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永六輔の誰かとどこかで

永六輔の誰かとどこかで』(えいろくすけのだれかとどこかで)とは、TBSラジオの制作による永六輔冠番組。同局では1967年1月2日から2013年9月27日まで通算で12,629回にわたって放送されていて、他のJRN加盟局の一部や、JRN非加盟局(NRNシングルネット局)のラジオ大阪でもテープネットを実施していた。

永六輔の誰かとどこかで
ジャンル トーク番組
放送方式 録音
放送期間 1967年1月2日 - 2013年9月27日(特番を含む場合は2016年9月18日
放送時間 平日 11:38 - 11:47(9分)
放送回数 全12,638回[注 1]
放送局 TBSラジオ
ネットワーク JRN(非加盟局のラジオ大阪でも一時放送)
パーソナリティ 永六輔
遠藤泰子
提供 桃屋
特記事項:
放送時間は制作局のTBSラジオのもの。
番組開始から1969年昭和44年)10月4日までは『どこか遠くへ』のタイトルで放送。
(テンプレートを表示)

出演者

概要

永六輔が世相批評などを交えながら日々の雑感を語っていたほか、聴取者からの投書などによるやり取りも活発に展開。1981年1月31日(土曜日)までは日曜日以外の週6日、翌週(2月2日)以降は平日にのみ放送されていた。

TBSラジオの制作によるテープネット番組であったが、報道特別番組の編成などからTBSラジオで放送できなくなった場合には、ネット局に向けて裏送りを実施。また、近畿広域圏ではJRN/NRNクロスネット局の朝日放送毎日放送ではなく、編成上の事情からNRNシングルネット局のラジオ大阪で放送していた。

当初は呉羽化学工業(現在のクレハ)がスポンサーに付いていた[1]が、その後は鐘淵化学(現在のカネカ)に変更[2]。1972年頃からは編成上、一部のネット局での放送分を除いて、桃屋単独提供によるネットワークセールスが定着していた[3]。しかし、桃屋が2013年4月改編から提供の対象をTBSでの放送分に絞ったことに伴って、同年3月29日(金曜日)放送分を最後にネットワークセールス枠から除外。これを機に、一部のネット局が相次いで放送を打ち切った。ちなみに、桃屋がネットスポンサーが付いていた時期には、MBSが後述する経緯から桃屋のCMを午前中に放送している。

沿革

  • 1967年
    • 1月2日 - 『どこか遠くへ』(どこかとおくへ)のタイトルで放送開始。初代アシスタントは佐藤ユキだったが、途中から最終回までは遠藤泰子が担当した。
  • 1969年
    • 10月6日 - 番組タイトルを『永六輔の誰かとどこかで』に変更。
  • 1974年
  • 1981年
    • 2月2日 - この日から月曜日 - 金曜日の帯番組として、最終回まで放送。
  • 1985年
    • 4月5日 - TBSで週6日放送時代から維持されてきた単独番組としての放送を、この日で終了。翌週(4月8日)からは、『スーパーワイドぴいぷる[注 2]を皮切りに、最終回まで自社制作の生ワイド番組へ内包された。
  • 2003年
    • 9月1日 - 放送回数が10,000回に到達。
  • 2007年
    • 1月2日 - 放送開始から40周年。
    • 7月2日 - 放送回数が11,000回に到達。
  • 2011年
    • 5月2日 - 放送回数が12,000回に到達。
  • 2013年
    • 3月29日 - スポンサーの桃屋が、ネット局での放送分の提供を一斉に終了。
    • 8月29日 - この日の放送中に、9月27日でレギュラー放送を終えることを正式に発表。桃屋からスポンサーを完全に降板する意向を伝えられたことや、永自身が医師から「身体に無理が掛かっているので(放送を)休んではどうか」との助言を受けたこと[4]による。
      • 永は2010年にパーキンソン病と診断されてからも、投薬治療を受けながら『誰かとどこかで』への出演などを続けてきた。しかし、実際には病状が進むにつれて滑舌に支障を来すことが増えていて、聴取者からも「痛々しいから休んでほしい」という声が多く寄せられていた[5]。TBSラジオでも、終了に際して「永さんの体調を含めて、総合的に検討した結果」と発表している[6][7]
    • 9月27日 - この日でレギュラー放送を終了。総放送回数は12,629回、放送期間は約46年9か月で、同一人物がパーソナリティを務めたTBS制作のレギュラー番組としては『秋山ちえ子の談話室』の最長記録(通算放送回数12,512回)を上回った[4][8]
      • 永自身は、レギュラー放送の終了に際して、「放送を止める」のではなく「放送を休む」と表現していた。TBSではこの意向に沿って番組宛のメールボックスを維持していて、はがきや封書での投稿も引き続き受け付けていた[6]
  • 2014年
    • 1月1日 - レギュラー放送終了後初めての特別番組として、TBSで『永六輔の誰かとどこかで 2014年初場所』を放送(詳細後述)。
  • 2016年
    • 7月7日 - 永が83歳で逝去。
    • 9月18日 - レギュラー放送終了後の最終シリーズ『永六輔の誰かとどこかで 千秋楽』をもって、番組が完結。50年間の歴史に幕を閉じた。

