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田名

田名(たな)は、神奈川県相模原市中央区地名である。一部は同市緑区に跨がる。

田名
田名
田名の位置
北緯35度33分31.02秒 東経139度20分16.44秒 / 北緯35.5586167度 東経139.3379000度 / 35.5586167; 139.3379000
日本
都道府県 神奈川県
市町村 相模原市
中央区
緑区
地域 田名地区・上溝地区(中央区)
大沢地区(緑区)
人口
2018年(平成30年)1月1日現在)[1]
 • 合計 25,738人
等時帯 (日本標準時)
郵便番号
252-0244(中央区)[2]
252-0124(緑区)[3]
市外局番 042 ((相模原MA))[4]
ナンバープレート 相模
  1. 田名塩田(たなしおだ)。住居表示実施区域であり、田名塩田一丁目から田名塩田四丁目まである。郵便番号は252-0245(相模原郵便局管轄)[5]
  2. 水郷田名(すいごうたな)。住居表示実施区域であり、水郷田名一丁目から水郷田名四丁目まである。郵便番号は252-0246(相模原郵便局管轄)[6]

また、田名村(たなむら)は、かつて神奈川県(相模国高座郡にあったである。本項で合わせて述べる。

概要

神奈川県相模原市中央区の西部に位置し、一部は緑区に属する。近世以降は相模国高座郡田名村と呼ばれ、1889年明治22年4月1日町村制施行にともなう明治の大合併の際にも単独で神奈川県高座郡田名村となった。1941年(昭和16年)4月29日上溝町座間町ほか5村と合併して神奈川県高座郡相模原町の一部となり、同町の大字田名となる。1954年(昭和29年)11月20日市制施行により相模原市大字田名、さらに2010年平成22年)4月1日の相模原市の政令指定都市移行により大部分が同市中央区、一部が緑区北緯35度33分48.3秒 東経139度19分42.2秒 / 北緯35.563417度 東経139.328389度 / 35.563417; 139.328389 (田名 (相模原市緑区所属域)))に属することになった。2002年(平成14年)6月1日および2005年(平成17年)7月2日に一部で住居表示を実施し、田名塩田一丁目〜四丁目北緯35度31分48.5秒 東経139度21分23.3秒 / 北緯35.530139度 東経139.356472度 / 35.530139; 139.356472 (田名塩田))、水郷田名一丁目〜四丁目北緯35度32分42秒 東経139度19分57.6秒 / 北緯35.54500度 東経139.332667度 / 35.54500; 139.332667 (水郷田名))が分離している。

地理

相模川左岸に大きく分けて3段の河岸段丘からなる相模原台地のうち「中段」(田名原面)と「下段」(陽原(みなはら)面)にまたがり、これに相模川の現河床に沿った氾濫原を加えた3段の平坦面からなる。このうち最も広い面積を占めるのは田名原面で、陽原面は当大字西部の相模川沿いに細長く分布するほか、南部で広がりを見せる。相模川は、北隣の大字大島から続く上流側では比高約50mの段丘崖のすぐ下を河道としており、久所(ぐぞ、水郷田名)から下流で氾濫原を形成するがその幅は狭く、最も広い所でも現に水の流れている川岸から段丘崖まで700mに満たない。

田名原面と陽原面の境となる段丘崖に沿い、主にハケ(段丘崖)の湧水を水源とする八瀬川が流れ、北端の大字下九沢との境界を鳩川が流れるほかは、それぞれの段丘面上を流れる河川はなく、平坦な地形ではあるが地下水位が低く水を得るのが困難であった。したがって古くからの集落は辛うじて水の得られる鳩川沿い(葛輪:くずわ)、田名原面と陽原面間の段丘崖沿い(堀之内、半在家)、相模川沿いの段丘上(清水、陽原(みなばら)[7]、望地(もうち)、塩田(しょだ、しおだ)。ただし水場は段丘崖の下である)、氾濫原内の自然堤防上(滝、久所=水郷田名)に分布する。後に遅れて田名原面上の四ッ谷、新宿の集落が成立した。水田として利用できたのは八瀬川沿いのごく狭い谷の部分と相模川沿いの氾濫原のみであり、望地の段丘崖下の氾濫原を利用して開かれた水田地帯を「望地田んぼ」と呼ぶ。広い面積を占める段丘面上は水が得られないため水田として利用できず畑地として利用され、特に養蚕が盛んであった明治から昭和初期にかけては畑が広がっていた。養蚕の衰退後は主に野菜が生産されている。

