よりも高額賞金で出走馬のレベルが高い競走もあるため、一律に「G3未満」と解釈するのは不適切である。

グループ制とグレード制の互換性

こうしてヨーロッパとアメリカではそれぞれ独自の競走格付け制度が築かれたが、元々グループ制・グレード制双方とも競走馬の円滑な流通を目的とした格付け制度であり、両者には互換性が認められることになった。これにより、イギリスのグループ1競走(G1)とアメリカのグレードI競走(GI)は、一応同じ価値があるということになった[2]

この制度を利用すると、欧米のみならず、中南米オセアニアアフリカなど世界中の競馬開催地との競走馬の取引が容易になることから、この制度は世界中に普及するようになった[2]

これらの制度は原則的には平地競馬のものだが、障害競走や繋駕速歩競走でも独自に同様の制度が作られた。

イギリスの障害競走では、ノービス(そのシーズン以前に勝ち星を挙げたことの無い競走馬のための競走)のG1も存在する。またアイルランドの障害競走では馬齢重量戦ではG1, G2, G3を、ハンデキャップ戦ではGA, GB, GCと格付けされる。

独自の「グレード制」

国内の競馬や馬産業を保護しようとする国では、外国産の競走馬の出走に制約を課していた。このため、グループ制・グレード制の理念である「平等な条件での自由な出走」が叶わないため、原則として国内の格付けと国際的な格付けには互換性が認められなかった。

たとえば、カナダ、イタリア、ドイツなどの国では、自国内で独自に定めた「グループ・グレード」が国際的には認められず、「国内的にはG1だが、国際的にはG2扱い」というような取り扱いとなった。これらの取り扱いを個々に定めるため、国際間で調整がはかられ、それが国際セリ名簿基準委員会へ発展した。

日本でも、日本中央競馬会(JRA)が1984年に独自に「グレード制」を開始し、JRAの競走を独自にGIからGIIIまで格付けを行った。しかしこれはあくまでもJRA独自の格付けに過ぎず、国際的な「グレード制・グループ制」とは全く互換性のないものだった。ただしJRAの場合、パリミュチュエル方式を完全に導入しており、地方競馬を除く大半の日本国内の競走を所管していたので、競走の施行条件や賞金などの体系と独自のグレード制の間にはしっかりとした相関関係を築くことができた。反面、JRAによる格付けはもっぱら興行的な観点に依存しており、出走馬のレベルや賞金の多寡を正しく反映していないという批判もあった[注 4][6]

格付けの国際協調

国際セリ名簿基準委員会では、それぞれの競馬の実情から、各国(もしくは地域)をいくつかに分類する。「パート1」国は、国内の競馬が原則として外国に開放され、国際セリ名簿基準委員会の定める基準で競走の格付けがされる[2]

2020年現在[7]、パートIの国はアルゼンチン、オーストラリア、ブラジル、カナダ、チリ、フランス、ドイツ、イギリス、アイルランド、日本、ニュージーランド、ペルー、南アフリカ共和国、アラブ首長国連邦、香港(中華人民共和国)、アメリカ合衆国であり、これらの国の各グループ・グレードは国際セリ名簿基準委員会に従ったセリ名簿に記載できる(ブラックタイプ方式参照)。またパートIIの国(地域)のイタリア、大韓民国、スカンジナビア諸国(ノルウェー、デンマーク、スウェーデン)、シンガポール、トルコ、ウルグアイの一部重賞がパートIに掲載されており、これらもパートIの国のグレード・グループと同様にセリ名簿に記載できる。

日本の格付け

日本ははじめは「パートII」国に分類されており、日本国内独自のグレード制は、国際的には用いることができなかった。パートII国であっても、競走ごとに国際セリ名簿基準委員会の審査を経て国際格付けを取得することは可能であり、JRAの競走の中にもこうして国際的な格付けを得られる競走があったが、JRAはこの時点ではほとんどこうした申請を行わなかった。これは主にJRAの興行上の都合によるもので、JRAが日本国内向けに「GI」と称しているものが、国際基準に照らすと「G2」や「G3」(あるいはそれ未満)であるとか、JRAが「GIII」と称しているものがG3未満であるとかいうことになると塩梅が悪いというものである[注 5][注 6]

日本の競馬は2007年に「パートI」国に分類されることになったが、当初は一定の制約があり、日本国内の競走の格付けを行うには、個別に国際セリ名簿基準委員会の審査が必要だった。このため、日本国内で用いたグレードと、国際的なグレードが合致しない例もあり、(コイウタ事件)のような国際的なトラブルも起きている。

このため、国際セリ名簿基準委員会の勧告に従い、JRAはそれまで独自に使用していた「GI、グレードI」という表記を改め、国際セリ名簿基準委員会の認証を得られたものだけに「GI、グレードI」という表記を用い、それ以外のものは従来の「GI、グレードI」から「JpnI」という表記を使うことになった。