主なコーナー

七円の唄
毎週金曜日に放送。
リスナーから投稿された日常の風景を紹介する。タイトルは、放送開始当時の日本におけるはがき第二種郵便物)1枚の(料金)が7だったことにちなむ[9][注 3]
永と遠藤の2人でハガキを読む形式だったが、2008年10月3日以降は遠藤がハガキを読み、その内容に永が一言付け加える形式に変更された。
1981年1月までは土曜日に放送していたが、同年2月から金曜日に移行した。
BGMはタレガの「アルハンブラの思い出」が使われていた。
五十円の小言
2008年以降、主に木曜日に放送[注 4]。タイトルは、2008年当時の日本におけるはがき(第二種郵便物)1枚の料金が50円だったことにちなむ。
主にリスナーが感じた苦言や小言に関する投稿を読み、永が感想などを加えていた。

上記以外は永六輔が自分の思ったことや感じたこと、旅をした各地のことなどを述べるコラムが中心となっていた。

その他、「七円の旅」「五十円の感謝状」といった投稿企画もあった。

番組の構成

本編は冒頭で遠藤が放送月日・曜日をアナウンスして始まるが、月曜日のみ放送月日・曜日に加え、放送回数もアナウンスするのが通例となっていた[注 5]

オープニングやエンディング時は、桃屋提供となっている局とそれ以外で一部異なっていた。以下は一例。

  • 桃屋提供ありの場合
    • オープニングは「遠くへ行きたい」がフルで流れる。この曲をBGMに、﨑南海子作の「○月の唄(桃屋を織り込んだ詩)」が遠藤によって朗読される。この中で「窓辺、(または空の下、)桃屋の空き瓶に・・・・」というくだりが日替わりで変更される。
    • 遠藤によるスポンサー紹介ナレーションは、番組開始時は「この番組は味を大切にする桃屋がお送りします」、終了時は「この番組は何はなくとも江戸むらさき、花らっきょうでおなじみの桃屋がお送りしました」となっていたが、番組末期、特番の終了時は「この番組は味を大切にする桃屋がお送りしました」に変更された。
    • 本編終了が近づくとBGMがフェードインで流れるようになる。いったん「誰かとどこかで、おしゃべりは永六輔、遠藤泰子でした」と締めた後[注 6]、少し間を置いて、遠藤がフリートーク風に永とのかけあいで桃屋製品の紹介をする(プレゼントの紹介・案内をする時もある)。
    • 終了時は、遠藤が提供アナウンスのあとに「誰かとどこかで、ではまた明日(来週)です」と締めていた[注 7][注 8]が、このときのBGMはワイド番組内包局と独立番組局で若干長さが異なる(前者は後者より早く、フェイド・アウトしている)。
  • 桃屋提供なしの場合
    • オープニングは「遠くへ行きたい」のBGMと共に、遠藤アナウンスのタイトルが放送される。その後、各局の提供 → CMになる。CMが無い局は、本編に入るまでテーマ曲が流れ続ける。
    • 本編のトークが若干、長くなっている。
    • 本編終了BGMが流れ始めた後に「誰かとどこかで、おしゃべりは永六輔、遠藤泰子でした」と締めたあと、そのBGMが時間まで流れ続ける。局によってCMや提供アナウンスを挿入するところもある。
    • <例>山梨放送の場合(2007年12月現在の内容)
      • 提供なし版タイトル後、一旦、音楽が下がってから「ローカル提供」 → ローカルCM → 再び音楽が上がって、本編へ → 挨拶後、音楽が下がって、ローカルCM → ローカル提供 → 音楽が再び上がって、11:49に音楽が下がって、番組が終わる。

