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禅海寺

禅海寺(ぜんかいじ)は、京都府宮津市字日置4335にある臨済宗妙心寺派寺院[1]。山号は百丈山[1][2][3][4]。本尊は阿弥陀如来[1][4]

禅海寺
所在地 京都府宮津市字日置4335
位置 北緯35度36分46.8秒 東経135度13分19.7秒 / 北緯35.613000度 東経135.222139度 / 35.613000; 135.222139座標: 北緯35度36分46.8秒 東経135度13分19.7秒 / 北緯35.613000度 東経135.222139度 / 35.613000; 135.222139
山号 百丈山
宗旨 臨済宗
宗派 妙心寺派
本尊 阿弥陀如来
創建年 貞観年間(859年~877年)
中興年 至徳年間(1384年~1386年)
中興 明江和尚
法人番号 8130005009578
(テンプレートを表示)

世屋谷の入口に位置しており、北東部の裏山には日置氏の根拠地だった日置上城(ひおきあげじょう)がある[2]

歴史

平安時代の貞観年間(859年~877年)、天台宗の寿福院(寿福寺)として開創されたと伝わる[1][3]南北朝時代の暦応3年(1340年)には良心によって再興され、良海によって日置郷の友枝保にある二段の田畑が寄進された[2]。至徳年間(1384年~1386年)には東福寺の明江和尚により中興され、臨済宗に改宗したうえで百丈山禅海寺に改称した[1]

鎌倉時代からこの土地に住んで地頭を務めた日置氏の菩提寺とされる[1][4]。1579年(天正6年)に細川藤孝宮津城に入城すると、寺領が没収されて衰退した[2]

江戸時代前期の寛永年間(1624年~1644年)には智恩寺の別源和尚によって復興され[4]、この際に臨済宗妙心寺派となった[1]。文政年間(1818年~1830年)には傍らにある薬園寺薬師堂が寺領となった[4]

平安時代末期作の「木造阿弥陀如来及両脇侍像」と「木造千手観音立像」は、1925年、当時の古社寺保存法に基づく旧国宝(文化財保護法における重要文化財に相当)に指定された[5]

境内

文化財

重要文化財

  • 木造阿弥陀如来及両脇侍像[5] - 平安時代末期
  • 木造千手観音立像[5] - 平安時代末期

宮津市指定文化財

基礎情報

所在地
交通アクセス
周辺

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g 禅海寺 京都府・歴史・観光・見所
  2. ^ a b c d 『日本歴史地名大系 26 京都府の地名』平凡社、1981年、p.765
  3. ^ a b c d e f 『郷土資料事典 ふるさとの文化遺産 26』ゼンリン、1997年、p.299
  4. ^ a b c d e 岩崎英精『丹後の宮津』天橋立観光協会、1980年、pp.159-160
  5. ^ a b c 大正14年8月25日文部省告示第326号(参照:国立国会図書館デジタルコレクション)

参考文献

  • 岩崎英精『丹後の宮津』天橋立観光協会、1980年
  • 『日本歴史地名大系 26 京都府の地名』平凡社、1981年
  • 『郷土資料事典 ふるさとの文化遺産 26』ゼンリン、1997年

外部リンク

  • 禅海寺 京都府・歴史・観光・見所
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