認定の方法

国際セリ名簿基準委員会では、「パートI国」「パートII国」のように分類した国・地域ごとに、その中で行われているパターンレースをリストアップする[2]

これらの競走について、毎年の結果を出走した競走馬のレベル等を基に一定の基準で数値化し、一定の年数、高い数値を得られた競走には高いグレードが与えられる。逆に、一定期間、低い数値に留まった場合には格下げが行われる場合もある。このため、どれほど賞金が高い競走でも、新設まもないものには格付けが与えられない。また、前述のように出走条件に制約があるものも高い格を得ることはできない[8]

基本的には「パートI」が認められた国・地域では、そのエリア内で組織された格付け組織がこれらの格付けを行い、国際セリ名簿基準委員会はこれを自動的に承認する。ただし、2007年の日本のように、独自で格付けすることが認められず、格付けには国際セリ名簿基準委員会の認証が必要な場合もあった。

このように、競走の格付けは出走馬のレベルに担保された客観性を有するものだったが、日本でかつてJRAが行った格付けはこうした観点に立っておらず、完全に「自称グレード」にすぎないものであった[8]

その他の格付け

これらの国際共通的な格付とは別個に、各地の競馬主催者が独自で定めた競走の分類・格付けも使われている。

ブラックタイプ方式

グループ制・グレード制の導入の発端は競走馬の円滑な流通を促進することであったが、こうして作られた制度は競走馬を売買する際に、血統や競走成績を記した書面を作成する際に使用される[2]

国際セリ名簿基準委員会International Cataloguing Standard Committee:ICSC)が定めるせり名簿の作成基準では、グレード・グループの明記し、その優勝馬を太ゴシック(JRAの説明では太ゴチック文字)、2着馬と3着馬がゴシック文字(同、ゴチック文字)で記載することができる。これにより、血統書や競走成績書を一目見ただけで、その馬がどのぐらいの優秀さをもっているのかがすぐわかる。この方式をブラックタイプ、またはブラックタイプ方式と言う[2]

こうした方法が考えだされたのは1952年で、アメリカのサラブレッド競り会社のファシグ・ティプトンが競り名簿でステークス競走勝馬を太字で表記したのが始まりである[9]。1960年にはこの方法がケンタッキー州の(キーンランド)でも採用された[9]。こうした方法がアメリカとヨーロッパで広まり、1983年に両者によって国際セリ名簿基準委員会が組織された[9]

ブラックタイプ方式が無い時代では、たとえば競走成績書に「アーカンソーダービー1着」と書いてあっても、その競走がどれぐらいのレベルの競走であるかを知るのは大変である。しかしグレード制・グループ制に基づくブラックタイプ方式では、馬名が太ゴシック体で書かれ、G1と書いてあれば、どこの国の人間でもその競走の価値が一目でわかる[注 7]。理論上は、G3と書いてあれば、それがブラジルであれニューヨークであれニュージーランドであれ、同じ価値を有するものとされている[2]。これが「本当に」実態に合っているかは議論の余地がある。アメリカのジャーナリスト、ジョスリン・ド・モープレイは、この方式は正しい情報を持たない遠隔地の人間に誤った判断をさせる手助けをしていると指摘する。たとえばヨーロッパの調教師は、アメリカ人にはロンシャン競馬場のG2とイタリアのG2の区別がつかないから、より容易に勝てるイタリアへ競走馬を送り込んだり、凱旋門賞も田舎のG1も同じ「G1」であるから、強い馬との対戦を避けてイタリアやドイツに遠征すると指摘している[2]

この方式に従うと、かつての日本国内でどれだけ多くの重賞に勝ち、三冠競走や天皇賞や有馬記念に勝とうとも、アメリカの片田舎のG3戦で2着になった競走馬のほうが「格上」ということになる。とはいえ、各国の競馬の実情を詳しく知ることで、こうした名目上の格付けに頼らずに競走馬の優劣を判断しようとする者もいた[10]

格付制定と導入

格付け制定のきっかけはセリ市におけるセリ名簿の基準作成に由来する。

セリ市では、販売者が売りたい馬をよりよく見せようと様々な努力を重ねる。購入者が事前にセリ市における購買予定馬のチェックの資料とするためのせり名簿があり、せり名簿に対しても売りたい馬をよりよく見せたいという販売者の意向が働くのは当然のことであろう。しかしセリ市では公正な市場を構築する必要があり、その中でもセリ名簿の作成基準が必要となった[2]

そこで国際セリ名簿基準委員会がセリ名簿の作成基準を作ることとなった。セリ名簿はその馬の父や母を含む血統構成やその競走成績を記載する。そこで勝利した競走がどのような競走であるかを格付けする必要が生じたために、この格付け制が用いられることとなった。1971年にはヨーロッパでグループ制が、1973年にはアメリカでグレード制が採用された。このグループ・グレードには互換性がある[2]