ネット局一覧

北から順に掲載。

凡例
放送局名が太字:終了まで桃屋提供
放送局名が細字:桃屋以外の複数社提供、またはスポンサーなし
☆印:2013年3月までは桃屋提供

終了時までネットした局

終了時点でワイド番組に内包していた場合は、その番組名を記載する。

放送終了以前にネットを打ち切った局

2013年3月29日でネットを打ち切った局
2013年3月以前にネットを打ち切った局

レギュラー放送終了後の特別番組

  • 2016年7月7日に永が亡くなったため、「千秋楽」をもって完全に番組が終了となった。
永六輔の誰かとどこかで 2014年初場所
TBSラジオ(制作局)での放送時間:2014年1月1日 18:00 - 19:00[12]
同時ネット:中国放送
先行ネット:山梨放送・信越放送・RKB毎日放送
遅れネット:北海道放送・東北放送・北日本放送・福井放送・CBCラジオ・大分放送・長崎放送・琉球放送
永六輔の誰かとどこかで 2014年春場所
TBSラジオ(制作局)での放送時間:2014年4月29日 21:00 - 22:00[13]
同時ネット:IBC岩手放送
先行ネット:長崎放送・CBCラジオ・福井放送・山口放送
遅れネット:東北放送・山梨放送・信越放送・北日本放送・琉球放送
永六輔の誰かとどこかで 2014年秋場所
TBSラジオ(制作局)での放送時間:2014年9月21日 20:00 - 21:00[14]
同時ネット:IBC岩手放送・長崎放送
遅れネット:北日本放送・東北放送・信越放送・CBCラジオ
永六輔の誰かとどこかで 2015年初場所
TBSラジオ(制作局)での放送時間:2015年1月11日 19:00 - 20:00
同時ネット:CBCラジオ
遅れネット:琉球放送・北日本放送・長崎放送・東北放送・山梨放送・IBC岩手放送・信越放送
永六輔の誰かとどこかで 2015年春場所
TBSラジオ(制作局)での放送時間:2015年5月10日 20:00 - 20:55
同時ネット:IBC岩手放送
先行ネット:CBCラジオ
遅れネット:山梨放送・北日本放送・琉球放送・東北放送・信越放送
永六輔の誰かとどこかで 2015年夏場所
TBSラジオ(制作局)での放送時間:2015年8月9日 20:00 - 20:55
同時ネット:IBC岩手放送
遅れネット:信越放送・北日本放送・CBCラジオ
永六輔の誰かとどこかで 2015年秋場所
TBSラジオ(制作局)での放送時間:2015年11月1日 19:00 - 20:00
遅れネット:IBC岩手放送・東北放送・信越放送・CBCラジオ・北日本放送
永六輔の誰かとどこかで 2016年初場所
TBSラジオ(制作局)での放送時間:2016年1月10日 19:00 - 20:00
同時ネット:CBCラジオ
遅れネット:IBC岩手放送・山梨放送・信越放送・北日本放送
永六輔の誰かとどこかで 千秋楽
TBSラジオ(制作局)での放送時間:2016年9月18日 19:00 - 20:00
同時ネット:CBCラジオ・IBC岩手放送・南日本放送・琉球放送
遅れネット:北海道放送・北日本放送・信越放送・北陸放送・山陽放送・宮崎放送

番組関連書籍

  • 永六輔・崎南海子・遠藤泰子編『七円の唄 誰かとどこかで』シリーズ(『・・・』1〜3、『・・・生きているということは』、『・・・ことづて』、『・・・めぐりあい』、『永六輔の「誰かとどこかで」北から、南から』)朝日出版社

関連番組

  • 六輔七転八倒(ろくすけしちてんばっとう)
    • 『誰かとどこかで』の派生番組で、 1976年度から1983年度までプロ野球オフシーズンの毎週水曜20:00 - 20:55(JST、『ゴールデン・ワイド』枠)に放送されていた。
    • 桃屋や(アメリカ屋靴店)など複数社の提供による全編生放送で、永・遠藤に加えて、ジャズピアニストの(小泉源兵衛)がトークの合間にピアノを演奏。当時TBSのアナウンサーだった大沢悠里が、ディレクターを務めていた[15]
    • 近畿広域圏では朝日放送(ABC)が『ゴールデン・ワイド』枠ごと同時ネットを実施。11月下旬の水曜日に『速報!日本レコード大賞』(TBSテレビとのサイマル放送によるノミネート歌手発表番組)が放送された場合にも、TBS(ラジオ)からの裏送りで対応していた。
      • 前述したように、近畿広域圏ではABCと毎日放送(当時はいずれもテレビとの兼営局)がJRN(TBSが幹事局である民放ラジオネットワーク)に加盟。一方ABCテレビ1974年度までJNN(TBSが基幹局である民放テレビネットワーク)の準基幹局でもあったが、1975年3月31日の(ネットチェンジ)でその地位が毎日放送(MBS)へ移ったことに伴って、『速報!日本レコード大賞』はテレビ・ラジオともMBSで放送されていた。
      • 永は『誰かとどこかで』を始める前(1960年代の後半)に、漫才作家としての修業を兼ねて、ABC・MBS・ラジオ大阪(OBC)の本社がある大阪府内へ1年半にわたって居住。また、ABCアナウンサーの道上洋三と親交が深く、道上が『おはようパーソナリティ道上洋三です』を担当してからは同番組にもゲストで随時出演していた。ただし、ABC・MBS両局における編成上の事情などから、近畿広域圏では『誰かとどこかで』をOBCへの番組販売方式で放送。MBSについては、(江戸の笑芸を扱うテレビ番組への編成方針をめぐってかねてから永との間に確執が生じていた)ため、当時のネットスポンサー(桃屋)のCMを放送するだけにとどめていた。
  • 土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界
  • 六輔七転八倒九十分
    • 前述の「六輔七転八倒」のタイトルは、永がメインパーソナリティーを担当した『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』(2015年9月26日終了)の体裁を引き継いで、同年9月28日より2016年6月27日まで月曜18:00 - 19:30(JST)に放送された『六輔七転八倒九十分』で再活用された。