平坦な地形でありながら国鉄(現JR東日本横浜線の各駅から離れていたために宅地化の波及が遅れたこと、また東に隣接する大字上溝との境界に沿って国道129号バイパス(現在は本道)が建設されてトラック輸送の便に恵まれていたことから、市の誘致策もあって1960年代以降、大小さまざな工場が進出した。三菱重工業と新キャタピラー三菱(現キャタピラージャパン)の大きな工場を核とする北部の田名工業団地とこれに付随する清水原工業団地および赤坂工業団地は市内を代表する工業地区である。2000年代に入り、南部の塩田地区でテクノパイル田名工業団地の造成が始まり、中小の先端技術産業の誘致が進められている。また、あわせて段丘崖下の陽原面上で旧集落部分も含めた全面的な区画整理事業が行われ、住宅団地の造成が進められた。この区域では2002年(平成14年)に住居表示が実施されて田名塩田として分離した(工業団地区域が一丁目、住宅団地区域が二丁目〜四丁目)。

相模川沿いの自然堤防上の久所地区は戦国時代には北関東と小田原を結ぶ街道が、また江戸時代には同じ道を利用した大山道(八王子通り)が相模川を渡る地点に成立した(渡津集落)としての機能を持った。古くは「鮎川」と呼ばれたとされる相模川はアユ漁が盛んであり、風光明媚な景観と相まって大正期以降、久所地区は東京や横浜からの手頃な行楽地として水郷田名の名で知られるようになった。これは長らく周辺の鉄道各駅からのバス路線の終点名として用いられ、さらに2005年(平成17年)に久所地区で住居表示が実施された際の新町名として採用された。久所地区の氾濫原は望地田んぼとともに相模原市内で数少ない水田地帯であったが、1970年代後半以降の宅地造成によって水田のほとんどが消滅した。

1970年代には段丘面上にもようやく宅地化の波が及び、横浜線各駅(淵野辺駅相模原駅橋本駅)との間にバスの便のある北西部で農地から宅地への転用が進行している。

河川

地価

住宅地の地価は、2017年平成29年)1月1日公示地価によれば、田名字石神平4312番3の地点で9万7000円/m2となっている[8]

歴史

たなむら
田名村
廃止日 1941年4月29日
廃止理由 合併
高座郡上溝町、座間町相原村大野村、大沢村、田名村、麻溝村、新磯村→相模原町
現在の自治体 相模原市
廃止時点のデータ
  日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
高座郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,515
(1940年10月1日)
隣接自治体 高座郡大沢村、上溝町、麻溝村、
愛甲郡依知村中津村高峰村
津久井郡湘南村
田名村役場
所在地 神奈川県高座郡田名村(大字なし)
座標 北緯35度33分1.8秒 東経139度20分11.2秒 / 北緯35.550500度 東経139.336444度 / 35.550500; 139.336444 (田名村)
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相模川沿いの段丘崖上には早くから集落の形成が見られたと考えられており、塩田(田名塩田三丁目)には後期旧石器時代末の遺跡とされる田名向原遺跡がある。

古代以降は相模国高座(たかくら)郡に属した。高座郡内に設置されたの一つとして『和名類聚抄』に記載のある塩田郷[9]が当大字内の塩田周辺に比定されている。

江戸時代には高座郡田名村とされ、後期には隣接する大島村とともに全域が下野烏山藩飛び地領となった。これはほとんどの村が相給とされた相模原地域、また高座郡北部では珍しい例である。烏山藩の支配の下、幕末1858年安政5年)には久所の自然堤防東側の水田に相模川本流から水を引き込むための用水(烏山用水)が建設されたが、1860年万延元年)洪水によって堤防が決壊し用水は破損してしまった。地元の有力農民であった江成久兵衛がこの復旧に乗り出し、28年の年月と私財をかけて築堤事業を進めた。彼の築いた堤防は「久兵衛堤防」と呼ばれたが、現存しない。

村内には薪炭の確保に適した山林がなく、相模川対岸(津久井県[10] 小倉村、現・緑区小倉)の山地に入会地を持っていた。また後には台地上段(相模原面)に広がる原野(相模野)の一部が分割されて当村の飛び地となった。段丘面上の集落では幕末以降、横浜港での生糸貿易の発展にあわせて養蚕と生糸の生産が盛んになったが、本格的な製糸業の発展にはつながらなかった。