国際セリ名簿基準委員会では世界中の平地競走と障害競走を国際セリ名簿作成基準書に記載している。しかし競馬のレベルは国によって様々であり、従ってその国の競馬のレベルを考慮する必要があった。そこで国をパートIパートIIパートIIIに分け、その中でパートIの国のグレード・グループのみがセリ名簿に記載できるという作成基準を設けた。パートII以下の国のグレードも国際セリ名簿作成基準書には記載されているものの、国際セリ名簿基準委員会が定める作成基準ではセリ名簿に記載できない。

国際セリ名簿作成基準書は毎年発行されており作成基準では競走が施行された年の国際セリ名簿作成基準書に従って記載しなければならないとされ、後の年でパートの変更およびグレードの変更が行われてもその前の年の競走には反映されない[注 8][注 9]。また障害競走は国に関係なくグレード制と呼称し、パートIVに記載している。

日本特有の用語や格付け

日本における「重賞」

戦前の日本では、しっかりとした定義はなく「特に賞金の高い競走」に「重賞競走」の語が曖昧に用いられていた。もっぱら賞金に着目した用語としては、ステークス競走には特別登録料を収めることから「特別競走」というような訳語が与えられた。これ以外にも「特殊競走」(賞金が第三者の援助によるもの)、「大競走」(特に賞金が多いもの)などのといった語が使われ、これらが「重要な競走」とみなされた[1]

なおこの観点では、ステークス方式は馬主同士の賭けとみなされるため、刑法上の規制を受けることになる。そのため後に成立した旧競馬法ではステークス方式(特別競走)は刑法の対象とはならない旨が定められたが、地方競馬はこの対象外のため、地方競馬では「特別競走」は存在しないこととなる[注 10][1][11]

1953年から国営競馬日本中央競馬会の前身)では、「特別競走の中でも特に出走馬のレベルが高く賞金が多いもの」を「重賞」と称し、番組表に導入することになった[1][11]。日本では「重賞」そのものの定義はなく、「重賞競走一覧」に掲載された競走が重賞である、ということになる[11]。したがって日本では、競走の区分は一般競走、特別競走があり、特別競走は重賞とそうでないもの(ただの特別競走)に分類されている[11]

欧米では「特別ではない競走」としてアローワンス(allowance)競走というものがあり、日本ではこれを「一般戦、一般競走」などと訳している。このほか一般戦に分類されるものとしては、クレーミング競走(馬を売却する目的で出走させるもの)、メイドン競走(未勝利戦)などがある[11]

「国際グレード」

概要で述べたように、「グレード制」は「グループ制」と互換性のある格付けとしてアメリカで始まり、これを模倣して日本でも独自の格付けを行って「グレード制」と称した。こうした時代、日本国内では、日本国内のものを「グレード制」、アメリカのグレード制とヨーロッパのグループ制の総称として「国際グレード」と通称していた。

日本がパート1国となり、日本国内の格付けと世界の格付けに互換性が認められたあとも、過去の話題や現在の日本国外の格付けを「国際グレード」と呼ぶことはある。とはいえ、上述の通り、「国際グレード」という呼び名は本来世界的に通用する名称ではない。

また、上述の通り、ヨーロッパの格付けはあくまでもグループ制であって、ヨーロッパの「G1競走」を「グレードI競走」と読むとそれは間違いということになる(とはいえ、グループとグレードには互換性があるのだから、格付けの点では一緒である)。

日本のパート1昇格

日本は長年の間パートII国で国際セリ名簿作成基準書には中央競馬のオープン競走とダートグレード競走の全競走が記載され、中央競馬の格付けとダートグレード競走の格付け(この2つは後述)をグレードとして記載されていた。パートIに記載された一部の競走を除き、大半の競走はICSCが定める作成基準ではセリ名簿に記載できないグレードとなっていた。中央競馬では国際競走を増やすなど、パートI入りを目指した努力を行ってきた。その結果、2007年度の番組にてICSCが定めるパートI国昇格条件を満たしたため2006年に次年度からのパートI国への昇格が決まった。これに伴い、2007年度からは59の重賞競走(既に格付けを得られている13競走を含む)に国際格付けが与えられた。また2007年当時は2歳、3歳限定競走については東京優駿(日本ダービー)なども含めて国際競走とはしていなかったため国際格付けも得られなかった。

2009年日本グレード格付け管理委員会が発足し、委員会がグレードを定めることとなった。また2年間競走実績のない新設の重賞競走(前身となるオープン競走がある場合は除く)には格付けを与えないこととなった。中央競馬の平地競走の全重賞競走を2009年と2010年の2年にかけて国際競走としたため、2010年からは格付けのない競走を除き全てが国際格付けを得られることとなった。