脚注

注釈

  1. ^ レギュラー終了後の特番(全9回)も含めた回数
  2. ^ 1985年10月3日までは、木曜日のみ『村野武憲のいきなりラジオ』として放送。
  3. ^ その後、はがきの料金は改定されたが((第二種郵便物#料金)を参照)、コーナー名は変更されなかった[9]
  4. ^ 2010年4月以降は不定期
  5. ^ 最終週は放送回数を毎回、読み上げていた。
  6. ^ 具体的な時期は不明だが、93年もしくは94年頃まではすべて遠藤による語りで「誰かとどこかで、おしゃべりは永六輔さんと遠藤泰子でした」だったが(2016年放送の『誰かとどこかで 千秋楽』で流れた1993年9月30日放送分ではまだこのパターンだった)、リスナーからの投稿がきっかけで「永六輔」の部分のみ永が語るパターンに変更されている。番組末期は再びすべて遠藤の語りになっているが、表記の通り永の敬称なしとなっている。
  7. ^ 2013年3月29日の放送では、この日で放送を打ち切る局が多数あったためCMのあと提供アナウンスだけで締められたほか、最終回は「46年間、本当にありがとうございました」とアナウンスした。
  8. ^ 2013年9月27日の放送はレギュラー放送の最終回で、遠藤が提供アナウンスの後に「誰かとどこかで、本当に長い間ありがとうございました」とアナウンスして、46年9か月の歴史に幕をおろした。

出典

  1. ^ TBSラジオ番組表(1967年4月) (PDF)
  2. ^ TBSラジオ番組表(1971年5月) (PDF)
  3. ^ TBSラジオ番組表(1972年3月) (PDF)
  4. ^ a b 毎日jp(2013年8月29日)
  5. ^ 毎日jp(2013年9月25日)
  6. ^ a b 永六輔さんのラジオ番組、46年の歴史に幕 「誰かとどこかで」,産経新聞,2013年8月29日
  7. ^ 永六輔の長寿ラジオ番組「誰かとどこかで」終了へ,スポーツ報知,2013年8月29日
  8. ^ スポニチアネックス(2013年9月27日)
  9. ^ a b 『七円の唄 誰かとどこかで』朝日出版社、1997年、4頁。(ISBN 4-255-97022-X)。
  10. ^ 「つボイノリオの聞けば聞くほど本」学研より。
  11. ^ a b ラジオ新番組速報版三才ブックス)より。
  12. ^ “TBSラジオ年末年始番組”. 2013年12月30日閲覧。
  13. ^ “TBSラジオニュース&トピックス”. 2014年4月24日閲覧。
  14. ^ “TBSラジオニュース&トピックス”. 2014年12月23日閲覧。
  15. ^ 2016年6月13日放送『六輔七転八倒九十分』でのゲストの遠藤泰子の発言による。
TBSラジオ 平日10:50 - 11:00枠
前番組 番組名 次番組
奥方ちょっと失礼
(10:45 - 10:55)
※5分繰り上げ
切り抜きジャーナル
(10:55 - 11:00)
どこか遠くへ
TBSラジオ 平日11:05 - 11:15枠
昼の話題
永六輔の誰かとどこかで
すてきな奥様
TBSラジオ 平日11:50 - 12:00→11:45 - 11:55枠
ラブレター讃歌
(11:45 - 11:55)
旅アラカルト
(11:55 - 12:00)
永六輔の誰かとどこかで
交通情報
(11:45 - 11:52)
TBSニュース
(11:52 - 12:00)
TBSラジオ 平日11:35 - 11:45→11:38 - 11:47枠(「大沢悠里のゆうゆうワイド」内)
浜美枝のいい人みつけた
(11:30 - 11:40)
ニチレイ伝言大賞
(11:40 - 11:45)
永六輔の誰かとどこかで
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