1871年明治4年)7月14日廃藩置県により烏山藩は烏山県となり、同年11月の府県再編で神奈川県に編入された。1889年(明治22年)4月1日町村制施行の際に単独で高座郡田名村となったが、その際に相模原面(上段)上の飛び地は溝村(のち上溝町)に編入された(現・中央区横山台付近)。1941年昭和16年)4月29日の合併で高座郡相模原町の一部となり、相模原町は1954年(昭和29年)11月20日相模原市となった。相模原町発足の際に旧田名村の区域は同町の大字田名として田名出張所(のち支所、分室を経て再び出張所、現まちづくりセンター)の管内とされた。1970年(昭和45年)10月1日、大字大島との境界に近い区域が大沢出張所管内に変更され、この区域が2010年平成22年)4月1日の政令指定都市移行の際に緑区の一部となった。当大字の大部分を占める残りの区域は中央区の一部となった。

沿革

史跡

神社・寺院

世帯数と人口

2018年(平成30年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字田名

地域 世帯数 人口
中央区田名地区 9,985世帯 23,934人
中央区上溝地区 201世帯 464人
緑区 538世帯 1,340人
10,724世帯 25,738人

田名塩田・水郷田名

丁目 世帯数 人口
田名塩田一丁目 22世帯 63人
田名塩田二丁目 399世帯 974人
田名塩田三丁目 689世帯 1,658人
田名塩田四丁目 218世帯 639人
1,328世帯 3,334人
水郷田名一丁目 277世帯 688人
水郷田名二丁目 605世帯 1,371人
水郷田名三丁目 437世帯 1,038人
水郷田名四丁目 115世帯 215人
1,434世帯 3,312人

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[11]

大字田名

番地 小学校 中学校
中央区 2463の3・4・10・11、2494の2~2517
2623~2629、2642~2975、3496~3533
3565~3588
相模原市立九沢小学校 相模原市立大沢中学校
2460の3、2461の3 相模原市立大沢小学校
1167~2178、2214、2218~2225、2227~2246
2275~2327の7、2327の9〜11、2328、2330
2430の1、2464~2469、2474~2494の1
2976~3495、3534~3564、3589~3985
4021~4047、4104の5、4104の10
4119~4124の1、4124の4、4125の6
4126(枝番無し)、4126の5、4127の5
4128の1・7、4129〜4130、4132~4136
4137の2、4152の2、4153〜4154、4155の2
4436の2、4437の1、4438~4679の1
4679の6・10、4680~4687、4689~4790
4870の2、4871
相模原市立田名北小学校 相模原市立田名中学校
4241~4283、4350~4436の1、4436の5
4437の2、4679の2・7、4791~4870の1
4870の5~6、4872~6812、6813の3、6814の3
6819~6852、7567の3・6・9、7568の3
7569の3、7570、7571の1、7572の3・6
7573~7577の1、7578の1、7579の3、7580の3
7581~7603の1、7605の1、7606の1
7607~7623の1、7624の3、7625の3、7626の3
7627の3、7628の3、7629の3、7630の3、7631の3
7632の3、7633の3、7634の3、7635の3
7636~8465、8467~8613、9363~9385
9437~9563、9565の1、9565の4〜7、9641〜9642
9644~9704、10930~11991
相模原市立田名小学校
8466、8667~9362、9386~9436、9564
9565の2・3、9566~9639、9643、9790~9963
9964の3、9965の3、9966、9967の3、9968の3
9969の3、9970〜9971、9973の3、9974の3
9976の3、9977の3、9978の3、9981の2、10004の3
10005の3、10008の3、10009の3、10012の3
10013の3、10014〜10015、10018~10044
10333~10928
相模原市立夢の丘小学校
3986、3987の1、4003の1、4006の4・5、4007の1
4008~4020、4048~4104の2、4104の6
4105~4117の1、4117の4、4118、4124の8
4125の1、4126の1、4126の6〜7、4127の1
4128の3、4137の1、4138~4152の1、4152の5~12
4155の1、4156~4187、4188の2~4240
4284~4349
相模原市立新宿小学校
3987の2、3988~4002、4003の4・4004~4006の1
4007の2、4188の1、6813の1、6814の1
6814の6・12、6815~6818、6853~7567の1
7568の1、7569の1、7571の2、7572の1、7577の2
7578の2、7579の1、7580の1、7603の2、7604の1
7605の2、7606の1、7623の2・7624の1、7625の1
7626の1、7627の1、7628の1、7629の1、7630の1
7631の1、7632の1、7633の1、7634の1、7635の1
9964の1、9965の1、9967の1、9968の1、9969の1
9972、9973の1、9974の1、9975、9976の1
9977の1、9978の1、9979~9981の1、9982の1
9983~10004の1、10005の1、10006~10008の1
10009の1、10010~10012の1、10013の1
10016〜10017、10067の1、10068~10149
相模原市立上溝南中学校
緑区 2523、2526~2529、2563~2622
2630~2637の5
相模原市立九沢小学校 相模原市立大沢中学校
2179~2210、2215~2217、2247~2274、2338
2341、2342の1、2342の4〜5、2345~2391
2395の2、2421~2424、2431~2457の2
2520~2522、2524〜2525
相模原市立大沢小学校
2211~2213、2226、2327の8・12、2329
2331~2337、2339〜2340、2342の3、2344の2
2392、2393の5~7、2394、2397~2418、2426の2
2427の2、2428の2、2429の2、2430の3~5
相模原市立田名北小学校 相模原市立田名中学校
  • なお、以下の番地は指定変更許可区域。
    • 田名3986、3987の1、4003の1、4006の4・5、4007の1、4008~4020、4048~4104の2・6、4105~4117の1・4、4118、4124の8、4125の1、4126の1・6〜7、4127の1、4128の3、4137の1、4138~4152の1、4152の5~12、4155の1、4156~4187、4188の2~4240、4284~4349、8667~9362、10333~10928