日本国内での格付け

2008年度までの日本国内で競馬に関する格付けには以下のようなものが存在していた。括弧内は格付け決定者。

2009年以降の競走に関しては日本グレード格付け管理委員会が国際グレード、JRA重賞、ダートグレード競走の格付けを行うこととなった。国際グレードは日本グレード格付け管理委員会が選定したものをIRPACが認証する形を取る。地方競馬各主催者が独自に定める格付けは従来通り各主催者が格付けをする。

日本における国際グレード競走は「国際競走」も参照した。各競走の格付けについては「競馬の競走一覧」を参照。

日本グレード格付け管理委員会が定める、国際グレード昇格条件は以下のとおり。なお、IRPAC直轄傘下のアジアパターン委員会(APC)の規則に準拠している(2021年の格付より適用)。

過去3年間に実施された競走の最終レースレーティング(FRR)の平均値、及び直近年のFRRの両方が以下の条件を満たすこと(単位:ポンド)。
馬齢 条件 GI GII GIII L
2歳 牝馬 106 101 96 91
牡馬・牝馬混合 110 105 100 95
3歳以上 牝馬限定 111 106 101 96
牡馬・牝馬混合 115 110 105 100

なお、国際格付けの降格については以下の手順で決定される。

  • GI・GII競走
過去2年間のFRRが昇格要件に定める数値を3ポンドを超えて下回った場合、日本グレード格付け管理委員会が競馬主催者に警告を発出し、更に次年度に同じく3ポンドを超えて下回った場合はアジアパターン委員会において審議が行われ[注 11]、過半数以上の承認が得られた場合に降格が決定される。
  • GIII・L競走
過去2年間のFRRが昇格要件に定める数値を3ポンドを超えて下回った場合、日本グレード格付け管理委員会が競馬主催者に警告を発出し、更に次年度に同じく3ポンドを超えて下回った場合は施行条件等の改訂が行われない限りは自動降格となる。

日本中央競馬会が定める格付け

日本中央競馬会(以下JRA)が定める格付けには以下の2つが存在する。

  • サラブレッド系種の平地競走に対する格付け
  • サラブレッド系種の障害競走に対する格付け

いずれもJRAが主催する中央競馬のみに格付けを定める。

サラブレッド系種の平地競走の重賞競走において1984年に導入されたのが日本国内で初めての格付けである。この際に最も格付けの高い競走をグレードワン(略してGI・ジーワン)、以下グレードツー(GII・ジーツー)、グレードスリー(GIII・ジースリー)と3段階のグレードを採用したことからグレード制と呼ばれるようになった。この時にグレードワンに指定された競走は、八大競走東京優駿皐月賞菊花賞桜花賞優駿牝馬天皇賞(春)天皇賞(秋)有馬記念)。八大競走に準ずる扱いであったジャパンカップ宝塚記念エリザベス女王杯。これに古馬短距離戦(1600m以下)としては高額賞金レースで最も長い歴史を誇り、格が高いとされていた既存重賞の安田記念。秋季マイル王決定戦として新設されたマイルチャンピオンシップ。そして東西の3歳ステークス(朝日杯3歳ステークス、阪神3歳ステークス)の全15レースであった。尚この際、障害レースとアラブの重賞に関しては対象外となっている(障害は1999年にグレード制採用)。

2007年より国際セリ名簿作成基準書のパート1国への昇格が決まったが、これとともにICSCからそれまで使われていた「グレードG)」の表記の変更を求められた。「グレード(G)」はICSCの定める国際競走にしかつけることが許されないためである。各格付け団体は新しい重賞格付けの表記などを検討し他の競技の表記の使用状況や商標登録がされているかどうかを考慮に入れ、「JAPAN」の簡略形である「Jpn」の表記に変更する決定を3月28日に発表した。これに伴い、JRAが定める格付けとダートグレード競走(「ダートグレード競走」の呼称は変更せず)について国際格付けが与えられている59の重賞競走については引き続き「グレード(G)」(GI, GII, GIII)を用い、それ以外の競走については「Jpn」(JpnI, JpnII, JpnIII)を用いることとなった[注 12]。なお、この表記の変更は2007年1月1日に遡って適用されることとなったが、2006年12月31日以前の競走については表記の変更は行われない。「G」と「Jpn」の表記のおける違いは国際グレードが与えられているものとそうではないものの違いのみであり、競走格付や競走体系などの変更はない。なお「Jpn」の読み方は「グレード」でも「ジェイピーエヌ」でもなく「ジー」である(例:「JpnI」→「ジーワン」)[注 13][12]。文面での表記の違いは一目であるが、発言上では「G」と「Jpn」は混同しやすい。

