この記事には複数の問題があります。改善や(ノートページ)での議論にご協力ください。
|
滑川市(なめりかわし[1])は、富山県の東部に位置する市である。古くは北陸街道の宿駅町であり、江戸時代より富山の売薬の拠点の一つとして知られる。春の風物詩として知られ、「富山湾の神秘」といわれるホタルイカの大群遊のときに見られる青緑の宝石のようで幻想的な光の帯は「海の銀河」にも例えられる。滑川市の全ての海岸線はホタルイカ群遊海面[2]として国の特別天然記念物の指定を受けて、保存の対象とされている。群雄海面のホタルイカを銘産とする。
なめりかわし 滑川市 | |
---|---|
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、北陸地方 |
都道府県 | 富山県 |
市町村コード | 16206-0 |
法人番号 | 8000020162060 |
面積 | 54.63km2 |
総人口 | 32,039人 ([編集]) (推計人口、2023年4月1日) |
人口密度 | 586人/km2 |
隣接自治体 | 富山市、魚津市、中新川郡上市町 |
市の木 | マツ |
市の花 | キク |
他のシンボル | 市の花木 : ツツジ 市のさかな : ホタルイカ |
滑川市役所 | |
市長 | 水野達夫 |
所在地 | 〒936-8601 富山県滑川市寺家町104番地 北緯36度45分52秒 東経137度20分28秒 / 北緯36.76436度 東経137.34117度座標: 北緯36度45分52秒 東経137度20分28秒 / 北緯36.76436度 東経137.34117度 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
■ ― 市 / ■ ― 町・村 | |
ウィキプロジェクト |
「すべりかわ」という誤読が多いことを逆手にとり、「すべりかわ」じゃない「なめりかわ」!、「すべらない街 滑川市」という、企業からのコンペティションを経て採用したキャッチコピーを2023年2月に発表した[1]。
地理
- 地形
南東部に北アルプスを背後に置いて加積山麓階とよばれる旧扇状地の台地や、上大浦を扇頂に扇端が海岸線に広がる新扇状地などを形成し、新川平野(富山平野の東部)に繋がって広がっている。北西側で富山湾に面する。
東は、早月川を境界に魚津市と接し、早月川の上流部は上市町となる。西は、上市川(下流部)を境に富山市(水橋地区)に接し、上市川と合流する郷川を境に南西および南側に上市町と接している。
- 河川:早月川、上市川(黒川)、郷川(江川)、中川
- 湖沼:早月川河川敷の水溜り
2018年時点より、富山県内の市では最も面積が小さい市である。2022年現在、射水市、高岡市に次いで、最も人口密度が高い。
市章の由来
市の源名「波入川」にちなんで、波を図形に川を山形に配し、市の形態である山、平野、川、海を象徴したもの。(滑川市役所より)
- 大きな波頭で富山湾を表し、湾の南東部に位置することを表す。(七尾能登島から辰巳(アロケーション)方向が正面視線となっている)
- 波打つ「川」の字が配されたもの。
- 早月、黒川、郷川など急流を表す。
- 北アルプス剣岳を、望遠するもの。
- 扇状平野の地形を示すもの。
地名の由来
市の中央を流れる「波入川(なみいりがわ:現在の中川)」より発祥。
古代において、市域および魚津市南西部から上市町北東部にかけては、加積(賀積または香積)と呼ばれ、現在の中川は「波入川」と伝わる。中世に、この川の名に「滑河」の漢字が当てられて、滑河の地として「地名が滑河」となったのが始まり。「滑河」の初見は1186年。
- 「加積」は、古代に加積神が領したことによる(魚津市宮津神社(加積神社)のいわれより)。平城平安期に早月川の両岸(滑川市北東部、魚津市南西部)は、大伴佐伯氏の香積寺領であったことから後の加積郷へと広がる。加積神は、大伴家持を含む佐伯氏の先祖を祀ったもの。なお、これら以前は、滑川市北部から富山市水橋地区にかけて東大寺領の丈部(はせつかべ)郷と比定されており、後世に加積郷へと変節している。また、平安後期に滑川市域を含む新川郡は、藤原北家の本家・本所となるものの宮道蜷川氏らの寄進により祇園社(八坂神社)領へと変遷する。
- 「波入川」は、日本海の荒れた波が河口より入って遡上したことより、波入川と伝わる。
- 「滑河」は、中世に比企朝宗が、北陸道勧農使(1184)となったことによる。朝宗、及び、その家人、一門縁者らが、当地の地名に用いたこと見られる。当地の伝承は「名越朝時が、承久の乱(1221)にて北陸道大将軍となり、「波入川」の川畔に立った際に、景観も読みも「鎌倉の滑川」に似ているので「滑河」と呼んだ」と伝えるものの、朝宗を継いだ外孫の朝時のエピソードへ脚色されて伝えられている。朝宗の方(鎌倉の大蔵および比企谷(神奈川県)または比企郡の三門館(埼玉県)での当地への扱い)から、「波入川」に「滑河」の漢字を当て、地名「滑河」が当地に定着した。