田名塩田・水郷田名

丁目 番地 小学校 中学校
田名塩田一丁目 全域 相模原市立夢の丘小学校 相模原市立田名中学校
田名塩田二丁目 全域
田名塩田三丁目 全域
田名塩田四丁目 全域
水郷田名一丁目 2番35号~37号 相模原市立田名北小学校
その他 相模原市立田名小学校
水郷田名二丁目 全域
水郷田名三丁目 全域
水郷田名四丁目 全域
  • なお、田名塩田一丁目から四丁目は指定変更許可区域。

交通

鉄道

1920年代後半に省線(現JR横浜線淵野辺駅から上溝(現JR相模線上溝駅付近)を経て当大字中央部の四ッ谷まで相武電気鉄道の建設が進められたことがあった。1927年(昭和2年)に着工され、路盤工事が完了、車両の発注まで行われたが世界恐慌の影響を受けて工事は中断され、開業に至らずに終わった。同線はさらに相模川を越えて愛甲郡愛川村(現愛川町)の田代まで、淵野辺側も小田原急行鉄道(現小田急電鉄)の鶴川駅まで延長する予定であったという。

現在、当大字を通過する鉄道はない。

バス

 
田名バスターミナル

1921年大正10年)に横浜線橋本駅と久所の間で運行を始めた路線バスは、相模原地域で最も古い路線バスである。現在、神奈川中央交通バスが橋本駅・相模原駅淵野辺駅上溝駅原当麻駅北里大学病院への路線バスを運行しているほか、隣の愛川町へは、半原と愛川バスセンター(愛川町役場の最寄り)への路線バスを運行している。なお、2003年平成15年)までは相模大野駅までの路線もあったが、再編により廃止されたため、「北里大学病院・北里大学」バス停での乗り継ぎが必要となる。

2014年(平成26年)4月1日には、上田名バス停の隣接地に「田名バスターミナル」が開設された。上田名バス停は田名バスターミナルに名称変更され、路線の再編を実施している。

なお、毎年8月に行われる相模原納涼花火大会当日は午後以降最終便まで、半原発着(田01系統)を除いて全系統が田名バスターミナルで折り返しとなる(田01系統は高田橋を渡らず、対岸の小沢で折り返す)。

道路

橋梁

  • 高田橋(相模川、県道54号・63号)

学校・教育

小学校

中学校

  • 相模原市立田名中学校

高等学校

博物館・資料館

産業

※田名塩田、水郷田名の区域も含む

農業

  • JA相模原市緑化センター

工業

  • 田名工業団地
  • 清水原工業団地
  • 赤坂工業団地
  • 東急建設 相模原工場、技術研究所
  • テクノパイル田名工業団地
  • 興建産業 神奈川営業所・工場

商業

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d “人口と世帯数”. 相模原市 (2018年1月25日). 2018年2月18日閲覧。
  2. ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月18日閲覧。
  3. ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月18日閲覧。
  4. ^ a b c “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年2月18日閲覧。
  5. ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月18日閲覧。
  6. ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月18日閲覧。
  7. ^ 地形区分の際の段丘面の呼称はみなはらだが、集落名としての読み方はみなばらである。
  8. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  9. ^ 新編相模国風土記稿 田名村.
  10. ^ 明治初年に津久井郡と改称
  11. ^ “小・中学校の通学区域”. 相模原市. 2018年2月18日閲覧。

参考文献

  • 相模原市総務部総務課市史編さん室 編『相模原市史 現代図録編』相模原市、2004年11月。(全国書誌番号):(20704185)。 
  • 雄山閣編輯局 編「澁谷庄 田名村」『大日本地誌大系』 第38巻新編相模国風土記稿3巻之68村里部高座郡巻之10、雄山閣、1932年8月。(NDLJP):1179219/189。 
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