JRAはホームページ等における格付け表記の変更にはJRAコンピューターシステムのデータベースおよびプログラムの改修を伴うものがあり、勝馬投票券、競馬場・WINSのテレビモニターのオッズ画面およびトータリゼータボード等といった全面的な変更には時間がかかった。その他メディアにおいても各新聞社では競馬ブックなどは「Jpn」の表記を採用、サンケイスポーツは「Jpn」の表記をG1, G2, G3といったアラビア数字で区別をしている。しかしスポーツニッポンスポーツ報知日刊スポーツといった大手スポーツ新聞社は2008年も「Jpn」の表記を使用せず以前からの表記を継続している。フジテレビ関西テレビなども同様である。

年度 GI級 GII級 GIII級 (新設)重賞
[注 14]
(格付け無し)
備考
国際GI JpnI 国際GII JpnII 国際GIII JpnIII
2006年
[注 15]
5 17 6 28 2 63 (該当なし)  
2007年 12 10 16 18 31 34
2008年
2009年 15 7 25 9 57 8 1 レパードステークスを新設(格付け無し)
2010年 22 - 34 - 66 - トパーズステークスが重賞(GIII)に昇格(同時にみやこステークスに改称)
2011年 1
35 - JpnIの1競走はマイルチャンピオンシップ南部杯東京競馬場
(例年は地方競馬盛岡競馬場で施行、東日本大震災の影響で変更)
府中牝馬ステークスがGIII→GIIに昇格
レパードステークスをGIIIに格付け
2012年 - 1 アルテミスステークスを新設(格付け無し)
2013年
2014年 36 67 ラジオNIKKEI杯2歳ステークスがGIII→GIIに昇格(同時にホープフルステークスに改称)
京都2歳ステークスが重賞(GIII)に昇格
いちょうステークス(2015年にサウジアラビアロイヤルカップに改称)が重賞(格付け無し)に昇格
アルテミスステークスをGIIIに格付け
2015年 66 2 ターコイズステークスが重賞(格付け無し)に昇格
愛知杯(GIII)を当年限り休止(ターコイズステークスの重賞昇格に伴う時期移設)
2016年 69 1 サウジアラビアロイヤルカップをGIIIに格付け
紫苑ステークスが重賞(GIII)に昇格
2017年 24 34 70 - 大阪杯・ホープフルステークスがGII→GIに昇格
ターコイズステークスをGIIIに格付け
2018年 3 35 68 1 JpnIの3競走はJBC競走京都競馬場。例年は地方競馬の主催者持ち回りで施行)
JBC競走のJRA施行に伴い、みやこステークス(GIII)を当年限り休止
チューリップ賞をGIIIからGIIに昇格
葵ステークスが重賞(格付け無し)に昇格
2019年 - 69
2020年 36 68 富士ステークスがGIII→GIIに昇格
2021年
[注 16]
37 67 東京スポーツ杯2歳ステークスがGIII→GIIに昇格
2022年 68 - 葵ステークスがGIIIに格付け
2023年 38 67 紫苑ステークスがGIII→GIIに昇格

かつて日本で行われていた格付けの特徴

根本的に、国際的なルールのもとでは、競走の格付けは第三者による認証を必要とし、主催者が勝手に決めることはできない。欧米でグループ制・グレード制が創設された際にはそうした基準にしたがって客観的で公平な競走の格付けを確立しようとしていた。しかしJRAでは「グレード」という格付け制度を借用したが、その格付はJRAが独断で行うものであり、本来の格付制度とは全く異なる形で運用された[13]

このようにかつてJRAが独自に格付け表記していた時代には、もっぱら格付けは興行上の観点から行われ、JRAが意図する競走体系にしたがって自由に格付けすることができた。しかしこれらはあくまでもJRAの「自称グレード」であって、客観的で国際的なルールに則った格付けではなかったため、国際的にはほぼ無視されていた[13][注 17]

本来の格付けは、出走馬の質の高さによって競走の格が担保される。出走馬の質が下がれば格付けも自動的に下がるし、逆に出走馬の質が上がれば格付けも高まる。これに対し、JRAによる格付けは、主催者自らが格付けを定めるため、JRAが定める興行上の都合で格付けを行っており、JRAによる競走体系と格付けは一致していると考えられる。JRAの場合、賞金も自ら提供するため、格付けが賞金と連動しているが、格付けの本来の意義からすると、実際の質の高さと賞金の多寡が一致していないとも見ることができた[13]

諸外国では、多くの場合、競走の賞金は各競馬場ごとに用意し、それには様々なスポンサーがつく。基本的には賞金が高い競走には質の高い競走馬が集まり、結果として競走の格が高まるという図式になっているが、必ずしも賞金に比例して競走馬の質が揃うとはかぎらないし、スポンサーの改廃によって賞金額は大きく変動する場合があるので、競走の格を維持することは容易ではない。一定期間、出走馬の質が低いままであった場合には、主催者の意図にかかわらず競走の格付けは引き下げられる。また、原則として格付けを受けるには、出走にあたっての制約がないことを求められるため、生産地や生産国、取引形態などの制約がある競走の場合には、賞金の高さや出走馬の質の高さに関わらず、格付けを得られない。