歴史
明治以降の滑川町は面積が小さく、富山県内で最も人口密度が高かった。1952年に市制施行を目指して1町7ケ村で「加積郷合併審議会」(のちの促進委員会)が幾度も開かれた。東加積村の全会一致の反対で一度は頓挫したものの、山加積村が離脱し上市町と合併した後は全会一致で可決、いったん町として合併してから市になる形を選択した[3]。
町名の候補には滑川のほかにも「加積」「早月」「加川」「大日」「荒磯」「七和」[3]「延槻」が挙げられていたが(1918年米騒動などによって全国的に滑川の名称が余り良くない気持ちがあったため)[4]、最終的には知名度のある「滑川」が採用された[3]。
また、この当時は水橋町など1町3ケ村との合併構想もあり、実現すれば面積75.5㎢、人口約5万人となり、富山市と高岡市に次ぐ県下第3の人口規模の市となっていた[3]。
- 1953年11月1日 中新川郡滑川町・中加積村・東加積村・西加積村・北加積村・浜加積村・早月加積村が新設合併し、滑川町となる。当時は県下最大の町であった[3]。
- 1954年3月1日 滑川町が市制施行し、滑川市となる[5]。
- 1956年 中新川郡上市町の一部(本江、田柿、小森、東福寺、東福寺野および五位尾、黒川の各一部)を編入。なお、この編入は富山県知事から出された分離勧告および住民投票によるものである[6]。
- 1959年12月1日 財政再建団体指定(1967年度まで)[7][8]。。
- 1960年 旧山加積村を除く旧村域の出張所(主に旧役場を使用)を廃止[3]。
- 1965年12月12日 滑川市内の電話通話(ダイヤル)が即時化される[9]。
- 1973年3月28日 市制20周年を記念して、市の木「松」、市の花「ツツジ」、市の草花「菊」をそれぞれ制定[10]。
人口
滑川市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 滑川市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |
■紫色 ― 滑川市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |
滑川市(に相当する地域)の人口の推移 | ||
総務省統計局 国勢調査より |
行政
歴代市長
所轄警察署
所轄消防署
- 富山県東部消防組合
- 滑川消防署
国の機関
- (滑川公共職業安定所)(ハローワーク滑川)
県の機関
- (富山県水産試験場)
郵便局
- 東加積郵便局
- 浜加積郵便局
- 中加積郵便局
- 滑川郵便局
- 滑川吾妻郵便局
- 滑川高月郵便局
経済
産業
金融
物販
姉妹都市・提携都市
教育
高等学校
- 富山県立滑川高等学校
- 富山県立海洋高等学校 - 2012年廃校。跡地は県が運営するスポーツトレーニング施設「日医工スポーツアカデミー」となる。
中学校
小学校
専門学校
施設
- TAM Net3滑川窓口(旧・滑川中新川地区広域情報事務組合)
- 厚生連滑川病院
- 滑川市総合体育センター
- 滑川室内温水プール(1994年7月完成、北陸初の室内温水プール[16])
交通
空港
最寄は富山空港(富山市)で、北陸自動車道などで行き来できる。
鉄道
中心となる駅は滑川駅である。
道路
- 高速道路
- 一般国道
- 県道
バス路線
高速バス
路線バス
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
史跡
祭り・イベント
- ほたるいかまつり(4月下旬)
- ふるさと龍宮まつり(7月中旬)
- 古来から地域に恩恵を与えてくれた「ほたるいか」に感謝の意を表す祭りで、滑川駅前地区から、後述の「ほたるいかミュージアム」までの周辺で毎年2日間にわたって開催される。郷土舞踊である「(新川古代神)」の街流しや大型やさこパレードなどが繰り広げられる。また、2日目には海上花火大会が開催され、県内で唯一、正三尺玉(30号玉)が打ち上げられるとあって、市内外から多数の見物客が訪れる。
- ネブタ流し(7月31日)
- ほたるいかマラソン(10月上旬)
博物館・美術館・図書館
- ほたるいかミュージアム
- 滑川市立博物館
- 滑川市立図書館
- 滑川市立こども図書館
観光・娯楽
- ほたるいか観光(4月中旬 - 5月上旬)
- 期間中、滑川漁港から観光船が出船し、漁場でほたるいか漁やほたるいかの発光の様子を実際に見学することができる。
- 行田公園
- 園内を流れる「行田の沢清水」が平成の名水百選に指定されている。
- 東福寺野自然公園
- 滑川市スポーツ・健康の森公園