日本も2007年にパート1国となってからは、JRAが独自に格付けを行うことは原則できない(パート1国化した直後には、GIと自称していたヴィクトリアマイルが国際的な勧告にしたがってGIの名称を取り下げ、「JpnI」と称したこともある)。

格付けは、過去のレースレートによって決定されるため、その結果次第では格上げや格下げが発生する。そのため新設競走の場合には、原則的に最初の数年は格付けは無い。

JRAの格付けによる平地GI, JpnI競走の増加の歴史

本来の「グレード制」は第三者認証を必要とするものであり、JRAが独自で定めていた「グレード」は単なる自称に過ぎなかった。1984年にこの「自称グレード」が始まって以来、自称グレードを与えられた競走の数は増加の一途を辿った。

1990年代に競馬の国際化が日本にも本格的に持ち込まれると、第三者認証を受けた正式なグレードのことを、JRAでは「国際グレード」と呼び慣わすようになり、「自称グレード」と「国際グレード」が併用された。ただし、JRAでは正式なグレードを取得すると「自称グレード」と合致しなくなる場合には正式なグレードの取得申請を行わなかったため、「自称グレード」と「国際グレード」の格が一致しない例はなかった(カナダやイタリアなど、日本と同じようにパート2国の競馬開催国の中には、国内向けのグレードはG1で、正式なグレードはG2である、というような例は多くある)。JRAの競走は、自称グレードだけを有するものと、自称グレードと同じ格の国際グレードを有するものの、いずれかになった。

日本がパート2国であるあいだは、「自称グレード」と「国際グレード」の併存が看過されてきたが、日本がパート1国の資格を得ると、「自称グレード」の是正を余儀なくされることになった。このため「自称グレード」競走は「グレード(G)」表記をすることが不可能になり、あらたに「Jpn1, Jpn2, Jpn3」という格付け表記をつくりだし、正式グレードを取得できない競走に適用した。

なお、基本的には第三者認証は、その競走の過去の実績に基いて付与されるため、新設重賞の場合には設立1年目から正式なグレードを獲得することはできない。日本がパート1国になった直後の時期は、こうした新設重賞にJRAが独自に「グレード」を与え、是正勧告を受けて訂正した例もある。

その競走の過去の実績に基づき、レベルが高いものからG1, G2, G3の格が認められる。G3に満たないものには格が付与されない。

一方、正式グレードを取得できる競走の前提として、出走するための差別的な障壁(競走馬の産地制限など)がないことが求められるため、そうした障壁が存在する競走の場合には、仮に競走のレベルがG1の水準を満たしていたとしてもグレードを得ることはできない。

海外の独自格付けとの関係

海外の競走については当地の格付けよりも国際格付けを優先することが多い。例えば1995年にフジヤマケンザンが優勝した当時の香港国際カップは香港G1(香港ジョッキークラブが定めるグループ)であったが国際格付けではG2であったため、日本でフジヤマケンザンをGI馬と呼ぶ人はごく少なかった。ただし翌1996年の金鯱賞に同馬が出走した際、負担重量がGII勝ち馬に課せられるプラス1キロ(=58キロ。定量は57キロ)ではなくGI勝ち馬に課せられるプラス2キロ(59キロ)に設定されていた。

パート1入りする以前(2006年以前)から国際グレードを得ていたJRA競走

なお、詳細はを参照のこと。

サラブレッド系種の平地競走以外の格付け

1999年より障害競走でもグレード制(J・GI, J・GII, J・GIII)が導入された。呼び方は「ジェージー○○」もしくは「ジャンプグレード○○」と呼ばれ、平地競走の格付けと区別される(例:「J・GI」→「ジェージーワン」もしくは「ジャンプグレードワン」)。現在、平地競走は国際グレードを持つ競走と持たない競走で表記が変わるが障害競走では2007年以降もJ・GI, J・GII, J・GIIIと表記される。

なお1995年まで行われていたアングロアラブに対する平地競走の重賞競走は1995年時点でセイユウ記念タマツバキ記念の2競走しかなかったため、グレードなどの格付けは導入はされなかった。

ダートグレード競走格付け委員会が定める格付け

1995年から中央競馬地方競馬の交流が盛んとなったため、1997年4月よりダートの重賞において統一グレード制を導入。この格付けは前述のJRAが定める中央競馬の格付けとは整合性がある。ダートグレード競走を参照。

地方競馬の各主催者が定める格付け

一部の地方競馬主催者では上述のダートグレード競走とは別に、独自の格付けが定められている。この場合、混乱防止の観点からローマ数字(I, II, III)を使わず、アラビア数字(1, 2, 3)を使用する例もみられる。

地方競馬で施行するダートグレード競走では独自の格付けを行わず、ダートグレードの格付けをそのまま用いている。ただし以前にはダートグレードの格付けと独自の格付けを併記する例も見られた。

  • 南関東では2007年4月より独自格付けを併記しなくなった[14]。併記していた当時は、例えば関東オークスが「統一GII・南関東G1」と表記された。
  • 佐賀競馬場では2011年度の時点では統一グレードと独自グレード(当時は「KJ1」表記)を併記していた[15][16]

なお、ばんえい競馬は馬の品種や競走の性質が平地と全く異なるうえ他地区との交流競走もないため、格付けは独自表記のみとなっている。

重賞競走に格付けを行っている地方競馬主催者(2020年現在)
2007年度から格付表記を従来のG1, G2, G3から変更。使用する数字もローマ数字に変更された[14]
放送や新聞等には記載されないが、番組表やNARのホームページ[19]には記載されている。
かつて格付けを行っていた地方競馬主催者
2005年度までに全場廃止。
1999年度から2011年度までは、荒尾(2011年廃止)・中津(2001年廃止)と共に九州地区合同での格付け(九州グレード)を行っており、1999年度から2006年度まではKG1, KG2, KG3、2007年度から2011年度まではKJ1, KJ2, KJ3を用いていた。
2013年1月から2017年度までは佐賀単独でS1, S2の格付けを行っていた。

金沢高知の各競馬主催者では、ダートグレード競走を除く重賞競走の格付けを行っていない。

2団体以上が同一の競走に格付けを定める場合

このように、日本では、格付け決定者が多数存在するため、同一競走に対し複数の格付けが与えられる場合もある。

2011年現在格付け決定者が重複している主な競走

その他、JRAで施行された全てのダート重賞は全てJRAとダート競走格付け委員会により重複して格付けされている。ただし両者は整合性を保つように格付けを同一にしており、便宜上共通の格付けとして扱われることが多い。

2006年度(2007年3月31日まで)以前は南関東競馬で行われた中央地方全国交流重賞にはダート競走格付け委員会と南関東の定める格付けに食い違いも見られ、例えば関東オークスはダート競走格付け委員会ではGII、南関東の格付けではG1となっていた。

フェブラリーステークスなどは三者から格付けが行われており、煩雑過ぎる嫌いもある(JRAとダートグレードを共通の格付けと見なしても2種類が存在しえる)。どの格付けを重く見るかは各自の主観に拠るところが大きい。

JRAでのJpnIなどの新たな格付け名称は、2007年に唐突に決定されたため、JRAのホームページやポスター、パンフレット、またマスコミの発表などではGIという表記が残っており(2007年5月までに中央競馬で行われた全てのJpnI競走について日本中央競馬会「GI」と表記していた)、他者(この場合ICSC)の格付けと錯覚させるような事例があった。なお地方競馬(各主催者や地方競馬全国協会)では4月1日から速やかに新しい表記に変更された。

脚注

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注釈

  1. ^ 一般に「委員会」と訳される英単語のcommitteeの綴りは最後のeが2つ続くのだが(weblio committeeなど)、本件の出典では語尾の「e」は1つである。ICSCのHPでも「e」が1つの綴りが用いられている。他の場所では「ee」表記が通常なので、単なる誤記かもしれないが、ひとまず出典通り「e」1つとしておく。
  2. ^ たとえば、特定のセリ市で売買された競走馬しか出走できない、など。
  3. ^ 競走のレベルや賞金自体は高いが、こうした理由でグループ・グレードを付与されていない競走を指して「ノン・グレードの重賞」というような表現をすることもある。
  4. ^ たとえば、ダート競走格付け委員山野浩一は2歳戦の格付けが実態に合っていないと批判している。
  5. ^ 例えば当時の日本ダービー天皇賞など、JRAが競走体系の頂点に位置づけている競走には日本産馬しか出走できないという制限があったので、格付けを得ることができない。
  6. ^ 例えば安田記念の前哨戦と位置づけられることの多い京王杯スプリングカップ2001年に国際GIIに格付けされたが、肝心の安田記念は2003年まで国際グレードなしという奇妙な状態が続いていた。これは安田記念が国際GIに格付けされる前でも国際GIIレベルにはありICSCに申請すればGIIの格付けを得ることは出来たが、そうすると「国際GII・JRAGI」と位の違うダブルグレードになってしまうので混乱を避けるため国際GIの格付けが得られるまで国際グレードを取得しなかった。
  7. ^ この観点では、日本が独自に国内の競走にグレード制と同じ「GI」「GII」「GIII」という表現で格付けを行い、日本の(国際的に承認されていない)GIIを勝った馬に「G2勝馬」と表記して売買を行うことは、国際的な商取引のルールに違反するものですらあった。
  8. ^ 例えば、2001年にステイゴールドが勝利をしたドバイシーマクラシックは2001年の国際セリ名簿作成基準書にはパートIの部にG2で記載されているが翌年よりG1となった。しかしセリ名簿上、ステイゴールドが勝利をしたドバイシーマクラシックはG2と記載される(ステイゴールドは他にG1の香港ヴァーズに勝利している)。
  9. ^ ディープインパクトの場合は、日本国内では「GI・7勝馬」と扱われるが、国際的には2006年宝塚記念と2006年ジャパンカップの「G1・2勝馬」という扱いになる。
  10. ^ とはいえ、これは定義の問題であって、競走名に「特別」とつくものは地方競馬にも存在する。
  11. ^ なお、降格における審議・採決には当該国の主催者・レーシングオーソリティは加わることができない。
  12. ^ 2010年からすべての重賞競走が国際競走となり国際格付けも与えられることとなったため、Jpnの表記はJRAの格付けと整合性のあるダートグレード競走にのみ見られるようになっている。
  13. ^ 日経ラジオ社木和田篤は『競馬インパクト』の枠内でJpnグレードを「ジェイピーエヌ」とコメントしている他、2009年マイルチャンピオンシップ南部杯(JpnI)の表彰式では司会者が「ジェイピーエヌワン」と言っている。
  14. ^ 最初の年度は「新設重賞」。2年目以後は「重賞」として表記。
  15. ^ JpnI/II/IIIの項はJRA独自のグレードのGI/II/III。
  16. ^ 当初は、葵ステークスも格付けなし→GIIIへの昇格を予定して申請していたが、GIII昇格に必要な国際レーティングを充足していないという理由で格付け昇格が却下された。
  17. ^ 例えば、シンボリルドルフは日本国内では初の「GI・7勝馬」として扱われているが、国際的にはG1未勝利馬である。
  18. ^ 現:大阪杯。2017年よりGIに昇格。
  19. ^ 格付け制度導入当時は他に北見競馬場旭川競馬場岩見沢競馬場でも開催あり。
  20. ^ 格付け制度導入当時は他に旭川競馬場、札幌競馬場でも開催あり。
  21. ^ 格付け制度導入当時は他に中京競馬場でも開催あり。