- 滑川海浜公園
- 1979年に利用開始。2023年4月29日にはオートキャンプ場(4区画)がオープンした。運営は指定管理者の『ONE DIVE』が担当[21]。
- みのわテニス村
- タラソピア
- 滑川市民交流プラザ
- 中心市街地のまちづくり事業の一環で、2007年(平成19年)6月オープン。入浴施設「あいらぶ湯」のほか、レストラン、市内を一望できる展望台などがある。
- 滑川第一劇場
- 映画館(~1950年代)
- 滑川中央劇場
- 映画館(~1950年代)
- 滑川日本劇場
- 映画館(~1960年代)
- 滑川東映劇場
- 映画館(~1960年代)
- 北洋館
- 映画館(跡地は1989年時点で公衆トイレ、消雪施設、電話ボックスとなっていた[23])
宿泊施設
- 海老源
- 海老よし
- 滑川館
- スカイホテル滑川(魚津市に事業所のあるスカイホテルの運営。かつては「ホテルサンルート滑川」という名称であったが、2016年9月30日を以て富山サンルート(現・スカイホテル)がサンルートホテルチェーンとの加盟契約を終了し、スカイホテル滑川に名称変更された[24])
- 民宿サン
- みのわテニス村(グリーンハウス)
- 青少年婦人研修センター(青雲閣)
- SLホテル(東福寺野自然公園内)
著名な出身者
宗教家
政治家
- 中川幸子 (民権運動女傑)
- 石坂豊一 (衆議院議員)
官僚・法曹
- 石坂修一 (最高裁判事)
実業家
- 椎名道三(寛政~安政)
- 金岡幸二
文化人
- 郷義弘 (作刀家)
- 川瀬知十彦右衛門 (俳人)
- 高島高 (詩人)
- 高階哲応 (バイオリニスト、作曲家、指揮者)
- (上田智美)(トロンボーン奏者)
- 岡本幸一郎(モータージャーナリスト)
- 下田義寛(画家)
- 中島タケオ(ゲームミュージック作曲家)
芸能人
スポーツ
関連項目
脚注
- ^ a b 「観光客誘致 滑川市 すべりません/富山 読み間違いを逆手にPR:特産品ホタルイカ◆伝統行事ネブタ流し」『東京新聞』朝刊2023年3月6日21面
- ^ 観光船 から見る ホタルイカ群遊海面 富山県庁土木部建築住宅課景観係(2023年3月7日閲覧)
- ^ a b c d e f 『市勢60周年 なめりかわ昭和今昔写真館』(2014年3月21日、滑川市立博物館発行)5頁
- ^ 『早月加積郷土誌』(1985年11月25日、松井庄二編集・発行)141頁
- ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第2巻』(1999年7月30日、北日本新聞社発行)84頁
- ^ 『市勢60周年 なめりかわ昭和今昔写真館』(2014年3月21日、滑川市立博物館発行)7頁
- ^ 『滑川市制五十周年記念誌 眼でみる滑川五十年のあゆみ』(2003年11月1日、滑川市総務部企画情報課発行)53頁
- ^ 『滑川市史 通史編』(1985年12月25日、滑川市発行)616頁「財政再建団体となる」
- ^ 『広報なめりかわ』第152号(1965年12月1日、滑川市役所発行)1頁『滑川局の電話 いよいよ12月12日からダイヤル即時化に』より。
- ^ a b 『滑川市制五十周年記念誌 眼でみる滑川五十年のあゆみ』(2003年11月1日、滑川市総務部企画情報課発行)56頁
- ^ “ようこそ市長室へ(市長プロフィール)|滑川市”. www.city.namerikawa.toyama.jp (2022年2月23日). 2022年2月23日閲覧。
- ^ 『空から見るなめりかわ 昭和今昔写真館』(2016年4月2日、滑川市立博物館発行)33頁
- ^ 『空から見るなめりかわ 昭和今昔写真館』(2016年4月2日、滑川市立博物館発行)25頁
- ^ 『北日本新聞』朝刊1979年6月14日付5面「大繁盛のオープン 滑川ショッピングセンター」
- ^ 『滑川市制五十周年記念誌 眼でみる滑川五十年のあゆみ』(2003年11月1日、滑川市総務部企画情報課発行)61頁
- ^ 『滑川市制五十周年記念誌 眼でみる滑川五十年のあゆみ』(2003年7月11日、滑川市総務部企画情報課発行)60頁
- ^ 本江遺跡 - 滑川市
- ^ 東福寺焼窯跡 - 滑川市
- ^ 東福寺焼窯跡 - 滑川市
- ^ 郷土のやきもの 東福寺焼 - 滑川市立博物館
- ^ 『北日本新聞』2023年4月29日付22面『車でキャンプ 海・山一望 滑川海浜公園にきょうオープン 4区画 日帰り・宿泊OK』より。
- ^ 野口冬人『全国温泉大事典』(1997年12月18日、旅行読売出版社)464頁
- ^ 『写真集 富山県100年』(1989年6月10日、北日本新聞社発行)13頁
- ^ 『富山新聞』2016年9月9日付5面「スカイホテルに名称変更」
外部リンク
- 滑川市