出典

  1. ^ a b c d 『競馬百科』p70 - 71
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『サラブレッド・ビジネス』p117 - 140
  3. ^ 『競馬 サラブレッドの生産および英国競馬小史』p47
  4. ^ a b 国際セリ名簿基準委員会 欧州パターン委員会(EPC)
  5. ^ 一部オープン競走のリステッド格付けについて 日本中央競馬会、2018年3月5日閲覧
  6. ^ 『全日本フリーハンデ1995-1996』、山野浩一、リトル・モア、p58、p69など
  7. ^ 2020 International Cataloguing Standards Book
  8. ^ a b 『全日本フリーハンデ1995-1996』p268
  9. ^ a b c 国際セリ名簿基準委員会公式HP 国際セリ名簿基準委員会の歴史
  10. ^ 『全日本フリーハンデ1995-1996』p320
  11. ^ a b c d e 『競馬百科』p78-93
  12. ^ “佐藤泉アナ「G、Jpnをどう読むか」 | 競馬実況web | ラジオNIKKEI”. keiba.radionikkei.jp. 2021年8月5日閲覧。
  13. ^ a b c 『全日本フリーハンデ1995-1996』、山野浩一、リトル・モア、p58、p69、p179、p268、p320
  14. ^ a b “”. nankankeiba.com(南関東公営競馬公式サイト) (2007年3月30日). 2007年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月19日閲覧。
  15. ^ “2011年8月16日 第9回 佐賀競馬 第3日 サマーチャンピオン(JpnIII)(KJ1) オープン”. nankankeiba.com(南関東公営競馬公式サイト). 2016年1月27日閲覧。
  16. ^ “2012年2月8日 第19回 佐賀競馬 第3日 佐賀記念(JpnIII)(KJ1) オープン”. nankankeiba.com(南関東公営競馬公式サイト). 2016年1月27日閲覧。
  17. ^ “岩手競馬グレード制の導入について”. 岩手競馬. 2016年3月5日閲覧。
  18. ^ “2016シーズン岩手競馬4つのポイント”. 岩手競馬. 2016年3月29日閲覧。
  19. ^ “重賞競走一覧|シリーズ・重賞競走|地方競馬情報サイト”. keiba.go.jp. 2020年2月12日閲覧。

参考文献

  • 『サラブレッド・ビジネス』、ジョスリン・ド・モープレイ、草野純訳、サラブレッド血統センター、1991
  • 『競馬百科』日本中央競馬会・編、みんと・刊、1976
  • 『ホース・トレーダーズ アメリカ競馬を変えた男たち』、スティーヴン・クリスト・著、草野純・訳、サラブレッド血統センター・刊、1988
  • 『全日本フリーハンデ1995-1996』、山野浩一、リトル・モア
  • 『競馬 サラブレッドの生産および英国競馬小史』デニス・クレイグ著、マイルズ・ネーピア改訂、佐藤正人訳、中央競馬ピーアールセンター刊、1986

関連項目

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